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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十五章 紅の漣
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七十四話

 皇燕(こうえん)ノ國の行政機関が詰まった御役所の最上階で、サンは迎陽(げいよう)の高欄に寄りかかり、一人夜風を浴びながら街を見下ろしていた。

 街の提灯が消える様子は見られない。それどころか、もう夜の帳が落ちきったというのに、これからが本番だと言わんばかりに人が通りを行き来している。

 流石は〈燕戈京(えんかきょう)〉というところか。龍人どころか、烈刀士(れっとうし)すらなんなのか解っていない連中が、祭りを貪るように楽しんでいるのだ。

 だけど、それは仕方がないことだ。俺だってそうだった。奴隷としてライガと過ごした世界を抜け出し、無色の人斬りに拾われたあの頃。師匠の犠牲を恨み、犠牲にならないだけの強さを求めて蒼龍ノ國へと渡ったあの頃。俺はそんな人生の中で、神や鬼、妖魔と戦う烈刀士の存在を信じたことが一度でもあっただろうか。

 サンは夜の街を行き交う人々の姿を見て、首を振りたくなる気持ちを抑え込み、深く息を吸った。そう、俺だって知らなかったのだ。

 それが、今では龍人だ。神すらなんだかわかっていなかった自分が、今やヴィアドラの神の魂を引き継ぐ存在となっている。

 サンは、迎陽に灯りを溢す部屋に顔を向けた。革張りの長椅子に座り、視線を交わらせて微笑み合うライガと鬼火。蒼龍将が座る椅子の肘掛に座り、蒼龍将が読む本を覗き込む真。この光景がずっと続けばいい。


「俺が守るんだ」


 サンは拳をぎゅっと握ると、今度は力強く一つ息を吸った。

 今やるべきことは、明日に備えること。

 そんなことを考えていると、カゲツが杯を二つ持ってやってきた。


「またなにか抱え込んでるね。夜風を浴びて夜景を愛でるなんて重症じゃないか」


 サンは、カゲツに差し出された杯を手に取ると鼻で笑った。「そうやって彼女を口説いたのか?」カゲツが面食らったように視線を逸らしたのを見て、サンは片笑むと杯に口をつけた。「水?」


 今度はカゲツが呆れたように鼻で笑った。「これは気が利かなくて申し訳ない。大事な日の前こそベロベロになるべきだったかな?」


 サンは、カゲツの肩を小突くと、微笑みながら特に見るものもない街に目を向けた。


「ありがとな」


 サンの静かな声音に肩をすくめたカゲツは、真剣な色を目に湛えながら、ライガ達がくつろぐ部屋の方に目を向けた。


「それはいいとして。お前がいなくなってから大変だったよほんと。あの護衛という名の女の狂気が血走る目ときたら……」想像して笑みを浮かべたサンの肩に、カゲツは一発拳をお見舞いした。「いない間、お前と蒼龍将が何をしていたのか気になるけど、話す気は無いようだからこれ以上は詮索しない。だからさ、悩み事は一旦引き出しに納めておきなよ。悩んでると明日に響く」


「そうだな」


 カゲツの言う通りだ。明日は演武ではなく猛者達との手合わせであり、皇燕の民達に烈刀士と龍人の存在を刻み込まなければならない。

 サンは、散っていった仲間達を胸の中で思い返して、目を瞑った。あまり話さなかった者達の顔、他の砦で見た仲間を偲ぶ烈刀士達、そしてガマドウの笑顔と鮮血に沈む姿が瞼の裏に現れる。

 ガマドウのような犠牲を知らずに暮らす者達に刻み込むのだ。俺達はいるんだと。



 皇燕ノ國には闘社(とうじゃ)と呼ばれる、武を切磋琢磨するためだけの社がある。流派を問わず闘いが許可され、勝敗というものも存在しなければ認めてもいけない。闘社は闘いを神にお供えするための場なのだ。

 祀られる神の名は〝天澄辰命(あますたつのみこつ)〟といった。

 戦神に次いで秘術の扱いに優れた神であり、もっとも有名な逸話は、死んだ木を蘇らせたというものだ。その逸話から、生命の神として神社に祀られ、その多くは安産祈願にやってくる参拝者達で埋め尽くされるという。

 だけど、ここ皇燕ノ國では違う。剣と拳の神が千雷千手命なら、秘術と闘気の神は天澄辰命なのだ。四國の中で最も闘気の扱いに秀でた皇燕ノ國に於いては、天澄辰命が武の象徴として信奉されて、闘社に祀られている。

 そして、その皇燕ノ國最大規模を誇る闘社〝武奉(ぶほう)〟に、サンは来ていた。

 もちろん、観光ではない。そうであったなら今頃、町を見て回った感動と、四國でありながら他國とは違う趣の味を手紙にしたため、ロジウスおじさんやキリ師範達に送ったはずだ。

 だけど、俺は今からここで、猛者と信念という力をぶつけ合い、その姿をもってモノノフがまだ存在していることを民衆に証明する。烈刀士を陥れようと民衆から鬼の脅威を隠し、民衆を操り搾取する元老院を止めるために、民衆の意識に俺達を刻み込む。

 いずれは民衆は烈刀士を気にかけ、元老院が烈刀士を蔑ろにしていることに気づくだろう。元老院は、援助を渋っている烈刀士への態度を変えざるを得なくなる。

 そのために、ヴィアドラを守っている存在の力を示さなければならない。それが俺の大切な人達を守ることに繋がるから。

 土俵へと入場する門の間から、観客席の喧噪が伝わってきた。中を窺い見ると、四角い土俵に四角い空間が広がっている。

 土俵は、剣気を纏い人ならぬ速さで駆けても、十二分に動きを確保できる広さがある。端から端に立てば、人の顔もはっきりとは認識できないくらいに広い。これならば、存分に派手な闘いを繰り広げられそうだ。

 観客席は、収容人数三万人と聞いたが、想像の範疇を超えた数字に、もはや何も感想が浮かばない。戦技大会が開催された蒼龍ノ國の闘技場とどちらが広いのだろうか。

 門の横で待機していた男が慇懃な礼をした。サンは会釈でそれに応えると、細く息を吐きながら開いていく門を見た。そして門が開ききると、堂々と足を踏み出す。

 目だけを動かして闘社の中を見回した。四階まである観客席は、四面に高く聳えて、中央の土俵を見下ろせるようになっていた。上の方は暗くて目を凝らしても見えない。その暗闇に覆われた先にあるだろう天井から、巨大な提灯がいくつも整然と吊り下げられて、鉱石から発せられる灯で社内を照らしている。

 土俵に立って感じるのは、闘社を充満させる観衆の喧噪だけだ。その喧噪も入場前よりもひそひそとしたものに変わっていた。

 土俵は灯に照らされていて、暗い観客席は窺えないが、それでも、目を凝らせば灯を反射させた人の目の光が茫洋と見えてくる。さながら妖魔の森の餓鬼だ。

 サンは腰の左右に差した愛刀、心・通の柄を握った。俺と共に、今までのようにこの闘いを乗り切ろう。心の中で刀に語りかけると、心が一つ階段を下りたようにほっと息をつく。そこで、自分が緊張していることに気がついた。

 サンは不敵な笑みを絞り出し、蒼龍ノ國、巖亀ノ國、白鬼ノ國で乗り越えた闘いを思い返す。全て成功してきたんだ。この土俵には俺独りだが、常に背中を支えてくれている仲間がいる。今だってやれるさ。


〝いままで通りに、ぶっ潰せばいいんだよ龍人さん〟


 俺を土俵に送り出した、カゲツの飄々とした顔と言葉を思い出して、呆れた笑いを味わいながらゆっくりと首を振る。あいつは他人事みたいに……。いや、違うか。俺が師匠みたいに岩のように無口になっていたから、あんな物言いをしてくれたんだ。

 カゲツの言葉と存在が生み出す、緊張も不安も振り払うその感覚は、まるで曇り空が晴れるようだった。

 サンは、頭の中で弾けた感覚に顔を上げた。


「そういうことか」


 闘いを前にして、カゲツの愛刀の銘〝叢雲斬(むらくもぎり)〟の意味を見つけたサンは、独り呟いて頷いた。この闘いが終わったら、あいつに教えてやろう。

 その時、闘社内に篠笛の天を貫くような高音が響き、凪を滑る小舟のように細いものに変わっていく。それと同時に観衆の喧噪はなだらかなものにかわり、闘社内に粛々とした静けさが広がっていく。

 それを待っていたかのように、幾つもの笙が一本の音となり空気を震わせ空気を破り、小鼓の音が山を描く。太鼓が鳴り響き、重なっていく楽音が荘厳な世界の始まりとなって、土俵に立つ一人の青年を迎える。

 サンは見えそうなほどに重い観衆の視線と気配を感じながら、目を瞑りゆっくりと二本の愛刀を抜いた。体の横に腕を垂らし僅かに広げて、足を前後にずらして爪先に重心を置く立ち姿は、吊り劔の構え。舞い落ちる桜の花弁の如く不規則に、美しく舞う、無色流。

 己に存在する確かな力の存在を握りしめる。守るための力、先人達の想い。光の粒が柱となり、それを束ねて収束させる。心に満ち溢れ、体に駆け巡っていく。溢れんばかりに輝く力を解放し、サンは木を割るように目を開けた。

 白と薄い翡翠色の燐光が焔の如く揺れ、狩衣と大鎧を合わせたような姿を象り、サンの体を纏っていく。

 焔の鎧を纏いし龍人サンは、白色の肌に鮮血色の隈取りを浮かび上がらせ、黒い目は光を湛える翡翠の目へと変わり、人間ならぬ神秘さをもって力の片鱗を顕現させた。

 サンは、龍人の力を扱えるようになってから感じていた違和感の正体を理解した。

 力を使い始めて間もない頃に感じるたのは、先人達の怨嗟だった。純粋な先人の魂を引き出してからはその怨嗟は感じることはなくなった。代わりに、周囲の気の流れをより深く感じられるようになったのだ。

 そして、今感じるのは、観衆の驚愕だった。信じられないという感情だけがそこにはある。これは、いかに龍人という存在が知られていないかを物語っていた。

 観衆の感情が別のざわめきに揺れ始めた。

 これは恐怖だ。

 五感が研ぎ澄まされた今では暗闇も見通せる。その中で見えるのは、眉に皺を寄せ合い何かを囁き合う人や、胸に手を置いて固い表情を浮かべる者達だった。

 そうか、存在が知られていないのではない。忘れられていたのだ。そして今、龍人の姿を見て思い出したのだ。百年前に龍人が起こした災厄を。

 この観衆の視線には覚えがある。烈刀士の砦で浴びた、懐かしいが恋しくはない先輩達の目。ならば、安心させてやるべきだろう。

 龍人サンが息を軽く吐くように地面を駆ると、一瞬にして宙に現れた。白と翡翠の焔の鎧を揺らめかせた姿で、五本の光剣を飛ばして宙を切り裂き、また次の瞬間には地面に姿を現した。

 五本の光剣が宙で一つになり、巨大な龍の姿となって観衆の前を飛び回った。観衆は悲鳴とどよめきの波に揉まれ、立ち上がり逃げようとする者まで現れる。

 炎のような光で象られたものであっても、本能的な恐怖は抑えられないのだろう。サンは脅かすのはこれぐらいにしておこうと考えて、跳躍すると空中で体を留めた。そして己の力であることを証明するように、龍を自分の体に巻きつけように漂わせると、観衆に向かって声を張り上げた。


「我は、戦神に選ばれし龍人なり。ヴィアドラを守るためにモノノフたる劔を振るう。この龍人の力、魂に刻みたくば刀を抜け!」


 龍人サンの言葉に、進みでる戦士の勇気を讃えるように笛と太鼓が鳴り響く。

 白と翡翠に輝く羽衣を纏い、龍を手懐ける龍人サンに見下ろされながら、土俵に現れる数十人の男達。

 男達の纏う戦装束は、ばらばらなものだった。笠を被り、素顔を晒さない流浪の身なりの者までいる。その中で、しっかりとした戦装束を纏った男が歩み出てきて、深深と腰を折って礼をすると、畏怖を湛えながらも揺れない目で龍人サンを見上げた。


「戦神の剣を刻まんと望むは我らなり! いざ、尋常に!」


 男が闘気を纏わせた拳を構える。それに続いて十九人の武人達が一斉に獲物を抜き放った。畏れを喰らうほどの闘争心を目に宿らせて、歯を剥き出して武者震いをする者までいる。

 サンは目の前の武人達の覚悟は称賛に値するものと受け取ったが、観衆の感情には思わず頬を引き攣らせた。

 あいつらの今の感情を例えるなら、赤色だ。好奇心、躍動。戦いを知らぬ者達が娯楽を求める欲の色。龍人が現れた事実を見せられても、その出現の意味を考えようとはしないのだ。

 龍人サンはその翡翠に輝く目に鋭い殺気を湛えて、獲物を構える武人達を見下ろしながら、龍を五本の光剣に変えて姿を消した。未だに宙を見上げている武人達が気づくよりも早く、龍人サンは武人達の中央で吊り劔の構えをとり、舞う。

 焔を纏う二本の愛刀、心・通と、五本の光剣が光の軌跡を残して宙を斬り刻み、鮮血の花弁が土俵に乱れ散る。

 ならば見せてやろう、龍人の力と強さを。そして考えろ、この力が再び現れた意味を。

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