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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第五章 夕黒
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十八話

 サンは寝台から飛び起きた。心臓が暴れていて気持ちが悪い。先日の出来事が夢の中で鮮明に再現されるのだ。夕黒がカゲムネを斬り、キンザンの首を落とす。そして夕黒がその首を持ち去る一連の流れが。一番嫌なのは、自分が夕黒本人になっている時だった。目覚めて毎度吐き気がする。キンザン会長をあんな風に殺す必要はなかったのに、夕黒は殺した。無抵抗の人間を。

 朝食の席でもひたすらそのことを考えていた。あんな悪い人間がいるなんて。

 カシが箸を茶碗に置く音がして、サンはそちらを見た。

「もう食べないの?」

 橋が進んでいない自分が言うのもおかしな話だったが、最近の師匠は食べなさすぎる。

「食事の席の空気が悪くてな、通るものも通らぬわ」

 おそらく俺は萎びた草みたいな顔をしていたんだろう。サンは胸の中で渦巻く夕黒への苛立ちと不快感を吐き出しながら謝罪を口にした。

「今朝も同じ夢を見たのか。もう数日ではないか」

「そうだよ。危ないところには首を突っ込むなってまた言う? もう聞き飽きたよ。ロジウスおじさんとツバキおばさんにも同じことを言われたよ。しっかり二回ずつね」

 カシは鼻で嗤いサンの頭を小突く。

「夕黒が悪いやつか」

「そうだよ。丸腰のキンザンさんを殺したんだ。首も持ち帰ったんだよ? 妖魔よりよっぽど悪いやつだ」

「妖魔が悪いやつかは定かではないが、キンザン殿も悪いやつかもしれぬぞ?」

 サンは呆れたように眉を下げて訊き返した。

「キンザン殿が亡くなられて以降、港では夕黒騒ぎは聞かぬ。組同士の紛争もおとなしくなった」

「何が言いたいの?」

 カシは腕を組んで背もたれに寄りかかり、宙に目をやった。

「キンザン殿は港町でも有数の商会の会長。いわばキンザン商会の舵取りだ。商会の力は金であり、組の力は人間である。その人間の力も金なくば動かぬ。人も金なくば弱い。キンザン殿が亡くなってから組同士の争いが鳴りを潜めたのは、わかるか?」

 組の争いが起きてたのは、お金があったからってことになるのか。サンはカシが見上げている何もない宙を一緒に見上げて考えた。

「キンザンさんはどこかの組にお金をあげてたってことになるのかな」

「さよう。争いを起こす業が破滅に導いたに過ぎぬこと。誰が悪いのかは関係あるまい。この無色がよりよい未来を進んでいる証拠ゆえ、案ずることはない」

 それでも腑に落ちないものが腹にたまってしかたがなかった。席を立ち部屋を出ていくカシの背中に言葉を投げる。

「師匠は気にならないの? 少し前まで仲良かった人でしょ」

 カシは止まり、肩越しにこちらを振り返った。

「商売相手のそれ以上でも以下でもない。拙者とキンザン殿の結びは金だけであった」

 肩越しの表情からは何も読み取れない。

「そんなものなの?」

「そうだ。昨日まで守っていた者を斬る依頼がくることもある」

「そんなの悪いやつじゃん」

 カシは頷く。

「そうだ。だが違う。皆己の信じるもののためにそうしているだけだ。拙者は金のためではあるが、それ以上に大切なもののために力を使っておる」

「大切なもの?」

「大切なものだ」そういってカシはサンの茶碗を指差した。「早よ食え」

 師匠の大切なものか。

 サンは抑えられなくてこぼれる笑みのまま、味噌汁の中に米を入れて掻き込んだ。

 診察が始まったのだろう。診療室の方からは人の気配が感じられ、通りからは人々の行き交う影が見られた。サンは食べ終わると食器を重ねて部屋を飛び出した。

「師匠! 食べ終わった! もう行けるよ!」


 山の上の方には雪が薄く積もっていた。鉱山にいた頃は、この雪が死の宣告のようにも感じていたが、今はこの森の静かな表情を楽しむことができる。

 カシの横を歩くサンは、常緑の低木の葉に薄く積もった雪をかき集めて丸めると、空高く投げる。

「見てて!」

 サンは腰を少し落とし木刀の柄に手を添える。落ちてくる雪玉を居合で打ち砕き、自慢げにカシの顔を見たサンは、頭を小突かれて痛みに唸る。

「遊び道具ではない」

「だって暇じゃん。っていうか今の鍛錬だし。どんだけ歩くのさ」

「おぬしがへたらなければ三日で着く」

「なに町だっけ」

「鉄刀町、無色随一の鍛冶町だ」

 師匠はその町に三百年生きている鍛冶師、テットウという人がいると言っていた。三百年生きていたらどんな姿になるのだろうか。髭は腰ぐらいまであって、髪の毛は無いだろう。瞼は垂れてきっと前が見えないに違いない。頬も垂れすぎて歩くたびに揺れるとか。

 サンは一人でくすくすと笑った。

「その人ってまだ立てる?」

「当たり前だ」

「だけど、さすがに歩けないでしょ」

「テットウ殿をなんだと思っておるのだ。テットウ殿は拙者よりも秘術の扱いに長けてもおる」

 師匠も冗談を言うんだ。サンは笑ってカシの顔を見上げた。

「なにがおかしいのだ」

「いや、キリさんと戦ったときの師匠を思い出したら、ひどい冗談だなって」

「拙者が使ったのは剣気の一種だ。そしてあの羽衣は正確には剣気ではない。さらにその上、秘術の真骨頂とも呼べるものだ。その使い方を教えてくださったのは他でもない、テットウ殿だ」

 師匠、冗談がきついよ。師匠は顔の表情を変えずに言うから、信じてしまいそうになる。

 それから二日山を進み、峠を越えた先にある盆地の中に広がる町を見た見たサンは、思わず言葉を失った。

 俺が住んでいたあの港町は世界の中心ではなかったのだ。同じ規模の町がここにもある。それなのに、町の雰囲気は随分と違っていた。木造の家はなく、全てが石と土で建築されている。近くの川から敷かれた水路が街全体に張り巡らされていて、至る所に池を点在させていた。

 町へと延びる幅の広い道には荷車が行き交っている。そのなかには馬車まであった。積んでいるものは木箱か、石の塊。石の……あれは。

 カシを見ると、カシもまたサンに目を向けていた。

「あの石、見覚えがある」

「鉱山から持ってこられた物だ」

「じゃあ、あれを掘っているのは」

「おぬしがいたところからの可能性もある。だが、鉱夫を雇い掘っているまともな業者もある。無色には未だ奴隷と同じ扱いをする不当な業者がおるのも事実。キンザン商会も鉱山を持っていたぞ。ありもしない他の名前を隠れ蓑としてな。だがな、サン。この無色も変わっていく。おぬしのように何も知らずに利用される者も、己の生きる道を見つけて生きられる、そんな場所に〝國〟になってゆく。白紙に己の人生を描く、無色ノ國だ」

 そう言うカシの顔には誇りが満ち溢れていた。まだ見えない未来を見ているような眼差しは、そうなると本当に信じている。

「そうなれば、いいね」

「うむ」

 俺はただ、師匠やロジウスさんたちと暮らせるそんな場所があればいいな。


 町は男の比率がとても多く、宿屋のような建物が多かった。店は昼間にも関わらずどこも開いておらず、静かな通りがいくつもある。と、思っていると違う通りは食べ物ばかり、肉や野菜といった海の物は一つも見られない通りがあったりと、いろいろな顔を見せる町だった。

「どこに行くの?」

「テットウ殿のところだ」

「そっか。あれはなに?」

 サンは一際目立つ大きな建物を指差した。いくつもの四角い筒が建物から延びて黒い煙を空に吐いている。

「あれは鉄鋼所だ。各鉱石から金属を取り出し、さらに金属に影響を与えて金属を変える場所、刀の材料もあそこで造られている」

 サンは自分たちが掘っていたものがこんなふうになっているとは思わなかった。

 カシは、鼻の奥に冷たく張り付く金属と油が焼ける匂いが漂う街の中を歩き、一つの鍛冶場にやってきた。

 鍛冶場であっても門構えは立派だった。門だけは鉄と木が意図的に組み合わされているようだ。二つの物が混ざり合うように綺麗にくっついているようにも見える。

 中に入ると、受付があり、そこにむさ苦しい髪を剃った男が座っていた。鍛冶で火焼けした頭に捻った鉢巻きをして、文字がびっしりと書かれた帳簿とにらめっこしている。

 その男はカシ達に気づいて顔をあげた。

「ん? あんたか、痩せたな。一瞬気づかなかった。頭に用か?」

「そうだ。刀を見てもらいたくてな」

 男が隣の部屋に続く廊下を顎で指し示す。それっきり再び紙に目を落とし、二人のことは忘れたように集中している。

 カシに続いて入った部屋は畳が敷かれた部屋で、燭台、机が置かれただけの簡素な広い部屋だった。

 部屋の端に何か気配を感じて目をやると、幾重にも重ねた赤色の豪華な着物を纏った一人の少女が人形遊びをしていた。長い艶やかな黒髪に、異様に白い肌、伏せていてもわかる赤い眼は妖しくて、外見だけは俺と同じ年頃にも見える。

 カシはその少女に近づき、膝をついて屈んだ。

「貴女はカグラ様であらせられるか。大きくなられた」

 少女は黒く艶やかな長い髪を耳にかけなおし、カシの言葉が聞こえていないかのように人形遊びを続ける。

 部屋の戸が開けられ、眉なしの白い口髭を生やした頑強な初老の男が入ってきた。背丈はカシよりも大きく、体もカシ二人分はありそうなほどに分厚く太い。筋肉質で、見た目は鍛冶師よりも武人が似合う。そして似合わない真っ白の前掛けをしていた。

「カシ、久方ぶりだ」

 カシはすくっと立ち上がり、礼をする。

「テットウ殿、久方ぶりになりまする」カシは人形で遊ぶ少女を見てテットウに向き直る。「姫も大きくなられて」

「カグラ、カシがきたぞ。挨拶せい」

 カグラは動かしていた手を止め、カシを見上げるとにっこりして見せた。あんな可愛くて吸い込まれるような笑みは見たことがない。

 カグラはその笑みのまま人形との戯れに戻ってしまった。

 テットウの視線に気付き、サンは慌てて口を開く。

「俺はサンと言います。カシ師匠の弟子です」

 テットウが驚いたように眉をあげて、カシに説明を求めている。以前にもこんな反応を見た気がする。お前が弟子を? と言いたげな目だ。

「拙者にもいろいろとありまして」

「世の中なにがあるかわからんな、まったく」

 テットウはずかずかとサンに近づくと、大きくて硬い手でサンの顎を掴んだ。されるがままに顔を色々な方向に向かせられ、サンはあからさまに不快の意を目に浮かべてテットウを見返す。

「面白い。ヴィアドラの色が色濃く現れている子供を短い間にみるとはな。儂の娘といい、どこかのお坊ちゃんといい、手負いの狼のような子どもと言い、争いの予感しかせんわ」

 テットウは太い息をつくと、カシに向き直る。

「それで、今日はなにしにきた」

 カシは刀の手入れと刀の購入の旨を話し、テットウと部屋を後にした。サンもついて行こうとしたが、カシに待っていろと言われ、部屋に残されてしまった。

 不承不承に残されたサンは、部屋の隅で人形遊びをしているカグラを横目で見ながら、距離をとって部屋の隅に座った。カグラは人形に踊りをさせているようだった。人形で遊ぶことのなにが楽しいのだろうか。

 サンは何か楽しいことを考えようと目を瞑り、壁に持たれて考える。

 それにしても大きい人だったな。あの人が師匠に羽衣と呼ばれるあの白い焔の鎧を教えたのか。師匠はどうやって剣気を使えるようになったのかな。あの頑固な師匠も怒られてふてくされたりしたのかな。カシがふてくされるところを想像して、サンは思わず笑いをこぼす。

「ねぇ、なにが楽しいの?」

 耳元で囁くその声に、サンは文字通り跳び上がった。カグラがサンの顔を覗き込むように見上げ、愉快そうに可愛い声で笑った。赤い瞳の目は美しいが、なせだろう、怖い。

 カグラは立ち上がり、サンを押して壁につける。

「ねぇ、知ってる? 人は罪深い」

 こいつ、なに言ってるんだ?

 サンはそう思い、カグラが両手で淑やかに口を隠して笑う。サンは息を呑んだ。

 待ってくれ、今、俺のことを押さえつけているのはなんなんだ?

 自分の腕を掴み壁に押し付けているのは、手のように形をつくっているカグラの長い髪の毛だった。髪の毛が動いている。

 サンは戦慄とともにそれを振りほどこうとするが、まったく動かない。

「人はなにも知らずに笑うのよ、そうやって。黄金の褥で眠り、笑うの。君のようになにも知らない愚かな者達が」

 カグラの紅い宝石のような目に吸い寄せられかのように視線を奪われる。赤い虹彩にはほんの少しの紫が混じっていた。人にしては美しすぎるその目が不気味で、必死に逸らそうとするができない。

 喰われる。なぜかそう思った。

「カグラ!」

 突如部屋に怒号が鳴り響いた。同時にカグラの髪から力が抜け、垢抜けない少しいじけたような子供っぽさを纏う少女に戻る。

 サンは壁に背中を押し付けながらカグラから離れると、自分の体が冷や汗に濡れているのを感じながら深呼吸した。

 なんなんだこいつは。

 カシが近づいてきて、サンの肩に手を置く。

「大丈夫か」

 サンは頷く。そんなサンの背中をテットウが力強く叩く。

「すまんな。娘は修行から帰ってきてからずっとあんな調子でな」

「姫も修行をされるので?」

 カシはカグラを見ながら訊く。

「儂の家のしきたりだ。十三歳になった者は三週間森に入る。生きて帰ってきたのはいいが、様子が変でな。だが誰しもおかしなところはあるものだ。儂も幼い頃、己を熊だと言い張ったのを覚えておるからな」

 サンはカグラに目を覗かれていた時の恐怖が消えず、それ以上なにも耳に入ってこなかった。カグラの言葉と、その目に宿っていた熱く重い泥のような怒りだけが深く記憶に刻まれ、それがぐるぐると頭の中を回るのだ。

 〝人は罪深い。黄金の褥で眠り、笑う〟

 その言葉と怒りが、心の背後に住み着いてしまったかのように。

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