七十三話
朱雀炎魔。
ヴィアドラで最も怠惰で最強の闘気使いであり〝皇燕の片翼〟と呼ばれた男。最年少で烈刀士になり、その将にもなった男。
そんな炎魔は、酒を水の如く喉に落とし、好戦的な笑みを見せている。酒精を漂わせて、擦れた異国風の身なりには、皇燕の片翼などという大層な名前の面影は感じられない。長い髪も最後に櫛を通したのはいつなのだろう、てかてかとして埃っぽい。
それでも、目を合わせたときに心の中が見られた感覚になるのは、蒼龍将に認められるほどの男だという証明のような気がした。
「あぁ、酒がきれちまった」
炎魔は瓢箪を逆さまにして、細くもくっきりとした眉を下げながら、瓢箪の口の部分を見て肩を落とした。
「自己紹介は酒の席でも良くないか、嵐? だいたい、ひどい扱いだまったく。十年ぶりの帰郷だってのに」
「おぬし、帰ってくる気もなかったであろう。よくも言えたものだ」
この人はまだ飲む気なのか、とサンは声に出す代わりに瓢箪に目をやった。炎魔はそれに気がついたのか、瓢箪を揺らして「足らん足らん」とからからと笑って見せた。
三人は、腰を落ち着けて話ができる場所を探すために街の中へ繰り出した。
蒼龍将は、なぜか人目の付かない場所ばかりを選ぼうとした。店を探しているときですら、周囲を気にしている。炎魔が屋台の店主と話そうとすると、蒼龍将は割り込んで炎魔に話させないようにした。炎魔を誰にも関わらせたくないようだった。
炎魔が、「これだけは譲れんな」と言って選んだ宿屋は、白夜問わず蝶が舞う旅館〝昇天万花〟だった。
まず通されたのは風呂。湯気でなにも見えないくらいに真っ白な浴室に入ると、頭の中も真っ白になった。
なんと、女が三人、無垢の姿で立っているではないか。蒼龍将はいつもと変わらぬ様子どころか、無垢な姿こそが人のあるべき姿と言わんばかりに、平然と背中を流してもらっている。炎魔は悠然として女と向き合い泡まみれになっているし、俺はあらぬものを伸ばしてひたすらその時間に耐えることしかできなかった。
「おぉ、龍人様が天に向かって昇ってらぁ!」
炎魔の声が響いたのと、俺が浴室から出たのは同時だった。
風呂の後に通された部屋は、蒔絵で彩られた屏風が並ぶな場所だった。
女達の華やかな舞を肴に、酒を呷り朗らかに炎魔と酒を交わす蒼龍将の笑顔は、年齢と立場をどこかへ置いてきたようだった。
蒼龍将は、俺が烈刀士になりたての頃に〝あやつなら〟ということを何回か口にしていた。この二人の歳の差と、時を感じさせない雰囲気を見ると、俺とカゲツ、ライガのようなものなのかもしれない。
「いやはや、おぬしはまったく変わらんな。放浪でなにも得なかったのではあるまいな」
蒼龍将が朗々と笑いながら炎魔に酒を注いだ。炎魔は女の舞に目を開いて「今のは美しいぞ! もう一回だ!」と頬を赤らめて、溢れそうな盃を啜る。そして、自分の体を見まわして眉を歪めた。「そうか? だいぶでっかい人間になったぞ。それがわからない嵐の方こそ、歳で目がやられちまったんじゃないだろうな。天下の烈刀士将、風斬嵐ともあろうものが」
炎魔の言葉に蒼龍将が肩をすくめて首を振った。
「あれから色々と大変であったぞ。おぬしの後を継いだのは――」
「烈火だろ。あいつはさぞ俺を恨んでるだろうな」炎魔はケラケラと笑う。
「昔からおぬしの尻ぬぐいばかり。だが、よくやっておるわ。決意が違う。今、お前が戻ったとしても、烈刀士将の座は渡さないであろう」
「立派なもんだ」炎魔は目に遠いものを浮かべて、赤らんでいる頬に不釣り合いなほど静かな声に変わる。「ならよ、よけいににわからないぞ」
「わかっておるはずだ」
炎魔は首を引いて蒼龍将を見据える。薄ら笑いに苦いものを浮かべながら。
「わからんね。街は良いもんに変わったじゃねぇの。他国の介入だろうが、みんなが笑ってる」炎魔は、沈黙を埋めるように女に片目を閉じた。「俺はよ、いろんなものを見てきたよ。いろんな世界、いろんな人々、それでも問題は変わらないってことを知った」炎魔は腕を組んで女の踊りの中になにかを見ているようだった。「伝えないから歪みが生まれる。それは時とともに大きくなっていって、戻せなくなる。んで、その歪みを修正しようとして、ドカンだ」
蒼龍将が鼻を鳴らして笑った。
「事の大きさによってはそうはいかぬ。おぬしは、腹のうちは伝えねば伝わらぬ、それが言い難き事であっても伝えるべきだと言うのであろうが、理想でしかない。それでは争いしか生まれぬ」
「争いね」磨り減ったような声で炎魔は言った。「あんたの兄さんは、めげずに荘園主達に何度もぶつかっていってたな」
「ゆえに死んだ」
炎魔は静かに頷いて、酒に口をつけた。「それで? 龍人も手の内に入ったから動く、そういうことか?」
蒼龍将は炎魔の言葉に、鋭く揺るぎない目で答える。
「おぬしは変わっておらぬ。あのとき、お前が抱いていた未来を今築くのだ。それがしとともに」
炎魔は哀しげな目で蒼龍将を見ると、宥めるように口を開く。その声音は柔らかい。
「嵐。世界は広いんだ。西の方では、大国〝赤の国〟と戦争しようと諸国が戦争の準備を始めてる。東のこっちでは、バルダス帝国がヴィアドラにまで手を伸ばそうとしてる。この後は西と東、つまり世界の争いになる。ヴィアドラも避けられないだろう。ほやほやの状態のヴィアドラが、世界に対抗できるとは思えない」
蒼龍将はゆっくりと首を振る。
「そのようなことはない。太古のヴィアドラの信念の元、ひとつになる。我らは〝守るために生まれ、守るために生き、守るために戦う〟」蒼龍将は自分の背丈ほどもある太刀の柄を撫でる。
「嵐、その見方を世界に向けたらどうなんだ。見るべき未来を語らず、言葉に呑まれて行動を起こさないなんてお前らしくない。いつだって黙って行動を起こし、皆を引っ張ってたお前が――」そこまで言った炎魔は言葉を呑んで、蒼龍将が逸らした目を食い入るように覗き見る。「そういうことか。お前は、自分が舵をとる気が無いんだな」炎魔が盃を膳に置く。まるでこれ以上は飲まないと決意したかのように。「今、世界を本当の脅威に陥れようとしているのはバルダス帝国や、お前のようなものじゃない。かつて〝神〟と呼ばれた者達だ」
蒼龍将が怪訝な目で炎魔を見た。サンも、冗談には無理がある言葉に箸を止めて炎魔を見る。その炎魔の真剣な眼差しの中には、擦れた諦めの色が浮かんでいる。
「信心深いお前でも、信じられないんだろう? だけどな、世界は広いんだ。嵐、お前が何をしようとしているのかは今日でわかった。それに、もう駒は進めているんだろう。だけどな、俺はお前の見る未来には一緒にいられない」
「ゆえに、お前が舵をとるのだ」
炎魔は、呆れてものが言えないと言いたげに立ち上がった。
「嵐。自分に嘘をつくなよ。ちらつく火の粉が匂うぞ、復讐の匂いだ。俺は、皆が拳を突き合わせて笑ってられる世界を見たいんだ。お前の復讐心を馬鹿にする気はない。だけどな、その痛みを紛らわせるために、誰かを傷つけるような真似をする奴がいるなら、俺は潰すぞ」
歩き始めた炎魔の背中に、蒼龍将は印を施すかのように語気を強める。
「元老院は、妖魔の森の資源を渡す条約を結びおった。四國の妖魔の森ではなく、氏族が住む妖魔の森のな。みなまで言わずとも、元老院の姿が理解できるであろう? そんな奴らと、本気で拳を突き合わせ笑い合えると思うのか、炎魔」
炎魔は、手を上げて別れを告げると、部屋を出てそれきり戻ってこなかった。
鏡に写る世界を見ているかのような宴も終わり、夜風に吹かれながら通りを歩いているサンは、隣で終始無言でいる蒼龍将をちらりと窺った。笠の影になった表情からなにも読み取ることができない。息を大きく吸うと、蒼龍将に顔を向けた。
「さっきの、条約の話。なぜあそこまで憤慨したんですか?」
サンの言葉に、三歩ほど沈黙が流れてから蒼龍将は口を開いた。
「お前の隣の家の他人が、どこかの知らぬ人とある契約をしたとする。物物交換だ。そしてある日、知らぬ人がお前の家に土足で上がり込んできて、お前の家の物を根こそぎ持っていく。隣の家の他人が物物交換に差し出したのは、お前の家の物だった。どうする?」
どうするって。サンは一笑に付すと言った。「怒るに決まってる」と。
「そうであろう。元老院は妖魔の森の資源とは言ったが、〝四國の〟とは名言しなかったのだ。迂闊であった」蒼龍将の影を落とした表情が歪むのが、声音からはっきりと感じられた。「豪雹達は、烈刀士と共存関係にある〈鬼目郷〉の氏族が住む妖魔の森の資源を渡すと決めたのだ。古より烈刀士と互いに背中を預けてきた彼らは、ヴィアドラの最も古き信念を継ぐ者達。そんな彼らを、元老院は餌にしたのだ。我々烈刀士だけでなく、彼らまでをも」
蒼龍将の止まらない熱を感じ、サンは思わず俯いて歩いた。その怒りの熱が自分の心にも伝ってきそうだった。
「確かに、それはひどい話だと俺も思います。だけど、元老院は氏族にも利益を渡すんじゃないですか?」
蒼龍将の歪んだ口からがっしりと噛み締めた歯が覗く。
「己の家を捨てて、知らぬ土地で生きろと言うのが利になるのであればそうであろう」
蒼龍将の話を聞いたサンは、眉を強く歪ませて地面に目を落とす。その足は無意識に早くなっていた。
つまり、元老院は烈刀士と共にヴィアドラを守ってきた者の家を無断で奪い、用意した家に移動しろと言うのだ。森ではなく、辺境の里の廃村などにだ。帝国が介入することにより、万象帝技という力で元老院は人々の暮らしを改革するらしい。誰がそれを望んだと言うのだろうか。ましてや、古より妖魔の森で生きてきた人々が、どうやってその暮らしに溶け込めと言うのだろうか。
サンは隣にいたはずの蒼龍将が、五歩程も離れて後ろにいるのに気づき、歩を緩めて深呼吸した。
だけど、それで彼らの暮らしが豊かになったら、それはそれで良いのかもしれない。無色の町だって、秘術による生活の基盤が出来上がれば、各国の町のように暮らしやすくなり、未来は明るい。
そこまで考えて、サンはハッと空を見上げて立ち止まった。
「なら、烈刀士はどうなるんだ」支え合っていた柱の片方が失われれば、烈刀士は鬼からヴィアドラを護り続けることはできない。大切なものを守ることができなくなる。
サンは肩を並べた蒼龍将の顔を見る。
「元老院は、烈刀士への支援を強くする気はないんですよね。氏族を失った烈刀士はどうなるんですか」
蒼龍将の、山のように積み重なった古い怒りに燃える双眸を見て、サンはその怒りの矛先である男――漣豪雹の眼を思い出す。
漣豪雹は、烈刀士を弱らせるつもりなのか。弱らせて、どうするつもりなのか。蒼龍軍の精鋭である五爪ですら一体の鬼に敵わなかったというのに、烈刀士抜きでヴィアドラを護れると思っているのだろうか。
ようやく目が覚めた気がした。己の中で固まる決意を握り、正面を向いて強く足を踏み出した。
「元老院の言いなりになったら、大切なものが守れなくなるんですね」
ロジウスおじさん。無色の町のみんな。師匠と過ごした思い出の場所、師匠が目指した道が、閉ざされる。
※2019/7/20
帝国技術の〝科学〟という言葉を〝万象帝技〟に置き換えました。




