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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第四章 心の溝
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十二話

 空の館には、数えきれない種類と量の本がきっちりと棚に整理されて並んでいる。装丁もさまざまで、粛粛ながら重い時間を詰め込んだこの場所にくると、自然となにも話したくなくなる。

 今も無地の帳面に書きの練習としてロジウス宛に手紙を書いているが、聞こえる音は頁をめくる音や、俺のように鉛筆で帳面に書き込む音だけだ。本を置く音が響いてしまったりすると、なんだか気まずくて目をおどおどさせてしまう静けさだ。

 いましがた俺が書き込んでいた文字を、細くも皮が厚くなった女性の指が指し示す。

 指し示した女性、ツバキおばさんが、ここは跳ねるのよと指で伝えてくる。サンは背もたれに持たれて静かに息を吐いた。書き直しだ。

 ここ空の館に通い始めていくつかの月が経っていた。その間、こうしてツバキおばさんに読み書きを教えてもらっているのだ。最初は師匠が教えてくれていたが、最近は仕事が忙しいようで家を空けることが多くなった。次に教えてくれたのはロジウスおじさんだ。だけど、診察に使う書類を使っての読み書きは一向に上達せず、それに見かねたのかツバキおばさんがこうして教えてくれているのだ。おかげで、ロジウスおじさんに簡単な手紙をしたためることができるようになった。

 筆をすすめてどれくれいの時間が経ったのか、サンは背もたれに寄りかかり伸びをする。机に戻すと目の前に本が置かれていた。

 ツバキが本の表紙を指で叩いた。

 読みの時間だ。

 物語はヴィアドラでは誰もが知っている戦神とモノノフのお話。

 はるか昔、まだヴィアドラと呼ばれる前。先祖たちは鬼と戦っていた。だが雪の降るある日、雪の如き肌と髪を持ち、宝石のように鮮やかな眼を持つ人らしからぬ者達がやってきた。その姿に自然の美しさを見た先祖は、その者達を受け入れ尽くした。その者達は感謝の印に鬼を退けた。その強さはまさに天災。戦うことで生きてきた先祖達は、その者達を戦神(いくさのかみ)と呼ぶようになった。戦神は先祖に力を与え、この地をヴィアドラと呼び、先祖達は己をヴィアドラ人と呼び、力を正しく振るう武人をモノノフと呼ぶようになったというものだ。

 この話は本当なのかと、ツバキおばさんに何度訊いたことか。空の館の受付の人にも訊いたことがある。だが、答えはどれも一緒だった。戦神と呼ばれたそれは自然であり、いくら力を持つ人も天然自然の前では露ほどにもならない、謙虚さと自然への感謝を忘れないヴィアドラ人の魂を伝えるための話なのだと。

 なら、なんでこの世界には妖魔がいるんだろう。その疑問には誰も答えてくれなかった。


 仕事のない日の午後は稽古に打ち込む。今日は師匠はいない。のびのびできると思う反面、しっかり見ていてくれよと口を濁したくもなる。

 吊り劔の構えから花弁が舞い落ちるように、ふいに姿勢を落とし斬撃に繋げる。体の力の流れをとめず、滑らかに。落桜一連から五連までの道を舞う。意識は思考を超えて存在するだけとなり、体が勝手に動く。まだ慣れない落桜六連の道を考えた瞬間、足がもつれて地面に突っ込んだ。

 両膝と肘、手のひらに痺れるような熱を感じて土埃を払いながら見てみると、やっぱり、かなり深く擦りむいていた。

「あらあら」

 ツバキが縁側からサンに声をかけた。サンは、なんでもないというように笑いながら立ち上がると、着物についた汚れをはたいた。

 縁側に座るツバキは救急箱を開けると、サンの傷口を見て少し驚いた様子でサンを見る。平気だよ、サンは軽く笑うように言った。

「あのさ、俺、用心棒の仕事してみようと思うんだ」

「どこも雇ってくれませんよ」軽石のような味気ない声音にサンは口を尖らせる。

 サンの不満の声が出る前に、ツバキが口を開く。

「十三の子供が、盗賊や山賊、街のゴロツキを退治できるとは誰も思いません。それに、そんな子供を雇う仕事と人間にろくなものはありませんよ」

 サンはやりきれない悔しさに顔を歪ませて下を向く。

 俺たちにはお金がないんだよ。このままじゃ丘の上の家にも戻れない。

 ツバキは宙を見上げて瞬きを一つして、思い出したかのように微笑んだ。

「そういえば、この家にずっと住んでいればよい、と旦那が言っていたわね」

「ロジウスのおじさんが? だけど、駄目だよ。迷惑かけちゃうし、しっかりしないと」

 ツバキがサンの頭に手をのせた。

「その心意気はよし。でもね、なんでもそうやって一人で解決しようとしては駄目よ。誰かが手を差し伸べてくれたのなら、喜んでそれを受け入れなさいな。あなたも、助けようとしてくれた人も心が満たされる。それが幸せというものです」

 サンは渋々頷いた。幸せ、か。

「サン」そのサンは振り返る。廊下の曲がり角にカシが立っていた。「これから用事ゆえ。つきあえ」

 サンは勢いよく立ち上がった。

 師匠、今の話聞こえてたのかな。


 カシと街中を歩きながら、サンは壁に貼られている貼り紙を見て得意そうに鼻をこする。

「師匠、見てよ。この貼り紙、俺が貼って回ったんだよ。糊が薄くって最近よく剥がれるんだよね。だから俺は少し濃いめにして強度をあげてるんだけど、それだと糊が足らなくなっちゃうでしょ。だから紙の端っこによく塗って糊を節約してるんだよ」

 カシは貼り紙をひっぺ剥がし、書かれている謳い文句に目を走らせる。

「おぬし、この意味がわかっておるのか?」

 カシは〝人生売ります〟と書かれ、赤い蛾が描かれたそれをサンの顔の前に突き出す。

「さぁ。だけど〝人生売ります〟なんて変な話だとは思ってるよ」

「これは紅蛾(こうが)のものだ」サンはカシを見上げて答えを探した。「ここ無色で最も力のある者達だ」

 大名、最近覚えた言葉をサンは得意げに言ってみせる。

「違う。ここ無色(むしき)は他の國と一線を画す。無色は大名の代わりに〝組〟と呼ばれる組織がその役目を担っておる。紅蛾は危険な組織だ」

「なんで? この無色を支えてくれてる人たちなんでしょ?」

 カシは無精髭を撫でると、不快そうに顔を歪めて貼り紙を懐にしまう。

 その後、会話もなく歩いていると、カシは大きな屋敷の前で止まった。屋敷を囲む壁の終わりが豆粒くらいだ。

 カシが門を叩くと、門扉の小窓が横にずれて目がこちらを覗いた。

「久しぶりよの、カシ殿。いろいろと噂が飛んだが、元気そうだの」

「噂とな。それより、キンザン会長殿に話があって参った」

 門番の鋭い目が頷き、小窓が閉められた。サンが辺りをきょろきょろしたり背伸びをし始めた頃、ようやく門が開けられて中に入ることができた。

 黒い粒がところどころにある白い石畳の道、脇に敷き詰められた平たくて丸い小石、どうやったらあんなに捻れて育つのかわからない松の木が生えた前庭を進み、艶と時を感じさせる大きな玄関を潜って待合室に通される。サンが息を吹きかけ必死に冷ました茶を啜ろうとしたとき、扉が開かれて芥子色の羽織を纏ったふくよかな老人が入ってきた。

「カシ、久方ぶりじゃ」

 カシがすくっと椅子から立ち上がり、真っ白くなったあご髭を蓄えたふくよかな老人に深く礼をする。

「誠に申しわけなかった」

 老人は静かな笑みを湛えながら両手を背中に回して頷く。

「そなたが生きておってよかったわい。入れ入れ」

 通された部屋は、池のある整えられた庭を一望できた。

「それで、体の具合はどうじゃ?」

「おかげさまで。キンザン殿」手を揃え頭を深く下げていたカシは、そういうとサンを見た。「これはサンと申しまして、拙者の弟子であります」

「ほぉ、そなたが弟子を。そうかそうか」

「キンザン殿、拙者を再び雇ってはくださらぬか」カシは再び頭を深く下げた。サンはそわそわと着物を正しながら同じように頭を下げる。

 キンザンは湯飲みに茶をそそぎ、カシとサンに出す。短い沈黙にサンは押しつぶされそうになった。

「カシよ。そなたが空けた穴を埋める用心棒を見つけるのは大変じゃったぞ」

「それは、手間をかけさせましたな」

「なに、気にするな。だがそなたなら引く手数多であろうに。わしがそなたを高い契約金で縛っておったでな」

「拙者はキンザン殿との仕事を気にいっておりました。ゆえに、また願うのです」

 サンはキンザンの視線が一瞬自分に走ったのを見逃さなかった。なんだろうか、この厄介者を見るような目は。

「そういうことか。事情はのみこめた。あの有名な〝二本差し〟が願い出るとはな。時とは誠残酷よの」

 カシは頭を上げてキンザンの目を見るとまっすぐと言った。

「それは拙者の力ではありませぬ。拙者の師、シトウがいたからゆえ」

 キンザンは深く頷く。

「謙遜もそなたの良いところだ。人斬りの者はこぞって武を誇示したがるものだからな。あれは聴くに耐えん。そなたは寡黙であったが、願い出ることなどなかった。鈍ったか」

「問題ありませぬ」

 縁側の板が軋む音がして、サンは振り向いた。そこには盛りを迎えた大人の男が、さながら浪人の格好で立っていた。

「本当かよ爺さん」

 キンザンとサンは同時に声の方を振り向く。カシだけは振り向かずにいたが、こめかみに青白い筋が浮かび立つのをサンは見た。

 キンザンが茶がまずいとでも言うように顔を顰めて、男を横目で見た。

「こいつは腕は確かだが、この態度が傷でな」

「言うじゃないかキンザンのおやっさん。俺がこの爺さんの腕、確かめちょる」

 キンザンが鼻で笑う。「やめておけ、その出すぎた鼻を折られたくなくばな。負けたなどと噂を流されたくなかろう」

 カシが静かに立ち上がり。戦装束の袂を捲り上げる。

「キンザン殿、この若輩者カゲムネを斬り伏せて見せましょう。拙者の刃の証明ゆえ」

 キンザンはカゲムネとカシを交互に見る。

「そなた、カゲムネを知っておるのか。知り合い同士を斬らせる趣味はない。木刀で一本取った方の勝ちでどうだ」

 カゲムネがひき笑いをしてカシを見る。

「この爺さん、知り合いなんかであってたまるかぁ。こいつを斬る依頼っちゅうなら、金なんぞ貰わなくとも喜んできっちょるよ。真剣でいこうや。あんたも望んどるやろ、なぁ爺さん?」

「キンザン殿におまかせする」

「はぁ、これだから血の気の多いもん共は。木刀で一本だ」

 カゲムネは舌打ちを誤魔化すように引き笑いをして、まぁ変わらんと愉しげに言った。

 サンは初めて見るものと不安が入り交じった、どちらにせよ良くないものを見る目で、炎を宿した岩の表情でむくりと立ち上がるカシを見上げた。

 師匠が怒っている。冷静じゃない師匠を初めて見た。このカゲムネって人は齢三十を少し過ぎたくらいで、体が締まり動きも素早そうだ。着物に異国物のズボンを履いていて、格好は大したことなさそうだけど、羽振りが良さそうな上等品であることは窺えた。

 二人が庭に降り、白い砂利が踏まれる音が響く。カシの二刀流にカゲムネの一刀流。それぞれが木刀を構えた。

「どうだサンとやら、どちらが勝つか賭けんかい?」

 キンザンが、余興を見るかのように、袖の中に手を入れてじゃらじゃらと音を立てた。サンは素直に怒りを表情に変えると、それを見たキンザンはおどけた表情で嘘の恐怖を示して袖から手を出した。

 カシとカゲムネの二人は距離をとり静かに立っていた。

 カゲムネはさっきの飄飄とした雰囲気は何処へやら、戦う素ぶりを見せない立ち姿の筈なのに、少しでも動けば斬られてしまう、そんな恐怖を抱かせた。師匠は吊り劔の構えだ。だが、カゲムネは一向に攻撃を仕掛けない。カゲムネはきっと〈無色(むしき)流〉が受けに強いことを知っているんだ。

 突如二人が地面を蹴ってせめぎあう。瞬きする間に三回、空気を叩く鞭のような音が辛うじて聞き取れただけで、剣筋は見えなかった。目で追えない速度で木刀を打ち合っているのだ。あんなの、試合じゃない。あれは人が死ぬ。サンは唾を押し込むように飲み込んだ。

 距離をとった二人の間におかしなことが起きた。カゲムネからカシ向かって、見えない何かが地面を穿ちながらカシに迫る。カシはそれを横に一歩跳んで難なくやり過ごす。

 サンは安堵と驚愕に思わず自分の心臓の部分を握った。

 キンザンはサンの顔の高さに合わせるように腰を屈めて、愉しそうに唇を湿らせた。「そう、あの二人は剣気使いだ。こんな戦いは滅多に見れんぞ」

 剣気。サンは書物の中の記憶を手繰り寄せる。

 秘術と呼ばれる不思議な力は二つに分類される。剣気と闘気に分けられ、そのうちの一つである剣気は、あらゆる身体能力を飛躍的に高めることができる。

 師匠やロジウスおじさんが見せた不思議な力のことが気になって本で調べたけど、師匠の力が剣気だったなんて。

 二人はたった一歩で互いの距離を詰めたり離したりと、人にしては速すぎる動きで攻防を繰り返す。庭の見事に捻れた松は、木刀であるはずのものに切り裂かれ、岩が砕かれる。

「あんなの死んじゃうよ。止めないと!」

 サンは縁側から庭に飛び降りようとするも、その肩をキンザンが掴む。

「だめじゃ。二人は勝負の最中だぞ。真剣ではないと言え、決闘と変わらぬ。武士の誇りを汚すのか?」キンザンは顎髭を撫でながら、遠いものを見るように二人の戦いを眺める。「この勝負をやめたら、おまえさんの師匠は雇わない。金に困っとるんじゃろ?」

 サンはキンザンの喉に拳をねじ込みたい衝動に駆られるも、歯を食いしばり吐き捨てるように言う。

「そんなの、どうでもいい」

 サンはまるで怪物が暴れまわったかのような庭を走り、二人に近づこうとした。だが、二人の鍔迫り合いと同時に空気が衝撃となって押し寄せてきて、サンは尻を突き、自分の足が得体のしれない恐怖に震えているのに気づいた。歯を食いしばり自らを罵り立ち上がる。

 止めなきゃ。

 二人は鍔迫り合いながら何かを話していた。師匠の目が衝撃を受けたかのように瞠られ、続いて冷徹な燠火の如き静かな表情に変わる。触れたものを焼き尽くす静かな燠火だ。

 あの目を知っている。初めて師匠を見たとき、あのヴィアドラ桜の樹の下で、四人の刺客を斬り伏せたときの目。

 どちらが勝つかはどうでもいい。師匠はなんであんなに死に物狂いで……。

 サンは立ち上がり走る。

 カシの手加減のない殺気の剣を、カゲムネも有り余る殺気で迎えうつ。両者の剣は互いに弾き、体をかすめ、突き刺すようにして硬直した。

 間に合わなかった。

 サンは必死に口で呼吸を制御しようと喘いだ。どっちかが死んだ。そう思わせた。

 二人は互いの木刀を、突き刺す体勢で止まっていた。脇下を通って貫通しているように見える二人の木刀は、揺らめく気を纏っている。直後、カシが膝を折り地面に手をつく。

 よかった、二人とも生きている。サンは震える大きな息を一気に洩らし腰を抜かした。

「おい、爺さん。今の殺気はたまらんなぁ。そこまでの殺気っちゅうことは」カゲムネが姿勢を起こし、カシの戦装束を眺める。汗にしては濡れすぎているカシの背中を、肩から腰まで斜めに木刀をそわせた。カシが苦痛を滲ませた唸り声をあげる。「わいの言ったこと、本当っちゅうことか。こりゃ面白い」

「もういいだろ! 師匠から離れろよ!」鋭い番犬のような声を張り上げてサンはカシに近づく。

 カゲムネの昂揚感に踊る引き笑いの風を浴びながら、サンは震える手をカシの背中に翳して息を呑んだ。

「師匠、背中の傷が開いてる。まずいよこれ。はやくロジウスおじさんのところに行かなくちゃ」

 キンザンが腰を屈め、壊れた壺でも見るかのようにカシを見る。カシはサンの手を振り払うと、青白い汗だくの顔を上げて気丈にも立ち上がる。

「まだ終わってはおらぬ。拙者は――」

「無理だカシ。今のそなたに何ができよう」

「もういいよ師匠。帰ろう。帰ろうよ」

 サンは足取りの重いカシに肩を貸して、屋敷を後にした。

 俯き、汗だくのカシの黒い目を見て、サンは赤い鉄を打つかのような堅い熱を抱いた。

 俺がなんとかすればいいんだ。なんとかできるさ。諦めるな。

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