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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十三章 龍人
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五十三話

 烈刀士(れっとうし)の朝は早い。

 微睡みの時間はとっくに去っていた。寝台の上でその甘美な堕落の心の布団に埋もれようと思っても、砦の中にいると考えた瞬間から晴れ渡る空のように意識が覚醒するのだ。

 班長の声が下の方から轟き、サンは寝台から跳ね起きた。隣の寝台で寝ていたカゲツはすでに目覚めており、寝台の端に畳んであった烈刀士の戦装束を手に取ると、それを手際よく装備し始める。

「廉潔なる初志、刃をもって示せ! 戦神(いくさのかみ)に選ばれるは我が魂!」

 班長のその怒号にも似た掛け声に、寝起きの烈刀士達は寝起きとは思えぬ気迫のこもった声で応える。

〝戦神に選ばれるは我が魂!〟

 サンも遅れてその言葉を口にした。

 寝台は烈刀士の日が浅い者ほど下の台となり、サン達四人はその一番下だった。梯子を使わずに楽だと感じたが、一番下は人の登り降りに必ず遭遇するので、厠に向かう人の音だけで眠気を剥がされたりする。そして、その際には人の目につくので如何わしいことなどはもってのほか。何より一番怒りを抱かせるのは、梯子を滑り降りて地面に降り立つ時の音だった。寝ているときに真横で鳴る大きな足音といったら、殺気を覚えるくらいだった。そんな中でもライガはすやすやと眠るのだから大したものだ。

 寝台の並びは、一番端が鬼火、ライガ、俺、カゲツという順番になっていて、あとは戦技大会組ではない新人烈刀士達が並んでいた。

 サンは自分の戦装束を手に取ると腕を通した。襦袢(じゅばん)と戦装束の襟の重なり具合を確認するような余裕がないなか帯を巻き、最低限皺だけはだらしくないようにと背中の帯の近くを左右に引っ張った。

 横目でカゲツを見ると、いつも通り手際よく、美しい着こなしをしている。最近は金持ちや名家を嫌うような素ぶりは見せないから、てっきり体裁などには無頓着になったのかと思っていたが、もともとは細かいところに心を遣えるのだろう。カゲツに続いて、たっつき袴を履いて帯を十字に締めると、膝丈の足袋の紐をきつく締めた。膝丈まである羽織りを纏い、愛刀〝心・通(こころ とおり)〟を左右の腰に差す。

 この準備は会話一つない緊迫したような空気の中で行われた。

 砦の通路は烈刀士の足音だけが響き渡り、それは上の階へと登っていく。段々と空気が冷たくなっていく螺旋階段を上がっていき、木造の扉を抜けて外へと出た。俺達のいる山側の肆ノ砦から、海の壱ノ砦へと果てしなく続く回廊の先は茫洋としていてよく見えない。

 東の海の向こう側の白い空の明かりを浴びて、回廊のでこぼことした狭間の影、烈刀士達の影が薄く足元に落ちていた。

 風期(かぜのき)の身を裂くような風はまだ目覚めていないのか、緩慢と肌を撫でるだけで肌寒いと感じるだけだ。どうかこのまま来風月に入ってくれと情けない願いを心の中で呟いた。

 朝の規律点呼のために、肆ノ砦の烈刀士全員がこの空を仰ぐ回廊に整列した。見上げれば砦の迎陽から皇燕将があの冷たい眼差しで俺達烈刀士を観察するように見渡していた。

 規律点呼の淀みない吠えるような声が静寂の空気を破る。それが終わると今度は精神統一を含めて体をゆっくりと伸ばしていく。岩に横たわる濡れた葉のように冷たく思考が鎮まると、世界が光に染まった。太陽が海から顔を覗かせたのだ。

 空気が香り、澄んだ橙の光はいまだ雪残る北の地でも熱かった。

 俺は烈刀士になったのだ。皆を守るための戦いをするため。愛で誰かを守れる本当の強さを掴むために。空の支配者たる太陽の煌々とした姿を見ながらその想いを強く噛み締めた。


 北の戦闘区域に出るには砦の回廊から飛び降りるか、長い梯子で下りていくかのどちらかしかない。前者は足を折るどころか、体が肉片と化すことを考えると梯子しか選択肢はない。

 烈刀士には色々な任の種類があり、目の前の髪の毛に櫛を一度も入れたことがないと思わせる長い髪、無精髭と鷹の羽の耳飾りをした男も〝梯子守(はしごもり)〟と呼ばれる変わった任に就いている。戦闘区域に降りる唯一の手段である梯子を管理する使命を帯びている。それだけではなく、身長よりも大きな鋼で鍛えられた鋼弓と呼ばれる武器を持ち、遥か一ガルド先の獲物を見つける眼と、針に糸を通すような精度で砦と壁に近づく妖魔を射抜くらしい。

一ガルドと言ったら、五分か十分走った距離になるので、そもそも獲物が見つかるわけがない。

 梯子守(はしごもり)は、銀色の弦に指をかけて堅く氷のような眼差しで北の森を静かに観察していた。観察していると言っても、その目は遥か先の一点しか見ておらず、見張り番として機能しているのかすら怪しい。だけど、秘術を扱える人間は想像もできないことをやってのけるのだから信じるとしよう。

 明水(みょうすい)が梯子守が人形とでも言うかのようにその横に立ち紹介をし始めた。

「とまぁ梯子守ってのは、要するにここから森の様子を見る仕事だ。鋼弓を扱えるのはこいつらだけで、ヴィアドラの四國に属さない狩猟民族の一部の者達だけにこの役が務まる」

 ライガが梯子守の後ろに立ち、その視線の先に何があるのか見ようとしているのか目を細めている。カゲツが考えるように顎に手を添えて明水に質問をした。

「ヴィアドラ以外の狩猟民族ですか」

 明水がサン達の後ろ、砦の南にある遠く離れた妖魔の森を指差した。あの妖魔の森の湖に龍人の祠がある。俺が心の闇を受け入れた場所、犠牲を憎む考えから、師匠の愛を知り、愛で守れる強さを得ると決意した場所だ。

「あんだけ広大な森があるのに人が住んでないと思うのか?」

 明水の言葉にカゲツがそうだと言いたげに頷いた。

「そりゃそうですよ。あんな妖魔だらけの森に人が住めるなんて、いや、住もうだなんて頭がおかしいだけですから」

 梯子守の鷹の羽の装飾を下げた耳がピクリと動いた気がして、サンは咳払いをしてカゲツの肘を小突いた。カゲツはなんだよと言いたげに眉を顰める。

「あたしは聞いたことあるけどね。夜も昼も関係なく森の中を見渡せるって話しよ。一ガルド先の兎を射抜く古き護り手。ヴィアドラの先祖の血を色濃く継いでるとも聞いてるけど」

 明水が、博学なことでと言いながら鬼火に小さく拍手を贈るも、馬鹿にされたと感じたのか鬼火(おにび)は腕を組み明水を睨む。

「いやぁ俺には何も見えねぇぞ。寒そうな森だけだ」ライガが梯子守の後ろに立ち、肩越しに梯子守の視線を追いながら言った。

「んだろ、おめらには見えんねぇんぞ。げどな、おれんだちには見えんる」

 ひどく聞きとりづらいその言葉にサンとカゲツ、鬼火は誰が訳してくれるのかと目をパチクリさせた。ライガは聞き取れたのか、すげぇなと感心していた。

 明水も少し驚いた様子で眉を上げる。

「今日は新人達もいるからか? お前の声を聞いたのは何年ぶりか。噂では舌を抜かれたとか色々言われていたからなぁ、安心した。ところで、森の様子はどうだ? 下りても平気か?」

 明水の問いに、梯子守は黙って――森に目を向けたまま――ゆっくりと体を脇にずらして場所を譲った。

「いいそうだ」

 明水はそう言って三人に下りるよう指示した。

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