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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十五章 紅の漣
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七十二話

 貴賓室は、それはもう豪華絢爛、柱や壁は光沢のある朱色で塗られ、欄間の透し彫りには色々な鳥が躍動的に散りばめられていた。貴賓室の彫刻、絵、像は全て鳥であり、透き通る真っ赤な石で彫刻された燕は、風に乗って飛んでいる躍動的な姿をしている。水をそのまま固めたかのように滑らかで、彫刻とは思えないような代物だった。


「ここまでくると、少し品がないよね」


 カゲツのその言葉に、ライガは首を振りながら、艶やかに透き通る燕の彫像に指を滑らせた。


「そうか? 俺にはたまらねぇけどな。この像なんかは、寝台の隅すべてにおいておきたいくらいだ」


「そんなの置く場所ないでしょ」鬼火が腕を組んで呆れたように言った。


 ライガは誰の言葉も耳に入っていないのか、彫像を矯めつ眇めつ「異国のものか」と呟いた。

 真がそうに違いないと相槌を打ちながら、同じように彫像を眺め回している。

 蒼龍将は、壁に埋め込まれた棚にずらりと並べられた酒瓶をじっと見つめて立っていた。背中に回して握られている拳は力が入っていて、関節が白くなっていた。やがて鼻から重い息を吐いて、酒瓶から視線を剥がすように顔を背けて棚から離れていった。


「これは、我が國の匠による逸品だよ」


 長い黒髪を後ろに撫で付けた壮年の男が、落ち着き払った滑らかな声音で言いながら部屋に入ってきた。背筋を伸ばし、腰の後ろに手を回す悠々とした姿は、見るからにお偉いさん風貌だ。

 蒼龍将が男を訝しむように目を細める。


「おぬし、昔とまったく変わらぬな」


 男は賛辞と受け取ったのか、微笑んだ。そしてサン達を見回す。

 カゲツが律義に自己紹介をして、それにライガ、鬼火が続き、サンは最後に名乗った。


「久方ぶりですな、龍人様。再びお会いできて誠に光栄です。わたくしは、皇燕の舵取りを任せれている、役長の(つばめ)宗熾(そうし)と申します。以前にも挨拶はしましたがね」役長は、再び一行の顔をぐるりと見ますと、微笑んだ。「烈刀士(れっとうし)ノ砦から〈燕戈京(えんかきょう)〉まで、さぞや長かったことでしょう」


 役長は、蒼龍将と最近の情勢の話などをし始めた。それを、カゲツは興味津々といった様子で耳を立てている。ライガと鬼火は、意味深長な目線を交し合っているが、そんな理由はどうでもいい。

 俺はこの役長を知っている。思い出そうと役長の顔をじっと見ていると、俺の視線に耐えかねたのか、役長がこちらを向いて会釈をすると話しかけてきた。


「あの議会以来ですかな、龍人様とお会いするのは。どうでしたかな、他國では数々の猛者と手合わせしたと耳にしています。やはり、皆さん一筋縄ではいきませんでしたかな」


 そうか、この人は天星神宮で行われた元老院の議会にいたのか。あの議会では蒼龍軍総士の印象が強すぎて、他の人を覚える余裕がなかった。

 サンは、役長が自分のことをじっと見ていることに気がついて、何事かと聞き返すように見つめ返した。蒼龍将やカゲツ達も俺を見ている。ライガの片眉がゆっくりと上がっていくのを見ると、俺は誰かの話を聞き逃したようだ。役長が朗らかに笑ってから、なにに納得したのか小さく頷きながら扉の方に歩き始める。


「皆様、だいぶお疲れのようですな。龍神祭巡りは、ヴィアドラを端から端まで横断するのと変わりませんからね。気遣いが足らず申し訳ない。つい、どんな旅だったか興味が湧いてしまいまして。ささ、今日のところは十分にお休みください」


 そう言って、役長は指輪に嵌め込まれた大きな赤い宝石を撫でる。すると、すぐに案内役の女がやってきた。あの指輪が霊通石なのだろう。これだけ広く何層にも別れた御役所内では必須に違いない。もしかしたら、あの指輪以外にも霊通石を身につけているかもしれない。そう考えると、烈刀士にも霊通石を配備して欲しいと羨ましく思った。龍人祭で力を見せて、烈刀士の存在を民に証明して必要だと感じさせれば、もしかしたら援助が増えて全ての班員に配備されるかもしれない。そう考えると、やはり失敗はできない。

 案内された部屋は、貴賓室よりも広く豪華で、〈燕戈京〉を一望できる迎陽付きの場所だった。一つの部屋の中に寝室がいくつも用意された空間は、格式の高い旅館の最上級の部屋を見たことはなくとも、それよりも勝ると思わせた。

 迎陽に出て陽を浴びながら、眼下に茫洋と広がる〈燕戈京〉と、それを囲む山々の眺望を楽しんだ。まるで、空に住んでいるようだ。サンは溢れる笑いをそのままに、ライガの方を向いた。


「すっごいな、ライガ。こんな景色、想像したこともなかった」


 サンのその言葉に、ライガは顎に手を添えて、険しい顔をして拍子抜けするほどに短く「あぁ」と答えた。蒼龍将とライガが揃って神妙な面持ちで腕を組んでいる。

 鬼火とカゲツは、いつになく声を大きくして、部屋の中に置かれた豪華な調度品に触れて空間を味わっている。


「やはりな」


 蒼龍将の言葉に、ライガが頷く。


「見張られてるな」


 二人のその様子に、サンは気を練り上げた。それに気づいたのか、蒼龍将がサンに向かって首を振る。


「控えよ。下手に勘ぐれば、掴めるものも、つかめなくなるゆえな」


 サンは訊き返すように顔をしかめるが、ライガが軽く笑って柵に寄りかかると、町を見下ろして景色を指差す。どこを指しているのかわからず、サンは額に手を翳して目を凝らした。「屋根の方から数人見張ってる。見るなよ、感付かれる」なるほど、ライガは町のことを話しているように見せかけているようだ。「護衛が多すぎんだよ。最上階で誰も登ってこれやしねぇってのに、護衛がいるか? だいたい、ヴィアドラ最強の戦士と謳われる烈刀士に護衛とか」


 サンは両手を広げて自分を示してみせる。


「要人にはつけるんじゃない?」


 ライガは「わかってねぇな」と薄笑いして見せた。

 逆にライガは何を知っていると言うのだろうか。サンのその沈黙に、ライガが横目を向けてくる。


「俺がまだ奴隷だったころ、同じような経験があんだよ」


 ライガは俺と別れた後の生活でも奴隷だったのだ。そこで何があったのか、ライガは話そうとしない。だけど、俺は見捨てた側の人間だ。訊く権利などないし、その苦しみを教えてくれても、どんな言葉を言っていいかわからない。


「剣闘賭博の奴隷だったんだぜ、俺。そこでは白夜問わず見張られんだ」ライガは、沈黙して町を見下ろすサンの肩を小突いた。

 サンは、思わずライガの顔を見上げた。今まで教えようとはしなかった過去を、初めてライガは見せてくれたのだ。その心の扉が開かれた中に入り、寄り添いたくなった。だけど――

「そうだったんだ……」

――俺があのとき、ライガを助けに行かなかったから、俺に勇気がなかったからそうなったのだ。そんなことは怖くてできない。


 ライガは、目を細めて片眉を上げてみせる。


「なんだ? 罪悪感を抱いてんなら、思いあがりだぞ。言ったろ。俺は俺がしたいようにやっただけだって」


 サンは湿った笑いを浮かべて頷く。


「それがしは、少し調べたいことがあるゆえ、一旦町に降りるとする。おぬしらは気にせず休息を愉しんでおれ」


 蒼龍将はそう言って、どこに行くのかという問いを無視して部屋から出て行った。



 御役所の豪奢な部屋で迎えた太陽は、二日目には見飽きたものになっていた。迎陽の眼下に広がる町が、太陽に照らされて鮮やかに赤く染まる姿は見ものだったが、感動は一度で十分だ。それよりも……。

 サンは部屋の中で落ち着きなくうろうろするライガ、布張りの柔らかな椅子に、浅く腰掛けて手を組むカゲツ、眉間を強張らせて、意味もなく爪の先を見つめる鬼火、木刀を抱えて長椅子でねむりこける真、その四人を見て深く息を吐いた。


「流石に、探しに行ったほうがいい」

「んなこたぁわかってんだよ。だいたい、二日もどこに行ってんだあのおっさんは」

「将に向かってなんて言い方をするんだい? あ、そういえば君は昇格したんだっけ。あれ、おかしいな、物覚えはいいのに覚えてないや」


 わざとらしい嫌味を垂れるカゲツにライガが大股で詰め寄ろうとして、その間にいる鬼火が椅子から立ち上がり二人に手を突き出した。


「もう、ほんと男ってくだらない。喧嘩する暇があるならどうするか決めて」


 四人は互いの視線から答えを待つも、誰も言葉にはしない。

 サンは今回の遠征用に支給された霊通石を広げた手のひらに乗せて、三人の顔を見る。「霊通石が壊れてるんじゃない。蒼龍将と通信できないのは、確実に遮断されてるからだ。ライガが言うように、護衛が多いのも、霊通石を遮断しているのも、俺達を閉じ込めているからって考えられる。だけど、この部屋が特別な人達用なら、外の脅威から守るためってことも考えられる」

 ライガは鼻で一笑に付すと、首をゆっくりと振った。


「ここに来る前、誰も気付かなかったのか?」ライガは三人の目を見て鼻を鳴らす。「蒼龍将は、皇燕に入ってから最初の旅籠屋の前で合図をしてたんだぜ。最初はなんだかわからねぇから、あまり考えないようにしてたけどよ。蒼龍将が何か企んでるなら、敵側も何か企んでるとは思わねぇのか?」


 鬼火が堅い視線を地面に落とした。カゲツは椅子の背もたれに体を預けて手を頭の後ろで組んだ。


「ときたま鋭いことを言うよねライガは」カゲツは少し笑うも、目は真剣だ。「龍人が現れてから、砦での先輩方の雰囲気が変わったのは気付いてたけどね。サンが言う元老院の中の派閥が本当なら、龍人を巡って何かが起きている可能性は高い。そして、その中心となる人物は、烈刀士側では実質みんなを束ねている蒼龍将。元老院側は、四國の役長とみていいだろうね」カゲツは身を起こして頬杖をついた。「でも、それならなんで蒼龍ノ國で何も起きなかったんだろう。おかしいと思わない? 元老院を牛耳ってる蒼龍軍総士の漣豪雹と対立してるなら、なにかしてきそうだけどね」


 鬼火がカゲツの言葉が途切れるのを待っていたかのように口を開いた。


「漣家と、燕家は國は違っても交流があるはず。あの両家は合同武術会を毎年やってるわ。その家の長同士、仲がいいんじゃない?」


 鬼火の言葉を聞いて、サンは首を傾げた。


「だけど、元老院で燕宗熾と漣豪雹はあまり話さなかったぞ? 豪雹と肩を並べているところも、他の大名のように政策を後押しするような発言もしてなかったと思うけどな」


 ライガが舌打ちをして笑った。


「おもしれぇ。きっと、相当深い関係なんだろうよ。あ、変な意味じゃねぇぞ。何も話したりしないでいいくらいに、重要な情報は互いに解り合ってるってこった。そんで、計画があったとしたら、それには問題が起きてねぇってわけ。だから接触する必要はない」ライガはそこで何かに気付いたように目を細めた。「龍人のお前をここに縛り付けるために、対戦者を集めたのか? これだけ大事になりゃ逃げられないしな」


 真が、寝起きで赤くなった目を擦りながら、何事かと尋ねる。

 それを無視して、サンが立ち上がり、羽織に腕を通しながら扉に向かうのを見て、カゲツが声をかける。

 サンは振り向かずに「蒼龍将を探そう。外に出て通信するんだ。真、お前は留守番、蒼龍将とすれ違いになったら困るからな」と言って、返事を待たずに扉を開けた。



 サンは、三日ぶりの町の喧噪を吸い込みながら、腕が触れる距離を保って隣を歩く背の低い女にちらりと目を向けた。その女は、前方の人混みの中に目を走らせるのではなく、店に並ぶ商品や擦れ違う親子連れに柔らかな目を向けていた。

 この女の同行をなんとか断ることはできないだろうか。

 少し前、あれはライガ達と蒼龍将を探しに行くと決めて、御役所の部屋から出て三歩も進んでいなかっただろう。こもった廊下の空気を鼻で感じたのと同時に、この女が横からひょいと目の前に出てきて、満面の笑みで言ったのだ。


「どこへ行かれるんです?」


 白くて大きな歯を惜しげ無く見せて微笑んだ口は、これでもかと釣りあがっていたのに、猫のように大きな目は笑っていなかった。俺を見上げるその顔を見て、俺は背筋に駆け上がるものを抑えられずに、思わず後ずさった。気持ちが悪いからでも、少しおかしい人間を前にしたからではない。蒼龍将が、莫大な気を練り上げた時に感じたものと同じ恐怖が俺を襲ったからだった。あの時、恐怖を感じたのは俺だけではなかったようで、ライガ達もこの女が同行するのを拒否することができなかった。

 それを思い出し、やはりこの状況に耐えることが一番安全だと感じて、サンは女に視線が気づかれないうちに目を逸らした。


「皆さん、〈燕戈京〉は初めてですよねー?」


 小さな女がくりくりとした目で、嬉々しながら四人の顔を抉るように見上げる。


「そうだけど。護衛とか、大変でしょう。皇燕ノ國は迷わないと思うので——」


 サンの言葉に、女は小さな手を口に翳して上品に笑ってみせるが、大きすぎる口は隠しきれていない。なんだろうか、生理的に恐怖を感じさせるこの感じは……。

 サンは、苦笑いを浮かべて言葉を失った。

 女は突如、妙案でも思いついたか、声を上げて大きな目を更に瞠いた。


「龍人様はお団子が大好きだと聞いてますよぉ」


 カゲツが作った笑いで賛同しながらサンの肩を叩く。


「おっ、いい店を紹介してもらえるんじゃないか? お前だけでも行ってくるといいさ」

「みなさんも行くんですよ」


 女の急に低くなった声に、カゲツは真顔になって一歩後ずさった。

 ライガも鬼火も黙ったままで、カゲツが血の気を失い顔を白くさせたは、女の不思議な雰囲気だけではない。突如膨らんだ女の蒼龍将並みに大きな気のせいだ。

 どうしてここまで大きな気を練り上げられるのか、そもそもこの状況で練り上げる必要などないはずだ。俺達に愛嬌のある声音で語りかけながら、狂気に瞠いた目で短刀を突きつけているのと変わらない。

 その後も、女が延々とじゃべり続ける中で〈燕戈京〉を練り歩いた。こんな空気の中でも団子は俺を裏切らず、鬼火が好きな麺を汁に浸しながら食べる〝ひた麺〟も舌鼓を打たせるものがあった。

 他の國とは違う様式の調度品や芸術品は、言葉を忘れるものもあったが、ずっと近くで俺達に目を光らせている女の存在は強烈すぎて、堪能する余裕はない。商品棚を見ているときに、姿が見えないと思ったら、商品の間から硝子玉のような女の目と視線が合ったりするのだから、心臓に悪い。

 俺達の心境とは打って変わり、昼下がりの通りは活気に富んでいた。肩で押し進んで行かなければ歩けほどの賑わいようで、あの女が人混みの中から頭をちょこんと出して俺達を確認してくる。

 女の視線に慣れて、恐怖よりも苛立ちが勝り始めた頃、いきなり腕を掴まれて引っ張られた。あれよあれよと人混みの中を連れていかれ、一抹の恐怖に死の文字がよぎった。今度こそ、あの女が暴挙に出たかと、俺はその手を掴んで引きちぎってやろうと考えた。


「気を練り上げるでないぞ。あの小娘に気取られるゆえ」


 蒼龍将の苛ついた声音を聞いて、ひっ捕まえられた泥棒のように引き摺られながらも、サンは安堵の息をついた。

 連れてこられた場所は、人通りの少ない裏路地の更に奥だった。細い川を挟む民家の裏側だった。取ってつけたような露台に、大人がようやく三人立てるような場所だ。街の喧噪を忘れられるその場所で、サンは着崩れした戦装束を直しながら蒼龍将を見た。


「俺達、蒼龍将を探しに外にきたんですよ。今までどこに行ってたんですか」


「急ぎの用であったゆえ、致し方ないのだ」


 そう言う蒼龍将の足下には、ひと塊りの襤褸布があった。それが動き、サンは思わず身構えた。てっきり、ごみに襤褸布を被せているのだろうと思っていたが、どうやら人らしい。

 酒精の匂いが漂ってきて、サンは鼻を顰めた。


「嵐、俺の自己紹介をしてくれよ」


 男は瓢箪を景気良く呷り、手の甲で口を拭いながら言った。


「己ですればよかろう」


 男は柵に掴まり立ち上がると、体を覆っていた襤褸を脱ぎ捨てた。


「初めまして龍人さんよ」

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