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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第七章 動き出す者達
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二十四話

 ヴィアドラの遥か西南に位置する、緑豊かなモルゲンレーテ地方。馬を乗り継いで一年はかかるその場所に、アルヴェ大陸最大の宗教国家、モルゲンレーテ星教国はあった。

 大陸神話〝五神〟のうちの一神、慈愛と断罪の女神サンアールが、山脈との間に築いたと云われる岩壁は、地面をそのまま突き上げたかの如く切り立った断面をしており、山ほどの高さがあった。

 二千年もの間一切の侵略を許さず、他国の人間はその内部を一切知らない。モルゲンレーテ星教国に入れるのは、各地に巡教している星官に選ばれた者のみで、出てきた者は一人もいなかった。世間では 人体実験を行っているとか、神の世界へと続く場所だとか、神そのものが住まう聖域などと噂されてきた。モルゲンレーテ星教国の壁を見ればその異様さの片鱗が見て取れる。門はなく狭間もないのだ。岩壁の前の土地だけ荒涼としており、そこには拠り所を失い、最後の希望を求めてモルゲンレーテ星教国へとやって来た者達の骨が数え切れぬほど散らばり、骨と皮となって餓死した者の小さな体が転がっている。無機質で巨大、かつ命を感じさせない壁はまさに断罪の姿だった。

 その神秘的なまでに秘密主義な岩壁を構えるモルゲンレーテ星教国の内部は、天然の壁に護られている。左右に切り立つ山脈を戴き、巨大な岩壁がその山脈にかかっているため、国は三角形の形をしていた。滑らかに削られた人の技とは思えぬ白亜岩の城や家が渦を巻くように建ち並ぶ。渦の中央には天を突き破る大星堂が、鋭いその身を捻りながら雲を突き破り聳える。大聖堂のその裾から広がるようにして白亜の建造物が存在していた。

 その大星堂までもが一つの岩を削ったかのごとく滑らかで繋ぎ目はない。陽の光に輝くのは空気を貫く銀一色。森の息づく様子が描かれた華やかなステンドグラスが大きな窓を飾り立てる。だが、静かな絢爛に輝くモルゲンレーテ星教国を彩る中には、まるで忌み嫌うかのように黄金が一切存在しなかった。

 その大星堂の中にあるタイル張りの広間に、五十人の高位星官達が整列していた。皆揃って背丈ほどもある長杖を地面に突き、それぞれの長杖の尖には宝石や珠がついていて装飾もばらばらだったが、こぞって美しい。だが纏ったローブにも長杖にも黄金は一つも使われていない。

 広間を見下ろす大きなステンドグラスの虹色の光を浴びる壇場に、一人の細身の老女がつこうとしていた。粛々と歩く姿は洞窟の冷たい風のよう。薄いブロンドの長髪を後ろできつく結わえ、老成な落ち着きを湛えた目には常に先を見る淡々としたものがある。その老女こそモルゲンレーテ二世。千年の時を生きる星教国の最高位星官であり、慈愛と断罪の女神サンアールからの啓示を伝える〝依り代〟であった。

 モルゲンレーテ二世は静かに口を開く。囁くように話すものの、その声はどこまでも響くかのように威厳に満ち溢れていた。

「慈愛と断罪の女神サンアール様からの啓示を授かりました。はるか南の〈再会の森〉がバルダス帝国に焼き払われて五年。枯れた地の山が息を吹き返し、大地が業火にさらされ、命の歯車に狂いが生じ始めています。凶兆の紫星が輝き、北の地では彼のもの達の動きが騒がしくなってきています。西のスバニア騎士国では、すでに戦いが始まっています。東のヴィアドラの地にも、やがて戦乱が訪れることでしょう」モルゲンレーテ二世は、蒼い眼で整列する星官達を見渡す。

「よって星天会議からの勅命を下します。西のスバニア騎士国、東のヴィアドラへ発ちなさい。彼のもの達は争いの権化、決して負けるわけにはいきません。命に代えてもです」

 広間に整列した高位星官達は規律の取れた動きで一斉に後ろを向いて、大星堂から出陣する。他の高位星官達よりも倍は歳を重ねた二人の高位星官を筆頭に、五十人の列が二つに別れ、町の中を凱旋して山のごとき岩壁の前に整列する。筆頭星官の二人が杖をかざすと岩壁の一部が崩れて洞窟が現れた。洞窟の先で外の光が小さく輝いているのを見て、未だ外の世界を知らぬ若い星官達の目には興奮が宿る。

 すべての隊列が外に出ると、二人の筆頭星官が崩れた岩壁に長杖を向けて念じながら動かす。すると、岩が宙を浮き音を立てて元の岩壁へと戻ってゆく。隊列の中の星官達から少なくない驚きの声がもれる。

 筆頭星官の一人は女で、岩壁の頂上を細い冷徹な目で見上げると、呆れたようにため息をついた。そのため息を鼻で嘲笑うもう一人の筆頭星官は男で、がっしりとした顎を持つ顔に笑みを浮かべた。

「そちらの問題に構っている暇はないのでな。我々は先に発つ。生きて帰ってこいタルワーニャ。うまくやれよ」

 タルワーニャと呼ばれた女性の筆頭星官は鋭い冷徹な目だけを横に動かし男の足元を見る。

「そちらも」

 男は歩き出し、二十五人の高位星官達を連れて骨と巡礼者の死体が転がる道を進んでいった。


 頂上で風を感じながら、一人の若い女が両手を上げて体をいっぱいに伸ばす。

「すっごく気持ちがいいわ。三年ぶりの外よ、アダーツィ」

 アダーツィと呼ばれたのは、人の頭の位置に肩がある艶やかで黒い巨狼だった。アダーツィと呼ばれた巨狼はその緑色の目を女に向けて同意するように唸った。

 女はすべて銀で作られたかのように見える長杖を背中に担ぐ。尖にある巨大なひし形のダイヤの珠が太陽の光を浴びて、鋭い輝きをいくつも放った。

 女は黒狼の背に飛び乗りしがみつく。「行きましょ」

 黒狼が垂直の岩壁を飛び降りる。ほんの少しの出っ張りに金属質の爪を立てて見事に岩壁を降りていく。

 頂上から見たときは黒い粒のようだったものがみるみる人の形へ変わっていく。そしてあっという間に地面に降り立った。女は興奮したように黒狼から飛び降りて、さっきまで立っていた岩壁を見上げて可憐な笑い声を上げた。

「シルティーナ」

 笑いを遮るようにしてタルワーニャが女を呼ぶ。反抗を認めない咎める声を聞いたシルティーナは黙って振り返り、片方の足を引いてローブの裾を少し持ち上げ、見事な礼をする。

「タルワーニャ様、遅れました。ごめんなさい」

「あなたの身分で今回の勅命を授かるのは異例のことです。依り代様もあなたの事を詳しくはお教えくださりませんでした」シルティーナの反省の篭っていないまっすぐな目をみて、タルワーニャは細い目を一瞬ぎらつかせた。「ま、このことはいいでしょう。これからは団体行動です。足並みを揃えるように。それと、飼い主の責任としてその霊獣のしつけはしっかりしてください」

 タルワーニャはきびきびとした動きで踵を返し隊列を率いる。

 シルティーナは黒狼のアダーツィの目を見て笑いを吹き出した。

「躾だって。いいアダーツィ? 飼い主の言うことはきくんですよ?」

 アダーツィは人間のように鼻で笑うとシルティーナの顔の前で歯を鳴らして見せた。

「ごめんごめん、冗談だよアダーツィ。それにしても、楽しみだね。あのヴィアドラだって」

 シルティーナはアダーツィの首に愛おしそうに頭をつけて撫でる。アダーツィは小さく笑うように唸ると、一人と一匹は隊列の一番後ろをついて歩き始めた。

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