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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十四章 烈刀士
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六十一話

 元老院へ向かうために砦を離れてから、三ヶ月ぶりとなる砦の中は静かだった。それもそう、太陽が傾き始めてまだ一時間も経っていなければ、今は昼番の者達は全員出払っているはずだ。記憶が正しければだが。

 自分の寝台がある部屋に入り、変わっていない風景を見て心が地面を確かめるように落ちついてゆく。

 壁に沿って天井まで重なる寝台はさながら本棚。対面の寝台から寝台へとかけられた縄が部屋の空間に網目を描き、その縄に干された衣服や括り付けられた書物が提灯の明かりの中に浮きだっている。決して良い香りではない生活の匂いを吸い込んで「大丈夫だ、忘れてない。ここが俺の家、俺は烈刀士(れっとうし)だ」と心の中で呟いた。

 明かりが落とされた部屋では、やはり夜番の烈刀士達が寝ていた。起こさないように、提灯の落ち葉のように静かな明かりの中を進み自分の寝台へと向かった。

 サンは自分の寝台の場所を間違えたかと思って顎に手を添えた。間違いない、ここは俺の寝台だったはずだ。隣にはライガとカゲツの寝台がある。ライガの見た目を気にしない――周囲に気を遣わないが正解かもしれない――生活感は相変わらずだ。隣の整頓された鬼火のものであろう寝台の近くだけはやけに綺麗にしてある気もするが、これはライガの寝台だ。伝承や神話、印、闘気に関する書物が小さな箱に収めてある寝台はカゲツのだろう。あいつは一人で静かに力をつけるやつで、本を読むからな。なら、俺の寝台を使っているやつは誰だ。


「俺の場所はないってか」


 サンは新鮮な空気が吸いたくなって、毎朝烈刀士達が陽を拝む回廊へと出た。回廊には巡回の烈刀士が北に広がる戦闘区域に目を向けていた。暖かみが増した一陣の風が海からやってきて、サンの髪を顔に張りつかせる。靡く髪を後ろに回して、自分の髪の長さに目を丸くした。そういえば、烈刀士になってからもう一年が経っていた。

 回廊の低い狭間に足をかけて、全てを拒絶するかのように眼下に垂れる灰色の砦と壁を眺めた。その巨大さに湧き上がる畏怖に近いものを噛み締めながら、これを建てるのにどれほどの人と時間を費やしたのだろうかと思考を泳がせる。そして烈刀士ノ砦たらしめる北の戦闘区域の妖魔の森に目を向けて、サンは目を細くした。今、ライガ達はあの森にいるのだろうか。


「おい」


 高慢な女の子と勘違いしてもおかしくない声と、衝撃が脛を襲ったのは同時だった。

 戦装束を着ていなければ、今のは悶絶ものだったに違いない。「お前、よくもやってくれたな」サンは襲撃者である(しん)の顔を見下ろして大儀そうに言った。


「帰ってきたなら顔くらい見せろよな龍人」

「俺はサンだ。名前はサン、覚えとけ」


 俺の言葉を一笑に付す真の生意気な笑みに拳骨を構えて見せる。真は驚いた様子だったが、一歩ひいて組み手の構えをして見せた。


「おっ、体術か。なんだ、お前じゃ俺には敵わないぞ、やめとけ」

「うるせぇ暇人」


 サンはもう一度真を見ると、重い息を長く吐いた。そして拳を突き出す。真はそれを危うげに身を引いて避けた。顔は必死さを貼り付けているが、サッっと顔を紅潮させて鼻をすすり。気丈にも「余裕」と笑みを作る。


「やるじゃないか。なら、ちょっと相手をしてやるか」


 サンは会得中の千手体術の一つの構えをとる。片足を椅子に座るように曲げていき体を支えて、もう片方の足で坐禅を組む。手の平を上に向けて前に構えるこれは、独楽のように相手の力を利用する千手体術の構えだ。

 猪のように突っ込んでくるであろう真に冷たい地面を舐めさせてやろうと思ったのだが、真は可愛げなく大真面目に構えてきた。その目は一瞬、驚きをよぎらせて丸く開かれた。


「なんでそれ知ってんだよ」


 サンは構えたまま首をかしげる。「お前の叔父さんから教わったんだよ」


「叔父さんがお前に?」真の顔が啀むように歪む。


 同時に間合いを詰めてきた真の予想以上に素早い蹴りを片手の掌で受けると、その力を利用してくるりと回転して真の尻を叩いた。怒りに呻く真の次から次へと向けられる拳と蹴りを受け止めては尻を叩いてやると、真は滑舌が回らないほどの暴言を吐いて去って行った。

 サンは笑っていたずらな笑みを浮かべて真の後を追い、ついてくるなと怒る真と訓練広場に出てくると、真は息を荒げながら木刀を投げてきた。


「俺は二刀流だぞ」サンは空いた手を差し出す。

「渡したら教えてくれるか?」


 サンは片笑みを浮かべるも、真の緑が混じった黒い瞳に飴細工のように弱い光を見つけて、その笑みを消す。


「二刀流は二刀流で大変だぞ。一刀流よりも力が劣り、一刀流よりも力と技がなければいけない」


「俺の父さんは二刀流だったんだ。風斬(ふうぎり)海風(うみかぜ)って言ったら誰もが知ってる剣豪だったんだ」真の目の周りが僅かに紅潮する。「殺されるまでは」真は地面に落とした目を恥ずるように勢いよく顔をあげて俺の顔を見てきた。「俺は間違いを正さなくちゃならない。あいつに教えてやるんだ。そのための力が必要なんだ」


 復讐か。俺が犠牲というものに抱いた怒りと同じものを、こいつは抱いているんだ。


「復讐心は力になるけどな、誰も守れないぞ」


「うるさい! なにが蒼龍軍総士だ、俺の父さんを殺しやがってなにが総士だ! そんな奴がヴィアドラを守れるわけがない、だから俺が力を持ってヴィアドラを正しくする!」

 真は木刀を突きつけるように向けてくる。「俺が力を持って、龍人になって、ヴィアドラを、父さんが守りたかったものを守るんだ」歯が割れそうになるほどに真は口を噛み締めている。「なのに、俺は弱いんだよ。ちっくしょう!」


 真が木刀を投げ捨てようとして振り上げた手を止めた。こいつはわかっているのだろう、その怒りが無意味なことを。だからこそ、こうして不恰好ながら俺に助けを求めているんだ。この力が足らずに、自分の足らないことを怒り、憎む苦しみを俺は知っている。だけど俺にはそれを解き放つための力をくれる師匠がいた。大丈夫、こいつにだって――。


「叔父さん!」真が砦から出てくる蒼龍将を見て、さっと目を拭うと走って近づいていく。


——家族がいるじゃないか。

 蒼龍将は皇燕将(こうえんしょう)とモルゲンレーテの釘みたいに神経質で頑固そうな女の星官(せいかん)と歩いている。その三人の表情は深刻そうだ。走ってくる真に気が付くと、蒼龍将は月がひっくり返り太陽になったかのように笑顔を見せた。そして真が木刀をあげて見せる。


「おかえり! 今日こそ俺に――」


「元気であったか真! 龍人に手ほどきを受けて貰うとは、お前も徳だのぉ。よいか、悪さはほどほどにしておくのだぞ。ほれ、お前に土産だ」蒼龍将が真の頭をくしゃくしゃとする。蒼龍将は腰を折って真の目の高さに自分の目を合わせて、小包を真の胸に押し当てる。そしてもう一度だけ頭をくしゃっとすると、皇燕将とモルゲンレーテ星官と去ってしまった。

 真は蒼龍将の姿が見えなくなっても、少しの間そこに立っていた。その背中はいつもよりも小さく見える。空の館で父親と手を繋いで出てきた少年もあのくらいの歳だったはずだ。まだ父親とそうしているのが普通といわれる年齢。

 そうか、あいつは独りなのだ。

 真は木刀をその場に落とすと、貰った包みを胸に抱えたまま砦の中へ消えていった。その背中は灰色の空より静かで重く見えた。


 太陽が山脈の向こう側に聳え立つ霊峰〝魂の山〟に隠れて、地上に濃紺の帳が落ちた頃、大鴉(おおがらす)明水(みょうすい)朱雀(すざく)鬼火(おにび)、カゲツ、ライガの班は俺の補欠として充てがわれた先輩烈刀士と共に砦へ帰ってきた。

 一日の任が終わった烈刀士達が流れ込む食堂は相も変わらず賑やかで、ライガ達はすっかり小慣れた様子で今日の任について語り合いながら、話についていけないサンをよそに卓上に並べられた食事を口に詰めては酒を呷った。

 明水が酒杯を逆さまになるまで傾けて酒を飲み干すと、勢いよく机に置いた。


「んで、どうだった。お偉いさん達との時間は」


 明水の言葉で思い出したかのようなライガ達の視線に、サンは歯に挟まった物を気にするように口を歪ませた。

 同じ班だったのに、あんなにもどうしているのだろうと思いを馳せたのに、求めた場所はどうしてこんなにも居づらいのだろうか。


「大したことなかったですよ」


 サンは自分の酒杯を揺らしながらその中に目を落とした。ライガがサンの肩を掴み大袈裟に揺らす。サンは溢れる酒に悪態をつきそうになるのを抑えるとライガに遠い目を向けた。


「おい、なに辛気臭い顔してんだ。明日は休日、俺達が烈刀士の過ごし方を教えてやる」


 ライガの挑戦的な笑み、それを馬鹿馬鹿しいと言いたげに首を振る鬼火、俺の心を察したかのようなカゲツの静かな微笑み。前にも見たことのあるその風景に、サンは自分が恥ずかしくなって鼻を擦った。居づらいわけがないだろうに。俺には仲間がいるじゃないか。

 サンは酒杯に少しだけ残った酒を呷ると、「なら、俺も旅路でなにがあったか教えてやるかな」と浮ついた笑みを零した。

 ライガの加減を知らない戯れで叩かれた背中の痛みに悪態をつきながら、サンは久しぶりに笑った。


烈刀士に休日はない。任が当たっていない日も気を引き締めて過ごせと、清々しい陽射しに照らされた壁の回廊で明水は言った。ライガとカゲツもすっかり先輩面でその言葉に頷いている。


「そんな自信があるなら、うまい団子屋でも知ってるんだろうな」


 サンの言葉をライガは一笑に付すと、たっぷりな自信を眉に籠めた。


「あぁ、知ってるってぇの。初めて食う団子に違いねぇ」


 ライガのなにかを含んだ笑みに、カゲツは呆れたように目をぐるりとさせた。


「大きかったり小さかったりするんだが、とにかく絶品でよ。小さくっても、こう、妖艶で深い甘みってのがあったり――」


 ライガは団子を女性とでも思っているのか、喩えるときの手つきが妙に卑猥じみている。ライガらしいと言えばライガらしいか。サンは話に半分耳を傾けながら、今から向かう壱ノ砦がある海の方に目をやった。

 俺達が暮らす肆ノ砦は山側にあって、烈刀士が羽をのばす〈鬼目郷〉へは一日半はかかるらしい。壱ノ砦から船で出るらしいのだが、砦までが一日半もかかるようで、海側まで延々と続く壁の回廊を歩いていくのかとサンは顔を顰めた。

 その〈鬼目郷〉は、それこそ烈刀士ノ砦ができた時からある集落だそうで、ヴィアドラではあるものの四國に属さない場所だということ。それは無色に似ているが、あそこを仕切っているのは無色のキンザン会長のような長者が支配する〝組〟ではなく、いくつかの氏族によって成り立っているということだった。

 そして今、甚兵衛から覗く胸元に汗を滴らせて人力車を牽く浅黒い青年は〈鬼目郷〉から烈刀士のためだけにやってきた迎士と言う人足で、一日かからずに回廊を走り抜けて壱ノ砦まで運ぶという。

 その脚力と体力に目を瞠るよりも、烈刀士だけを相手にして回る商売がある〈鬼目郷〉と烈刀士の大きな絆に驚いた。元老院で烈刀士は蔑ろにされていて、それを良しとするヴィアドラに蒼龍将は不満を抱いていたから、てっきり北では孤立無援に近いのかと思っていたが、そうではないらしい。

 人力車は一人一台で任のない烈刀士を運ぶものだから、二つ月に一度は長大な壁の回廊に人力車の鴨の親子の大行列見られると言うわけだ。

 鬼火は烈刀士の中で数少ない女烈刀士と友達になったのか、〝くだらない男子〟と行動を共にすることもなく、仲間達と楽しそうに人力車越しに会話を楽しんでいる。カゲツは早速本を開き何かを読んでいる。俺の視線に気付いたのか本越しに尋ねる視線を投げてくるも、それに首を振って応えた。ライガは早すぎる晩酌を一人で始めていて、俺に飲むかと仕草で訊いてくる。

 まったく、自由なところは変わらないな。皆、自由に自分を生きている。蒼龍軍総士である(さざなみ)豪雹(ごうひょう)の言葉が頭をよぎった。

〝誰かの傀儡になってはならぬ〟

 そう、俺だって自分の意思で生きるのだ。龍人という劔であっても、切り拓く運命は己で決める。風季の風は心地よく、決意の帆を後押ししてくれているようで、自然と笑みが溢れた。

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