十九話
町での用が終わって帰る道中まで、サンはろくに会話をする気にならなかった。
気分は最悪だ。あの少女、カグラの言葉には責められているような気さえ覚えたのだ。
〝人は罪深い。黄金の褥で眠り、笑う〟
どんな意味があるのだろうか。黄金の褥といったら、趣味の悪い皇帝とか王様とか、そんな人間が好みそうなものだが。
気が浮かばず、口数も少ない俺を気遣ってくれたのか、師匠は団子の包みを取り出し、短い言葉で団子の種類をしてくれた。
普段そんなことを話さないからなのか、師匠の団子の表現は刀の切れ味に例えたりと無理のあるもので、おかげで少しばかり元気になった。
団子を頬張り町を出て寂れた森を歩いていると、幾分か気持ちが落ち着いてきた。
前を歩くカシが担いでいる長細い木の箱を見たサンは首を傾げた。
「師匠、その背負ってるやつって、刀?」
カシは足を止めて振り返り、サンの表情をじっと見つめた。
「あ、もう大丈夫。落ち着いたから、心配かけてごめん」
カシは鼻を鳴らし、再び歩き始める。
「刀だ。見繕ってくれと、とある商人に頼まれたゆえ、拙者のではない」
「へぇ、どんなの買ったの? 銘はあるの?」
「〝散り桜〟テットウ殿が打った逸品だ」
「見せて」
「駄目だ」
サンは「ちぇっ」と言って、雪をかき集めカシの背中に投げつけた。
カシはそれを見ないで避ける。サンはそれから隙あらば投げつけたが、結局一つも当たらなかった。
その夜、夜の森にカシの落ち着いた寝息と、焚き火の爆ぜる音だけが聞こえるくらいになった頃、サンはカシの荷物をそっと手元に寄せて、木箱の包を開けて刀を取り出す。
ずっしりと重いが、予想よりも軽かった。そっと鞘から抜こうとするが、なかなか抜けない。
よく見てみると、鐔には桜の木と池が装飾されている。グッと力を入れて抜くと、鎺には七枚の花弁を持つヴィアドラ桜の花が、今にも風に揺れそうなほどみずみずしく精巧に彫られ、焚き火の明かりを揺らめかせる刀身の根元には、花が舞い散る立派なヴィアドラ桜が現れた。思わずうっとりするその生き生きとした装飾から目を離すことができない。
「風流であろう」
サンは背筋を伸ばし作り笑いをカシに向けた。
「拙者も昔、おぬしと同じことをした。だが、よくないことだ」
サンは謝ると、刀を鞘に戻してカシに手渡す。カシはその刀を抜くと焚き火の明かりにかざしてみせた。
「あの町には優秀な白銀師もおるが、これはすべてテットウ殿の作品だ。切っ先から柄頭までな」
「師匠の刀とどっちが高かった?」
カシは〝愛・犠〟に目を落とす。
「これに値はつけられぬ。古く、代々受け継がれてきたものだ」
「師匠のお師匠さんから?」
「さよう。師匠から受け継がれていくものだ」
サンは恥ずかしそうに笑う。カシは無表情な顔の眉を上げてサンを見る。
「おぬしかは、わからぬ」
サンはむすっとしてカシを見る。
「俺が弱いから?」
「かもしれぬ」カシは愉快そうに言う。
「本当の強さは見つけたって。なにかを守るために、誰かを守るために犠牲にならないくらいの強さが本当の強さだ。誰も悲しませない強さだよ。俺はまだその強さを持ってないけど、いずれ師匠よりも強くなってみせる」
「信念か。悪くはないが本当の強さは、そうではない。愛と犠にある」カシは刀を丁寧に木箱に戻す。
「愛は犠牲にあらず、ゆえど犠牲によって愛を知る。わかるか?」
犠牲に愛はない。だけど犠牲から愛を知るってことか。それが、強さ?
「よくわかんないよ」
「なら、まだ渡せぬな」
サンは腕を固く組み、焚き火を見つめる。カシは伸びをすると新たに薪をくべた。
「交代だ」
サンは横になると、いろいろなことを思い返しながら、寝れないなと心の中で愚痴を吐いた。
人は罪深い、黄金の褥で寝て笑う。犠牲に愛はなく、犠牲によって愛を知る。本当の強さ。
なんでみんなよくわからないことばっか言うんだろう。だけど、きっと、なにか大切なことなんだ。きっと。
月の見えない黒くのっぺりとした空から、静かに白いものが落ちてくる。ぐっと冷え込む夜の中、サンはぶるりと一つ体を震わせた。
人が笑うところを見るのはいいものだ。それが師匠の笑いだと格別にいい。
丘の上の家に戻ってから、師匠はみっちりと稽古をつけてくれた。たったの三日、師匠の仕事の合間の貴重な時間。
人斬り業の中でも用心棒は、依頼主によっては隣のそのまた隣、國境まで行くことだってある。そうなると一週間は帰ってこないことの方が多いのだ。最近の師匠は遠くに行くことはない。あの体の様子だと難しいに決まっている。だけど、その分危険も減るのだから、俺としたら嬉しい。
焚き火を木の枝で突っつき白い息を長く吐くカシを見て、サンは思わず首を振って笑った。
「師匠、そんなに仕事に行きたい?」
サンは意地悪い笑みを浮かべながら、カシの顔を覗き込んだ。
カシは意味を理解していないのか、焚き火を突いていた手を止めて、不意を突かれたようなどこか抜けた目でサンを見た。我を取り戻したように焚き火を突いていた棒を引っ込めた。
「そうではない。そんなことより、おぬし鍛錬はいいのか」
サンは目を見て唸った。
「うーん。師匠がせっかく休みなんだし、稽古つけてくれるならまだしも」
怠けるなと怒られるかと思ったが、師匠の言葉は意外なものだった。
「うむ。ではどうだ、町に団子か夕飯でも食いに行かぬか」
今度はサンがきょとんとする番だった。
師匠からこんなことを言うことはなかなかない。昔、キンザン会長に会いに行ったときに団子を食べに行ったっきりだ。
カシの困ったように落とした視線に気づき、サンは慌てて答える。
「ごめんごめん。師匠から誘ってくれるなんて、キンザンさんの時以来だなぁって思い出してただけ。覚えてる?」
「あぁ、そんなこともあったな」
サンは背中を伸ばして、庭の眼下に見える町を眺めて、期待のこもる目でカシを見た。
「時間的には夕飯になりそうだよね。俺、昔から食べてみたかったものがあるんだけど」
ふっくらと湯気立つ白米の上に鎮座するは、とろりと茶色い艶衣を纏った魚。甘く鼻を刺激し、舌を歓喜に締めつけ溢れる唾を飲み込み、サンは箸でそれをつまみ口に放り込む。
声にならない震える感動が鼻からもれる。
「鰻の蒲焼……」サンは木の食卓に拳を降ろす。湯飲みの中の茶が飛び出してはねる。
「師匠、俺、もう死んでもいい」
カシは鼻で笑うと、山椒を振りかけて頬張った。目を瞑り、頷く。
「誠、至極」
そう言って、カシはもう一口頬張ると箸を置いた。サンがそのことに気付いたのは、自分の重箱が空になってからだった。
「師匠、もう食べないの?」
「腹八分目だ。おぬし、食べてもよいぞ」サンの戸惑う顔をみて、カシはあたたかい笑みを見せる。「遠慮するな」
サンは笑顔で頷くと、カシの分まで食べた。
腹がはち切れんばかりになったサンは、カシと通りをぶらついた。存在は知っていたが、中を知らない店に立ち寄ったりした。
「拙者もこんな店があったとは驚いた。おぬしといると、世界が広がるな」
カシは腕を組み、時でも止まってしまったかのように瓶の中で咲く花々を見回して言った。カシのそんな顔を見たサンは、目も合っていないのに目を逸らした。
「俺も、楽しいな」サンは鼻の下を擦って沈黙を埋めた。「ね——」
「帰るとするか」
カシの言葉に、サンは頭の中に浮かんだ店をかき消した。
師匠だって疲れちゃうもんな。
「師匠、もうすぐ祭りがあるんだってさ」
「さよう。ヴィアドラの祭りだ」
肌を冷酷に撫でる夜風をもろともせず、サンはカシの前に出ると一人微笑んだ。
「一緒に行けるといいね」
少し遅れて、うむ、と低い声が返ってきた。




