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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十四章 烈刀士
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六十五話

 蒼龍将風斬(ふうぎり )(らん)がバルダス帝国南軍ミュルダス将軍との電撃会談の場として選んだのは、〈鬼目郷(おにめきょう)〉の中でも名高い旅亭〝雪桜〟だった。

 開放的な入り口を持つ店構えは、落ち着いた趣のある玄関から始まる。犬の刺繍が施された暖簾は深みのある赤色でずっしりとた印象を与え、玄関の両脇を飾る大きな紫色の提灯には〝戌〟の文字が大きく描かれている。

 見上げれば、旅亭の二階の(おばしま)や柱は赤漆で彩られ、部屋の明かりを透かした障子が桜色に染まっていた。気品に富んだ建物だと思わせる一方で、どこか妖艶さも帯びている。もう少し明かりを落として、煌びやかな装飾を多くしたならば、夜の花が舞う男の楽園に見えるだろう。

 そういえば、ライガは楽しんでいるのだろうか。そんなことをふと思い出しながら通された部屋は二階の奥、外の雰囲気を一切感じられない封鎖された個室だった。

 障子の戸は二重で、更に部屋の中を屏風が囲んでいるため、部屋の中から外を窺うこともできなければ、外から中の様子を窺い知ることもできない。この会談にお誂え向きというわけだ。

 二つずつ向かい合うように置かれた脚付きのお膳に、サン達四人は腰を下ろして胡座をかいた。ミュルダスのその姿は、そこらの男よりもよっぽどそれらしい。

 金箔を貼った屏風には、真っ白な大きな犬が人々に愛でられている場面が描かれていた。その屏風の陰から、淑やかにゆっくりと仲居が膳に歩み出てきて、犬の尻尾を象ったような耳飾りを揺らしながら酒を配膳していく。たしか、ライガがお楽しみ中の館のお姉さん達も、この耳飾りをしていたはずだ。

 仲居が慇懃な礼を含めた作法で部屋を去って行くと、蒼龍将が徳利を顔の前に掲げて、ミュルダス将軍の小さな盃に注いだ。


「ここは〝(いぬ)族〟がもつ亭の一つでな。戌族はもてなすのがうまい氏族ゆえに、今宵は豊かな時間を過ごせるであろう」


 ミュルダスが注がれた盃を軽く持ち上げて、感謝の意を示すと一気に呷った。鼻から息を抜いて堪能したのちに、蒼龍将に酒を注ぎ返す。


蒼龍(そうりゅう)皇燕(こうえん)巖亀(がんき)白鬼(びゃっき)以外にヴィアドラを分かち合う者がいるのか」ミュルダスは、蒼龍将が酒を呷り頷くのを見ながら言葉を続ける。「その者達は、そなたを慕っているようだな」ミュルダスは自分の盃に酒を注ぎ、赤銅色の瞳を酒の水面に落とすと、そこに映る何かに思いを馳せるように言った。


 ミュルダスの含みのある言葉に、蒼龍将が大きく笑った。「誠、痛いところを突かれたものよ」


 ミュルダスが女性らしい柔らかな唇の端を上げた。その整った顔の力強い目元は柔らかく、本当に笑っているようだった。


 ミュルダスが蒼龍将の目を見据える。「私はそなたのような人間が好みだ」


 蒼龍将が鋭い目で応える。「なれば、なぜあのような男につく」蒼龍将はミュルダスから目を離さずに酒を呷る。「そなた、先ほど言付けの足が遅いと申したが、すでにそれがしの耳には入っておるぞ?」


 ミュルダスの赤銅色の目が狡猾な光を走らせ、愉しむようなものを湛える。「なら話が早い。私の配下に下れ」

 蒼龍将が喉の奥で笑うと、ディクスが拳を握り、斧のような目を向けた。その明け透けな視線を気にも留めずに蒼龍将は口を開く。


「そなたは元老院についた。四國(よんこく)の内情は知っておるのだろう。ならば、なにゆえ烈刀士に頼むのか。元老院でのそれがしらの力を知っておるはずだ」


 蒼龍将の盃に落とされた目を覗き込むように、ミュルダスが身を僅かに乗り出して、赤銅色の髪が前に垂れるのも気にせずに声音を落とした。「そなたとあの男には何かがあるな? 個人的なものが。そしてそれは家族に由来する。そなたの兄は、確か蒼龍軍総士であったな」


「〝元〟総士だ」


 蒼龍将の釘を刺すような物言いに、ミュルダスが満足そうに小さな笑みを浮かべる。


「〝元〟になったことに関係するのだろう?」ミュルダスは、蒼龍将が薄く暗い笑みを垂れるのを見て、部屋を照らす行灯よりも柔らかな憫笑を投げかける。「愛していたのだろう、兄上を。復讐心。そのようなものでヴィアド

ラを裂く気なのか? 蒼龍将、風斬嵐」


 蒼龍将は諦めたような笑いを喉の奥で洩らして、一瞬サンを見た。だが、すぐに盃に目を落とし、一杯呷る。


「ミュルダス皇女か……なるほど。おぬしの目は銀風月(ぎんふうつき)の骨身を切る風の如し、耳は蜘蛛の巣のようだな」


 ミュルダスが姿勢を正して髪をかきあげながら、「称賛と受け取ろう」とどこか愉しそうに酒を呷る。


 風斬嵐は笑いを一つあげた。「さよう、それがしと蒼龍軍総士、(さざなみ)豪雹(ごうひょう)とは因縁があってな」嵐は酒で口を湿らせた。「それがしの兄、風斬(ふうぎり)海風(うみかぜ)は蒼龍軍総士として、荘園主達と大名の大規模な戦に赴いた。その戦は、憲律の元に敷かれた法律を守ろうとする元老院と、憲律だけに従い力を拡大させる荘園主との争いだ。兄は元老院の刀として、つまりは憲律と法律の代弁者として戦場に立ち、殉職した。荘園主達の軍は情報よりも遥かに巨大であったのだ。双方多大な犠牲を回避するために、元老院と荘園主達は話し合うこととなった。表向きはそのような理由だが、死んだ兄の意思を継ぐ蒼龍軍の立て直しを図る時間稼ぎだった」


 風斬嵐は、皆に愛された男だった、としみじみと言って唇を舐めると続けた。


「憲律と法律の元に古より続くヴィアドラを守るため、荘園主達の好きにさせてはならない大事な戦であり、なんとか勝たねばならぬ戦だった。元老院代表として荘園主達との話し合いに選ばれたのが、漣豪雹。兄の右腕だった奴がそうなるのは必然。だが、奴は戦いを捨てて、話し合いで兄の望まぬ結果を選びよった」嵐の頬が一瞬引き攣り、透かし見る目からは憎しみの燠火がちらつく。「奴は荘園主達の要求を受け入れ、正式に荘園を認めたのだ。そして、戦いに備えていた兄の意思を継ぐ軍の裏をかいて、荘園主と手を組んでそれを破滅させおった」

 風斬嵐の盃を持つ手が白い。

「戦神の遺し賜うた信念を雛形とし、人の世を創るために慧鷹言(けいようごん)(のみこと)が拵えくださった元老院と、それを護るべく信念を貫いたモノノフ達を侮辱しおったのだ。天星(あまつほし)(のみこと)が憂いた人の世の礎を、人々が争うこととなる世を、奴は固めおった」

 風斬嵐の肩から力が抜け、盃を握る指に血の気が戻る。

「その後、奴が正式に蒼龍軍総士となり、あれよあれよ元老院は形を変えていった。奴は、入念に準備しておったのだ」


 サンは蒼龍軍総士、漣豪雹の厳しく心臓を掴んでくるような目を思い出す。あの人が、裏切ったということなのだろうか。


「それがしが奴の策略だと気付いたのは、兄の支持者だった元老院議員や大名が次々と死に、義姉から助けを求める手紙が送られてからであった。義姉は兄の心の一部。であるならば、兄の意思を継ぎ成就しようとするのは自明の理というもの。水面下で動いておった義姉達は、粛清されたのだ。手紙を読み馳せ参じるも時既に遅し。守れたのは、兄の忘れ形見である幼い甥だけであった」


 嵐が注いだ酒を口元まで運び、しかし飲むことはなくそれを膳の上に戻した。ミュルダスを見据えるために上げられたその目には、先ほどの湿った光はない。蒼龍将のいつもの快活で熱い視線だ。


「だがな、それがしは復讐など望んではおらぬ」蒼龍将は口に挑戦的な笑みを見せて、ミュルダスの興に光を漲らせる視線を喰らう。「それがしは、ヴィアドラをこの潮の変わり目に再び本流へともどす」その声は一点の曇りなく、船を軽々と動かす風のよう。


「そなたの信念は上物だ。だが、縒った糸のようにほつれることだろう」ミュルダスは蒼龍将の曇りない目に同じものを返して言った。「なぜほつれるのか。それは不確かな力に頼っているからに過ぎない、蒼龍将。そなたの鉄の信念、私の下で鋼の剣とするがよい。そなたはヴィアドラと言うが、私は世界だ。人は神に縛られ、己の欲を成就せんと神を出し抜こうとする。その結果、業が生まれる。ならば、一つの信念に基づく世界を創ればよい。その信念は私の中にある。そして神よりも――」ミュルダスは己の胸に拳を打ち付ける。「――私は確かにここに存在する」


「おぬし、己を神とするか」蒼龍将は目を細めた。

「まさか」ミュルダスは鼻で嗤う。だが、その目の光は変わらない。「人と人が手を取り合い生きる世界。私はそれを渇望している。神にすがり、人を縛る者達がこの世を悪しき方へと進ませているのだ」ミュルダスは、己の信念を握る拳を開き、肩に整然と並ぶ色とりどりの徽章を撫でる。柔らかな木漏れ日を目に湛えて。「その悪しき者を浄化し、私は安寧を敷いているのだよ。それを守ってくれているのが、私の信念に魂を注いでくれる者達。そなたのような心に剣を抱きし者達だ」


 蒼龍将が盃の中に目を落とし、呷る。酒だけではない何かも一緒に腹に収めるように。ミュルダスは黙って蒼龍将の目を見つめた。汚れのない赤々と熱せられた刀のような目で。

そして、その熱せられたミュルダスの目に、蒼龍将は氷の眼差しを返した。


「おぬしのその言葉こそ、まやかしであろう。知っておるぞ。豪雹が手綱を握る元老院と何を締結させたか」蒼龍将が目を細める。「妖魔の森の資源五割、交易権の独占。これにバルダス帝国は兵器と製造技術の提供で応えることをな。妖魔の森の資源……おぬし、銀霊樹(ぎんれいじゅ)が狙いであろう。結局はヴィアドラの血と肉を搾取するために、土足で上がり込む略奪者よ」


「略奪者でもあり導く者でもある。譲歩する今のヴィアドラは世界にはいらない。そなたのような剣が必要なのだ。守るために戦う覚悟ある者がな」


 蒼龍将の目の光が揺らぐ。行灯の明かりか、心か。サンにはわからず、ただ沈黙を呑み込んで蒼龍将の静かな呼吸に耳を傾けることしかできなかった。


「無理な要求を突きつけて元老院を揺さぶり、それがしを懐柔しようとする。両者を試すような所業に裏切りかねんそのような者を信じられる筈がなかろう」


「悪いが、そなたにはヴィアドラを動かす力はない。それを持つのは元老院、まずはそれを手に入れるのが当然であろう。その後、元老院を解散、こちらの提督を軸に四國から選出した議員で新たに元老院を敷く。私の管轄の下で世界を守る烈刀士を不遇にはしない。ヴィアドラを守るために戦うそなたらの尊厳を守る。それはヴィアドラを守るのと同義であろう? その後の道を切り拓く剣がそなただ」


 蒼龍将が音を立てて盃をお膳に置くと、鷲のように影の落ちる目でしかとミュルダスを見据える。


「白蟻であろうと、同胞。裏切るような真似はせぬ。烈刀士ノ砦が崩れないように、モノノフの信念は変わらぬ。奴らを目覚めさせるのも我らモノノフの役目であるならば、喜んで斬ろう。だが、決して同胞を裏切ったりはせぬ」蒼龍将はすくりと立ち上がった。ミュルダスの視線は蒼龍将が座っていたところに残り、もはやその人を見ていない。「我らモノノフは皆同じ心。戦神と共にある」


「皆、同じ心か。おもしろい」ミュルダスがサンを見る。「そなたも同じか? サンよ」


 なぜ俺の名前を知っているのか、なぜ名前なのか。サンは、ミュルダスの赤銅色の瞳に映る堅くどこまでもまっすぐな光に射抜かれて、困惑に固まることしかできなかった。


「ゆくぞ龍人。話は終わった。ここでこやつらを斬るのもまた一興……。だが、然るべきときに抜く」


 蒼龍将は有無を言わせずに肩を怒らせて障子に手をかける。サンも流れに身を任せて蒼龍将の背を追うように立ち上がった。

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