三十一話
雪積もる峠を少し下った所で、岩に手を突いて座るカゲツは、背中にかけられた液体の痛みに震えながら、何が面白いのか笑いながら言った。
「見守るって言うのは、すぐにでも助けにこれる状態だからこそ言えることでしょう。シルティーナさんが言っているのは、傍観です。結局何もしなかったじゃないですか」
シルティーナは笑いながらカゲツの背中に手を添える。その手が触れたところの血が止まっていく。
「ちょっとひやひやしたわ。君があそこで彼を助けにいくとは思わなかったから。あれ、一体くらいなら放っておいても彼なら一人で対処できたと思うのだけど」
カゲツの視線を感じてサンは道の先を意味もなく眺めた。そうだ、俺一人でもなんとかなったはずだ。
「それが仲間ってものよね。昔アダーツィもわたしのことを庇ってね。あ、と言うか、サン」
呼ばれたサンは顔をわずかに向けて応えた。
「君、最後の霊獣を倒した時、神秘を使えてたはずよ。なにか感じたかしら?」
なんだって?
そう聞き返したくなり思わずシルティーナの顔を見るが、カゲツと目が合って再び目を逸らす。
「なんだいサン。俺に助けられて不本意って感じだ。気にすることはないさ。前の借りを返しただけだから」
「前の借りって、君がわたしに神秘を教えてくれってせがみにきた理由のこと?」
「シルティーナさん、その話はいいです」
「シーナでいいわ。でも、いいわねそういう友達」
前の借り。それでもそんな怪我を負う必要はなかったはずじゃないか。俺のせいで。サンは腕を組んで吐き捨てるようにため息をついた。
「それで、サン。シーナさんが訊いてるだろう? 火とか出したわけじゃないなら剣気ってことになる。なにか感じたのかい?」
サンはカゲツを見てからシーナの方を見た。
「ただ、怒りを感じてたんです。怒りまかせに剣を振るっただけです」
あんな姿を見たら師匠は怒るだろうな。腰が入っていない、膝を使えとか言われそうだ。
「それだわ。それこそが神秘の源であるオルスなの。オルスと気は〝魂〟と同じ。魂には感情が宿る。その躍動こそが力なの。サンも怒りでオルスを感じたのね」
サンの意味ありげな表情にシーナは頷いて見せた。カゲツの治療はひとまず終えたようだ。
「わたしも怒りでオルスを感じたわ。でも、怒りは簡単に力を呼び起こすけど制御が難しいの。だからサンは制御を覚えないとね。カゲツはあの危機的な中でなにか感じなかったかしら?」
カゲツは背中を伸ばして痛みがないか確認しながら、あっけらかんと笑ってみせる。
「俺は駄目みたいですね。やっぱり才能がないみたいで」その声には一種の自嘲のような諦めが感じられた。
シーナは面白そうに鼻を鳴らしながら、少し考えるようにカゲツの傷があった背中を眺めると、サンの方を見て立ち上がる。
「今日はもうおしまい。若い子は帰ってよく休みなさい」
「シーナさんだってそんなに歳変わらないですよね」カゲツが笑う。
「なに言ってるの? 君たち十六だったわね。十歳はわたしの方が上よ」
カゲツは眉を上げてシーナを見る。
「なに、その顔」
「もっと若いかと思って。なぁ、サン」
サンは答えずに坂を下り始める。
「お世辞が言えるくらいならもう平気ね。帰って二人で茶屋娘めぐりでもしてきなさいよ。わたしは用があるから失礼させてもらうわ」
シーナは、いつの間にか消えて再び影から現れた黒狼アダーツィとともに森の中へ入っていく。その背中をサンとカゲツは見送ると、黙って町を目指して歩き始めた。




