三十三話
道場に集まっている門下生は四人しかいなかった。あとは荷物をまとめて道場から抜けたり、今日の試験の基準に達しなかったから破門されたのだ。どちらにしろ、今頃は家に帰っているのだろう。いったいどんな顔をして帰ったのだろうか。ロジウスおじさん達に、破門されましたなんて帰るくらいなら腹を切った方がましかもしれない。
サンは横を見た。今、俺を含め稽古場に並んでいる四人は〈無色流〉に残ることを許された者達だ。そして、今日のこの日に戦技大会出場者も決まる。出場でもすごいことなのだ。そうなれば律士への道も開ける。ロジウスおじさん達ともう一度暮らすんだ。今度は俺も力になって。
キリが修行に耐え抜いた門下生への賛辞を述べたあと、四人で戦い勝ち上がった者が出場者だと説明し、手が入るだけの穴が空いた箱を前に置いた。
くじ引きだ。だとしても、どのみちカゲツと戦うことにはなるだろうな。後の二人は剣気が使えない。技でも力でも上となれば敵にはならないはずだ。問題は、やっぱり……。そう考えて感じた視線をみると、カゲツもこっちを見ていた。きっと同じことを考えていたのだろう。
キリが全員に開くように言った。丸印とバツ印が書かれていたようで、俺は丸だ。
「それでは、対戦相手は決まったな。午後に場所を変えて試験を始める。試験に決まりはない。だが、それがしの〝やめ〟の声に逆らえばそのものは失格とする。よいな」
サンはカゲツと真剣な眼差しで目を合わせた。カゲツの目には静かな熱が宿っている。いや、変わらない決意と言うべきか、仲良しごっこをするつもりはない。そんなことを言いたげな目だ。
「カゲツ、俺は本気でいくからな」
サンは最初の対戦相手のカゲツにそう言うと、拳を突き出した。カゲツは拳を見ることなく、なにも言わないまま稽古場を後にした。
試験の場所は町を出てすぐの雪原だった。下の地面は踏み固められているのか、雪も浅く踏み込める。周りを見ると他の門下生も足場を確認していた。
「では、最初は丸組が始めよ」
いきなりか。戦う心の準備はしてきたはずなのに、この戦いでこの先が決まるのだと考えると、どうも腹の底が浮ついてしまう。
サンは頭を振って肩を回してぴょんぴょんと跳びはねる。大丈夫だ、いける。
二人は木刀を構えた。サンは二刀流の吊り劔、カゲツは一刀流の吊り劔。風もなく、二人の間には互いの息を探る静かな攻防が張り詰めているだけだった。
自分の中に湧き上がる気が消えないように、流れるせせらぎのように想像し、集中して体にめぐらせ続ける。体に漲るのを感じる。あと少しで引き絞られた矢のようになれる。
刹那、空気が変わったと思ったが遅かった。数歩離れて立っていたはずのカゲツが腰を落とし、眼前で木刀を横薙ぎに振り払おうと腰に構えていたのだ。
俺は驚愕に硬直するかと思われたが、頭の中が削れて火花を散らす感覚とともに咄嗟にこちらも腰を落とし、機先を制するべく放たれたカゲツの一太刀を躱すと咄嗟に距離をとった。
だめだ、あれで反撃するのが〈無色流〉なのに、驚いて距離を取るのが精一杯だった。カゲツめ、俺より先に剣気を練り上げたな。
カゲツが逃さないと言わんばかりに再び一歩で踏み込み攻撃を仕掛けてくる。攻撃をいなすので精一杯だ。カゲツの目は冷酷で、恐ろしいほどだった。淡々と攻撃を繰り出してくる。その時、頭の中で何かが弾けた。
道だ。型ではなく道。剣の技は命をとるまでの道のり。つまり道なのだ。師匠がそう言っていた。ならば、カゲツのこの目は俺を殺そうとしている?
身の毛がよだつとはこのことか、と戦闘中に冷静になっている自分に失笑するのと同時に怒りが沸いてきた。カゲツはあんなにも本気だっていうのに、俺はなにしてるんだ。
気合いを入れ直すためにサンは反撃に出た。カゲツは何かを感じ取ったのか飛びすさり距離をとって吊り劔の構えをとる。
「カゲツ、お前の意思、わかったよ」
「みたいだね。だけど、少し遅すぎたんじゃないかな」
カゲツが離れすぎている所で踏み込み、剣を横に薙ぎ払う。見えない何かが空気を歪ませ雪を撒き散らしながら近づいてくる。どうしようもないと感じて木刀を前に構えるも、何かが弾けたるような音を立てて折れる音がした。体の感覚がない。俺の骨が折れたのだろうか。やけに体が軽くて……。
目を開けると、そこは見慣れた自分の部屋だった。二段寝台の下が俺の寝台で、他の門下生の寝台の見慣れた骨組みがある。間違いなく俺の寝台だ。いつも上のやつがゴソゴソするたびにこの骨組みが軋むのだ。その上のやつももういないけど。
全身に激痛が走り息が止まると、続いて体が鐘になったかのように響く鈍痛が押し寄せてきて叫びそうになった。
何が起きたんだ、何が。そういえば今さっき嫌な夢を見ていた。カゲツが俺を殺そうとして、待てよ、違う。あれは試験だ。俺はカゲツに……負けたのか。
頭はどんどん冷静になっていくのに、鈍痛はひいていかない。なんだか無性に腹がたった。誰か教えてくれよ、どうなったんだ?
部屋に誰かが入ってくる音がして目を向ける。首を動かせば全身に痛みが走るので動かせないし声も出せない。
入ってきたのは、ジゲンとナガレだった。ナガレの視線とサンの視線があう。
「起きてるようですが」
「なに? おお、サン起きたか。調子はどうだ」
なにも答えられない。腹に力を入れるだけで痛みの予兆がくるのだから、これは無理だ。
「ジゲン、痛みで話せないんですよ」ナガレが体に手をかざし、頭からつま先まで手を動かした。「全身打撲に、脊髄がずれている。これは危ない。随分と丁重に運んできたようで」
ジゲンが目を逸らして頭を掻いた。その様子を見たナガレはなにも反応せずにサンに向き直る。
「サン。落ち着いてよく聞いてくださいね。この先、君は二度と立ち上がれないし男としての機能も果たせない。十六歳で真っ盛りな時期でしょうが、君は真面目そうなのできっと童貞でしょう。一生それを貫くことになる。刀も握れずに、それどころか自分の刀も握れずに一生を過ごすことになり、独りで死んでいくんです」
この人はなにを言っているんだ? どこを突っ込んでいいのかわからないほどに失礼だ。
ジゲンがため息をついて、次の瞬間、目には追えない速度でナガレの後頭部をひっぱたいた。反動でナガレの無表情の顔がサンの体に突っ込みサンは悶絶する。
「それで、本当のところはどうなんだ」
「いや、脊髄がずれているのは本当に危ないですよ。だけど、まぁ、大したことない。サン、痛むけど我慢するように」
ナガレの手から体の中に暖かい何かが流れ込むような感覚を感じた。必死に抵抗しようとするも為す術もなく、体の中を蹂躙されるような感覚に、ただ唸りながらナガレの手を見る他なかった。
強烈な痛みに力を入れて抵抗しようとする気持ちすらなくなり、意識が遠くなっていく。それは一瞬のようでとにかくゆっくりで、だけどやっぱり一瞬だった。その一瞬を越えて息ができるようになり、思わず飛び起きてナガレに精一杯の拒絶の色を湛えた目を向ける。
ナガレは無表情ですくっと立ち上がり、サンを紹介するかのごとく手を向けてジゲンに向き直る。
「治りましたよ。私はもう用済みですよね。それと、私の唯一の楽しみを壊さないでくれジゲン。これは本気だ。絶望に浸りきった負傷者の哀れな姿に、どん底に落ちて打ちひしがれ、懇願を捨てて散りゆく目の光が美しく愛おしいんだ。そこに私の救いの手、すなわち希望を灯してあげるんです。その時に流れる一筋の涙、それこそが幸せの結晶で、それが私の生き甲斐なんです」ナガレは残念そうに眉を落としてサンを見る。「この歳の青年達は今が人生の最高潮だと思うもの。この時に絶望を見せるのが最高なのに。まぁいいでしょう。他にまずい負傷者が出たらまた呼んでください」
そう言ってナガレは部屋を出て行った。ジゲンがサンを見て申し訳なさそうに肩を上げて見せた。
「悪いな。あんな性根だが、治癒の技は蒼龍軍の中でも抜きん出いているやつでな。お前の怪我はそこらの人には治せないって言われたから、あいつに頼るしかなくてな。気分はどうだ?」
信じられないことばかりだ。存在していいのかわからないほどの性根の腐った男が、一瞬で痛みを無くし、ここ最近一番調子がいいんじゃないかと思うくらいに体が軽い。そしてもう一つ信じられないというか、信じたくないことを聞かなければならない。
「おかげさまで、いいです。それより、師範代。その……」
「カゲツだ。出場者は、カゲツ。お前はカゲツに負けた。あいつもとんだ必殺技を身につけていたみたいだな」
「そうですか」
サンはへなへなと壁に寄りかかりながら腰を落とした。
「悔しいだろうが認めてやれ。応援してやれ。同じ仲間だ、いいな」
ジゲンにはいますぐ部屋から出て行って欲しかった。何か言葉を発すれば、情けないが泣いてしまいそうだ。
ジゲンが何か言おうとしたが、それを飲み込んで部屋から出て行った。
サンは力一杯膝を抱えると、歯をくいしばる。
「こんなところで」
小さく湿ったか弱き声音は、悔しさだけを残して空気に呑み込まれていった。




