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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第一章 初めてのぬくもり
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五話

 照りつける陽の光に顔をじりじりと焼かれる感覚を感じて、泥のように地面から起き上がると、小道を歩き始める。いくつかの峠を越えて、坂道を登りきったところで思わず足が止まった。

 吹き抜ける風、その匂いは今ままで嗅いだこともないものだった。森の蒼い匂いは鼻の中を軽く通り広がるが、これは違う。重く、後を引く感じで喉にくっつくようだ。

 眼下に見えるは、なだらかに広がる森、森から続く草原。風にあおられて草原が陽光を反射して銀の波を立てる。そしてその先には、

「これが、ウミ……」

 ちらちらと小さな光が絶え間無く光り続け、空が落ちてきて溜まったのか、遥か茫洋と広がり、その先は想像できない。あれが海なのか。

 とにかく走った。草原まで行くのも一苦労だった。峠の方からは見えなかったが、草原は小高い丘になっていたようで、丘の下から海への広い陸には、敷き詰まるように建てられた家々が、屋根を黒光りさせていた。

「これが、マチ。これがミナトマチか」

 太陽の傾きがわかるほどの時間をかけて丘を下ると、町を囲む土と石で造られたどこまでも続く壁の下にたどり着いた。

 壁の足元には深い溝が掘られ、水が流れている。到底飛び越せる幅ではない上に、壁は高い。きっと門があるはずだ。そう思い歩いていると、すぐにそれらしい場所を見つけた。分厚い一枚の石でできた橋が溝を渡れるように門の前にかかっている。

 サンが橋に足を踏み入れた途端、関所に立っている一人の兵が持っていた槍の先をサンに向ける。

「おいおいおい、ここはお前のような奴がくる場所じゃない。出てきた村にでも帰んな」

 もう一人の男は、暇そうに槍に体をあずけてなり行きを見ているようだ。

「聞いてんのか。そこに突っ立てても施しはやらんぞ」

 暇そうな男が、何かに気づいたのかサンの後ろを見て近づいてくる。

「ほら、そこをどけ。荷車がくるんだ。邪魔なんだよ」

 男の視線を追い後ろを見ると、そこには見たこともない動物が荷車を牽いていた。

 牛よりも細く筋肉質で少しずんぐりしている。脚は牛よりも太くしっかりとしていて、蹄が二つに割れていない。牛よりも長い首があり、首の上には一列に毛が生えていて、尻尾はまるで長い髪の毛だ。

 その動物が過ぎ去っていくのを横目に見ながら、サンは言葉をこぼした。

「ウマ?」

 前に親たちが牛を見て、ウマが買えたらなと言っているのを耳にしたことがある。親が買えないんだ、きっと相当立派な動物なんだろう。

 荷車が停まり、なにやら先ほどの槍を持った男と話しているのを見て、そっと横を通り過ぎる。男の止める声が聞こえると、全力で走って町の中を走った。

 またもやここで驚きに足が止まりそうになる。家が綺麗に二つに別れて建ち並び、人が色々な物を小さな台の上や箱に詰めて並べている。それらを見たり、道を歩いている人の数で目が回りそうだ。腕を伸ばす余裕もないくらいの人に揉まれながら、なんとか進んでいく。

 なんて人の数だ。世界のほとんどの人がここにいるんだ。あれはなんだ? 緑色のへんてこな形をした実のような物もあれば、生き物が干からびたものが大量にぶら下げられていたりする。通りで車輪のついた小屋で、うちわを煽りながら、丸い五つの玉を串刺しにしたものを焼いている人もいる。その小屋から漂う香りに腹は鳴り、締め付けられ、音をたてて唾が喉を通り過ぎて行った。

 人混みに揉まれながら近づくと、匂いの正体を目に焼き付ける。柔らかそうな白い五つの玉に、透明で鼻水みたいにとろとろとした何かがかけられ、燠火に熱せられてわずかな焦げ目がついている。舌の奥の方に締め付けるような快感が唾とともに溢れ出る。

「金がないんならけぇりな」

 魅惑の液体を纏った串刺しの玉を焼きながら、小屋の主人なのだろう禿げた男の声に我を取り戻し、男の横目を睨み返す。

「カネってなんだよ。それがあれば、それくれるのか?」

「はあ? んなことも知らねぇのか。この世は金がすべて。わかるか、これだよ」

 男は鈍い金色の穴の空いた金属を一枚見せた。

黄判(おうばん)二枚で、この団子一本くれてやる」

「どうやったら手に入るんだ? 何かと交換するのか?」

 男は前歯のない口を豪快に開けて笑った。

「そんなことも知らねぇた、お前さんどっからきた? そんな身なりして、まさか聞いちゃいけねぇところから逃げてきたんじゃなかろうな」

 サンは唾を飲み込むと、人混みに紛れて町の中へと歩を進めた。見たいのは海だ。それにこんな人混みは息苦しい。それにしてもなんて人の数だ。町ってのは、どこもかしこもこんなに人が集まっているんだろうか?

 埃臭い建物と建物の隙間を抜けて海の方へと目指していると、先ほどよりも静かな通りに出てきた。見渡すよりもはやく、突如甲高い音が鳴り渡る。着流し姿の人の中に、妙にきっちりとした仕立ての良い服を着た男が二人、銀色の細長い金属を口に咥えながら走り寄ってきていた。二人の男の険しい顔をみれば好意的ではないことがはっきりとわかる。

 大人は子供が嫌いなのだろうか。

 素早く踵を返すと、再び埃臭い建物の間に飛び込み、胸と背中を壁に擦り付けながらすばやく移動する。背後で男の声が聞こえたが、構わず走り続ける。捕まれば何をされるかわかったもんじゃない。

 物の影に隠れると息を潜めて通りに注意を向け、あの二人組の気配を探す。ここまで追ってくる必要があるのか?

 少し間遠に声が聞こえる。あの男達だ。

「あの子供は?」

「くそ、すばしっこいやつだ。一本向こう側に抜けたか」

律士(りつし)をなめやがって」

「ありゃ紅蛾(こうが)の鼠だと思うか?」

 サンは首を傾げた。紅蛾(こうが)の鼠ってなんのことだ?

「それにしちゃみすぼらしいと思うんだがな。ほかの組の者かもしれない。捕まえれば文書を手に入れられたかもしれないってのに」

「どのみち、もう見つからないさ。署に戻ろう」

 男達のやりとりが終わって十分に待ってから、サンは通りを抜けた。

 海に近づくほど傾斜になっているこの町は、港に近づくにつれて立派な建物になっていくようだ。建物も軒並み高くがっしりとしていて、間をすり抜けられるような汚いところが少ない。ここで見つかったら厄介だな。

 いくつもの段差を降りて行くと、街の雰囲気がガラッと変わり、サンは目を瞠る。こんな綺麗な場所が世にはあるのか。

 そこは港町の最も豪華な通りであり、袴に羽織姿の男は腰に刀を差して歩き、女は見事な刺繍を誂えた着物を着て石畳の上を優雅に歩く。建物は入口の上に大きな看板を戴き、看板には金色で店の名前がでかでかと書かれている。

 人が牽く二つの車輪がついた車には、仲の良さそうな男女が涼しげに会話を楽しみ、どの建物も静かでどっしりとしていて、そこにいる人達は誰もが時間を優雅に過ごす。大きな赤い傘の下に、真っ赤な布を被せた長椅子をいくつも置いた建物で団子を愉しむ。

 だが、綺麗な街を見て感動したのも束の間、すぐに違和感を感じサンは眉をひそめる。大人達の視線が、切り裂くように冷たいのだ。サンを見た瞬間に、見たくないものを見て消えろと言わんばかりに険悪な色を湛える。苦しいその視線に耐えられず、サンは小走りに建物の脇を抜けた。顔をあげずに走り続け、波の音にハッと顔を上げる。

 褐色の上半身を陽に照りつけて荷物を運ぶ大人が、幾人も海に浮かぶ木の塊から出入りしている。木の塊は大きな、それは大きな布を掲げている。

「すごい……なんだこれ」

 こんなに大きなものが水に浮かぶのか。それに大人が荷物を運んでいる。どういうことだろう?

 大人が大人に指示をとばし、それを従順に聞くその姿が信じられなかった。サンはその中に自分よりもいくつか歳上であろう少年がいることに気がついた。やっぱり、ここでも〝親〟がいるのだ。咄嗟に木箱の影に隠れて、様子を見守る。少年と言うには少し大人にも見えるその人は、はるかに自分よりも肉つきがいい。あの歳なら坑道送りにされているはずだ。それに大人と対等にしている。

 木の塊が浮かぶ港に何人ものがいるのを見つけた。歳が近い。子供同士で楽しそうに話しながら木箱を運ぶ姿に唖然する。あんな行為が許されるのか。それに、鞭を持つ大人もいない。どうなってるんだここは。

 親が持っていたものよりも分厚くて丈夫そうな帳簿を持ちながら行ったり来たりする荷物を見ては、なにかを書き込んでいる大人ならいるが、痛めつける親のような大人がいない。なんでみんな逃げないんだ?

「おい、お前、時間が押してるんだからサボってんじゃない」

 ギョッとして後ろを振り向くと、頭に捻った布を一本巻いた筋骨隆々の丸ハゲの男が自分を見下ろしていた。

「お、おれ……」

「なんだ、もうバテちまったのか? これくらいなら運べるだろ、ほれ」

 男が持ち上げた木箱をサンは抱える。

「ふんぬっ……あだ!」

「お、お前!」

 小箱は地面に落ちると、細かい高音をあげた。

 どかどかと近づいてくる足音の方を見た男は口を歪めてサンに同情の目を向けると、そそくさと去ってしまった。

「こわっぱめが!」

 後ろから怒鳴り声が聞こえて振り向くと、いまにも破裂しそうに目を瞠いた男が立っていた。先ほどの忙しそうに荷物を見ては帳簿に書き込んでいた大人だった。焦りに焦り、怒りに唾を吐きながら色々と言っているが聞き取れない。荷を駄目にしてしまったのだ、それは怒るだろう。そんなことを冷静に考える余裕があることに自分でも驚いた。きっと殺される。だけど、この大人は刃物の一つも持っていない。

 帳簿の男は、サンの下衣の腰辺りを持つと激しく揺さぶった。

「銭の一つも持ってないのかおのれは! どう落とし前つけるがぁ!」

 分厚い帳簿を持ち上げると、サンの頭に叩き落とす。叩かれた瞬間どうなったかわからず、激しい寒気が体を支配していることに気づいたときには地面に倒れていた。視界も定まらず目も開けていられない。寒気が去ると今度は痛みが激しく膨張し身体中が震えがる。

 必死に開けようとする瞼が言うことを聞かない。ちらちらと太陽の光を感じるだけだ。次第に痛みの膨張だけになると、サンは涙を拭い立ち上がった。

 帳簿の男が、不思議な外見の男と話していた。その男は普通の大人よりも頭二つ背が高く、肌は日焼けして赤黒いが元々は白そうだ。体そのものが凶器のように逞しい姿をしている。目は赤銅色で掻き上げられた髪の毛も赤銅だ。笑う口元には真っ白で丈夫そうな歯が並んでいる。これが同じ人なのか。

「払って貰わなきゃ困るんだがな」

「こいつにはどうすることもできませんて」

 帳簿の男が肩を萎縮させ、男の目を直視するのが怖いのか、ちらちらと視線を合わせてはずらして、顔を下に向けたり横に向けたりを繰り返して話している。そんな帳簿の男の目を、赤銅の男は口元に笑みを浮かべながら、獲物を弄ぶように逃がさんと追う。その姿には血を求める妖魔のような邪悪さがあった。

「いやだなぁ親方さんよ。このちびくん雇ってるのは親方さんだろうよ。それなら親方さんに責任とってもらうのが筋なんじゃないだろうか。ヴィアドラ人はそういうところしっかりしてるんだろう? 落とし前とやらをつけるために自分の腹掻っ捌いたりな。俺はバルダスのもんだが、それくらいは知ってるんだよ」

 帳簿の男は裾から手拭いを取り出すと、額から首までを一気に拭い、渇いた笑いをこぼす。

「いやはやバルダス帝国の御方は見聞が広いですな。ですが、切腹は死するものに与える最後の名誉ですから、わたしのような下賎なものには身に余るかと。それに見合うのはモノノフたる烈刀士(れっとうし)たちでしょう」

「ふん。そのモノノフってのがなんだかわからん。まぁいい、船長には俺から話しておくが、半分はもってもらうぞ」

 帳簿の男が深々と頭を下げて、赤銅の男の背中を見送る。頭をあげると、サンを睨みつけた。

「お前、どこのもんだ? ん? 言ってみろ。どこの組の人足だ」

 男は拳を握り、歯ぎしりをしながら近づいてくる。サンは木箱を飛び越えると駆け出し、荷物を運んでいる人足たちの視線を横目で見ながら街の中を目指した。

 あの大人の感じは覚えている。親はああいう雰囲気を纏うと、よく鞭を振ったものだ。例え子供の背中が切り裂かれ、皮膚が破けて白や赤の血肉が見えても、力なく動かなくなったとしても止めない。あの帳簿の男は、同じように気がすむまで殴るはずだ。

 恐怖で浮つく足を叱咤して、人通りの少ない場所を目指した。石畳の通りを避けて、いろいろな物を見せるように置いているような、人の集まりそうな建物の無いところを探して走った。

 そのうち、人が一人通れるくらいの引き戸のある建物ばかりになっていき、服装も俺ほどではないが、染みのついた無色の麻の着流し姿や、下衣に腰丈の着物を着て、片手に栓のない瓢箪を持った酒精臭いみすぼらしい者たちが見え始める。気づけば、あばら家なんかもある。港沿いの離れた場所には、みすぼらしい家や人が集まる場所があるようだ。

 サンは港側に建つ小屋の壁に倒れこむように座り込み空を見上げた。すっかり日が暮れていた。星が綺麗だ。いつもは小屋の屋根で見えなかったが、夜空はこんなにも綺麗だったのか。青や白、赤、黄色の星もある。一際大きく二つの大小の月が寄り添い、一つはまんまると、一つは三日月となって空に並んでいる。瞼が重くなっていく。明日はどうしようかな。カネってのがいるんだったな。黄判二枚でダンゴだっけ。それなら、明日はカネを手に入れる方法を見つけないといけないな。あぁ、お腹が減ったな、疲れたなぁ。

 サンはゆっくりと数回瞼を上下させ、そのまま眠りについた。

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