四十二話
戦技大会の表彰式は〈龍流京〉の五爪城、白く小ぶりな丸石が敷かれただけのその殺風景な庭で行われた。
五爪城をあずかるのは、蒼龍軍きっての猛者である五爪の称を冠たる緋爪、瑠爪、颶爪、雷爪、漆爪の将軍達。その五人のモノノフが、一段高くなった壇場に刀を差し、大鎧を纏った姿で床机に腰掛け、目の前で行われている余興演武を静かに見ていた。
丸石の敷かれた庭には、正座をして横一列に並ぶ出場者達と、五爪の多くはない部下達がピクリとも動かず、目の前で行われている厳粛とした剣の演武を見物している。舞うのは五爪の部下の精鋭達。つまり、蒼龍軍の真打ちと呼べる部隊の先鋭だ。龍の面を被り、一定の高い音色に合わせて、鋭く雄雄しい舞を披露していた。
演武は美しいだけではなく、一つの隙も見えない緊張感が伝わってくる。それは唾を飲み込むのを忘れるほどだった。
演武越しに見える一爪から五爪のモノノフ達は、厳しい面頬のせいで顔は見えず、力強い目だけが覗いている。五爪達は鎧の装飾も、兜の前立ての形も違うが、結い上げている威毛の色で緋爪なのか青爪なのかがわかった。
演武が終わり、拍手が止むと、大鎧に赤い房を結い上げた緋爪が歩み出てきた。
「此の度のうぬらの戯れ、余興としては良いものであった。特にテンライ、うぬには軍に組したのち、五爪へむかえてやろう。他のうぬらもなかなかであった。褒美として、全員に各軍入隊を約束す。己が國に戻り次第手筈が整おうぞ」
五爪の顔が一点に注がれた。思わず視線を追いかけると、テンライことライガが立ち上がっていた。まっすぐと、臆することなく緋爪を見ている。
「悪いが、俺は軍には入らないぜ」
なんだか、流石ライガって感じだ。五爪は静かにその言葉を聞いている。いや、聞こえていないのだろうか? 全く動かないその様子は少しばかり恐怖を抱かせるものがあった。物音ひとつしないが、空気は間違いなく騒ついている。
「うぬは、軍に組みしなければどうする。道場の繁栄に努めるか」
「いや」ライガは考える様子もなく答える。「軍にも興味がなければ道場なんてのはもってのほかだ。もちろん、烈刀士にもならねぇ。俺は外の世界に出るって決めてるんだよ」
緋爪が豪快に笑った。
「面白い、愉快だ、あのエンマも同じことを言いよったわ。強者は奇想天外、豪快無欠と決まっておる。だがうぬよ、モノノフの魂は持たぬのか?」
ライガは少しの沈黙の後に笑みを見せる。
「守るための戦いのことなら、俺はそれをするために旅に出る。文句ねぇだろ」
その時、後方から巨大な鉄のひしゃげる暴音が轟き、その場にいた全員が何事かと振り返った。
五爪城の仰ぎ見るほどの鉄門が、文字通りひしゃげて開ききっていた。そこを通り過ぎて歩いてくる人影がたったの二つ。その一人は熊のように大きい体で、荷車を牽いている。もう一人は中肉中背に見えるが、無駄を嫌うかのような完成された武人に見えた。
二人とも毛皮を多く施した珍しい黒色の戦装束姿で、刺繍も施されてはおらず簡素だ。被っている菅笠のせいで顔も見えず、浪人に崩れた名高い武人といった風体だった。
熊のような男は一刀流で、もう一人は自分の身長程もある大太刀を布にくるみ、背中に携えている。あんな長ものを扱えるのだろうか。
熊のような武人が一人で牽いている荷車には、太い鉄格子の檻らしきものが、雑に掛けられた襤褸布からちらりと見え、荷台の上で重々しく鎮座している。
荷車を引いていない大太刀の武人が一同と庭を見回したかと思ったら、布に包まれた大太刀を地面に置いて、どすんと地面に胡座をかいた。
「それがし、招待状を無くしたようでな。もっとも、届いてもおらぬが。おぬしらも多忙ゆえ、送りつけるのを忘れたのであろう。それゆえ、こちらから参ったわ」武人の快活で朗々と晴れ渡る太い声に、誰一人として言葉を返そうとはしない。武人は盃を持ったふりをして、その手を五爪の方に掲げた。菅笠の下から覗く灰色の無精髭の口には笑みが見える。「まぁ祝おうぞ。若い衆の健闘とモノノフの魂に」そう言って、酒を呷る仕草をして見せた。
鎧の金具の音がして、サンは五爪の方を振り返ると、雷爪が数歩前に歩み出ているところだった。
「蒼龍将殿と巖亀将殿とお見受けする。これは遠路はるばるよくぞ来なさった。しかし、貴殿らの目にかなうもの無し、帰られよ」
その声は敵意を感じさせない丁寧さを帯びさせているようだったが、あきらかに歓迎の念は籠められていない。
一瞬、緑色の閃光が風のように駆け抜けた。
気づけば五爪の前に胡座をかいていたはずのその武人が立っていた。五爪の全員が腰を僅かに落とし、刀の柄に手を置いたのを見ても、武人は怯むことなく、堂々たる様子で両手を広げて見せた。
あれは〝千手の構え〟だ。あの構えを書物で見たことがある。最強体術と謳われた古い技だった気がする。
武人は喉を低く唸らせた。「元老院も、それがしを欺く気であるのかのぉ」武人は愉しむように言っているが、裏には怒りがあるようにも感じた。「それともおぬしらが、それがしを欺いたか。どちらぞ?」
五爪達は風にそよぐ糸ほども動かなければ、快活な武人も動かない。
出場者たちは困惑に息を殺すことしかできないでいた。
瑠爪がゆっくりと刀の柄から手を離すと、重々しい鉄の声で言った。
「何かの手違いでござろう。奏でるものに気をつけるがよいぞ、蒼龍将、風斬嵐。言葉は災いの元とはよく言ったもの」
サンは、一人挟んで隣に立つ氷海の息を呑む音が聞こえて、ちらりとそちらを見ると、氷海は輝く憧憬の眼差しを嵐と呼ばれた武人に向けている。氷海は今にもこうべを垂らす勢いじゃないか。あの武人はそんなにすごいのか?
武人は出場者の方を振り返り、菅笠を脱いだ。
その四角い顔には白黒混雑した無精髭が生えているものの、目は若く情熱的だった。それでも、キリ師範くらいの年齢はありそうだ。若くても四十代半ばだろう。師匠や軍の人間とは違い、髪は短く整えられている。
「それがしの名は、風斬嵐。烈刀士の蒼龍将である」
出場者がざわついた。サンはざわつく理由に心当たりがなく、気づかない自分にざわついて周りに耳を立てると、烈刀士将だ、あの烈刀士将か、などと囁きが聞こえてきた。そういえば、烈刀士はヴィアドラで一番のモノノフ達であり、前線で戦っている最も誇り高い戦士だと、いつか師匠が言っていたっけ。
それにしても、そういった武人は皆素晴らしい装束で身を包むものだと思っていたのに、なんだか実用的すぎるというか、身なりに威厳は感じない。
蒼龍将嵐は、先ほどまで自分が胡座をかいていた方を指差した。熊のように大きな武人が、来た時と同じ姿でそこにいた。
「あっちは烈刀士の巖亀将、金剛」金剛は振り向いた出場者に、笠をちょんと下げて挨拶した。「寡黙な男でな」蒼龍将は面白そうに言った。
「茶番をしにきたのではあるまい、蒼龍将」
雷爪の言葉に、嵐は頷いた。
「さよう。早速だが、おぬしら」ランは腕を組み、出場者を一人ずつ値踏みするように見ていく。「烈刀士になるモノノフはおらぬか」
烈刀士になれるのは、特選枠の奴らだけだと思っていた。だいたい、こんなふうに入るものなのだろうか、軍の中で功績を立てて見出されるものではないのか。サンは他の出場者が黙り込む様子を見ながら考えた。ロジウスや師匠が守りたかった街に帰り、律刑隊士の一員になり恩返しをする。そうやって、大切なものを今度は俺が守りたい。烈刀士にはなれない。
「なります!」
張り上げすぎではないかと思わせる声の主は、氷海だった。
「そうか、心意気やよし。おぬしの名は」
「漣氷海です」
蒼龍将の目が鋭い光を帯びたように見えた。腕もにも力が入ったように見えたが、蒼龍将は快活な笑みを見せた。
「漣家か。迎えよう、その力、ヴィアドラのため存分に振るうように。他にはおらぬか。そこの者はどうだ」
蒼龍将に目を向けられたライガは、五爪の入隊を辞退したのと同じように自分の意志を短く語った。その理由を聞いた蒼龍将は本当に楽しそうに笑った。
「なぜだろうな、それがしが見込む者は一様に外に出たがる。あの閻魔もそうだった」
五爪も言っていたが、聞いたことがある名前だ。確か、大会で戦った朱雀家の鬼火が、兄とか言っていた。
「強い者はヴィアドラの外でも力を試したくなるのかのぉ」
「違う」ライガの声がまっすぐに響いた。「俺には俺の守りたいものがあるからだ」
蒼龍将は口に笑みを湛えながらも、真剣な目を向ける。
「ほぉ、きかせてはくれぬか」
「共に戦い、生き残った仲間たちとの約束を守る。守りたいものは外にあるからだ」
「守るために己が意志を貫くモノノフか。そうか、それは誠、残念。だが、これを見てから決めるのも遅くはないぞ」
蒼龍将は巖亀将に目配せした。すると、巖亀将は目にも止まらぬ速さで刀を抜き放ち、荷車を一刀の元に斬り伏せると、巨躯のわりには素早すぎる身のこなしで飛び退ると刀を静かに鞘に収めた。だが、警戒しているのか鍔に指をかけ、鎺が覗いている。
庭にいる一同が事を見守るわずかな沈黙を破り、荷車から何かが飛び出してきた。檻を覆っていた襤褸布を引っ掛けているために姿は見えないが、人の二倍近くはある生き物なのは確かだ。もしかしたら妖魔かもしれない。
その襤褸を破り捨てて現れた生き物に、本能が距離をおけと悲鳴をあげた。
人と同じ形をした身体は黒。だが、人とは相入れないことを体現するかのように、逞しい腕が四本生えていた。顔は縦に細長く、皮膚の下の筋肉は獣のように張りつめて、金属のようにも見える。何より、黄金の虹彩をもつ黒い目と、下顎から上に生える銀色の二本の牙に、頭の皮膚を突き破り覗く折れた銀色の角が恐怖を煽る。
鬼だ。
腰に差した見かけだけの竹光が爪楊枝のように感じた。いや、むしろ爪楊枝よりも役に立たない、こんな見せかけの物で何ができるっていうんだ。サンは一気に気を練り上げた。どうやら出場者の皆もそうしたのだろう、空気がピリピリしてきた。
「風斬、うぬは何を考えておるか!」
緋爪の声が轟いた。続いてその場の全員が刀を抜く音がしたかと思うと、五爪全員が台から飛び降りて、黒い鬼の間に立ち塞がった。
「うぬらは下がっておれぃ! ここはわしらに」
緋爪が刀を構えて槍のように地面を疾駆して一直線に突っ込んだ。瑠爪がその間に鬼の横に回り込む。他の五爪は出場者と部下の前面でそれぞれの構えをとった。
緋爪が黒い鬼の眉間めがけて一刀両断の一太刀を見舞うが、鬼はそれを白刃どりにて止めてみせる。瑠爪の横からの突きに、鬼は緋爪を投げて阻止すると、鬼は一直線に三人の五爪と出場者の方へ走ってきた。
出場者のほとんどが恐怖の声をあげて後ろに後ずさる。サンも例外ではなかった。気丈にも、五爪の部下は刀を構えて戦う意志を貫き立っている。
三人の五爪が鬼を迎え討つが、鬼は三人の刀を腕で受け止めて見せた。刃はほんの少しだけ腕に食い込んでいるだけで、業物がああも防がれる光景に理解が追いつかない。鬼の顔が笑ったように見えた。
刹那、刀が折れた音と鈍い音が響き、三人の五爪が鬼の拳に突かれて鎧の一部を撒き散らしながら飛ばされ、地面を転がり動かなくなった。
鬼は出場者と部下には目もくれず、蒼龍将を目指して一直線に跳躍した。
「金剛!」
蒼龍将の声と同時に、一つの紫の焔が宙を飛び、跳躍した鬼を地面に叩きつけて地面に着地した。それは巖亀将の羽衣の鎧を纏った姿だった。背中の甲羅はまさに亀のそれを彷彿させる。
巖亀将は羽衣を纏う刀を構えて鬼と対峙する。鬼は興奮と怒りに目をぎらつかせ、牙を剥いて何か吼えた。
鬼の皮膚の下の筋肉が隆起して筋肉の筋が膨張していく。膨張した身体は怪物そのもので、漆黒の肌はすでになく、陽の光を反射する黒光りする体に変化していた。
鬼の拳を巖亀将が居合で斬るも、鬼は弾かれただけで傷を負っていない。あれは体を硬化させているのか。羽衣を纏わせた刀で斬れないものがあるのかと、理解が追いつかない。
「金剛、戯れはよいのだ。もう終いでよい」
金剛の羽衣がより濃くなっていき形が変わる。焔は収束して古い戦時代の大鎧姿となり籠手が盾のような形になった。刀も紫色の輝きを帯びている。
金剛は刀を後ろに構えた。それに応えるように鬼は二つの拳を引き絞る。
鬼の腕の周りの空気が歪む。あれは剣気なのか?
鬼は地面を穿つ勢いで踏み込み、金剛に一撃を打ち込んだ。金剛は片手の籠手でそれを正面から受け止める。盾さながらに広がり受け止めた羽衣は、しかし、嫌な音を立ててひび割れる。砕けるよりも早く、金剛の刀が一閃の元に鬼の腕を二本切り落とす。
鬼は溢れ出る血を止めようともう二本の腕で押さえて後ずさった。鬼の血は黄金、赤色ではないそれは、妖魔と同じも。
サンは恐怖よりも疑問が上回った。漆黒の巨躯に暴力的で完成された肉体。烈刀士たちが戦っている相手はこいつらなのか。こんな化け物がこの世界にいるのか。
金剛の刀が、鬼の腹から首までを切り裂き、黄金の血飛沫が天高く昇るのを見て、サンは恐怖した。鬼が怖いのではない。街に住む人の誰もが、この生き物の存在を、自分達のすぐ横にある脅威を知らずに暮らしていることに。
 




