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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十二章 決勝
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四十八話

 八時間の間になにがあったのか。おそらく俺は儀式に耐えられなかったんだ。目を開けて、葉が生い茂る暗く重い森の中に倒れていることに気がついて、サンはそう思った。

 身を起こして、痛いであろう体を確かめように関節を動かす。だが、なにも異常を感じない。どこか曇ったように思考がはっきりと繋がらないだけだ。

「ここ、どこだ」

 誰かが反応してくれるのを期待して声に出してみたものの、何も返ってはこなかった。

 辺りを見回してみると、苦しみ悶えるように捻れた巨樹達が空を覆い、暗闇の中から虚ろな表情で俺を見下ろしている。巨樹は、葉脈にしては太すぎるそれを、苔むした幹から枝の先まで張り巡らして、脈動するように緑色の燐光を放っていた。下生えさえも淡い光を帯びて、森全体が怪しくも静かな緑光を纏うこの重い森は、妖魔の森だ。ここはきっと龍人の祠に近い妖魔の森だろう。

 サンは儀式の時に感じた痛みすら燃やす灼熱の感覚を思い出して、身を震わせた。

 あんなのに八時間耐えられる人間はいるのだろうか。まず、自分が生きていることが不思議だった。戦装束(いくさしょうぞく)の股の部分を触り、安堵する。

 よかった、漏らしていない。あんな痛みを経験するのは初めてだった。妖魔に貫かれて鳩尾に怪我を負ったときも凄まじかったが、あれはまた別の種類の痛みで感覚はあったのだ。それに比べて、儀式の痛みは永遠に続き体が砂のようになっていく感覚を最後に感じた。あれは、少し用を足すときに少し似ていたから、まさかとは思ったが、とにかく装束が汚れなくてよかった。

 サンは、ジゲンやキリにどんな顔を見せればいいのかわからなくなり、生い茂る木で塞がれて見えない空を求めて顔を上げると、長く息を洩らした。

 いっそのこと、森に住むか。狩の仕方を知らないけど、なんとかなるだろう。

 だが、森の奥から決して忘れることのできない、甲高く惨忍さを愉しみとする引き笑いが聞こえてきたような気がして、サンは髪の毛が立つ思いで耳を澄ました。

 続いて聞こえてきた女の悲鳴は本物のようだった。サンは悲鳴がした方へと走り出し、自分の腰に手を当てて立ち止まった。

「ない。どこだ」

 こんなときに、どうして刀がないんだ。

 沸き上がる炎を握って、木々を避け、根を飛び越えて一度だけ聞こえた悲鳴の元へ走る。

 静かすぎる森が焦る気持ちを駆り立てる。だが、サンはその裏で瞬時に気を練り上げ、剣気として体に巡らせる。体が軽くなり、糸の上を走るかのような緊張感に感覚が研ぎ澄まされて、それは針となり手となり見えないはずの木、岩の陰にいる生き物を感じ取った。とてつもない速さで走っているのに、目はありありと身の回りの状況を写し出す。草が不自然に倒れている。人が踏んだ跡、もう一つは大きすぎる、獣か妖魔だ。

 森が切れて川岸に飛び出した。そこには川を渡ろうとしたが間に合わなかったのか、女が血の滲む腹を押さえて膝を突き、目の前にいる異形な存在を睨みつけていた。視線の先には三体の妖魔が笑い声にも似た声を上げ、餌を待ちきれない犬のように女の前を行ったり来たりしている。

 妖魔がなぜ女を襲わないのか。それは妖魔の後ろに立つ、銀色の鎧を纏った鬼が答えだった。動物の骨のようなものを綺麗に繋ぎ合わせて拵えた鎧は、鬼の漆黒の体に映えていた。

 見たところ、鬼は妖魔を従えている。気丈にも恐れを見せない女が俺を見た。

〝たすけて〟

 女の声にならない口の動きにその言葉を見たサンは、手刀の構えをとると、刀に剣気を纏わせるのと同じようにして手を振るう。

 揺らぐ剣気の刃が飛翔して、三体の妖魔の頭を落とした。妖魔の体は頭を失ったことに気づかなかったのか、瞬きほどの間の後に、黄金の血で岩を染め上げて倒れた。

 漆黒の鬼が露ほどの焦りも見せずに振り返る。

 黄金の瞳以外は全て黒い眼。額から前方に鋭く突き出る数本の角、唇の下の白銀の二本の牙が、ゆっくりと根元まで現れる。

 こいつ、笑っているのか。

 サンは女の前に立つと、誇示された石像さながらに立つ鬼の目を下から睨み上げた。笑うのなら、この生き物にも感情がある。弱気を気取られれば、戦う前から負けてしまう。

「まだ、子供ではないか」

 くぐもってはいるが、確かに聞き取れた鬼の言葉らしい声に、サンは目頭を引きつらせた。こいつ……言葉を?

「まだ、たりぬ。もっと肥えてからだ」

 鬼は四本の腕の内の二本を動かして、どけという仕草を見せた。

 サンは鬼の目を見据えたまま、女を立たせて鬼に問う。

「お前、言葉が話せるのか」

 鬼の、人の鼻を削いだかのようにのっぺりとした鼻面にある鼻腔が小刻みに開く。それは、人でいうところの嘲笑にそっくりだった。

 サンは鬼が振るった拳の速さに目を瞠ったが、剣気によって研ぎ澄まされた感知のおかげでそれを躱し、お返しに顎を蹴り上げようと体を捻ったところで、体がバラバラになってもおかしくない衝撃を脇腹に受けて、息を詰まらせた。

 女の怒声と不安そうな声がやけに耳に響いた。目を開けるので精一杯な痛みに耐えていると、鬼に足を掴まれて、気がつけば鬼の顔が逆さまに見えていた。

「この女はお前の親というやつか?」

 相変わらず聞きとりづらいその声に、サンは頷いた。なぜ頷いたのか、自分でもわからない。だが、なんとしてでも守らないといけないと、そう感じていた。

「お前達の種は、生まれも複雑だ。若い者は攫っておらんのだから繁殖に差し支えなかろう。これはお前にとってどんな存在だ」

 確かに、この女性は俺にとってどんな存在なんだろうか。

「その子だけは勘弁しておくれ。あたしで満足なんだろう」

 芯のある女の声に振り返ると、女は汗で髪を頬に貼りつかせて、血が滲む腹を押さえながらも、痛みに怯む様子を見せることなく立ち上がっていた。

 サンは地面に落とされて、弱弱しく立ち上がった。

 鬼が女を縛っている。

「おかんを、離せ」

 自分のとぎれとぎれに出た言葉に違和感を感じたが、おかんと言った違和感はすぐに消えてしまった。そんなことよりも、この鬼を殺さなくては。

「この女には赤子を産ませる。あと一人くらいはいけるだろう。間引きしてやっているというのに、感謝もせぬとはつくづく汚い生き物よな。だが、お前達が一番美味い。とくに赤子の天ぷらは絶品だ」そう言って、鬼はサンの顔の骨、腕や足の太さを確かめるように触り、一つ考えてから満足そうに頷く。「子供の域を脱してはいるな。この女の番いにはなるだろう」

 鬼の言葉に、サンは睨み返した。構えられた鬼の拳が顔に迫り、意識を散らすまで。


 目を開けると頭が鈍痛の波に揺らされ、思わず呻き声が漏れた。なにやら騒がしい。村にでもいるのだろうか。

 目を開けて、どこにいるのかを理解して息を呑む。

 俺は木の檻の中にいた。そしてその外、燐光を帯びた木の根元、そこには数十体の槍を持った鬼が腰掛けて、黄金の瞳でこちらを見ているのだ。

 先ほどの鬼と、威厳漂う鬼が檻の前で話している。

「であるからに、親と子では子供をなさぬ」どこか威厳を感じさせる鬼が言う。

「なぜだ。男と女というものならできると聞いたぞ」

 俺達を連れてきた鬼は、どこか不満そうだ。

「あの種にも心がある。わしらとは違えど、それを理解せねば。だが、食料は多いにこしたことはない」

 俺達を連れてきた鬼は、俺を見ると牙を見せて笑った。

 サンは気配を感じて隣を見ると、そこには先ほどの女が横たわっていた。女の肩に触れると、心が暖かいものに締めつけられて、何が悔しいのか涙が滲む。

「おかん、守れなくてすまない」俺は震える声を必死に殺して言った。

 女が目を開けて、俺を見ると腕を回してきた。

 ぬくもり。

 涙が溢れてきた。とめどなく記憶が蘇る。

 言いつけを守らない俺のことを叱るおかん。病に寝込んだとき、俺よりも辛そうにしていたおかん。おかんの飯……。

「すまねぇ、すまねぇ」

「子供に謝らせるあたしこそ、すまないよ。あんただけでも逃げて欲しかったのに。ほんとにお人好しに育ったもんだよ。誰に似たやら」

 おかんは体を離すと、肩を握ってまっすぐ、力強い目を向けてきた。

「シキ、あんたはヴィアドラ一のモノノフだ。泣くんじゃないよ。強く、立派になさい」

 そうだ、俺はシキだ。おかんを、村を、ヴィアドラを守る男、モノノフなのにこんなところで……。

 威厳を纏う鬼が近づいてきて、檻の扉を開けた。

 シキは鬼の前に立ちはだかるも、強靭な二本の腕に掴まれて檻の隅に投げられた。

「おかん!」

 女は迫る鬼の腕をはたき、胸を張って檻から出て行く。そしてシキを振り返る。

「生きて帰れたならば、あんたが族長さね。皆をひきいんさい」

 シキは出てこない言葉を出そうと、何度も呼吸を繰り返す。

 鬼は女の着ていた物を全て破り捨てると、全身を眺める。その目は淡々と、状態の良し悪しを決める目。

「やはり老いすぎだ」

 鬼は女の足を掴み持ち上げると、足首を縛り、木に吊り上げた。鬼は自分の腰の後ろから、黒光りする硝子質の短剣を抜く。

「やめろ、やめろ!」

 シキはありったけの声を震わせて檻を叩く。

 鬼が女の下に大きな皿を置いた。そして、滔滔と流れる時間のように躊躇いなく女の首に短剣を走らせ、皮を剥ぎ、腹を裂き、中の物を引きずり出す。肉が、臓物が、血が分けられていく。

 シキは檻から手を伸ばし、己の母の血が滲んだ襤褸を掴んで立ち上がる。

「おかん」

 目を瞠り、口を岩よりも堅く閉じ、声ひとつ漏らさない母親の強い目を見ながら、シキは頷いた。

 怒り悲しみ、絶望。それらが静かに激しく混ざり合う。

 とめどなく湧きあがる、身を芯から焼く尽くす力を抱き、シキは母に誓った。

 鬼は、滅ぼす。この身散ろうと永遠に。

 燃え上がる意識は白い光のように頭の中を膨張させていく。まるで一つの粒が、二つに分かたれて無限に増えては繋がっていく感覚。視界すらも消えていく。

 手を突いた場所は、白亜のさらさらとした石の地面だった。

 顔を上げると目の前には妖気を纏った刀が突き立っていた。その刀の向こう側には、見たことがあるような、線の細い青年が自分と同じように、息を荒げて手を突いている。一人ではない。女が一人、体格の良い勝気そうな青年が一人、この三人は誰ぞ。

「お前達は誰だ」声の主は長く白い髪と仮面を被っていた。声からして女だろう。神を真似するかのような姿に怒りを覚える。こやつらは敵か?

 仮面の女が再び同じ問いをしてきた。

 それに勝気な青年が無理に笑みを作る。「俺はライガだ。シキじゃねぇ」そう言うと、痛みに耐えるかのように、自分の頭を鷲掴みながら立ち上がった。

「そうだ、俺はカゲツ。あいつじゃない」線の細い青年は、気丈にも立ち上がる。

 俺は、シキだ。いや、違う……誰だ?

 続いて立ち上がった女は鬼火と名乗った。仮面の女が俺を見ている。

 女が問いかけてくる。お前は誰かと。目の前の青年達は名乗った。ライガ、カゲツ、鬼火。どこかで聞いたことがある名だ。ライガ、カゲツ。

 頭の中で繰り返すと、霧の先の景色を見ているかのような、茫洋とした記憶と感情が溢れでる。

 岩のような顔をしながらも、ぬくもりを垂れてくれた男の死、怒り。少年が顔を腫らし力なく横たわる姿を見て抱く、死への怒り。犠牲への怒り。否、己を傷つける犠牲を選んだ者への怒りだ。だが、それに気づき、同時に自分のためにしてくれた相手の愛を理解している。それだけではない。怒りではなく、尊敬。背中を合わせる友への尊敬。

 目の前の線の細い青年が、何かを願うように強く俺を見ている。ああ、俺だ。俺は忘れない。師匠や仲間達、忘れるはずがない。文字の読み書きを教えてくれたツバキおばさん、いつだって親切に笑ってくれるロジウスおじさん。そして俺を太陽と言ってくれたカゲツ。忘れるはずがない。

 遠ざかっていく光景は、鬼に捌かれる女の姿。だが、確かにあのとき俺は息子で、喪失感も本物だ。だけど、俺はシキじゃない。

「サン。俺はサンだ」

 サンは立ち上がると、いまだ腹の中で燃える怒りと決意を握る。

 あれは俺の記憶じゃない。だけど、この決意も怒りもやっぱり本物だ。みんなが危険に晒されるのなら、鬼は倒すべき存在だ。

 仮面をつけた皇燕将(こうえんしょう)の声が滔滔と洞窟内に広がる。

「その廉潔なる初志、刃をもって示せ。刃を覚悟とし生まれでよ」

 サンは目の前に置かれた脇差を抜く。その銀の刃に写る自分の目に迷いはなかった。

 皆を守るだけの強さを。

 炎に震える心のままに刃を腹に突き立て、横に引き裂いた。

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