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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第一章 初めてのぬくもり
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七話

 二度目の陽光を感じながら、サンは窓に腰掛け、欄に顎を乗せて寄りかかり、静かな庭を見下ろしていた。松の木が異様に捻じ曲がり、小鳥のさえずりがいくつも響く。池にはゆっくりと色とりどりの魚が揺らめいている。

 サンは欄から離れて身体を伸ばすと、広すぎる部屋に倒れ込み夢のような時間を思い返して溜息をゆっくりとした。

 色とりどりの食べ物に、味のある飲み物、暖かい食べ物があんなに美味しいとは思わなかった。怪我を治してくれる医者や、いろいろなことを教えてくれる大人達。今まで知っていた親のような大人や、世界の全てが小さくて、今までの暮らしはなんだったのだろうかと考える。肩の皮膚が厚くなるまで石を運び、怯える日々。それでも何もしないのはとにかく不安だ。

「あら、お早いお目覚めですか?」

 優しい大人の女の人だ。女というのは失礼になるようで、女の人のことは女性と呼ぶほうが良いと教えてくれた人だ。

「うん。いつもはもう少し早く起きてて働いてる時間なんだ。なにもしないのはなんかそわそわする。ねぇ、なにかやらせてよ」

 仲居の女はサンの言葉に頷くと、姿勢を正してサンを見た。そこ顔には優しくも有無を言わせない笑みを湛えている。

「人に何かを頼むときは、させてくださいと頼むものです。わたしが仲居長に話をつけてあげましょう。ついてきなさい」

 サンは目元と口元に皺のある仲居に、教えてもらった通りに頼み込むと洗濯をさせてもらえることになった。窪みのついた板を使って洗い、物干し竿に干す。これを数人の仲居と一日中続けた。米の精製のために木の板をひたすら踏み込んで石臼を動かしたりもした。洗濯物を取り込んでいると、ずっと一緒にいてくれた仲居の一人が洗濯物越しに話しかけてくる。

「サンはお父さんお母さんはいないのかい?」

 お父さんお母さんというのは、大人と何が違うのか。サンは手を止めて首を傾げた。

「そのお父さんお母さんって、誰にでもいるものなの? 俺にはそんな人いたことはないよ。親ならいたけどね」

「そう、親御さんは良い人だった?」

「まさか」サンは洗濯物を籠に入れると仲居の顔を見上げて笑った。「親に良い人なんていないよ。鞭を持ってていうことを聞かないやつや、ヘマをしたやつをそれで叩くんだ。坑道送りになった人はもっとひどいって聞く」

 仲居はなぜか悲しそうに俺を見た。そして洗濯物を地面に置くと、体を包むように背に手を回して締め上げてきた。

「な、なにするんだ!」

 サンは仲居を振りほどくと、突き飛ばした。

「大人はこういうこともするのか! ちょっと気を緩めるとこれだ! 俺がなにしたっていうんだ!」

「サン、どうしたの?」

 仲居は動揺しているのか胸に手を当てている。

 他の仲居がどうしたのかとやってきて、サンは仲居が自分を締め上げようとしたのだと右往左往しながら口早に説明する。

「わたしはただこの子の生い立ちを知って抱きしめてあげたくなっただけです。ごめんねサン、勝手なことをしてしまったようで」

 仲居たちは女の言ったことを信じようとする一方、サンにも不思議な目を向けていた。仲居長がやってきて事態を聞くと、サンの肩を掴んで視線の高さを合わせて微笑んだ。

「サン、あなたは奴隷として使われていたのよ。奴隷は人と見られてはいない。そんなことは許されないし、普通ではないんだよ。これからはそんなことを無理やりやらされることはないの。今までよく頑張ってきたわね。今はもう昔のようにしなくて良いのよ」

 仲居長はゆっくりと体を寄せてきて、さっきの女性のように背中に手を回してきて優しく締めてきた。今だに得体の知れない恐怖が心臓を打つ。

「これは抱擁と言うのよ。相手を抱きしめて思いやる行いの一つなのよ。力を抜いてごらん。安心するでしょう」

 ゆっくりと息を吐いて体の力を抜いてみると、どうだ、目に涙が溢れて前が見えなくなる。俺はなんで泣いてるんだ。だけど、とまらない。

「涙が、涙がとまらない。なんだこれ、なんなんだよ」

 仲居長が優しく頭を撫でてくる。だが、自分が今どういう状態かを考え、急に恥ずかしさがこみ上げ、仲居長から離れた。最初に抱きしめてくれた仲居と、仲居長をみてから鼻と涙を拭う。

「ありがとう」

 仲居長は立ち上がり、二回手を叩いた。

「皆仕事に戻りなさい。今日はまだ始まったばかりですよ」

 どこか心がすっきりとしていた。だけど恥ずかしくて仲居さんの顔をみることはできない。それなのに、みんな気軽に話しかけてきてくれるのだ。外の世界はおかしいな。

 気がつけば陽が傾いていた。仕事をすれば暖かい食事をもらえる。簡単な炊事の方法も教えてもらった。頭がぱんぱんになりそうだったが、こんなにも楽しいことがあるとは思ってもみなかった。仲居長がこちらにくるようにと手で呼んでいるのを見て、皆に挨拶をしてから小走りに近づく。

「サン、今日はよく働いてくれたわね。受け取りなさい」

 手に渡されたのは、あの黄判(おうばん)だった。それが七枚、ダンゴが三本食べられる!

「これ、金だよね? くれるの?」

「働きには対価を。仕事をしたらお金がもらえるのよ。これはあなたが働いた時間と努力が詰まっているのよ。大切になさい」

「はい」

 サンは初めて得た金子を握りしめ、眺めた。

「カシ殿がお待ちになられているそうよ。玄関に行きなさい」

 サンは皆に一礼すると、玄関に向かった。カシが笠を手に持ち、サンが握っている手元を見ると片方の眉を少しあげた。

「これ、今日働いた分だって仲居長さんがくれたんだ」

「さようか」

 そう言ってカシは笠をかぶり暖簾を分けて外に出てしまう。慌てて譲ってもらった草履を履いてその後を追う。

 夕陽に染まり影が濃くなった街にはすでに提灯が灯されている。港からきたのだろう人足たちが、湯気の立つ大きな建物の中に入って行ったり、男女で魚の匂いのする店に入って行ったりとゆったりとした賑わいが満ち始めていた。

「この二日で色々教わったんだ」

 カシは裾に手を入れたまま前だけを見て歩く。

「あ、それよりも。あの、俺のこと拾ってくれて、ありがとう」

 カシがちらりとこっちを見た気がした。

「それでね、ここにはいろんなお店があることだったり、仕事があるのを聞いたよ。俺も仕事がしたいな。泊まらせてもらった宿代も返したいし――」

 カシが小さく笑った気がしてサンは見上げる。だが、カシの顔はさっきと変わらず岩のようだ。

「これからどこに行くの?」

「ついてくればわかる」

 サンは、そっかと明るく言ってついて行く。この人はあまり話すのが好きじゃないのかな。待てよ、俺のことを仕方なく拾ったのだからきっと邪魔なのかも知れない。よく考えればそうだ。

 カシは街の外側を目指して歩いているようだった。初めてこの町に来た時に見た街の様子に似ている場所まできた時、カシがふと方向を変えて止まった。その方向をみると、そこにはあの香りがあった。

「ダンゴ屋だ!」

 カシが裾の中で手をもぞもぞさせながら、「一本頂戴する」と言ったのが聞こえ、サンは慌てて自分の懐に手を突っ込み、黄判(おうばん)を四枚取り出した。

「おじさん、ダンゴ二本ください!」

 カシがもぞもぞしていた手を止めてサンを見おろす。サンは得意げに笑い返した。

「最初の恩返し」

 カシはまた眉を少し上げた。いったいなにを思っているんだろうか。

 サンは団子を二本受け取ると、一本をカシに差し出す。カシはそれを受け取り、顔の前に持ち上げて軽く頭を下げ

た。

「かたじけない」

 最高のダンゴだった。自分で働いて得た金で食べるのだ。そしてそれで恩返しができる。町の外の赤い夕陽になびく草原の街道を静かに歩く間も、心は満たされていた。

「おぬし、友がいるな。ライガと言っておったか。その者はどうした」

 心臓ではないそこらへんに、顔が歪むほどの痛みを感じて思わず足が止まった。俺、忘れてたのか……。

 カシが振り向いて足を止めたサンを見た。

「近場で反乱が起こった話は聞いておらぬゆえ、おおむね逃げてきたのであろう。一人できたのか?」

 速さを増していく動悸に膝をつく。今すぐ自分を殺したくなった。なんてことだ。ライガのことを、もう忘れていた。目をつむり忘れたいと願う自分がいる。一人で立ち向かっていった親友の顔もわからないほどに腫れ上がった力ない姿が瞼の裏に蘇る。

「俺は最低だ。最低だ」

 とめどなく溢れる涙と恐怖が襲い背中が痛くなってくる。こんなんじゃライガに合わせる顔がない。俺だけあんなに豪華な食べ物を食べて、布団で寝て朝を迎えたなんて。

 気がつくと目の前にカシが立っていた。涙をぬぐいカシの顔を見上げる。とんでもなく情けない顔をしているはずだ。こんな俺を拾ったのをいまにも後悔して捨てるに違いない。いや、捨てて欲しいくらいだ。それで、少しは償えるはずだ。

「おぬし、何があった」

 湧いてやまぬ嗚咽をのみ込み、無理矢理に鎮める。

「ライガが逃げようって言って、ライガと、ゴウダとナンダってやつと逃げ出して、ゴウダたちが捕まって、俺とライガで森に逃げたんだ。そしたら俺が転んで、しかたがなかったんだ、絡まったのがほどけなくて、ぜんぜんほどけなくて、そしたらライガが急に黙って追っ手の方に行っちゃったんだ。ライガは先に逃げろって、後からついてくるって言ったけど、助けに行こうと思ってライガの方に行ったんだ。そしたら、もうライガは――」

 カシは白い手ぬぐいをサンに握らせた。

「せっかくもらった召し物が駄目になる。これで拭え」

 優しいんだな。そう思った矢先、聞き覚えのある静かな音を聞いて急いで見上げる。やっぱり聞き間違いではなかった。刀を抜く音だ。

 カシは刀を静かに抜いて体の横に垂らしている。

 死んで当然だ。そう思い、膝をつくと首を前に出した。不思議と涙は出なかった。だけど、少しでも今の状況を考えてしまえば、抑えている生きたいという情けない感情の蓋が弾けてしまう。

「動くでない……」

 カシの静かな抑揚のない声を聞いて、全てが終わりだと悟る。ゆっくりと息を吸い、長く吐いてカシの足元を見る。ライガの言う通り、外にはなんでもあった。だけど、思った以上に生きるのも大変そうだったよ。とりあえず、土産話はできたからライガも許してくれるかな。

 その時、カシの足元が半回転し地面を蹴って離れていく。なにが起きたのかわからず、顔をあげてカシを見てみると何かと戦っていた。

 全身を焦げ茶色の剛毛で覆い、毛に覆われていない皮膚は木の皮みたいにぶ厚く、垂れ下げたようにただれている。顔も例外ではなく、鼻は腐って落ちたのか、削げたような跡に穴が二つ空いていて、見ているだけで背中の毛が逆立つ。目は窪み、その影にある大きな目は獲物を痛めつけようと、いまかいまかと血張らせている。あれは妖魔だ。それが四体もいる。それぞれの大きさや厚みはばらばらだ。

 カシが無造作に一体の首をはねた。目にも止まらぬ速さだった。ふっと体を低くして立ち上がった時には首が飛んでいた。

 他の三体はむやみに突っ込もうとしていたのをやめて、長い腕を垂らして地面を遊ぶように弄りながら、カシを警戒して様子を見ている。妖魔の顔がさっきまでとは違い、冷静さを帯びている。あいつら、さっきは笑ってたんだ。

 寒気を覚えてサンは立ち上がった。その途端、三体の顔が一斉にこちらを向く。カシが短い気迫の声をあげて注意を引くが、それは一瞬しかもたなかった。三体は最初に見たときと同じ顔、笑いを浮かべて草原の草に同化するように腰を下げたかと思うと、散開していく。

「サン! ちこう寄れ」

 その言葉と同時にサンはカシめがけて駆け出した。妖魔たちも四つん這いになって走り寄る。

 カシが構えを変えた。空気が歪んだように見えたのと同時にカシが両方の刀を一振りする。すると、カシを初めて見たときと同じことが起きた。離れているはずの二体の妖魔の体が宙で真っ二つに裂けて、草原に血を、信じられないが金色の血を草にばら撒いた。最後の一体がサンに飛びかかる。妖魔と目が合い、背中に戦慄が走るも足が動かない。銀の閃光が閃いたかと思うと、一閃のもとに妖魔の首が地面に落ち、体と体が別々に転がる。

「なんだこれ……」

「妖魔だ」カシは刀を一振りして全く汚れていない刀を鞘に戻すと、カシは足で妖魔の体を突っついた。

「そうじゃなくて、なにこの色」

「妖魔は一様にして黄金色の血。知らぬのか」

「こんなに近くで見たのは初めてだよ」

「ここらには久しく現れておらぬ」

 カシは風になびく草原を静かに入念に見渡す。サンもそれを真似して見渡した。暗闇が広がりつつある草原の葉擦れの音が不気味に鳴いている。

「さきの話だが。おぬしは一度戻った。逃げてはおらぬ」

「だけど、俺は」ライガを見捨てたんだ。だって――。

「力なくば、助けることも叶わぬ」

 サンは唇を噛み拳を握る。

「おぬしにできることはなかったのではないか?」

――俺は、ほっとしてたんだ。

 自分の足元に視線を落としてから、しばらくの沈黙が続いた。なにを話せばいいのかわからない。

「おぬしは、弱いな。おぬしの友は本当の強さをもっておったようだが、おぬし同様弱くもあった」

 サンはカシを睨む。ライガは弱くなんかなかった。勝てるなんて思えもしないような中でライガはそれをやり遂げたんだ。

「弱くない!」

「ならなぜ死んだ」

 サンは自分の中がぐらりと揺れて崩れそうになった。死んだなんて言うな。

「ろくに抵抗もできずに死んだのであろう」

 歯が変な音を立てるほどに食いしばるが、なにも言い返せない。

「だがな、おぬしは生きておる。おぬしにはできることがある」今までで聞いたこともない、優しい厚みのある声だった。

 サンはカシを見上げた。まるで希望にすがりつきたいと願いを乞う無力な子供のように。

「できること?」

 カシはなにも言わない。それどころか腕を組み、これ以上は話さないと言わんばかりに口を一文字にしている。

 できることってなんだ。ライガは本当の強さを持っているけど弱かった? 弱かったからああなった。俺は、どうすれば。その時、木の下でカシの戦いを見たときの気持ちを思い出す。

「強くなりたい、あなたのように。強くなりたいです!」

 見下ろすカシの堅い木のような顔は、どこか優しく見えた。

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