三十四話
海桜町の横には幅の広い河が海に流れている。その河には上流からも海からも帆船や小型のプルーシオンが一年中行き来していた。帆船は商船がほとんどだった。中には漁に出る船もあるが、昼間に見られるのは商船ばかりだ。小型警備船プルーシオンが一隻巡回しているだけで、商船が多く係留している河岸はどこも賑やかだ。
カゲツの予選会場は、蒼龍ノ國の都〈龍流京〉にあるということで、門下生と師範代のジゲンの五人で小型のプルーシオンに乗って河を上っていた。プルーシオンは帆を必要とせず、速く進み止まることもでき、その場で転回できたりと帆船とは姿からして別物だ。主に軍用の船に使われるようで、民草は滅多に乗れるものではない。この興奮を無色にいるロジウスおじさんへの手紙にしたためよう。
サンはプルーシオンの船べりに頬を突いてすれ違う商船を眺めながら、横目で仲間たちを見た。門下生の二人は俺よりも年上で、いつも二人でいるから今更話しかけづらい。ジゲンさんはカゲツと話している。
ここ数日、というかあの試験以来カゲツと話しをしていなかった。数日経つというのに変な壁ができている。怪我をしたことについてカゲツが謝る必要もないし、俺もそんなのは望んでいない。ただの試験だったのに、なぜか話しかけられない空気が生まれてしまっていた。あの試験でのカゲツの顔が頭から離れない。冷淡で純粋に倒すことだけを考えていたような目には、なにも感じなかったのだ。それが心の中で突っかかっているのだろうか。
ジゲンさんは唸りながら船べりに手をついて、青ざめた顔で河を見ていた。カゲツの声が聞こえてくる。
「師範代、やっぱり陸路の方がよかったんじゃないですかね」
「ばか言え。どんだけ時間かかると思ってんだ」
「ですがその様子は」
「うるせぇ。船は嫌いなんだよ」
そうか、ジゲンさんがなんで道場の師範代なのかようやく理解できた気がする。蒼龍軍は海に出ることが多い。船嫌いなら、当然か。それにしてもつまらないな。
「船、すごいね」
その声に驚いて、サンは思わず聞き返してしまった。ばつが悪そうに視線を落としたカゲツが、船べりに寄りかかり横目で見てくる。
「船がすごいって言ったんだ。その、量がさ」
サンは行き来する船を見てから、プルーシオンの甲板を爪先で叩く。
「プルーシオンの方がすごくない?」
「かもね」
「なんだよ、初めて乗ったくせに粋がってるのか?」サンは意地悪くにんまりとしながら言うが、カゲツが無表情なのを見て言葉を呑み込み、すれ違う船に目を向けた。
「怪我はもう平気みたいだね」
「ん? あぁ、お前気にしてたのか? あれはれっきとした決闘と同じだったんだし、気に病むなよな」
カゲツが握った拳を船べりに落とす。その顔はこの世の終わりと言わんばかりに苦しみに歪んでいた。
「俺、あの時本当にお前を……。俺っておかしいのか?」
カゲツの目にはまるで救いの手を懇願する光があった。そう見えてしまった。サンはなにも考えずに言葉が出ていた。
「俺たちは武人だ。お前の意思が強いことが証明されたじゃないか。何かを守るだけの強さってやつなんじゃないか?」
サンは何かを心の中で掴みかけた気がして河を見る。強さ。師匠の言った本当の強さはその意思のことなのだろうか?
カゲツは握った拳をもう片方の手で隠すように覆って俯く。
「仲間を守るための強さなら、いいのかもしれないかな」
サンはカゲツの肩を揺らした。
「なに気弱になってんだ。戦技大会は死者も出るらしいぞ。そんな気弱じゃお前がやらるかもしれないだろ。応援してるからさ」
カゲツは弱々しく頷き、微笑んだ。
サンとカゲツは、今にも吐き出しそうなジゲンのもとに歩きながら、甲板に吹く風に襟を寄せる。土期の風は日を重ねるごとに肌を切り裂かんばかりに冷えていく。だがこの時だけはその風も許せそうな気がした。
プルーシオンの甲板から降りて一時間も経つというのに、未だに揺れている感覚が抜けずにいた。その足で歩く港は変わりばえのしない景観だった。無色の港よりかは比べ物にならないほどしっかりしているが、人足の姿に木造の桟橋、商人達の行き来する姿、蒼龍で見た港と変わらない。
だが、
「うっわー」
なめていた。
蒼龍ノ國の都がどことも変わらないなんてのはおかしい。俺達が降り立った港の入江は少し外にある支流だったのだ。ちょっとした坂道を越えて見えてきたのは、支流が繋がった大河と入り江に広がる壮大な港だった。ゆうに港町一個分はあるその港が、蒼龍ノ國の都〈龍流京〉の玄関だったのだ。
開いた口が塞がらない門下生の背中を音を立てて叩いたジゲンは、港の陸にある高い壁を指差した。
「あの壁の先が本物の京だぞお前ら。ここは玄関に過ぎないんだからな。あの先を見るなら――」ジゲンは壁の頂上を指差す。「――あそこからが最高の景色になるな。いくぞ田舎もんども」
ジゲンもやけに張り切った様子で門下生の前を大股で歩いていく。
これが玄関だっていうのか。サンは出てこない言葉を飲み込むとジゲンの後をついて歩いた。
木造だが分厚いという言葉では片づけられない防御壁の上は周遊路となっていた。低い狭間が端から端まで並び、等間隔で物見台が建っている。厚手の着物姿の男女が多く外国人の姿はない。家族も見られるが、どう見ても田舎から出てきてはしゃいでいる姿だ。
気持ちはわかる。眼下に広がる街の景趣は絢爛豪華の極みと言ってもおかしくない。街の中央は眩しく反射する黄金の瓦屋根で朱色の壁、黒く艶やかな柱、遠くから茫洋と見えるだけなのに、その贅沢さは喉を唸らせた。
中央が最も栄えているのだろう。端から端までが見えない広い京の全てを見下ろすように建っている巨大な塔が一番豪華だった。その塔には鱗を持ち厳めしく獰猛な顔つきをした、蛇にも似ているが腕と五本の爪をもった見たこともない生き物を象った翡翠の像が、塔を締め上げるように上へと延びていき、京を見下ろしている。あれこそが「ヴィアドラの象徴、蒼龍」
こぼれるサンの言葉にジゲンがしみじみと頷いた。
「そうだ。あのでかい建物が御役所だ」
「御役所ですか。あの蒼龍は京を護る存在ってことでしょうか」
「それよりも、あれは蒼龍ノ國の意地と誇りってとこだな。あの蒼龍の顔が向く方角は、烈刀士たちが守る壁の方を向いてる。もしも壁が陥落したら最初に襲われるのは蒼龍ノ國だからな。ここから先は通さない、ヴィアドラ最強のこの蒼龍がなって睨みをきかせてるんだ」
「んま、ヴィアドラ最強とはどこの國も言うけど、僕たち蒼龍が最強なのは間違いないね」
いきなり会話に入り込んできた声に門下生とジゲンは振り向いた。
その声の主を見たサンは眉を顰めた。俺たちと変わらないか同じ歳だろうに、似合わないほど立派な戦装束に身をつつんでいる。胸をはった高慢ちきな姿はやけに様になっていて鼻持ちならない。胸には金色の刺繍で〈龍天流〉という文字が描かれていた。
ジゲンが門下生たちを自分の後ろに下がらせて、その青年を見下ろした。青年は臆することなく毅然と、やや笑みを湛えて見返した。
「〈龍天流〉の門下生か。蒼龍一の流派の人間がどうしてこんな所にいるのかな?」
「我が師範の心配りですよ。僕が貴方達を予選会場まで案内するお役目をいただいたんです」
「そうか、それはありがたい。だが、そんな話は聞いていなくてな。よく俺たちを見つけられたな。早速目をつけられたかな?」
ジゲンが少しおどけたように肩を上げて言った。それに合わせて青年も笑う。
「いやいや、子供を数人引き連れて田舎者丸出しの空気見れば一発でわかりますよ。あ、自己紹介がまだでしたね。僕、ヒョウカイって言います。漣氷海です」
ジゲンが何かを解したのかのように喉を鳴らした。
「そうか。漣家の人間ってわけか。どうりで、家名とはいえその文字を背負うのも大変だろう若いのに」ヒョウカイの戦衣装の〈龍天流〉の文字を指で示す。「普通は実力で背負うものだからな」
ジゲンさんの言葉を一笑に付したヒョウカイの目には、決して好意的ではないものが宿っていた。
ヒョウカイはジゲンから目を逸らしてサン達の方を見た。
「無色流にも、無色から蒼龍に入った者がいるとか。その者の心配をした方がいいんじゃないですか? きっとなけなしの全財産をはたいて蒼龍に入れてもらったのでしょうから。そうでしょ、お若い師範さん」ヒョウカイはジゲンと視線を合わせる。
「ジゲンさんは師範代だ。師範が直々に足を運ぶわけないだろ。それに、俺が無色からきた人間だ。別になにも困っちゃいない」
ジゲンが苦笑じみた顔でサンの方を見た。ヒョウカイは何か面白いものでも拾ったかのようにジゲンの顔をみる。俺は口を挟まない方が良かったようだ。
「師範代でしたか。師範様は足を運ばないんですか。じゃあ、今頃道場で茶菓子でも愉しんでいらっしゃると。そうじゃないとおかしいですよね、まさか流派の一大行事に師範が足を運ばず仕事をしているなんてことはないでしょうから」
ヒョウカイはなにが楽しいのか、一人で嗤うと街の一角に立つ翡翠色の屋根をした城を指差した。
「あそこが予選出場者の受付場所です。僕の案内は終わったので失礼しますね」歩き出そうとした足を止めてジゲンを見ると、口を湿らせて一言付け加えた。「師範代さん、この子たちの面倒は見ておくので、お仕事に行ってきても大丈夫ですよ?」ヒョウカイは再び嗤いながら去っていった。
ジゲンが門下生たちの説明を求めるような顔に肩を落とす。
「普通は流派の行事には師範が顔を出すもんだ。俺たちのところは道場を存続させるための金が足りない。だからキリ師範は軍人もやっているんだ。カイロウもシブキも同じだ」
「じゃあ、他の師範はなにしてるんですか」
ジゲンが参ったと言わんばかりに自分の後頭部に手を置いて頭を仰け反らす。
「門下生に稽古つけてるんだよ! ちきしょう、あのガキなめやがって。おいカゲツ、戦技大会には必ずあの道場から一人は出てくる。サンのときみたいに再起不能なくらいやってやれ!」
カゲツは視線を足元に落としながら笑って頷いていた。きっとプルーシオンの甲板で気にしていたことを思い出してしまったのだろう。そんなカゲツの肩に手を置くと、サンはにやりと笑ってみせる。
「大丈夫だって。仲間を守るためならいいって自分で言ってただろ。俺は間違ってないと思うよ」
カゲツの俯きがちに見せた笑顔は、先ほどよりも本物っぽかった。




