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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十五章 紅の漣
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六十九話

 ヴィアドラ北西部に位置する白鬼(びゃっき)ノ國。その中心となる〈天土京(あまどきょう)〉は、肥沃な森を敷く大地に囲まれた荒涼とした高台にあった。高台の周囲の土地は北の山脈の噴火によって陥没したため、取り残された大地が点々と高台を作り出している。その高台同士の間は渓谷になっているところも少なくない。

 高台の頂上は広大で平坦な牧草地となっていて、放牧された牛、豚、羊が呑気に草を食みながら陽の恩恵を貪っていた。その抜けきった顔ができるのは、自然の要塞である高台と警戒を怠らない白鬼の戦士の賜物である。

 だからといって危険がないわけではなかった。高台同士を繋ぐ木造の橋が、渓谷を穿たんと吹き荒ぶ風雨に曝されて崩壊することがあるのだ。〈天土京〉に住む人達は遊牧民であり、季節が変わると別の高台に大移動をしなければならず、橋は獣以上に危険というわけだ。

 橋は太く幅も広いくせに、船が風を受けた時に発する木の軋む音を立てて捩れるものだからたまったもんじゃない。サンはこの上なく足に力を籠めて、橋に突き立つ自分を想像して鼓舞しながらも、縄の手摺りにしがみついた。薄ら笑いすら出せずに顔を引きつらせて、下から吹き上げる風に思わず腰を落として座り込んだ。


「龍人様、この調子だと夜になります。どうでしょう、おぶってさし上げましょうか?」


 サンは引きつった顔をさっとあげて、カゲツを見上げた。その首を傾げて湿った同情を湛える顔から滲み出ている嗤いを見つけたサンは、歪んだ笑みを作ってゆっくりと立ち上がった。


「なーに、その必要はないぞカゲツ。たかがこんな――」

「先に行ってるぞ」


 ライガが音を立ててサンの背中を叩いた。サンは声にならない叫び声を青ざめた顔に浮かべて、ライガとその腕にしがみついて歩く鬼火の二人を真ん丸の目で睨みつける。

 カゲツが腕を組んで、腰を抜かしている若き龍人に憂の目を垂らす。


「なぁサン、考えがあるんだけど。このままじゃ夜につけるかもわからないだろ? 龍人の力を使って一っ飛びなんてどうかな」


 カゲツの話を聞いたサンは、何度も頷きながら深呼吸をすると状況を判断する。俺は今、崖の上で木を縄で縛り付けただけのがらくたの上にいる。つまり、死の淵ってことだ。

 サンは目に鋭いものを一瞬浮かべた。次の瞬間には、白い焔のように揺れる羽衣の鎧を纏い跳躍していた。空を駆けるように橋の上を一飛びで渡りきり、余勢を駆って龍人祭の飾り付けがされた広場まで飛翔した。龍人を一目見ようと集まっていた群衆の喚声が耳に届かないほどの速さで駆け抜けていき広場に降り立つと、群衆の期待と畏怖を湛える目をゆっくりと威厳をもっているかのように見回した。

 サンは白焔の羽衣を一際大きく纏い、鮮血色の隈取りが現れている顔に片笑みを見せた。

 白き焔に揺れる羽衣から五本の光剣を生み出して宙を駆け巡らせて、群衆に力と技を見せつける。その光景に膝をついて畏怖の念を浮かべて目を丸くさせている者もいれば、湧き立つものが抑えられずに叫ぶ者もいた。

 その群衆の中から、頭を丸めて白と金色の絢爛豪華な戦装束姿を纏った老人戦士が前へ出てきて、拳を胸の前で合わせる。サンの龍人としての力を表した姿に花弁一枚ほどの動揺も見せずに、白い髭の下で挑戦的な笑みすら見せている。


「手合わせ願い申す」


 老人戦士は白髭に隠れた口で短く言うと、黄色い羽衣を纏いさながら風の獣のように地面を駆けて音もついてこれない速さで拳を見舞う。

 拳よりも光にしか見えないそれを、サンは羽衣の光剣全てを重ねて受けとめた。直後、空気を叩く衝撃音とともに光剣は硝子の花弁のように砕け散る。続いて繰り出される目にも留まらぬ老人戦士の体術を防ぎきり、心・通を抜き放つと同時に光剣五本を顕現させて、七刀流落桜ノ舞(らくおうのまい)を叩き込んだ。

 老人戦士の羽衣は一太刀受けるたびに削れていき、落桜ノ舞の最後の一太刀を首元で寸止めされた時には剣気すらなくなっていた。

 地面に尻をついて見上げる老人戦士は、喉元に添えられたサンの刀に目を落とし、飲み込もうとした唾を止めた。そして赤い隈取りが浮かび上がる龍人サンの翡翠色の眼に視線を移すと、その場に勢いよく平伏した。鎮まった群衆から意表をつかれたような声が漏れる。


「やんごとなき龍人様。無礼をお赦し下さいませ」


 その白鬼の戦士は〈天土京〉の中で最も名高い武家の長、つまり白鬼ノ國で名実ともに最も尊敬される存在だったのだ。その男が平伏する姿に、他の戦装束を纏った者達も倣って額を地面につけた。

 周りを見れば、皆が頭を下げていた。巖亀(がんき)ノ國、蒼龍ノ國でも目にした光景が、ここ白鬼ノ國でも目に映すことができた。ヴィアドラが俺を龍人と認めていくのは心地がいい。ようやくだ。龍人の再来を民が心に収めた瞬間が今、ここにある。

 烈刀士(れっとうし)ノ砦での皆の冷ややかな視線を思い出して、サンは頬を引きつらせた。体の中で光り輝く戦神と歴代龍人の魂のその影が疼くのを感じて、サンは己の中で光り輝く気を手放した。同時に纏っていた白焔の羽衣や赤い隈取り、光を帯びた緑色の眼も元どおりに消えて一九歳のただの烈刀士が現れる。その姿をみて、群衆は禁忌でも犯したかのように目を泳がして逸らした。

 サンは心・通を鞘に納めると胸を張ってたっぷりと群衆を見回した。


「我は龍人のサン。戦神(いくさのかみ)に選ばれしヴィアドラの守護者。これに異を唱える者はいるか」


 その言葉に誰も手を挙げないことに、ほっと息を吐いて自分が肩を怒らせていたことに気がついた。巖亀、蒼龍で同じことをしたというのに、魅せる立ち振る舞いには未だ慣れない。サンは、襟と首元に指を滑らせようとして手を止めた。俺は龍人、堂々としていなければ。


 白鬼ノ國は全てが遊牧民というわけでもなく〈天土京〉以外では他の國と同じように高台の下に広がる大地に集落を形成していた。高台の下の大地は、烈刀士ノ砦の南に広がる妖魔の森や北の戦闘区域ほど危険ではないにしても、摩訶不思議な草木が繁る妖魔の森が広く続いている。そのため、ここの人達は武に心得があるものが多かった。

 要人が集まる天幕の中でも、天星(あまつほし)神宮で見た大名達のように肥えた人はいない。皆一様にすらりと無駄のない体つきをしている。大名であり武人でもある要人達の興味の矛先が俺から逸れたこの堅苦しい空気のほんの切れ目に、なんでこんな旅をしているのかと振り返る。

 忘れられないガマドウの死を生んだあの任の夜。俺は任の報告の後に皇燕将に呼ばれたのだ。そして、そこで憎しみと怒りを超える信念の力によって龍人としての力を顕現させたことを言った。皇燕将(こうえんしょう)は、「潮時か」と言って俺に龍人としての覚悟、ヴィアドラの守護者の覚悟があるのだなと訊いてきたのだ。もちろん、まだないですなんてことは言えない。俺は頷くと、次の日の朝には蒼龍将に連れられて荷物を纏め、旅の準備をしていた。旅とは、ヴィアドラに龍人が戻ったことを知らせる龍人祭巡りだった。古より、新たに選ばれた龍人は、その姿と力を民に見せて戦神の守りがあることを知らしめ、モノノフの心を忘れないようにと民の心に刻みなおす役目があるのだった。

 百年前の龍人の災厄のせいで、俺はしっかりと力が扱えるかどうか、龍人となってからこの二年間、今の今まで正式に龍人として認められていなかったということだ。

 そうして信頼に足る龍人だと烈刀士将達は判断したのだろう。四國に知らせを送ると同時に、龍人祭を目指して四國を巡る旅に出たのだが……。

 サンは再び要人達の視線が自分に注いでいるのに気がついて、椅子に座りなおした。天幕の中は香の匂いが漂い、食事は肉とチーズ、乳酒でもてなされていた。だけど、どれもこの好きになれない空気のせいで味気ない。要人の就く長方形の木の食卓には、昼時に手合わせした老人戦士と蒼龍将、遊牧集団を纏める組長と白鬼の師範数人がいた。

 皆一様に利きたがったのは、俺の実力についてだった。簡潔に語る戦績や育った環境の話を横目で聞く者、訊ねる言葉を慎重に選ぶ老人達を見れば、俺がどれだけ信用されていないかが石をぶつけられたように心に響く。沸騰した泥のような吐息を洩らしそうになり歯をくいしばるも、卓上に置いた酒杯から中身が数的跳びはねて、部屋の空気が止まる。

 サンは要人達の驚きと緊張を貼り付かせた顔に笑みを見せる。


「酔ってしまったみたいなので、外の空気を吸ってきます」サンは口角を上げながらそう言って席を立った。


 天幕を出ると、外の空気で肺を満たす。白鬼ノ國には背の高い建物が一切見られない。あるのは円形の折り畳み可能な天幕だけで、大きいと言っても高さはない。いつもより広く感じる夜空の星が視界いっぱいに降り注いでくる。息を吸って、空に心を開くかのように体を伸ばすと一気に力を抜いた。


「なんだよ、龍人のくせに疲れてんのかよ」


 小生意気な甲高い声の主は見なくてもわかる。夜空を見上げたまま、サンは腰に手を置いた。「ったく、減らず口は相変わらずだな。だけど――」夜空から腕を組んで同じように夜空を見上げている風斬真を見下ろす。「――なんだか楽しそうじゃないか」


 サンの猫じゃらしで擽るような顔を見て、真はサンの尻を蹴り上げた。


「別に楽しくないし」


 サンは蹴られた尻を手で払いながら、真の顔を覗き込む。


「そうなのか? 今回の龍人祭訪問についていきたいと蒼龍将に駄々をこねているのを見たけどな」


 サンは真の蹴りを躱すと額を小突こうと指を突き出す。真はそれを臆することなく手で払うと反撃の拳を突き出した。サンと真は夜空の下で遊びとは思えない激しい組み手で戯れる。

 手を止めた真は口を開きかけて視線を下に落とした。その目は少し揺らいでいる。


「あ、ありがとよ」真は鼻を擦った。「叔父さんに、俺がついていくことを後押ししてくれたの、その……お前だって聞いたから」


 真の窄んでいく声に、サンは拳で応えた。拳を手で受け止めた真が見上げてくる。


「年上で、龍人様の俺に〝お前〟って生意気すぎるんじゃないか?」サンは目を細めて眉をあげる。「呼ぶなら、そうだな……サンとか、師匠でも――」

「じゃあ兄さん」

「ん?」


 顔を伏せた真の表情はわからない。だが、拳を握る手に力が入るのはわかった。


「お前、今――」


 真の目を覗き込もうと腰を屈めた瞬間、真の蹴りが見事にサンの顎を打ち上げた。背中から倒れたサンが身を起こしたときには、すでに真の姿はなかった。

 サンは呻いて顎を摩りながら歯の存在を確かめていると、カゲツがにたにたと帯に親指を突っ込んで近づいきた。


「よかったじゃないか、兄さん。どうせならお兄様のほうが格好つきそうだけどね」


 サンはカゲツの足を叩くと、まだ痛む口に笑みを滲ませた。


「まったく、もっと素直になれば可愛い奴なのにな」


 カゲツとサンは笑いを交わしながら、焚き火の明かり漂う丸い天幕の家の間を歩き始める。天幕の外で豚の切り身を鍋で煮込んでいる人や、弦を張った木の楽器で音楽を奏でている男や歌う女達、白鬼ノ國独特の町の雰囲気は、妙に心が落ち着いた。

 サンとカゲツは肩を並べてゆったりと歩いた。


「俺はさ」カゲツの相槌を待たずに、サンは並ぶ出店に視線を転がして続けた。「真にちゃんと稽古をつけてやろうかなって」


「いいんじゃない?」


 そう言いながら出店の商品の値段を見て顰めるカゲツの横顔を、サンはちらりと見た。


「師匠なんて立派なもんじゃないけどな。〈無色流(むしきりゅう)〉の皆伝まだだし。だけど、あいつのこと放っておけなくってさ」


「いいと思うよ」カゲツは出店の干し肉を手にとって流すように言う。「知らないだろうけど、あいつ、お前の陰口を叩く奴に突っかかったりしてるしね。なんだかんだお前のこと気に入ってるみたいだよ」カゲツはあっと声を漏らしてサンに耳打ちする。「あいつに言うなよ。俺はお前みたいに面倒事が好物なわけじゃないんでね」


 サンはその皮肉に思わず声を上げて笑った。だが、その自分の笑い声に驚いて思わず口を閉じる。その様子に眉を片方あげて面食らった顔のカゲツを見て、サンは苦笑を浮かべる。こんな自然に笑ったのはいつぶりだろうか。出店の人達は、俺が近づくと決まって声を落としたり、急にぎこちない接し方をしてくる。烈刀士だってそうだ。皆して目を合わせようとしない。だけど、カゲツや真は〝俺〟を見てくれる。

 昼時の首を垂れた群衆の中に見た戸惑いの色を思い出して、サンは値段を尋ねようと手に取った商品を棚に戻した。


「そういえば、今日素晴らしい発見をしたよ」


 カゲツのなにか含む浮ついた声音に、サンは視線で先を促した。カゲツは自分の手首のところに輪っかを作ってみせる。


「輪っかがどうした」そう言ってサンはカゲツが指で作った輪を指差す。「腕輪のことか、ライガの?」

 カゲツは酒を味わうかのように恍惚とした笑みを噛み締めながら、ゆっくりと頷く。


「しかもさっきだよ。鬼火があの腕輪をしてたんだよ。それだけじゃない」サンが口を開こうとするのを、まだだと言いたげに手で遮る。「ライガも首飾りをしてた。新たな紐でね」


 二人はそこで溜めた笑いを夜空に響かせるように解放した。ひとしきり笑って落ち着くと、サンは息継ぎをしてからカゲツの肩を殴った。カゲツは何事かと一歩後ずさり、肩をすぼめて浮ついた笑みで尋ねてくる。


「と、言ってもだ。お前だって女に贈ったりしてるんだろ」


 サンの目を細めた意地悪い剣呑な笑い顔に、カゲツはすっとぼけたように目を丸くする。だが、独りで納得したのか態とらしく指を立てる。


「あれ、龍人様、もしかして羨ましかったりするのかな?」サンが拳を作って笑いながら近づいてくるのを見ながら、カゲツが後ずさる。「てっきり、龍人様は純白を貫く高貴で崇高な信念をお持ちかと思っていたけど。その様子だと――」


 怒りに笑い剽軽な顔をしたサンからカゲツが走って逃げる。いくつかの天幕の間を縫って、カゲツが何かを見つけたように急に立ち止まり二人は縺れて地面に倒れ込んだ。カゲツが腰を摩りながら出店を指差す。


「ここだ。お前を連れてこようと思ってたんだよ」


 サンはカゲツの目線にある出店を見て、思わず声を上げた。

 それは団子屋だった。久しく食べていない団子を見て、その焼き色、たれの艶、香りに呆然と立ち尽くした。

 カゲツがサンを横目に出店のお婆さんから串団子二本を受け取ると、片方をサンに差し出す。


「団子でも食べて元気出すのもいいんじゃないかな。それでしっかりと役目を果たしてきなよ」サンが団子を受け取ると、カゲツは先に頬張った。「どうせ天幕の中の空気が嫌になって抜け出してきたんでしょ? 顔見ればわかるって」


 仄かに香る乳の柔らかな匂いと食感をもつ最高の団子に出会ったにも関わらず、その味は薄っぺらく感じた。それなのに、目に熱いものがこみあがってくる。サンは口に入れた団子を噛みしめるのを忘れて、味を楽しんでいるカゲツを見つめた。その視線に気が付いたカゲツが、サンの目を見て小さな笑いを噴きこぼす。


「まさか、泣くほど団子が好きだとは思わなかったよ。正直、烈刀士じゃなくて団子屋にならないのはどうしてなのか、ヴィアドラで最大の謎になると思うよ」


 カゲツの言葉に、サンは親指で目を拭って鼻を啜ると、ようやく最初の一口を飲み込んだ。


「確かに。団子屋か、なんで考えなかったんだろうな」


 サンは団子味以上に胸を熱くするものを一緒に飲み込んで腹を叩くと、雲ひとつない夜空よりも澄んだ笑みを見せた。


「うまかった。ありがとな」

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