十五話
滑らかに光を反射させた、美しすぎる人殺しの道具を鞘におさめた男は、笠をちょいと下げてサンに挨拶をすると、豪快に笑った。
「まさか立ち向かうとは思わなかったぞ! おまえ気骨があるな! 気に入った!」
サンはがっしりとした男の太い腕に肩を掴まれて揺さぶられる。
なんだこの熊みたいな人。いや、熊なんか絵でしか知らないけど、髭も濃いし。
この人達はなんだろう、どこからきたのか。戦装束は黒く艶やかな糸で織られ、上は着物と同じだが、幅の広いズボンを膝丈の足袋におさめている。その装束は革と金属がところどころに縫い付けられ、合戦に出るには心もとなく、だけど動きやすい見た目だった。
袖の無い羽織は黒地で、青と緑の刺繍で蜥蜴と蛇を混ぜ合わせたような体の長い動物が描かれ、生地は着物と同じように黒く艶やかで、戦いに身につけるには上等すぎる気がした。
「カイロウ、離してやれ。お前が襲ってどうする」
そう言ったのは三人の中でも一番皺が多く、人当たりの良さそうな男だった。カイロウと呼ばれた剛健な熊男ほどではないが、芯のある出で立ちで、立ち姿はどこか師匠に似ている。
「そうですよカイロウさん。まずはその髭剃りましょう。僕にまかせてください」
そう言って刀をするりと抜いたのは、そばかすのある旅籠の帳簿とにらめっこしていそうな印象の青年だった。
「シブキ、刀をやすく抜くな」
有無を言わさない、それでいて棘のない言葉で年嵩の男が言った。
嗜められたシブキは、サンににっこり微笑むと刀をおさめる。
「自己紹介が遅れたな。それがしはキリと申す。こやつらはカイロウ、シブキだ」
「俺は、サンです」
「サンか。なにやら追われていたようだが、なにがあった?」
キリの視線が、握る二本の木刀に注がれているのを感じる。他の二人も気になるようだ。
「あの荒くれ者達が、師匠と俺の家を奪ったんだ。だから、追い返そうとしたんだけど」
「逆に追い返されたというわけか」
サンはキリの顔をまっすぐと見据えて声を張る。
「違う! 二人は倒した! まさか四人も仲間がいるとは思わなかったんだよ」
「倒したと。殺めたのか? 木刀で」
「ううん。痛めつけただけ。それに、あの人たちは刃物を持ってたから、あんまり手加減できなかっただけで、死んではないよ」
カイロウが濃い髭を撫でながら、なにが愉快か、俺の足の先から頭のてっぺんまで舐め回すように見てくる。サンは負けじと見返した。
「おまえ、剣術習ってるな。この先の丘に家が一つ建ってるらしいんだがよ、今も住んでるのか?」カイロウが訊いた。
「今は住んでないよ。だけど、もうすぐ師匠とこっちに戻ってくるんだ」
カイロウがにやりと大きな歯を見せて笑みをつくり、キリを見る。
「サン。それがしらは、君を家まで無事に送りとどけよう。遠慮はしてくれるな」
サンは目を逸らしてぎこちなく頷くと、三人と歩き始める。
「おじさん達はどこからきたの?」
サンは三人の揃いの装束と、凝られた装飾を見ながらキリに尋ねた。シブキが何か言いたそうな顔でキリを見た。キリはそんなシブキに、たいしたことではないと言って手を小さく振った。
「それがしらは蒼龍ノ國から参った」キリは微笑んだ。「シブキ、おじさんの中にお前も入っているようだ」
笑うキリとカイロウの間を抜けて、サンはシブキに弁解しようと口を開くも、シブキは気にしてないと言いつつ、細い目で冷ややかな笑みを見せた。
ロジウスの診療所の前にやってくると、キリが診療所の看板を見て感慨深そうに声を漏らす。
「ペイルス診療所とな。これはまさかあのペイルスか? ロジウス・ペイルスのことか」
「キリさん知ってるの?」
「あぁ、知っているとも」
シブキは周りが気になるのか、さっきから視線を周囲のあちこちに走らせながら、キリに耳打ちする。
「あのー、頭。郷愁の念から戻ってきてくれると嬉しいんですが」シブキが背中で握った手をそわそわとさせながら、周囲を見回して言った。
「頭、こいつの神経質にはうんざりだけどよ。今回ばかりはあってるかもしれんぞ」
「いや、いつも合ってますよカイロウさん」
「サン、それがしらも邪魔させてもらえないか」
サンは困ったと言いたげに言い訳を言おうとしたが、えーっとと言ったばかり何も考えが思いつかなかった。
この人たちは命の恩人だ。無下にはできない。
診療所の中に入り、ロジウスにキリの名を告げると、ロジウスは驚いたように席を立ち、中に入れるようにサンに言った。
三人を客間に招いたサンは、三人の変わった戦装束について根掘り葉掘り尋ねた。刺繍は絹で、他は丈夫な妖魔の森で取れる物を使った特殊な繊維なのだという。ほとんどが布だが、金属並みの強度だとうそぶいていた。糸が金属で切れないって言うのはおかしな話だ。
三人の話によると、この人達は蒼龍ノ國の軍人で、このヴィアドラを外国から守る役割をしているらしい。海を走るあの船に乗り、揺れる船の上で戦ったりする話を聞いて、知らない世界がまだまだあるのかと、心が躍り質問がどこからともなく口から溢れ出る。
ロジウスが部屋に入ってくると、キリは話を切って立ち上がった。質問の時間の終焉にサンは肩を落とした。
「ペイルス殿。久方ぶりである。それがしはキリ、覚えておいでだろうか」
サンは不思議だった。キリは嬉しそうなのに、ロジウスの目には旧友を迎える喜びではなく、困惑が宿っていたからだ。
「憶えているとも。もう二十年も経つ。お前さん、歳をとって色男から男らしくなった」
「なにをおっしゃいますか。ところで、兄上がここで世話になっていると、道中、弟子のサンに聞きましてな。まさか、あの兄上が弟子をとるとは」
サンは首を傾げたくなった。兄上? というと、このキリって人は。
「サン、こちらはキリ。おまえさんの師匠、カシの弟弟子で、同じ師匠に育てられた方だ」
その時、客間の扉が開き、全員の目がそちらに注がれる。
全ての視線を浴びたその男は、台風にも動じない大木の如く、無表情の岩の顔でキリをまっすぐと見据えた。キリが腕を広げ、男らしい顔に再会を喜ぶ高揚の笑みを湛えて、その男、カシを見る。
「兄上! 久方ぶりではないか! 元気にしておったか」
サンはその先を想像して苦笑いした。無骨な白髪混じりのおじさんと、いまだ髪は黒く若く見えるが、やはりおじさんである初老近い男同士が、感動の再会に感極まって抱き合うのだ。その皺が刻まれた目尻に涙をためて。
「おぬし、よくもぬけぬけと顔が出せたものだ」
その言葉を聞いて、サン、カイロウ、シブキは微笑ましい場面を想像をしていたのであろう笑顔のまま硬直した。
ロジウスだけは深刻な表情のまま、静かに席から立ち上がり、二人の困惑と拒絶が交差する視線の間に割って入る。
沈黙に、キリの咳払いだけが漂った。
「すまん。つい舞い上がってしまった。こんなのは兄上のがらではないな。そうだ、シトウ師匠はまだ元気か? あの人のことだ、酒代が大変であろう」
ロジウスが重そうにうな垂れ、よろめくんじゃないかと心配になったサンは立ち上がり、ロジウスに肩を貸そうとする。
「死んだ」カシはなにも感じさせない声で言い放った。
「なに?」今度はキリがみるみる表情を冷たいものにする。「死んだだと?」キリはカシに詰め寄る。今にも襟を掴んで壁に叩きつけそうだ。「なぜ、教えなかった」
カシは全く表情を変えずにキリの目を見据える。
キリさんがこんなに怒るのは当たり前だ。師匠が口下手なのは知っているけど、伝えることぐらいはできるはずだろう。
「いつ死んだ」キリは溢れんばかりの言葉を抑えているのだろう、声が震えていた。
「十年前だ」
今にも刀を抜きそうなほど殺気立つキリに、カイロウとシブキも真剣な面持ちで席を立つ。
「なぜ教えなかった兄上! ともに育ち、いくつもの戦場を生き抜き、この無色を混乱から引き上げた兄弟、家族であろう!」
今度は、カシの表情が燃え盛る炎のようにみるみる色を変えた。
「その家族に、二十年の間一通も便りをよこさなかった鼻垂れはどこのどいつだ! 居所もわからずして無色から手紙が送れると思うか! 師匠がどれほどおぬしを想っていたと思う? どれほどおぬしからの手紙を待っていたと思う? 師匠は……」
カシは言葉を詰まらせると、すぐさまいつもの岩のような、なにを考えているかわからない、冷たい表情に戻る。
「拙者は夜風を浴びてくる」
キリの止めようと伸ばされた手をロジウスが制し、首を振る。
玄関の扉が閉じる音が聞こえて、重く下がった沈黙をロジウスの乾いた声が破る。
「責めることができる立場ではないだろうキリ。シトウ師匠殿は、毎朝欠かさず海と陸の便に立ち寄って、おまえさんからの手紙を待っていた。風邪を引いてカシがとめても行くもんだから、そりゃカシも色々な想いをしておったはずだ」
キリは鎮まらない怒りを喉元でなんとか抑えているのか、静かに太い息を吐きながロジウスを見る。そんなキリに、ロジウスは眉を下げて湿った熱をもつ目で見返した。
「カシはシトウ殿の身の周りの世話から、混乱があちこちで再燃する無色のために飛びまわっておったよ。シトウ殿はそんなカシを褒めることもせず、カシの活躍を知ろうともせんかった。カシが無色に残ったのは、おまえさんとシトウ殿と暮らす無色を愛しておったからだ」
ロジウスはキリの襟を両手で掴み、キリを見上げると釘を刺すように言う。
「シトウ殿のことを、カシと一緒にわたしも看取った。シトウ殿は最後はなにも話せないほど衰弱していたよ。だが最後に、手を握ってそばについていたカシを見上げたシトウ殿は、おまえさんへの言葉を伝えてくれといって死んだのだよ。カシにはなにもなかった。わかるか、十年支え続けたカシにはなにもだ。おまえさんに、カシを責められる理由はなにもない」
カイロウが剛健でずっしりとした体で部屋を大股で横切ると、キリの襟元を掴んでいるロジウスを引き剥がした。
「その話だと、頭の兄さんが怒ってんのは師匠なんじゃねぇのか。死人にあてられねぇ怒りを頭にぶつけるんじゃねぇ」
ロジウスはカイロウを睨み返す。「お前さんはカシのことをなにも知らんだろう」
「クソじじいこそ、頭のなにも知らねぇだろうが」
サンはシブキを見た。この熊みたいな人を止められるのはシブキさんだけだ。
冗談を期待したが、それは割れた氷のようにあっけなく溶けて消えてしまった。シブキも鬼の形相でロジウスを見ているのだ。
「カイロウ、もうよい」キリはすでに鎮まり、考え事をしているのか地面の一点に目をやっていたが、やがて部屋の全員に目を走らせる。その顔はすでに愛想の良い雰囲気に戻っていた。
「迷惑をかけもうした。それがしらを迎え入れていただき感謝している」そしてサンを見て頭をぐしゃぐしゃと撫でる。「空気を悪くしてすまなかったな」
そう言って蒼龍軍の三人は去っていった。
ロジウスが椅子の肘掛に座り、整えられた白髪頭を撫でながらため息をつき、サンに申し訳なさそうな疲れた笑みを向けた。
サンはその笑みに同情するかのように笑みを返したが、心の中はカシのことでいっぱいだった。師匠も、シトウ師匠のことが大好きだったのだ。その師匠がずっと近くにいるのに、見てもらえないなんて。そんなの、淋しすぎるよ。
サンは、行き場所を訊くロジウスの声を背中で受け止め、家に行くと言って玄関の扉を後ろ手に閉めた。




