二十一話
寒い日ではあるが、広場は人の熱気か祭りの熱気か、そこまで寒くも感じなかった。温かい酒や飲み物、食べ物の屋台が所狭しと並び、演台では化粧をした女性達が美しい舞踊を笛や太鼓の音に合わせて披露している。
演芸師が世にも奇妙な体を分裂する見世物や、火を踊らせる技を見せたりと、見るところがたくさんあり、サンは瞬きすら惜しみながらロジウス達と屋台を巡っては食べて飲んで余興を楽しんだ。
中央の一番大きな舞台では、迎謝祭のゆかりとなった物語披露されていて、多くの人の目を惹きつけている。黒い姿をした腕が四本もある悪しき者、鬼。その形相は金色の目に金色の牙をもって禍々しく表現されている。あれが寓話に出てくる鬼の正体か。
月も傾いてきたというのに、祭りは終わる兆しを見せなかった。これが三日三晩続くのだ。
近くには三重塔があり、彩られた提灯が均等に飾られていて、普段の物静かな姿からは想像できないほどに賑やかだった。
その三重塔の一番上から、戸を突き破り落下してくる影があった。人だ。いきなり人が落ちてくるなんていう現実味のない光景に、ただ呆けた眼差しを送ることしかできない。だが、続いて三つの人影が屋根を伝って落ちてきたのを見て、本当に人だったと理解が追いつく。
最初の影は、下にあった屋台の天幕に落ちて、硝子や木が折れる派手な音を立てた。三つの影は屋根を伝い飛び降りてくる。律士の甲高い笛の音が響き、周囲の人々はめでたい祭りの空気に緩んだ顔で何事かと視線を泳がせている。
サンは三つの影が持つ棒が銀色の輝きを反射したのを見逃さなかった。あれは間違いなく刀だ。
「やれやれ、恒例の厄介ごとが起きたな。サン、私たちから離れるんじゃないぞ。さぁ、こっちに行こう」
ロジウスが手を掴んで引いてくる。さっきの影が人混みをかき分けて進んでいるのが見える。姿がちらりと見えて、サンはロジウスの引く手に抗った。
黒い戦装束に、黒い笠。夕黒だ。なら、追っている三人はキリさん達なんじゃ……。
サンはロジウスとツバキに振り返ると、申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめん、俺行ってくる」
壱両。それだけあれば、師匠と真っ当に暮らせる。壱両でなくとも貢献すれば幾らかは手に入るはずだ。そうすれば、師匠も辛そうな体で人斬りなんてしなくて済むんだ。二人で、親子で暮らせるんだ。
人混みをかき分けて影を追う後ろ姿はやはりキリさん達によく似ていた。サンも急いでそのあとを追う。人気の全くない夜の不気味な街の中を走った。町の温もりは全て祭りに行ったのだろう。まるで死んだ町だ。硝子を嵌めた引き戸なのに、店の中は見えない。雪を踏みしめる音がやけに響いた。
三人はどうやら港に向かっているようだった。きっと港に着けば戦闘が始まる。そうなれば、あの三人のうち、誰かが死ぬ。
カゲムネをいとも簡単に斬り伏せた夕黒の強さを思い返し、サンは焦燥から怒りの息をを吐き出す。気づけば霊通石を握って念じていた。
師匠、師匠、師匠。助けにこないと、弟さんが死んじゃうかもしれない。
なにも返ってこないその石をどこかに叩きつけたくなった。そこであの感覚がやってきた。石の中に入っていけるような……。
〝サン〟
サンは思わず走るのをやめて霊通石に話しかける。
「師匠! いま大変なんだよ。夕黒が現れて、キリさん達が追ってる! だけど、三人じゃ駄目だ。キリさん達が死んじゃう。師匠の弟が死んじゃうよ!」
〝大丈夫だ。心配するな、キリを殺させはせん〟
「キリさん達を助けに行ってあげて! いま、港の方に向かってるみたい」
〝わかったわかった。サン、おぬしのことだ。首を突っ込んではおらぬか〟
サンは黙る。
〝顔が見えなくてもわかるぞサン。よいか、そこには行くな。なにがあるかわからぬ〟
「わかったよ、大人しくしてる。帰ってきてね。みんなで、キリさん達も一緒に、みんなで祭りに行こうよ」
〝サン、時間がない。いいか、強くあれ。己を信じよ〟
「え?」
それっきり、カシからの通信は消えてしまった。
サンは手に入る賞金のことを考えて気を引き締めた。師匠を驚かせてやる。帰ってきたら大金を目の前に師匠はなんて言うだろうか。
サンは港に向かって人のいない夜の通りを駆け出した。
港は提灯が揺れているだけで静かだった。やけに今日は冷える。港沿いの広場に辿り着くと、二人の男が倒れていた。
サンは急いで駆け寄り、二人の顔を見て息を呑む。
「カイロウさん、シブキさん」
サンに気づいたカイロウがうめき声をあげて顔をあげた。
「あいつは化けもんみたいな強さだな。俺たちはしばらく動くことができん」
見たところ血も流れていない。シブキさんは固く目を瞑り、冷や汗をかきながらみぞおちを押さえて悶絶している。カイロウさんは気丈にも笑みを滲ませたが、同じように辛そうだ。
「早く応援を」
サンは背後の街の通りに、提灯の灯りの行列が急いで近づいてくるのを見た。律士だ。二人に律士がくることを伝えると、雪の上に残っている荒れた足跡を追って歩き始める。後ろでカイロウの「行くな」と言う声を背中で受けてサンは走った。
異様な寒さの正体は雪の前兆だった。風の吹かない中、羽毛のような雪が静かに降りそそいでいる。
港に着くなり、桟橋近くで二つの影が動いているのが目に入った。その二つの影はぶつかり合い、その衝撃に周囲の雪が舞い上がる。鍔迫り合いから剣技の打ち合いになり、刀のぶつかる音が夜の港に響く。
一刀流夕黒、対するは二刀流キリ。キリは肩を上下させて白い息を激しく吐いている。それなのに、夕黒は刀を構えることもなく、刀を横に垂らして吊り劔のように立っていた。余裕綽々としたその姿は挑発そのものだ。
キリは再び斬りつける。カシと見間違うほど似た落桜ノ舞を繰り出すも、夕黒はこれを軽々と躱して見せる。気迫の声を張り上げたキリの一撃で、夕黒は飛び退った。
夕黒の戦装束の腕の部分に血が滲んでいた。躱しきれなかったのだ。キリさんにもまだ勝機はあるんだ。サンはそう考えながらも、イライラと唇を噛んだ。
「師匠はどこにいるんだよ。こんなの見てられない」
夕黒とキリはぎりぎりの攻防戦を繰り広げる。キリの剣が弾かれて、カゲムネの二の舞になると直感が告げて思わず目を瞑りたくなった。だが、キリは見事な踏ん張りと身のこなしで夕黒の剣を間一髪で凌いでいく。キリはそのまま押され続け壁にぶつかり体勢を崩した。
「師匠! はやく!」サンは霊通石を強く握りしめて叫んだ。
なにがあったか、夕黒の刀が弾かれて宙を回転してサンの目の前に突き立った。キリが間一髪のところで刀を切り返し夕黒の刀を弾くと、一太刀に斬り伏せたのだった。夕黒が一歩後ずさると、膝から地面に崩れ落ちていく。
サンはキリに駆け寄ろうと夕黒の刀の横を通り過ぎる。その刀の装飾を目にして寒さとは別のものに体の毛が逆立つのを感じた。
散り桜。
確かに見たことのあるその装飾、鎺には精巧に彫られた花、刃の根元には舞い散る花弁とともに描かれた桜の木。
見間違えだ。
サンは願いとともに振り返り刀を見る。間違ってあってくれ。
「なぜだ!」
背後で響く怒りと動揺に揺れたキリの声に、サンは苦々しい事実を受け入れる覚悟のないまま振り返った。キリが夕黒の黒い笠を手に持ち、それを力なく指から滑らせて笠が雪面に落ちる。
サンは近づきたくなかった。サンに気づいたキリが表情を苦痛に歪ませその場に膝をつく。
近づきたくない。それでも足が動く。雪の冷たさのようになにも考えず、夕黒の倒れた顔を見る。
間違いなかった。
「師匠、なんで?」
「なぜだ、兄上」
サンとキリは夕黒の傍に膝をついて虫の息の夕黒、カシに訊いた。
カシは空を見上げて晴れやかに微笑んだ。「守るもののために……選んださだめよ」
そう言ってカシは二人の頬に手を添える。
「キリよ、立派になったな。師匠も喜ぶだろう」カシは咳き込み、サンを見る。「すまぬ。駄目な師匠であった」
サンは涙を溢れさせてたまるかと、息を殺し拳を握りしめてカシの顔を見下ろした。
「なんでなんだよ、師匠」
絞り出した声は怒りに震えていた。




