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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十四章 烈刀士
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六十六話

 戦闘区域の妖魔の森にも明るい風が吹き始めていた。北の妖魔の森は南ほど鬱蒼としておらず、真っ直ぐと伸びる背の高い樹々の合間から空を拝むことができる。土季(つちのき)では葉も落ちて細い影が延びるだけの灰色の森も、今では色とりどりの野花が下生えの中で爛々としていた。

 陽が傾き、妖魔の森の中はようやく本来の姿を現す。草という草から樹々の幹に走る血管さながらの光脈(こうみゃく)が、淡く緑色の燐光をもって妖魔の森に落ちた影を染めるのだ。花達が妖艶に輝き、夜風に身を揺らしていた。


「てめぇ、いい加減にしろ!」


 幻想的な妖魔の森の中に怒号が響き、ライガの拳を顔面に受けたサンは、鈍い音を立てて地面を転がった。目が回るのを振り払うように顎を押さえながら立ち上がると、殴った本人を睨む。


「ここ最近なにをぼっとしてやがんだてめぇは!」


 そう言って大股でサンに近づくライガを、カゲツが諫めようと肩を掴んで首を振った。ライガはサンを睨むと唾を吐き捨ててカゲツの腕を振り払う。そして小走りで鬼火の方へ足を向けた。


「鬼火、痛むか?」


 緑色の光脈が走る樹の一本に崩れるように座る鬼火は、血に染まって黒く濡れた戦装束の肩を押さえながら痛みに喘いでいた。ライガがそっと押さえながら、誰に言うでもなく悪態を吐いた。

 カゲツが鬼火とライガの様子を横目で確認しながら、黄金の血がついた刀を拭って鞘に納める。


「ライガの言う通りだよサン。龍人として色々あるんだろうけど、最近様子がおかしいんじゃないかな。お前は龍人である前に、廉潔なる初志を定めた烈刀士なんだ。しっかりと任に集中してくれないと困るんだけどね」


 そんなことはわかっている。熱いものを湛えて目を上げる己の心をサンは押し殺した。俺のせいで鬼火が怪我をしたのだ。

 サンは自分のしでかした大きな失敗に冷や汗を流しながら、肩を押さえて荒く深呼吸を繰り返す鬼火に近づく。

 ライガがみるみる赤く染まっていく白い布で鬼火の肩を押さえて、歯を食いしばり痛みに耐える姿を不安そうに見てから、怒りに目を滾らせてサンに周囲を警戒するように指示した。サンは自分用の治療道具一式を渡すと、すまないと声を絞り出して周囲に目を配った。

 ほんの数秒前に俺が倒し損ねて鬼火に牙を向けた餓鬼の頭が、あるべき場所から離れて転がっている。人か猿にも見える顔は啀んだままの形相で唇を捲り、眼は充血して黄金の筋が雷のように血走っている。


〝龍人よ、おぬしはこのために選ばれたのだ。目を覚まさせるためにその刃を研げ〟

〈鬼目郷〉で行われた会談の後の、蒼龍将の釘を刺すような言葉が頭から離れない。蒼龍将は俺を烈刀士の武器として扱うつもりなのだ。己の腰に差した刀のように、我が物顔で。ふつふつと湧きあがる怒りに呼応して気が練り上がる。


〝殺してしまえばいい〟


 そんな心の声が聞こえた気がして、焦るように気を手放した。捩った光の糸のような力が心の中で暴れるようにほどけていく。


「サン! そっちだ!」


 カゲツの叫び声が聞こえて、ハッと辺りに目を走らせる。

 黄金を眼に血走らせた餓鬼が、すぐ横で長い腕を振り上げていた。考える前に本能が火花を上げて体が動き、ふわりと舞い落ちる花弁のように腰を落として踏ん張ると、そこから一回転に刀を走らせて餓鬼の胴体を両断した。

 妖魔を倒したというのに、カゲツが俺を見る目は不安そうで、どこか責めるものがある。俺だってわかっている。カゲツの声がなければ、今頃は俺も鬼火のように血を流していたかもしれないのだ。

 サンはカゲツから目を逸らすと、背中を向けて妖魔の森の中に視線を移した。森を見ていても、脳裏に映る色々な絵が情景として浮かび上がり、先輩烈刀士達のひそひそと話しながら向けられる見透かそうとする視線を思い出す。

〝龍人は戦うのか?〟

〝使い物になるのか?〟

 そんな視線の数々が、腹の底に熱い泥を塗って消えていく。汚い怒りの力の臭いにうんざりして肺の中の空気を吐き捨てる。最近ではこの力がもっとも身近に感じるのだ。

 森の夜陰に落ちる影から、むくりと立ち上がる黒い塊。そう、俺の心に中にいるのはちょうどあんな……。黒い塊は、黄金の双眸を夜陰の中で爛々とさせていた。まさかこんなところで出会うなんて。

 黒曜石のような刃を閃かせる槍を持った黒い塊が、一歩跳躍して槍を突き刺そうと迫る。


「鬼だ……」

「なんだって?」


 サンの言葉に、カゲツは驚愕に目を瞠った。「鬼だ!」

 鬼の槍の一撃をいなしたサンは、慌てて飛びすさった。鬼の顔が意地悪く歪み、銀色の牙が下顎から覗く。鬼の淀みなくしなやかな手の動きによって生み出された槍の軌跡が、サンの胸を翳める。あと半歩でも間合いを読み間違えていれば、強靭な戦装束は切り裂かれ肺をぶちまけていたに違いない。

 鬼の後方で白い閃光と空気を破る雷の音が響き、鬼の咆哮が続いた。銀色の骨を並べて繋ぎ合わせた鬼の鎧の脇腹が、熱をもって仄かに赤くなっている。ライガの一撃が当たったのだ。

 カゲツが小さな笛を咥えて甲高い音を響かせる。鬼と遭遇した時の烈刀士の決まりだ。聞きつけた仲間が助けに来てくれるまで耐えなければ。

 ライガは鬼火を庇うように立ち、サンとカゲツは鬼を挟むように立ち位置を変えていく。鬼は四本の腕で巧みに槍を回して空気を切って見せる。突如槍の端に手を滑らせて大きく円を描くように振り回し、その間合いの変化に驚いたサンとカゲツは更に距離をとってから後悔に顔を歪めた。鬼が身を屈めて、地を這う影のようにライガに向かって飛翔したのだ。

 ライガは焦りも見られない冷酷な顔で、刀を前に片腕を背中に回す異国流の構えで迎える。槍の一突きを手首の僅かな動きでいなし、ライガの後ろにいる鬼火の顔のすぐ横を槍が穿つ。ライガは鬼の懐に踏み込むと、片手を突き上げて鬼の顎に掌底を食らわすと「鬼火!」と叫んだ。

 鬼火の闘気の鎧であり矛である巨人の紅い拳が現れ、鬼を襲う。殴られた鬼は襤褸切れのように地面を数回転がると、突如跳ねるようにして森の影に飛び込んだ。


「視界が悪い!」


 サンの声に、カゲツが数回刀を振り払い、周囲の木を剣気の刃で切り倒してゆく。鬼火の元に三人は集まり、鬼火の闘気によって燃える紅い巨人の中に入る。ライガが胡坐をかくと、指を二本立てて瞑想に入った。

 カゲツが目だけを動かしながらサンの方に顔を傾ける。


「今こそ見せる時なんじゃないかな?」なにも答えないサンを一瞥するカゲツの顔が、嫌な臭いを嗅いだときのように一瞬引き攣った。「こんな時でも最低限の力で戦うなんて、本当に殊勝な心意気だね」


 サンはカゲツを睨んだ。


「使おうか? お前らを殺すことになるかもしれないぞ。烈刀士ノ砦を襲いヴィアドラに仇をなすことになってもいいなら使ってやるよ」


 カゲツが苦いものを噛み締めてから首をゆっくりと振った。


「試練でお前は自分を受け入れたんじゃなかったっけ。その力も受け入れたらいいんじゃないのかな」


 受け入れる? 簡単に言いやがって。誰かを傷つけるようなことになるかもしれないのに、それを受け入れるだって?

 ずっと大切なものを守るために力を磨き欲してきた。それでもこんな他人の力は望んでない。力は、仲間を、大切なものを守るために振るうと決めたのに、誰かを傷つけることになるかもしれない戦神の力をどうして使えるっていうんだ。

 そんな言葉が喉まであがるも、カゲツの言葉に希望を感じている自分もいる。あの試練の時のように、自分を受け入れたらいい……か。

 戦神の力を受け入れる。だけど、あの心にはよくわからない怒りや恨みが巣喰い俺を呑み込もうとする。


〝心が思い通りになることのほうが少ないのではなくて?〟


 カゲツの言葉が靄のかかった俺の心を晴らし、カグラの言葉が太陽の雫の如く俺の心に光を落とす。思い通りにならない怒りや憎しみ、悲しみを抱く自分自身を受け入れたあの試練の時のように、この力を受け入れる。

 サンはカゲツの顔をもう一度見た。不安そうに真意を探ろうとするカゲツのその目が揺れる。


「カゲツ、ありがとう。そうだな、自分を受け入れるんだ。俺は龍人、この力も俺なんだ」


 サンの微笑みに、カゲツは不安そうに引きつらせた笑みを作って応えた。

 倒れた木々の影からむくりと起き上がる影が四つ。黄金の眼八つがぎらりと光る。


「どうするのよ……これ」


 鬼火の絶望の吐息とともに漏らした言葉に、サンは力強く振り向くと念を押すように言った。


「時間をできるだけ稼いでくれ」瞑想中のライガに視線を移す。「ライガもできるだけでいい」


 サンはカゲツに頷くと、目を瞑って己の心に目を向けた。

 油ぎった泥水の中に手を突っ込むような感覚だった。怒りや疑念が積み重なった掃き溜めは思った以上に深くて、冷静だった心が揺らめいて赤黒く染まる。

 龍人。

 ヴィアドラの象徴。

 武器。

 腫れ物を扱うような視線。

 なぜ俺はそんな目で見られなければいけないんだ。纏わりつく思考が心を縛り、苦しくなっていく。なぜこんな力が……。そんな邪念の海に沈んでいく中で、水面に揺らぐ一筋の光を見つけた。

 ロジウスおじさんの優しい笑顔、ツバキおばさんの静かな微笑み、ライガの心の壁をぶち破り寄り添ってくれる想い、当たり前のように仲間として迎えてくれる鬼火、俺をいつでも信じてくれて心の靄を晴らしてくれるカゲツ、多くは語らずとも愛というものを与えてくれた師匠……。

 それを守るために得た力なのに、俺は自分で遠ざけている。戦神(いくさのかみ)の魂は悔恨や怨嗟に染まってはいるが、これは誰の中にでも、俺の中にもある心なのだ。寄り添うからこそ、受け入れるからこそ、その心は救われる。だったら、この力が抱く悔恨や怨嗟を受け入れてやるまでだ。

 サンは戦神の禍々しい力を感じながらもそれを掴む。そして力がもつ心の叫びが、情景の濁流となって意識の中に流れ込み、押し流されそうになる。

 母を目の前で殺されて決意した強烈な怒りをもつ光の心。光の心を蝕ばもうとする数多の嘆きにはヴィアドラに利用されるだけ利用され、恋人を己の手で殺さなければならなかった存在もあった。この光の心が誰なのかわからない。だけど、その嘆きの全てに共通する涙の想いがあった。


〝守りたかった〟


 叶わぬその想いの叫びに、サンは手を差し伸べて強く握った。


〝これからは、俺が守る〟


 その眩い七色の光を引き上げて、己の中の一本の刀として握る。


「サン、それって……」


 カゲツの乾いた言葉に、サンは目を開けて頷いた。


「今、やっと龍人になれた気がするよ」


 サンの全身を覆うは、真っ白な焔のように揺らめく羽衣の鎧。顔に浮かび上がった隈取りは人の強さを象徴するような血の色。肌は月のように白く、目は太陽に翳した翡翠よりも透き通った緑色に輝き、鎧は狩衣と大鎧を合わせたような外見を象っていた。手に握る愛刀〝心・通〟は目と同じ翡翠色の焔を纏わせている。

 己の姿を見ながら、サンは寄り添い背中を押す暖かな力を感じた。それは、戦神であり戦神に選ばれた歴代の龍人の信念、願い。


「守るために……!」


 サンは腹の底からそう言うと、鬼火の炎の巨人から翡翠の光の軌跡だけを残して飛び出した。

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