表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第一章 初めてのぬくもり
2/107

二話

 仕事の終了を伝える親の号令とともに、腹の嘆きが体に響きわたり胃がよじれる感覚がやってくる。この後の点呼から食事までの時間の空腹が一番辛い。

 号令がかかると、少年達は駆け足で整列した。ライガに連れられて並んだ場所には、体格の良い少年がいる。こういう奴は嫌いだ。人の食事や寝床を我が物顔で奪ってくるやつがほとんだ。なるべく目を合わせないようにしよう。サンは体格の良い少年の顔を覚えると、真っ直ぐ正面を見据えた。よそ見をしているのが見つかって、親に怒鳴られるのはごめんだ。

 親が少年の人数と体の状態を確認していく。その場所から少し離れた小屋の前に、昼に見た商人が親の一人と話していた。ライガの方――もしかしたらその隣のいじめっ子みたいなやつかもしれない――を指差して何かを話している。

 突如隣で怒声が響き、サンはこれ以上伸ばしようがない背筋を緊張させながら横を見た。驚いたことに、ライガが体格の良い少年に殴りかかっていた。

 サンはポカンと口を開けて止めることもできずにただ眺めた。慌てて周りを見るが、他の少年たちも驚きに顔を白くさせているだけで、すぐに関係ないとばかりに視線を前に戻した。サンもそれに倣って前を向いた。横からライガと少年が静かに吼えるような険悪な吐息が聞こえてくる。

 気になって仕方がない。今日のライガはどうしたっていうんだ。止めるべきかもしれない。そう考えながら横目で見てみる。

 ライガは少年に跨り、顔に叩き落とすように拳を数発振りおろす。少年が唸り声をあげてライガをどかし、よろめきながら立ち上がってみせるが、ひどく困惑しているようだった。ライガに殴られた部分を押さえていた自分の手が血だらけになっているのを見て、困惑から怒りに変わったのが見ていて伝わってくる。これ以上は見てられない。

 ライガは少しおかしいところがあるとは思っていた。よく、「外の世界はな、なんでもあるんだぜ」と、寝る前に知りもしない外の世界を丸太の壁の外の話しをしてみせた。いい子守唄程度としか聞いていなかったけど。

 激しくなる吐息と人のぶつかり合う音に我慢できずもう一度みると、ライガが少年に再び飛びかかっているところだった。少年は踏ん張り、怒りに歯を剥き出してライガを持ち上げて地面に叩きつけ、上に跨るとライガの腕を掴んで押さえこもうとしている。

 ライガのことをおかしいという思いは、初めて妖魔を見たときに確信に変わったっけ。あの毛むくじゃらの人みたいな怪物が侵入したとき、みんなが恐怖に怯える中、ライガだけは「ほら見ろよ、外にはあんなに面白いもんもいるんだぜ」と言って目を爛々とさせていたのだ。そのおかしさが今日、頂点に達してしまったんだろう。だからライガは意味もわからない喧嘩を始めてしまった。

 そこでようやく親がやってきて、ライガの上にいる少年の顔を蹴り上げ、地面に倒れているライガを立たせると、その顎を殴った。ライガは手をだらんと下げてふらふらと地面に倒れ何度も立とうとするが、まるで壊れてしまったかのように何度も転ぶ。白目を剥いたその様子を見て、サンは背筋が凍り息ができなくなる。ライガは殺されてしまうのではないか。

 サンは慌てて視線を前に戻した。

 離れたところから拍手が聞こえてきた。さっきの商人が嬉しそうに手を叩いている。もう意味がわからない。ライガは狂い、その様子を喜ぶ商人。

 ライガが死んじゃう。

 ライガと少年は親に引きずられて、親たちがいる小屋へと連れて行かれてしまった。


 サンは、粥を食べる時も、少年達の寝床である壁のない小屋に横になった後も、寂しさと不安に体が落ち着かず、胃は浮いているような気分だった。どこも怪我をしていないのに、胸の中が締め上げられて息ができなくなる。勝手に目から涙がこぼれてきて視界が歪み、声を殺そうにも抑えきれない。静かに寝なければいけないのに。あぁ、ライガ、お別れも言えないなんて。

 その時、背中を突かれてサンは跳び上がった。急いで涙と鼻水を拭い、息を止めて振り返る。そこには動揺と不安を湛えた目を、せわしなく動かす一つか二つほど歳下の少年がいた。

「僕たちの兄ちゃんはどこ?」

「え?」なにを言っているのかわからなかった。僕たちの兄ちゃんって誰のことなのか。俺に兄弟はいない。

「君の兄ちゃんと僕の兄ちゃん喧嘩したんでしょう? 二人はどこ?」

 ライガを俺の兄と勘違いしたのか。ライガは俺の親友だ。

「ライガは兄じゃないよ。二人は親に連れてかれて、今生きてるかどうか」最後の言葉を口にするのには勇気が必要だった。言った後に胸焼けがする。

「さっき歩いてたじゃん、夕食の前に。だから僕のお兄ちゃんのこと知ってるかなって」 

 サンは胸がいっぱいになるのと同時に胃が重くなるような安堵感を覚える。「ライガが無事? 歩いてたんだな? あぁ、よかった」

 その時、小屋の見回りか、一人の親が提灯を手に歩いてきた。二人は死んだように息を殺して寝そべる。話しているのが見つかったら連れていかれる。何をされるかはわからないが、無事ではすまないのは確かだ。

 親の不規則な足音と、時折しゃっくりが聞こえてくる。しゃっくりの音にびっくりして心臓が跳ね上がった。はやくどっかに行ってくれ。別になにもしていない俺でこれだ。すぐ隣にいる少年は大丈夫だろうか?

 足音が通りすがり音が聞こえなくなっても、二人はしばらく動かなかった。ようやくサンは目を開けて、少年に顔を向けようとして思わず硬直する。誰かが自分を見下ろしている。

「サン、起きてるか?」

 その聞き覚えのある声に安堵し体から力が抜けていく。同時にサンは声の主、ライガをこてんぱんに叩きたくなった。なんであんなことをしたんだ、一体何を考えているんだと。だけど生きててよかった。こんなに心配したのに飄々としちゃってさ。

 隣で少年が起き上がり、兄はどこかとライガに訊くが、ライガは顔をしかめただけでサンに向き直る。

「うまくいったかもしれねーぞ」

 なにが? と聞こうとしたところで、提灯の明かりが小屋を曲がって帰ってくるのが見え、三人はさっとその場に伏せて息を殺した。俺は寝てる、俺は寝てる。必死に暗示をかけるように心の中で唱える。

 足音が近づいてくる。早くどこかに行ってくれ。

 親の足音は三人のすぐ近くで止まり、聞き取れない言葉でぶつぶつと何かをつぶやいている。そして黙ったかと思うと、鼻を突く臭いが飛沫となってサンの顔に降りかかった。

 この酔っ払いめ! 俺たちの小屋の柱で用をたすなんてあんまりだ!

 今すぐに拭いたい衝動と戦っていると、気持ち良さそうに男が息をつくのが聞こえてきた。

 続いて細い喉を通るかのような小さな甲高い声が一瞬聞こえた。と、同時に瞼越しに感じていた提灯の明かりが地面に落ちる音が聞こえてきた。何が起きたのだろうか。気づかれないように目を細めて見てみると、親の体が地面い倒れこみ、その横に静かに立つ別の男がいた。

 親とは違う、布に革を縫い付けたような服を着ていて、その手には何か滴る武器が、幅の広い刀が握られていた。あれは血だ。この服装は親じゃない、昼間に商人とやってきた男だ。

 突如、男に向かって影が飛びかかる。ライガだった。

「サン! 手伝え!」

 ライガは有無を言わせない声で言う。男が舌打ちをしてライガを振り払おうと武器を持っていない手でライガの顔を掴む。男の唸り声が聞こえると、ライガは飛び退った。男は怒りを抑えた罵声を喚きながら、先ほどまでライガの顔を掴んでいた手を押さえている。

 飛び退ったライガは何かを吐き捨てた。地面に転がったそれは、指だ。ライガは男の指を噛みちぎったんだ。ライガが再び飛びかかり、男が刀を前にしてライガをふさぎ止める。あの男はなぜ刀を使わないんだ?

 ライガが振り払われたと同時に、サンの足元に重い音を立てて黒光りする何かが落ちた。

 サンはそれを見て、足から血が引いていくのを感じる。落ちてきたそれは短刀で、液体がついている。提灯の明かりに照らされてそれがなんだかを理解する。これは血だ、一体誰の血?

 脇腹を押さえたライガが吼える。「それでやれ、サン!」

 刹那、男と目が合った。暗闇の中でも男の顔が怒りに燃えているのがわかる。足が動かない。男の獰猛な笑みが、地面に落ちて燃える提灯の灯りに浮かび上がる。

 俺はここで殺される。

 男が動くよりも早く、ライガが再び男に飛びつき、目をほじくらんと執拗に顔に爪を立てて男とライガが地面に倒れこむ。

「そいつでやっちまえ! 一緒にここから逃げるんだサン! 外の世界に行くんだ!」

 サンは短刀を手に取る。ずっしりと重い。震え止めようとする手も震えてしまう。ライガの痛みに耐える燃えるような唸り声が聞こえてくる。隣の少年は腰が抜けたようで泣きながらサンを見上げている。

 どうしよう、どうしよう。

 サンの震える手から短刀がもぎり取られ、サンは息をのんだ。どこから現れたのか、短刀を奪った体格の良い少年が、迷わず近づき男に短刀を突き刺した。引き抜き、もう一度突き立てる。突き立てた短刀を捻るように何度も動かすと、二人の少年に乗りかかれていた男は小刻みに震えて動かなくなった。

 ライガが地面に転がり、煩く荒い息を繰り返す。短刀を突き立てた少年は、男が再び動くのを恐れているのか、息を荒くさせたまま未だに覆いかぶさるように短剣を突き立てて動かない。

「兄ちゃん!」

 怯えていた少年が短刀を突き立てて動かない兄に走り寄っていった。ライガが立ち上がり、動かない少年の肩を叩く。

「もう死んでるぞ」

 ライガはサンのもとに来ると、どさりと地面に腰を下ろし、仰け反り後ろに手を突いて夜空を見上げた。

「ちくしょう、計画が狂っちまった。本当は今日きた商人に買われて、ここから出るはずだった。あの商人、値段に納得いかない様子だったが、どうやら俺たちを黙って連れ去ろうとしたみたいだな。まぁ失敗に終わったけどな。ここからは穏便に出られそうにないし、これが見つかったら間違いなく殺される。逃げるぞサン。ここから出るんだ」

 なにを言ってるんだライガ。そう言いたかったが、男の死体を見てそんなことは言えない。どんな理由も親は受け付けないだろう。それどころか、これを見てた子供たちを片っ端から鞭で打つかもしれない。今すぐここから離れないと。

 倒れた男を横目で見ながら、体格の良い少年がライガの肩に手をかける。「おい、待てよ。殺したのは俺だ、逃げるなら俺たちも一緒に行く」

 体格の良い少年はライガに喧嘩を売られた不幸な少年だった。血の滴る短刀を握る手は震えていない。

 ライガは少年の目を見上げて真っ直ぐと見据えると、ちらりと手の短刀に目を走らせてからサンを見た。少年に目を戻すと、めんどくさそうにため息をつく。

「いいぜ、お前がやってくれなきゃどうなってたかわからねぇしな。俺はずっと前から逃げる方法も考えてた。ついてくるなら俺の言う通りにしろよ」

「それでいい。お前、名前は?」

「知ってどうするよ」

「俺はゴウダ、弟はナンダだ」

「そうかよ。次は好きな食いもんでも言うのか? こっちは時間がねぇんだ」

 ゴウダは気にいらなさそうに眉を寄せながら頷く。ゴウダは外見に似合わずとっつきやすそうだ。

「俺はサン」

「ゴウダだ」ゴウダは四角い顎をもつ大人びた顔に笑みを湛える。

 ナンダも気丈にも強張った笑顔をつくって名乗ってきた。この兄弟は悪い人達じゃなさそうだ。なんでライガはあんなにつんけんするんだろうか。

 三人はライガ先導のもと、二つの月に照らされた鉱山を走った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ