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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十四章 烈刀士
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六十三話

 酒場の喧噪が背後で流れる川のようにただ流れる。鬼火の話の内容すら覚束ない。今さっき俺に囁いた言葉は間違いなく、五年前に俺の中に刻まれたカグラの言葉だ。忘れるはずがない。髪の毛で俺を羽交い締めにして、紅い眼で俺を見て言ったのだ。

〝人は罪深い。なにも知らずに黄金の褥で眠り、笑う〟

 意味のわからない言葉も興味をそそられたが、それ以上に頭の中で閃くものがあった。初めて会ったときは、動く髪の毛と紅い眼の衝撃によってカグラの力を理解できていなかった。虹彩に混じる紫を抱いた紅い眼。髪の毛を自在に動かす力。鬼の存在も想像力豊かな人が創り上げた本の中の存在だと気にもとめていなかった子供の俺には、あまりにも大それていて理解のしようがなかったのだ。

 だけど、今は違う。あの力は秘術の一種だ。気を練り上げて体を活性化させる剣気は、五感を強めることができる。気の更に上をゆく羽衣は矢や鋼の刃を弾き、鬼火や皇燕将のように腕を象り物を壊すことすらできる。なら、気によって髪の毛を動かすことだってできるんじゃないだろうか。そしてカグラは十二歳かそこらでその力を操っていた。もしかしたら、龍人の巨大な力の制御の仕方を相談できるかもしれない。

 サンは膳に注文された品を載せてはやってくる仲居を見つけては、人混みの中に視線を縫わせてカグラの顔を探した。物腰は柔らかで品の良い娘達ではあるものの、カグラのような雪のような肌をもつものも、銀の簪をした娘もおらず、獣の牙の耳飾りをした娘しかいない。

 サンは、盃に注いだときは温かかった酒を呷ると、立ち上がって鬼火を見下ろした。

 いつ頼んだのか、鬼火はすでに半身のない焼き魚の身を箸で摘みながら、呆気にとられたように口を半端に開けて俺の顔を眺めていた。その目が剣呑なものを湛えて伏せられる。箸を置いて盃を呷り、音を立てて膳に置いた。その音に周囲の烈刀士(れっとうし)達の視線が俺達に少なからず注がれるのを感じた。


「あんたさ、人の話聞いてないよね」鬼火の剣呑な声音に、サンは眉を下げながらも周囲に大したことはないと肩をすぼめて見せた。鬼火は空の盃を手首の動きだけでサンに放った。サンは眉間に当たる前に片手で受け止めると、真剣な表情を作る。


「悪い。これから龍人として果たさないといけないことがあるんだ」


 鬼火が胡座をかいた状態から片膝を立てて、呆れたように首を振る。こんな男気溢れた仕草をしなければ、それなりの女性なのになとサンは真剣な仮面の下で笑った。


「目当ての娘でもいたんだろ」


 鬼火の言葉に、サンは反駁しようと口を開くも言葉が出てこない。完璧に作り上げたはずの表情が乾いた土壁のように剥がれると、サンは鼻を擦りながら豪快に笑って見せた。


「男見せてきなよ。でもね、男なんだから約束は果たしてもらうからね」


 はたしてなんの約束なのだろうか。カグラのことを考えている間に約束してしまったのだろうが、ここで訊き返しでもしたら店から出られない可能性がある。サンは目を瞑り、烈刀士になると決めた初志を噛み締めるように頷いた。


「もちろんだ。だけど、俺だけじゃなくてカゲツにもお願いしたらどうだろう? あいつは意外と頼りになる」


 鬼火は何かを思い出すように口に笑みを見せた。


「あいつは自分のことで忙しいよきっと。でも、そうね。そうするわ」鬼火が頷いて、口につけようとした盃を持つ手を止めてサンを見上げる。「行かなくていいの?」


 サンはもちろん行くともと頷いて席を立つと、仲居頭の元へと向かった。カグラの特徴を伝えてどこにいるかと尋ねるも、仲居頭は配膳している娘達を見て手早く数えると、これで全員だと言う。そんなはずはないと娘達の横顔を再度窺ってから、抗議しようと仲居頭を振り向くと、そこにはぴしゃりと閉めた襖のような仲居頭の表情があった。


「昔、娘見たさに厨房に押し入った烈刀士様がおったさね。たしか、豚の丸焼きに使う串をお尻に刺しているのを見たっきり行方知らずさね」


 仲居頭の恐ろしく爛々と瞠いた目玉を見て、なるほどやりかねないと思った俺は黙って店を後にした。

 肺の中から体を冷まし、思考を落ち着かせる外の重く静かな空気は、どこか敗北感に似ていた。望みを掴み損ねた落胆かもしれない。

 気の扱い方ならば、鬼火や明水、シーナさんに教わったほうが早くて確実だとは理解している。そう思ってみても、カグラに会いたくなるのはどうしてだろうか。美しいからか、意味不明な言葉が引っかかるからだろうか。何にせよ、あの仲居がカグラだったかも怪しいことが悶々として胸の中で糸を引いていた。

 サンは酒のせいだと言い聞かせながら体を伸ばした。季節外れの風鈴の音が聞こえてきて、思わず息を呑んで目を走らせる。人が店に呑み込まれすっかり静かになった通りの端に、ささやかな刺繍を施した着物を纏う細い娘が立っていた。黒髪を留める銀の簪、それを飾る小さな風鈴。白い肌に目を伏せた姿。

 風鈴の音が、サンと娘の視線が繋がった以上のことを奏でる。サンは声をかけようと口を開きかけたが、娘は雪のように白い肌に咲く唇の端を小さくあげると、再び長い睫毛を伏せて通りの角を曲がってしまった。

 サンは娘の消えた通りの角を恍惚と眺めて立ち尽くした。高鳴っていた胸の鼓動が一つ弱まると、沸き上がる恥ずかしさから鼻を擦り辺りを見回した。そして月を愛でるだけで動かない夢見る少年のような自分に目をぐるりとさせる。


「なにやってんだ俺は」


 そう吐き捨てると、サンは娘が消えた角に向かって走り出した。

 角を曲がると、更に先の角に、かと思えば反対側の通りの角にと、娘は常に先を行ってしまう。まるで子供の追いかけっこのような真似事に、次第にサンの胸は鼓動の高鳴りよりも疑念が支配した。

 俺を、または龍人をどうする気なのだろう。

 夜の追いかけっこは〈鬼目郷〉の外れとなる場所で終焉を告げた。

 膝よりも背の低い下生えだけが広がるその場所で、娘が背中を向けて夜空に浮かぶ二つの月を見上げて立っていた。サンは息を整えようとゆったりと歩いて娘の横に並ぶと、月を見上げる娘の横顔をちらりと見てから一緒に月を見上げた。

 間違いない。服装は違えどさっきの仲居に違いない。そして月夜を映す紅い眼はカグラと同じだ。あんな色の眼をもつ女性はそうそういないはずだ。

 カグラなのか? そう訊こうとして顔を娘の方へ向けると、娘はすでに月から目を逸らして、真っ直ぐと切り揃えられた前髪の下にある紅い眼で静かに俺を見上げていた。その視線に、胸が高鳴り首元がちくちくしてくる。

 サンは首と襟の間に指を滑らせると、娘から目を逸らして月光の紗を敷いた銀色の森を見下ろした。


「ここって高地に建てられた場所なのか」


 他に言葉が見つからず、行き場を失った視線は月に照らされて地層をくっきりと浮かべた崖にとまった。どうやらここは崖に囲まれているらしい。まるで千雷(せんらい)千手(せんじゅ)(のみこと)が土壁に地層を描くために地面を引っ張り上げたみたいだ。さて、なにを話そうか。

 サンは目についたものを指差した。それはいくつもの鉄の滑車を介して造られている木造の昇降機だった。「あんなに大きな昇降機は生まれて初めて見た。あれでこの崖を昇り降りするのかぁ」

 やってきた沈黙に、俺は発狂するか、土を掘って蚯蚓にでもなってしまい気分になった。そんな人間でいることすらやめようと考えている俺の心中など知る由もなく、娘は先程から俺を見つめ続けている。

 思い出せ、烈刀士の儀式で腹を切った時の廉潔なる初志を。あれに比べれば、美女の視線は最強級の団子のたれよりも甘いご褒美だろう。サンは意を決して目だけを動かして娘の目を見る。


「龍人様ですね」


 待ちに待った娘の言葉に胸を叩き続ける心臓はしかし、打ち水を浴びた像さながら鎮まっていく。酒場を出た時のように冷たい空気が肺を満たすのを感じるも、心地良さは皆無だった。この人も俺を見ていないのだ。俺じゃなくて龍人を見ている。


「そうだよ、龍人だ。戦神(いくさのかみ)に何か訊きたいことでもあるのか? 俺にすらなにも感じないから試すだけ無駄かもよ。天星命(あまつほしのみこと)の御神酒のほうがよっぽど神の力を感じられる。まぁ感じられたらそれはそれで時すでに遅し、血を吹き出して野垂れ死ぬだろうけどな」


 カゲツのような自分の物言いに、サンは眉を顰めて苦いものを噛みしめる。娘は俺の言葉を愉しむように、紅い眼を細めて顔を僅かに傾げる。簪の小さな風鈴が降り始めの雪のように小さく音を鳴らした。


「大き過ぎる力を人は理解できず、妬み、畏れ、突き放し傷つけることでやっと受け入れられるのです」娘はか細く白い指をサンの胸に滑らせる。まるで古傷を撫でるように優しく、その紅い眼に擦れた影を湛えて。


「知ったような言葉だな」サンは寄り添ってくれたであろう初めての優しい言葉にどうしてか、そんな言葉を口走った。「いや、君も経験があるのか?」


 娘は顔を眼下に広がる森の方へ向けながら、懐かしむように苦く美しい笑みを見せた。


「この眼。血筋。それらがわたくしを縛り、苦しめた。その炉の中で溶かされる鉄のような苦しみの中で気付き受け入れたのです。わたくしは鉄なのだと」娘は己の信念たる刀を美しく可憐な顔の下で抜く。その存在を示す刃の光が紅い眼を伝ってサンの心を揺るがした。


「龍人も俺自身だって言いたいのか? 力を操ることも、引き出すことすらできずに、蹂躙される感覚にしがみつくことしかできないってのに。受け入れてるつもりだけど、これはまったくの他人だ」


 娘が一歩踏み出して、柔らかい花を顔に咲かせながらサンの顔を見上げた。


「心が思い通りになることのほうが少ないのではなくて?」娘のか細い指が、サンの刀の柄頭に触れる。


 娘の言葉が意味するところがうまく掴みきれず、靄のように頭の中で思考が渦巻いていた。そんな俺の目を見て、まるで俺の頭の中を覗いたかのように「それではなりませんよ、サン様」と娘はあざとい上目遣いで俺を見つめてくる。いつの間にか去っていた鼓動が再び速まり、それを机の脇に追いやるように、サンは目を逸らした。


「龍人は戦神の器だ。俺は器。君は戦神の魂を俺だって言ってる」俺は忘れていない。戦神の力を解放した時に感じた、あの煮え滾る怨嗟を。あれが俺のものであるはずがない。「この力は、いいものじゃない。なにかを傷つけることのほうが多い気がするんだよ」


 娘は小さく微笑むと、サンから離れた。


「独りではないことをお忘れなきよう、龍人様。このカグラはあなたを見ておりますゆえ」


 カグラはそう言って崖を背中から落ちていく。あまりにも自然であっという間の出来事に、サンは息を呑んで朧げに手を伸ばすことしかできなかった。急いで崖下を見ると、カグラが木の枝の上に立って恭しく腰を折って礼をしていた。

 月下に咲く灰銀色の木々を蝶さながらに飛び移るカグラが闇夜に溶けてなお、サンはささやかな熱を湛える鼓動とともに恍惚と立ち尽くした。

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