二十三話
テットウはカシの死を聞いても眉一つ動かさずに「そうか」と言って毛のない頭の汗を手ぬぐいで拭った。どうやら仕事の最中だったらしく、弟子一人で平気だと言うものの中が気になるようで、手短になと言った。
キリがテットウに木箱を手渡した。テットウがその刀を手に持つ。師匠の愛・犠だった。テットウは刃を光にかざして観察する。一つ頷くと、刀を鞘におさめて誇らしく頷いた。
「あいつは信念を貫いたわけだ。愛と犠を振るう〝二本差し〟見事であった」
キリは疑問に首をかしげる。「と、言うと?」
「あいつは死ぬ気だったんだろう。守るために死があろうともその道を突き進んだ。愛と犠の道をな」
テットウはそう言って仕事場へ戻っていこう扉に手をかける。キリが一歩踏み出して食い下がった。
「どういうことだ。兄上はそれがしと戦い、死ぬき気だったと?」
「あぁ、今回の一件はすでに耳に入っておるわ。状況からしてお前と戦うことになるのはわかっておったはずだ。あいつがお前を殺すわけがない」
「なぜわかる。兄上はそれがしに刃を向けた。あれは本物の殺気であった。故にそれがしは斬ったのだ」
キリの言葉には隠しきれていない怒りが滲み出ていた。
テットウの視線がサンへと移る。
「小僧も黙っておるが、それは怒りゆえか」テットウが嘲笑うかのようにサンを見下ろす。
そうだよ、怒ってるんだよ。犠牲になるなんてことを考えた師匠にね。そう心の中で吐き捨てる。
「兄上は、死ぬ気だったと」キリの声は怒りに震えている。
「気に食わんか? まぁそれもそうか。お前はいつもカシのことを超えたがっていたものよな。心の底では、図らずも兄と剣を交え生き残ったことに満足感を得ているのではないか?」
サンはキリを見上げた。キリの目にはテットウの言ったことをまっすぐに否定する鋼の光を宿している。だが、強き否定の光の後に宿ったのは、弱々しい嘆きにも見えた。
「兄上は、最期までそれがしを認めなかったのか。どれだけ追おうと、それがしを対等には見てくれなかったのか。それももう叶わぬとは、なんと……」キリは拳を握り目を瞑る。
この人も一緒だ。二度と同じ時を過ごせない、その道を選んだ師匠に怒っている。犠牲の道を。
テットウがキリの肩を叩く。
「お前もあいつのことを愛しておったのだな。だが、兄とはそういうものだ。弟は守るべき存在であると言うことを忘れられない。たとえ対等に見ようとしても、気づけば守ろうとして反感を食らうものだ。許してやれ」
「思い返せばそれがしが兄上に優ったことなどなかった。いや、一つだけあるか」キリは自分の戦装束を指でなぞる。
テットウが指を立てて首を振る。
「二十年前、カシではなくお前が蒼龍に見出された話なら、それは間違っておるぞ。蒼龍に見出されたのはカシだ。シトウが可愛がってるお前を心配して、カシにキリを蒼龍に行かせてやりたいと頼んだ。カシがそれを承諾しただけだ。カシとシトウは嘘をついて、カシの功績をお前のものにしたんだ」テットウはそう言って笑う。「あいつはとんでもなく人を振り回すやつだな」そう言ってテットウは刀を鞘に納める。「受け取るもんは受け取った。わしは仕事に戻る」
鍛冶場に戻ろうするテットウの背にサンは訊く。
「その刀、俺が強くなれば引き継げるんでしょ」
「強くなる?」テットウは扉を向いたまま挑発的に笑った。
「師匠も犠牲になった。俺はそれは本当の強さだと思わない。腹が立つ。俺は守るために犠牲にもならないくらい強くなる。そうなったら、その師匠の刀、俺が引き継いでもいいんでしょ」守るもの。大切なもの。ロジウスとツバキの顔が心に浮かぶ。
テットウは鼻で嗤い肩越しにサンを見る。
「強さってのは探して見つかるものでも、求めてやってくるものではない。自ずと心から湧き立つものよ。今のおぬしには、無理だのぉ」
ぴしゃりと音を立てて閉められた扉を見ながら、サンは固く拳を握りしめた。
「強くなってやる」
隣に立つキリも何かを決意したように地面に目を落としていた。そして、小さく笑いサンの頭を励ますように叩くと、テットウの家から出て行った。
無色の港町に戻り、別れ際にキリはサンを呼び止めた。
「サン、あれから考えてな。それがしの願いを聞いてくれんか」
サンはキリの願いを聞くと、時間が欲しいと言って別れた。
ロジウスの家に着くと、あの罪深い椅子に座り一息つく。目の前の食卓に座るロジウスとツバキはサンの言葉を静かに待っている。
話がある。
そう言った時、二人は嫌な予感を隠すことなくそわついた。長い沈黙の後、キリの願いを二人に話すと、ロジウスは深く腰を落として少しの動揺を見せた。ツバキは話を聞く時と変わらず、静かな、それでいて真剣な眼差しを机に落としている。
「後見人となり、お前さんを蒼龍にか」ロジウスは指をそわそわと動かして隣に座るツバキを見る。「私はな、お前さんがよければ、養子に迎えたいと思っている。私達と暮らさないか?」
サンはカシが死んでから、初めて暖かいものを感じた。思わず涙が溢れそうになり、ぐっと堪える。だが暖かなものを得た心までを抑えるのは無理だった。自然と笑みがこぼれると、サンは頷く。
指をそわそわとさせていたロジウスは緊張した顔に花を咲かせて手を叩くと、喜びの笑いをあげてツバキの方を見た。喜ぶと思われたツバキはしかし、変わらず真剣な眼差しを机に落としていた。先と違うのは力が入った手ぐらいだろう。
「駄目です」
ロジウスは呆れが混ざった疑問に揺れる声で訊き返した。サンも同様に、そのあとの言葉を待って唾を飲み込む。
「無色より、蒼龍の方がいい暮らしができます。サンちゃん。この無色にいてもなにも変らないのよ。蒼龍にいた方が、あなたは幸せになれる。しっかりと先を見なさい」
「ツバキ、お前なにを言っているのだ。養子にする提案はお前が……」ロジウスはツバキの鋼鉄の金槌のように重く下げられた視線を見て、言葉を切った。そして空気を切り捨てるかの如く席を立ち何処かへ行ってしまった。
先のこと。確かに、俺はこのままいて二人に何か恩返しができるんだろうか。修行も途中で、たいして強くもない。大切な人達を守れるんだろうか。
ツバキの目は届かないものを見るかのように悲しみに溢れていた。サンはその目を見て悟らざるを得なかった。いまさっきの言葉はツバキさんの本心じゃないんだ。俺のことを考えてくれているんだ。自分の気持ちを押し殺して俺のことだけを。
ツバキは震えるのを恐れているかのようにゆっくりと息を吐く。その目にはいまにも零れそうなほどに雫をたたえている。
「サンちゃん。よく考えてね。私たちはあなたを愛してるわ。だからこそ、あなたに幸せになって欲しい。あなたの答えが決まったらでいいから、教えてね」
そう言ってツバキも席を立つ。
一人、静寂だけが寄り添う居間の中、サンは膝に頭を乗せて目を瞑った。
俺がどうしたいか。大切なものを守るために強くなりたい。犠牲をねじ伏せるくらいに。だけど、大切な人達とも一緒にいたい。サンは手を強く握りしめる。俺はどうしたい?
焚き火の明かりの中に答えを探すように、サンは揺らめく炎を眺めた。
港に留まった背の低い帆のない流線型の船、プルーシオンと呼ばれる狩猟船へと続く渡し板の上に立ったサンは、冷たい肌を裂くような風を胸いっぱいに吸い込み振り返った。ロジウス夫妻が身を寄せ合い、手を振ってくれている。貼り紙と郵便の仲間達、よく買いに行っていた八百屋のおじさんおばさんまでもが見送りにきてくれていた。
ロジウスとツバキの淋しそうに微笑む顔を見て胸が詰まる。だけど決めたんだ。俺は戻ってくるために、決めたんだ。
数日前。その覚悟の日を思い返し、サンは目を閉じて深呼吸した。
その日はロジウスの家の庭で久しぶりに稽古をしていたところで、答えを訊きにキリがやってきたのだ。
「サン、精をだしているな。どうだ、それがしの話、考えてはくれたか?」
サンは汗だくの額を拭い、再び木刀を振る。
「それがしはな、兄上が遺したお前を、兄上ができなかったことを引き継ぎたいのだ。お前を育てることだ。兄上からもお前のことを少し聞いてな。力を求めているとな。それがしの元にくれば兄上ほどではないが〈無色流〉の稽古をつけられる」
サンは手を止めてキリの顔を見た。
「俺は、わからないんです。ロジウスおじさん達と一緒に暮らしたい。だけど、今のままじゃなにも力になれない。今の俺にはなにもない。二人はそれでも良いって思ってくれてる。だけど、それじゃ駄目なんだ」強くならないと。今度は俺が誰かを悲しませることになる。ライガや、師匠のように。「キリさんは言いましたよね。この無色は変わるって。師匠が変えたそれを俺は守りたい。だから、俺は律士になりたい」
キリは綺麗に髭が剃られた顎を撫でて考える。そして頷くと口を開いた。
「道場で認められれば軍への推薦が得られる。律士とは軍に入れなかった者たちが行くような場所だぞ。更なる力を求めるのであれば軍を目指すのがよい」
「軍の人は街の中で見ないよ。律士なら町の治安を守れる。だから、俺は律士になりたい。キリさんの道場に行けば俺は律士になれる?」
サンは手を止めてキリを見て訊いた。キリは頷くとともに真剣な眼差しを向ける。
「鍛錬を惜しまず努力し結果を出せば叶うだろう。それがしはお前を育てることが兄上への恩返しだと、また兄上への挑戦へと思っているからな。お前をこねで律士にする約束はできん。なりたければ摑み取れ」
サンは再び木刀を構える。
「キリさん。俺、行きます」
「そうか。では、明後日出立だ」
目を開けたサンは、寒い中集まってくれている皆の顔を見て頷く。あの時の覚悟は少しも変わらず今も胸で熱く燃えている。胸を掴み、ロジウスやツバキ、見送りにきてくれている人達に手を上げて応える。
「行ってきます!」
一陣の風に背中を押されるように、サンはプルーシオンに乗り込む。カイロウが挑戦的な笑みを浮かべて歓迎の言葉を述べ、シブキは律儀に礼をしてよろしくと言った。
これから始まるのだ。俺の戦いが。本当の強さを持った者になって、大切なものを守る。そこへ続く道が。