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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十二章 決勝
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四十一話

 目が覚めた時、見慣れた光景が目に入ってきた。

 寝る者を失って久しい二段寝台の骨組みだ。そういえば、カゲツと戦技大会出場枠を賭けた試験試合の後もここで目覚めたっけ。

 サンは身を起こし、わずかな頭痛と目眩を感じて嗚咽した。隣で何かが床に落ちる音がして目をやると、椅子が倒れ、引き戸が半端に引かれている。誰かが台風さながらの様子で去ったのだろう。

 不思議だ。土期(つちのき)の乾いた空気ではなく、地面から立ち昇る土の匂いが鼻を駆け巡り肺を満たす。まるで風期に入ったかのようだ。

 自分の腕を見たサンは、それを見て目をパチクリとさせた。細く青白い腕には凹んだ血管がのびている。いったいこれは誰の腕だ。

 廊下の張り板を慌ただしく踏んでやってくる数人の足音が近づいてくる。戸が引かれて最初に顔を見せたのはジゲンさんだった。続いてカイロウさん、シブキさん、カゲツが心配そうな面持ちで部屋の中へ入ってきた。

 皆、喜び急くように興奮しサンの顔を覗くように見た。顔を見合わせて安心したように笑いをこぼすと、ジゲンがシブキに飯をもってこいと指図した。

「おいおい、随分な寝坊じゃねぇかよ、ん?」カイロウさんの低く朗々とした声が懐かしかった。豪快に笑ったその声が頭に響き、サンは苦笑いした。

「まったくだ。どうだ、体の調子は」ジゲンが腕を組んで呆れたように言うが、その目は心配を色濃く滲ませていた。

 サンは急激な疲れを感じて寝台に横たわる。皆の息を呑む音が聞こえた。

 休んでいろ、という声が誰のものかわからないが聞こえてくる。ジゲンさんの、なんで粥じゃないんだ、普通は水が最初だろという声に、シブキさんの飯をもってこいって言ったのは師範代です、と反論する声が聞こえてくる。

 あぁ、変わらないな。〈無色流(むしきりゅう)〉道場の空気だ。自然と口が緩むのをそのままに、落ちていく意識も寝台に預けた。


 俺は稽古場に立っていた。いつから立っていたのだろうか。皆の会話を横で聞いていたのは覚えている。ジゲンさんがシブキさんに理不尽な説教を聞かせて、シブキさんがそれを呆れたように聞き流す、そんな会話だったような気がする。

 サンは稽古場の縁側の方へと歩いて行った。なにもないはずの庭には、びっしりと木が生えた森が広がっていた。道場はすり鉢状をしている海桜町(かいおうちょう)の上の方にあるから、森が広がるなんてありえない。

 森の暗闇の先で灯りが揺らめいている。あれは提灯かもしれない。サンは縁側を降りてその灯りの方へと進んでいく。

 枯れ木や足場の悪い地面がうっとおしい。灯りの正体はやはり提灯だった。五、六人の荒い風体の男達が提灯を翳して森の奥を窺っている。サンは咄嗟に木の影に隠れると、早鐘を打つ自分の胸を押さえた。

 俺は、これを見たことがある。

 ゆっくりと、見たくはない、忘れたいと思っていた場所へ目をやる。腰が抜けて地面にどさりと尻をつきながら、なんで、と心の中で連呼する。

 顔中が腫れ上がった少年が木にもたれかかり、腕をだらんと垂らし肉塊と化した姿を見て、サンは吐きそうなくらいに心臓が強く打つのを感じる。

 後ろに手をついて逃げようとするも、冷たい何かが心を走り抜けていくのを感じて、サンはその肉塊を見つめる。

 俺は、また逃げるのか。

 後ろから何者かに肩を掴まれて、反応する間も無く荒々しく振り向かせられる。

 眼前に広がるは、戦技大会の試合会場のど真ん中に立っていた。大歓声が向けられる空を見上げると、青白い雷の権化が、雷の槍を高々と掲げて俺を見下ろしていた。

「外の世界にはなんでもあったろ」

 青白い光と空気を壊す轟音が鳴り響く。

 頭に衝撃と痛みを感じて、目を開けると夕焼けが射し込む門下生の部屋にいた。俺は夢を見ていたのか。

「びっくりさせないでくれよ」

 声の方を見ると、開いて伏せてある本を傍らに、椅子に深く腰掛けているカゲツが目元を押さえていた。

 カゲツはあくびをしてからサンの方をじっと見た。

「叫び声のおかげでいい目覚めだよ。調子は? 女性が嫉妬するくらい、いい具合に白いのを見ると、訊くまでもないかな」そう言うカゲツの顔は柔らかい笑顔があった。

「なんかフラフラするよ、寝てるのに」サンは苦笑を洩らす。

 カゲツは、俺が戦技大会の決勝戦の後、二つ月の間昏睡状態だったことを話してくれた。そして、今朝目を覚ましたかと思うとすぐに眠ってしまったらしい。戦技大会の結果は訊くまでもなかったが、カゲツは懇切丁寧に俺が負けたときの様子を教えてくれた。俺はテンライのあの一撃を食らって、ほぼ全裸に近い状態で負けの判定を受けたらしい。オニビとの戦いで尻を丸出しにし、決勝戦では全裸を晒す。キリ師範にどんな顔を見せればいいのだろうか。

 だが、そんなことよりも、悪夢になるくらい重要なことがある。生きていたのだ、親友が。

「ライガだったんだ」

 サンの掠れた声に、カゲツの疑問に満ちた視線を感じる。唾を飲むとサンは言葉を続けた。「俺、小さい頃、十二歳ぐらいまで鉱山にいたんだ。そこで、ライガって兄貴みたいな親友がいた。ライガは一つ年上で、強くて、面白いけど何考えてるかわからなくて、怖かった。ライガにつられるままに鉱山から逃げたんだけど、ライガは……俺を助けるために死んだ」

 部屋に沈黙が流れた。

「そこで話が終わるのも困るんだけど。それで、そのライガって人がテンライだったってこと?」

「そう。多分」

 カゲツは椅子を後ろに傾かせてバランスを取りながら、天井を見上げてからサンを見た。

「その多分って言うのが気になるけど、仮にライガだったとして。お前は手加減してテンライに負けたのか?」

 カゲツの明け透けな怒りの声音に、サンは苦笑した。

「いや、違うよ。本気でやってあれだった。だけど、俺を守って死んだライガが生きてるなんて思わないだろ」

 カゲツが、ふーんと言って咎めるような視線を向けてくる。

「俺は、ライガを……見捨てたんだ。だから、俺は謝りたい。しっかり正面から逃げずに謝りたい」

 カゲツが椅子を揺らしながら腕を頭の後ろに回し、大儀そうに深呼吸をする。「もう五年も経ってるっていうのに、今更謝ってどうするんだい? 気がすむまで殴ってもらうとか?」カゲツはサンをちらりと見た。「でも、目覚めが悪いもんね。ならいい話があるよ。今月、戦技大会の表彰式がある。優勝者のテンライが欠席なんてしなければ会えるだろうね」

 サンは目を丸くさせるも、すぐに不安げにうな垂れた。カゲツが立ち上がり、部屋の窓を開け放つ。

「辛気臭いなぁ。せっかく生還したんだからもっとこう、喜ぶのも悪くないんじゃないの」

 部屋を駆け巡る風は、軽やかに滑らかだった。すでに土期は過ぎ、季節も変わっていたのだ。同じようにライガも変わっていた。俺は、変われたのだろうか、少しは強くなれたのだろうか。

 サンは楽しみ以上に膨らむ重い不安を抱きつつ、季節の変わり目の風の音を聴きながら寝台に寝転んだ。

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