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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十二章 決勝
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四十三話

 黄金の血は匂いを漂わせることなく、ただ美しく五爪城の広場を染めた。その血の主の亡骸を転がした庭には、初めて見た鬼への畏怖によって言葉を失った青年になりたての戦技大会出場者達が、見てくれだけの竹光(たけみつ)の柄を握って、黒く暴力的に逞しい鬼の死体を見つめていた。

 戦意を失い、動揺しているのは出場者だけではなかった。蒼龍軍最強の部隊である五爪の精鋭である兵士も、自分達の将の骸を横目にざわめき立っていた。

 為すべきことがわからず、混沌とした空気が五爪城の庭に漂い始めたのを察知した士官が、怒声をあげて兵士を叱咤して整列させると、戦の陣をとらせて蒼龍(そうりゅう)将と巖亀(がんき)将に刀を向けた。

 蒼龍将風斬嵐(ふうぎり らん)はそれをみて喉の奥で太い笑いを漏らし、やがて声をあげて笑った。そして、情熱的な光を湛えた目で、砂浜に寄せる波のような声をもって動揺する者達の心に語りかける。

「あれが、鬼である。数千年もの間、我々ヴィアドラが戦い続けておる脅威。御身を隠された戦神(いくさのかみ)の力によってこれを退けてきた。その力をおぬしらは持っている。闘気、剣気、凡人には手の届かぬ力を開花させたその力をなんのために欲したか。守りたいものがあるからであろうに」蒼龍将の声に熱が籠められる。そして北に延々と横たわる頂の見えない山脈を指差す。

「あの山脈の向こうで我々ヴィアドラを欲さんと、今も刃を研ぐ者共がいる。それらを知らずにどうして守りたいものが守れるか。それがしはこのヴィアドラを守りたい。ゆえに、力を求め積み重ねてきた。今、鬼は年を重ねる度にその数を増やしておる。立ち上がるべきは今なのだ。そしてそれはおぬしら自身で立ち上がらなければならん。立ち上がることができるのだ。なんのために戦うか。守るために戦うヴィアドラの強き信念をもって立ち上がれ! おぬしらが心に宿した刀を抜くときぞ!」

 皆、蒼龍将の情熱的に語る声に耳を傾け、先程まで張り詰めていた混沌の波は、いつしか己を見つめるための鏡となっていた。そこに写る自分自身の心に、皆が頷いていく。

 五爪城のひしゃげた鉄の門から、騒ぎを察した律刑隊士(りっけいたいし)が甲高い金属質の笛を咥えて鳴らしながら、ぞろぞろとやってくる。黒く短い上着とズボンという異国風な装束に身を包んだ律士(りつし)達は、鬼の姿を見ると恐れ慄いて騒ぎ立てた。

 律士たちが流れ込み、事の次第を問いただそうと五爪に詰め寄ったが、鬼を連れてきた烈刀士将は姿を暗ましていた。

 鬼と呼ばれる人間とは相容れない生き物、敵。その存在はアルヴェ暦の始まるより前から存在し、ヴィアドラ人の祖先は神とともにこれを退けてきた。戦神は肉体を捨てた後も魂だけは存命し、龍人を依り代にこの地を守ったと書物でみたし、軍学校でもそう教わった。だけど、最後の龍人が死んでから百年が過ぎ、この地を守る者は信念を受け継ぎし烈刀士(れっとうし)のみ。北の壁が壊れれば、ヴィアドラの地があの怪物に蹂躙される。

 鬼や神様はおとぎ話。夜に寝ない子を脅すための怖い話の一つにすぎない。今日の朝までそんなふうに考えていたはずだ。だけど、今、目の前に黄金の血を流す確かな存在と、その強さを目の当たりにして、鬼の存在は確かに存在するのだと確信する。

 畏怖の念からか、また動くかもしれないという恐怖なのか、黒い鬼から目が離せない。アルヴェ暦よりも前、二千年以上も前からずっと存在して、ヴィアドラはそれとずっと戦っている。もしこいつらが南に下りてきたら……。

 キリ師範やジゲンさんがいる海桜町(かいおうちょう)があの鬼達に蹂躙され、その次は無色の方へ流れ込む。そうなれば、みんながいる無色の港町は血と悲しみを流し何もかもが消えてしまう。そんなことを許せるはずがない。律士(りつし)にあんな怪物が止められるとは思えない。蒼龍軍の猛者だっていう五爪だって三人死んでしまったんだ。烈刀士将の羽衣の盾すら割るあの鬼と戦うには……。

 帰り道、ずっとそんなことを考えていた。事を後から知らされたジゲンは何かブツブツと言っていたが耳には入ってこなかった。カゲツも俺と同じように何かを考えている。何か思っているような静かさを湛えてた。だけど、目に悩みはなかった気がする。まるで、来たる何かを見定める、そんな目だ。

 海桜町に戻ってきて道場に着くなり、キリ、カイロウ、シブキの三人が皆を出迎えてご馳走と共に遠路の旅を労い、道場には久しぶりの賑やかさが戻っていた。

 サンとカゲツのあまり浮かない顔を見てキリが心配し、ジゲンが何があったかを説明すると、キリは腕を組んで二人を静かに見据えた。

「カゲツ、おぬしは前から烈刀士(れっとうし)になりたいと言っておったな。やはり、北へ行くか」

 カゲツは正座を正し、キリをまっすぐと見据えた。

「ここまで鍛錬いただき、誠に感謝しております。俺は道場の繁栄に、師範や師範代、仲間と共に未来を築きたい所存ではありますが、やっぱり、どうしても、あれを見た後ではほかの道は見つけられませんでした」カゲツは額を床につけるほど深く頭を下げた。「烈刀士になるべく、北へ行きます」

 キリの深い息が稽古場に流れた。

「サン、おぬしはどうする? 律士(りつし)への道もある。私が取り次ごう」

 サンは何も言えずながらも、キリの目をみる。キリの目はまっすぐで、答えを待つ以外の何も湛えていない。ただ、純粋に俺の望みを聞いてくれているのだ。

 どうするべきか。何をするべきか。俺は何がしたいのか。答えはある。誰かを悲しませないほどに強くなって本当の強さを得る。それは何かを守るための力なんだってことも知った。

 俺は……。

「烈刀士になります」ごめんロジウスのおじちゃん、ツバキのおばちゃん。帰るの、まだまだかかりそうだ。


 皆が寝た後、サンは一人縁側に出て月を眺めていた。一週間もすればあの二つの月も重なるだろうか。重ね月はあまりいい話を聞かないな。幽霊が出るとかそんな怪談を軍学校にいたときしていた奴がいたっけ。

 その時、後ろでくしゃみの音が聞こえて、サンは思わず跳び上がって振り返ると、そこには厚着をしたカゲツがいた。呆れた笑みを浮かべている。

「そんな薄着で風を愛でるなんてね。風期(かぜのき)が待てないってわけ?」カゲツは毛布をサンに手渡す。

「待てないわけじゃないけど、寒いのは終わりにしてほしいな」

 サンは受け取った毛布を肩からかけてくるまった。

「俺は嫌だね。風期から一気に戦いが激しくなるって聞いたから。新人としてはまだ来ないでほしいけどね」

 サンはカゲツの方を見た。カゲツは肩をすくめてみせる。

「烈刀士。北は暖かくなると鬼の襲撃が増えるんだってさ。それよりお前、律士になるんじゃなかったっけ。ころころ変えるなんて、便利な信念だね」

 サンは鼻で笑うも、真剣な声で言う。

「俺の信念は変わらないよ。誰かを助けるために犠牲にならないほど強くなる、だけど、それって律士になってできるのか? あの鬼の存在をみんな知らないんだ。ただのおとぎ話みたいにあやふやに知ってるだけなんだ。五爪だって簡単にやられた。烈刀士将の羽衣の鎧を壊すような奴らだ。ヴィアドラの人間は、俺の大切な人達を守りきるなんてできない。だったら、烈刀士になってあいつらと戦うのが、俺の守るための戦いだ」

 サンが小さく吹き出して笑う。「お前もヴィアドラ人だと思うんだけどね」

「誠、モノノフの心というものよ」

 キリの声にサンとカゲツは振り返った。キリは着物姿で、夜空を見上げて半分だけ重なった月を見上げて微笑んだ。

「私の道場から、おぬしらのようなモノノフを送り出すことができてよかった。兄上が守ろうとした無色、親御さんの想い、それらに報いることが少しでもできたかと思うと。誠、幸せよな。おぬしら、気張れよ」キリは視線を下に落とし、目を固くつむって去っていく。「八日後に儀式か。重ね月、何も起こらなければいいがな。はやく寝ろ」

 サンとカゲツは短く返事をして、師範の背中を見送った。

「未来と過去が重なる時には悪いことが起きるって迷信があったっけ。今なら少し信じられるかもな」

 サンはニヤリとカゲツに笑って見せる。だが、カゲツはまるで戦でも前にしているかのように、月を真剣に見上げていた。

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