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暗黒の江留衛

作者: 佐々原廠






この小説は、二〇一七年、同人誌「侍とカラシニコフ回天」のため書き下ろした作品です。

本文中、一部に過激な表現・セリフが存在しますが、

特定の国家・民族・思想・信条・宗教などを貶めたり

犯罪行為の助長・奨励をするものではありません。





 嘉永六年、徳川の純白の歴史に一滴の墨が垂らされた日から、この話は始まる。

「黒船がきた」

 と、のちに言われることになる年である。事実、彼らはきた。

 これに先だちアメリカ大統領補佐官は、長途遠征に向かうペリー提督に大統領の国書を渡し、この任務のいかに厳粛で、神聖であることかを伝えた。

「まもなく選挙だでよお、まぁちいっと軍艦でもってそのへんの国でも脅かして、文明させちこいや。国民はそういうのがダーーイスキだでね。野蛮なやつらに文明を授けるだでよ。マニフェスト・デスチニーだがや。わかるけ?」

「わかりました、補佐官殿」

 ペリーは、海軍軍人らしい力強い男らしい声で、はきはきと答えた。

「世界最強のわがアメリカ艦隊にとり、未開の村を焼き払い、雑多な火器で立ち向かう原住民をせん滅し、金髪の美女を救いだし、爆弾が降り注ぐなか、アメリカ的セックスをすることは、この上もない生き甲斐であります。神の名の下に、異教徒を焼き付くす準備は万端であります」

「がはははは」

 補佐官は、この提督が持つアメリカ魂の素晴らしさに感激し、4リットルのダイエットコークを飲み干して、アメリカ的笑いを鎮めなければならなかった。

「まあー、先制爆撃はまずかんべえ、人道的にやんねばあ、われらは文明人だけんねえ。大統領閣下はよ、文明世界の代表として、原住民の首長にあてた親書をお書きになられたがや。おみゃーさんは平和の使節ちゅうわけだけんね。これがうまーくいきゃあよ、大統領閣下は選挙で安心できるしよ、おみゃーさんもウィキペディアに名前がのるかもしれんでねえ。ついでに原始人くんも民主化されてエエじゃないの。これどう思う?」

「はっ、最の高であります! で、わが艦隊はどこに行くんでありますか」

「ん? まあー、別にどこでもいいんじゃね?」

「はあ?」

「うん。とりあえずなんか、適当に目に付いた野蛮っぽい

とこを文明にするってことでよ」

「いやあー、それだとちょっと」

「はあー、提督はまじめじゃねえ。んだば、ちょっくら決めまひょか」

 補佐官はダーツの箱を出し、部屋の壁に掛けてある世界地図にむけ、針を投げた。針は、地図の端っこにある弓状島に当たった。補佐官は島の名前を読み上げた。

「ジャ……なんとかちゅうシマみたいねえ。もちろんおらぁ字ィ読めるがよう。小学校にも行ったがねえ。もちろん読めるがねえ」

「ジャパンですな」

「そり! 文明! そん奴らァ文明してくるがや。やったらんさい!」

 こうして、ペリーの座乗する原子力空母「エンタープライズ」は、偉大なる自由の灯台アメリカを出港した。旗艦

を含む四隻の艦隊は、速度ワープ・ファイブで前進。二時間後、日本に到着した。

「提督、見てください。くるまが走っています」

 現地に送った偵察用ドローンの映像が「エンタープライズ」の艦橋に送られ、アメリカ人たちは初めて日本の様子を見た。高くそびえるフジヤマのまわりを緑の松林が囲み、点々とたつアジア的パゴダのあいだを、自動車で行き交う原住民の姿が見える。

「見ろ、くるまがタイヤで走ってるぞ」

「われわれの原始時代以下ですなあ」

「なんというやつらだ。あのくるまはガソリンエンジンを使ってるぞ」

「野蛮人め! 神が造った地球の大気を汚染していいのはアメリカだけだということを知らないのか」

 冒涜的な原始人に神の鉄槌を下すときがきた。ペリーは攻撃準備を命じた。

「フェーザー砲一番から四番、レディ・ガン。攻撃目標、前方のトヨタ」

 軌道衛星上のフェーザー砲台が砲門をひらき、四基の砲列がその先端を宇宙空間に露出させる。トヨタとは、その語源は不明ながら、「神とアメリカに背を向ける未開土人が使用する原始的な乗り物」とアメリカ語辞典にはあり、聖書においても、悪魔は必ずトヨタ、ワーゲン、フィアットに乗ってやってくると記述がある。アメリカの敵であることは言うまでもない。

「うて!」

「フェーザー、発射」

 砲術長の男らしい毛むくじゃらの指が引き金を引くと、雲の中から四つの巨大な人差し指が現れ、その先からピンク色をした四本の光線が、ピイーッという音を出しながら地上へと照射され、走っているトヨタの車体を真っ赤に熱していった。

「アアーッ!」

 ドローンの高性能指向性マイクが、悪魔崇拝者の断末魔の叫びをとらえ、「エンタープライズ」の艦橋に送った。悪魔のトヨタがエンジンを爆発させると、米兵たちは喜んだ。

「わおーっ、やったぞおーっ」

「すごい!」

「やろー、木っ端みじんだぜえ!」

「おお、見えるだろうか。夜明けの薄明かりの中……」

 自由と愛国の男らしい戦士たちが、感激に打ち震える美しい野太い声でアメリカ国歌を口ずさむなか、ペリー提督は雄々しく命令を発した。

「ではわれらはこれより、日本帝国の心臓を攻撃してご覧に入れよう。針路を江戸湾に向けよ!」

「ヒュー、おれたち最高ーっ!」

「文明だあ!」

 乗員たちは歓喜して、M16を空に向かってばりばりと撃ちまくった。ペリー艦隊ははためく星条旗のもと、江戸へ向かって進んでいった。

 こうして日本には、はちゃめちゃの大混乱が巻き起こった。



 ときの徳川幕府は、ペリー艦隊の圧倒的武力の前に晒され、ついに開国に踏み切った。

 日米和親条約は、神奈川の浜に設置された特設会場で調印式が行われ、空から四本の神の指が見下ろすなか、両国はここに永世不朽の和親を誓明した。

 こうして幕府は創業以来の国是である鎖国を解いたわけだが、まだこの時点では国内にさほどの反対論は見られなかった。

「いくさにならず、よかったなあ」

「いやー、びっくりした」

 およそ三百年間、徳川家の方針に無条件で従うことに慣れていた人々は、ペリー艦隊のおそろしさには驚いたものの、条約を結ぶとともに艦隊が去ったため、やがてなんとなく忘れてしまった。だが、ペリー艦隊によって垂らされた「黒い墨液」は消えることはなく、純白の石であった徳川家の権威を、少しずつ汚していった。

「幕府というのは、たいして強くない」

 ということが言われはじめたのは、幕府がさらに「修好通商条約」という一連のものを各国と結びはじめた、安政年間になってかららしい。日本にとって不平等な内容を含み、このような条約を結ぶ幕府は弱い、ということが、全国に知れ渡ってしまった。

 相手が弱いとわかると、とたんに態度を変えるのがこの国のもっとも基本的な掟といえる。

「幕府をぶっ潰せーっ!」

 尊王攘夷という言葉が流行りだしたのはこの頃からであった。尊王家たちは「勤王の志士」を名乗り、鉄板や金網を貼った真っ黒のバスに天皇家の菊の御紋を描き、「天皇陛下万歳」と大書して、スピーカーで君が代を流しながら、江戸、京、大坂を練り歩いた。若い武士たちは攘夷論に熱狂した。

「なにがアメリカだよ。まじぼこぼこにしてやんよ」

 彼らは幕府の役人の車のタイヤに穴をあけたり、ガソリンタンクに砂糖を入れる、代官所の窓をバットで叩き割る、スプレーでペニスの落書きをする、野糞をするなどの、乱暴狼藉を限りなく行った。家康の昔以来、江戸時代においてこのようなことはあったことがない。テレビ局は町に出て、世論調査を行った。

「あなたは尊王攘夷についてどう思いますか?」

 賛成九十五パーセント、反対一パーセント、よくわからない四パーセント。

「天ぷらと寿司はどちらがすきですか?」

 天ぷら三十パーセント、寿司四十パーセント、中日ドラゴンズ三十パーセント(回答者の三十パーセントは尾張藩出身)。

「目くそは鼻くそであり耳くそであり同時にリチャード・ニクソンである」

 その通りだ六十パーセント、そうだ二十パーセント、そう思う十パーセント、はい五パーセント、よくわからないけどイエス五パーセント。

 この混迷した世相において、幕府大老に就任し、政局の一切を独裁支配していた井伊掃部頭には、一人の参謀がいた。長野主膳という得体の知れないこの謀略家は、生国さえはっきりとは分かっていない。ただ、井伊がまだ譜代筆頭・彦根藩の藩主として相続する以前から、彼の腹心として長いあいだつき従っていたのは確かであるらしい。

 安政五年のある日、長野は外国奉行・岩瀬肥後守を江戸桜田の彦根藩邸に召し、唐突なことを切り出した。

「西洋の港市というものは、どのような造作になっているか」

 という問いであった。岩瀬はこのごろ、西洋通として名を高くしている新進気鋭の幕臣で、身分としても将軍直属の侍にあたるから、井伊の家来で陪臣にすぎない長野からそんな口をきかれる筋合いはないのだが、今をときめく大老を後ろ盾にもつ長野は、気にも留めなかった。身分社会崩壊の萌芽がすでにある。得体の知れない男は「ご大老さま」という言葉をさかんに使用した。

「このたび、ご大老さま御英断により、修好通商条約調印のおめでたき儀がなり、ただちに神奈川の開港が発せられたが、船の泊まりの整備がままならず、難渋しておるとの由がご大老さまのお耳に達し、天下万民の暮らし安かれと常に御思案なさっておられるところの優しきご大老さまにおかれては、その御心痛のほど海よりも深く、一日も早く、宜しく解決の道をつけたいと、われら一同悲願しているのでござる」

 岩瀬はメガネの弦を上げ、どこの馬の骨とも分からないおべっか使いの芝居がかった周りくどさに閉口した眼を、レンズの奥で傾けた。

「つまり井伊殿は、はーふぇん(港)を作りたいのですな」

 長野は突如激高し、大声を出した。

「ご大老さまだ!」

(こんなのが天下を治める大老の参謀なのか)

 と思うと、岩瀬はつくづく嫌になった。しかし、権力を持っている者を怒らせたらかなわない。岩瀬は平伏し、かしこまった。そのうち、「言え」と長野が続きを促した。岩瀬は身体を上げた。

「ご大老さまがお考えになられている泊まりとは、おそらくオランダにおける、はーふぇんの如きものでございましょう。それはよく荷船を泊め、その荷を自在に陸揚げし、また船積みもでき、荷を一時保管し置く倉庫と、のち速やかに陸送しうる機能をもち、かつ、船乗りのための遊び場や、商取引所を備えた、新しい町でござる」

 棒のように細長い長野の頭のなかで、岩瀬の言ったことがどの程度イメージできたのかは分からない。ただ長野は、それをつくれ、と言った。

「はあ?」

 岩瀬は驚くほかない。なにをもってそう言うのか、法的にどの程度重みがある言葉なのかも分からない。長野はただ、つくれというだけである。

「それをつくってもらいたい。条約により、神奈川以外の港も順次開いていかねばならない。兵庫は、四年後には開港することになっている。これを破れば、夷荻は攻めてくるのだ」

「ちょっと待って頂きたい。そんなことは不可能だ」

「待ってるひまはない」

 言うことを言ってしまうと、長野は立ち上がり、さっさとその場を去ってしまった。

「ご大老さまのため、なにとぞ宜しくお願いいたす」

 入れ替わりに、彦根藩の書き役の者がきて、三方にのった達し書を渡した。岩瀬肥後守殿、右の者、開港場築港の儀に関し奮励努力すべし、云々、とある。これでは話にもならない。



 岩瀬は憤懣やるかたない表情で自邸に帰り、井伊家の用向きはなんでござったかと知りたがる老練の用人(岩瀬家づきの私設秘書)に、さきほどの文書を見せた。

「くだらん文書をよめ」

 用人は読み、読むうちに表情を曇らせた。

「はあ、これはなんと、容易ならんことになりましたな」

「容易ならんで済まされないよ」

 岩瀬は裃を脱ぎ、用人に手渡した。用人はごみを取り、衣紋かけに掛ける。

「長野の狙いは私の首だ」

「と、申されますと?」

「わからんのか。なんでも命令できる者が、だれかを蹴落としたいときには何をする」

 不可能な仕事を押しつけるのだ、と岩瀬は言った。無理なことを命じ、失敗させる。その後、失敗の責任がどうのこうのとわめき立て、詰め腹を切らせてしまうのだ。

「井伊さまは、殿を憎んでおられますからなあ」

 用人は岩瀬の言うことを理解し、ため息混じりに独語した。だいたい井伊掃部頭というのは、外国と通商条約を結んだ政治家とは思えないほど、西洋の文物やら考えやらが大嫌いで、西洋に明るい岩瀬などは人間とも思っていない。長野はその意を汲んで、ムチャな命令を考案し、岩瀬にむりやり押しつけたのに違いなかった。

「だいいち、西洋の港がどうなっているかなど、私だって知らんよ」

「ええっ」

「当然じゃないか。私は書物で読んだだけで、行ったことはないんだから」

 岩瀬は書棚から一冊の翻訳書を取り出し、用人に見せた。原書は英語で、エルロイという米人が著した。岩瀬の手持ちの一冊は、洋書の翻訳を行う幕府の施設、蕃書調所で日本語に訳されたもので、「江留衛コンフイデンシヤル」という題がつけられている。

「江留衛はメリケンの港市の名だ。調所のだれかが漢字を当てた。コンフイデンシヤルは、秘密、という意味だ」

「ははあ。するとこれは、江留衛の秘密、というわけで」

 用人は書物の頁を繰りながら、読むともなく字の列を眺めていった。秘密というからには、なにか重大な謎が隠された書物なのであろうが、アメリカの社会や制度に無知な者が読んでも、なんだか分からないようだった。用人は書物を閉じた。

「殿のお悩みはわかりました。ではその一件、このじじいにお任せ願えませぬか」

「なに」

 考えがてら、肘を突いて寝転がっていた岩瀬は、用人の言葉にはね起きた。

「おまえ、よい思案でもあるのか」

「へえ。実は、わっしの知人の甥っ子に、妙に洋夷のことに通じたのがおりまして」

「ほう、それは知らなかったな。私は外国奉行だが、私以上と申すか」

「いやいや、ウエシタでいったら何にもなりませんが、なにせもう三十にもなるのにまだ親のすねをかじり、毎日蘭癖に明け暮れて働きもしないという札付きのろくでなしでございましてな。殿のようにいろいろお忙しい方のお知りになるでもないことを、知ってるかもしれないと、こう思いまして」

「そいつに任せるというのか。幕府の命令を」

「ええまあ」

 用人は一応、ちょっと憚りのあるような顔つきを作り、やや声を低めて言った。

「井伊さまは、殿をご失脚せしめようとして、この命令を無理強いされたのでしょう?」

 そうだ、と岩瀬は頷く。

「殿も同じことをされればいい。つまり、わっしにおっ被せておしまいになるのです。わっしは更に、だれかへそれをおっ被せる。そうやっておっ被せを重ねてゆけば、最後にはだれの責任だかとんと分からないことになり、と、まあこういう次第でございまして」

「おまえ、よほど頭がいいな」

 とは岩瀬は言わなかったが、うれしさが表情に表れていた。これで胴体と首が離ればなれになる心配はなくなったのだ。

「そんなことして、いいのかなあ?」

 かわりに、およそ内心とはかけ離れたことを言った。いいに決まっています、と誰かに言われたいときにしか、人間はこの種の言葉を発しない。

「いいに決まっています。だいたいそのことは、徳川の世で代々まかり通ってきた便法なのでございますから、いわば御定法も同じこと。つまり、権現さま(徳川家康)の御遺志とも言えるのでござる」

「そのとおりだ」

 岩瀬はてきとうに頷いた。そのときから、この開港場の件は岩瀬肥後守の手を離れ、徳川家の手からも離れたのかもしれなかった。



 用人は、彼が自分自身の殿に言上したとおり、築港の件いっさいを、町外れにすむあるろくでなしに任せてしまった。

「おい二位戸、いるかい」

 ところどころ、雨戸が外れたり、障子が破れたりしているボロ屋へ、用人は出かけた。二位戸風太郎は、小普請組御家人の三男として生まれ、今も部屋住みで暮らしている。いや、実際には部屋住みでなく、名目上は独立し、姓のとおり、二位戸家という一家をちゃんと立てたのだが、土地屋敷を整える費用がなく、そのまま実家の一室に住んでいる。だから、実態は部屋住みと変わらない。

 二位戸はいつも家にいるが、人と会いたがらず、この用人がきたときも居留守を決め込んでいた。用人はだんだん腹が立ち、むかついてきた。こいつも元々、甲州くんだりの渡世人あがりで、岩瀬家の家人になる前は北千住あたりで賭場を仕切っていたというじじいだから、だいたい気が長いわけはない。

「二位戸、出てきやがれ。返事をしやがらねえなら、きたねえ手前の家なんぞ火をかけて燃えカスも残らねえようにしてやるぞ。いいんだなー! よおーし、いま火をつけたぞーっ。燃えています、燃えていますねえ!」

「おい、なにやってんだよ!」

 二位戸がコンビニから帰ってきたとき、火はあかあかと燃え広がり、白、黒、灰色の煙が天に沖し、やじうまが集まっていた。

「なんだおめえ、出かけてたのか。いや、火をつけてすまなかったなあ。許してくれや。いいだろう?」

「あんたが火をつけたのか? なんでいいって言うと思うんだ。家が燃えたんだが?」

「いやいや、それはもういいがな。今日はな、おじさんがいい話を持ってきたんだよ」

 火の勢いがゴオーッと強くなり、火消し人足が叫んだ。

「あぶない、崩れるぞ!」

「おい、みんな下がれーっ」

 柱が折れ、炎の中の家がばきばきと鳴り始めた。火の粉が空を焦がし、屋根瓦がどおーっと崩れ始めると、やじうまは歓声をあげた。

「キャー! すごいわーっ。きれいね、おさむちゃん」

「うん! きれいだね!」

「ははは、江戸の醍醐味ですなあ」

 江戸の町人たちは、自撮り棒をつけたスマホを振り回し、火事の現場を背景に、老いも若きも、男も女も、パシャパシャと自撮りをしはじめた。

「はい、みんな、もう火事は終わりだ。ほら、行って行って、立ち止まらないで、もう終わったんだよ」

「それでおじさん、家が燃えない以上のいい話って何なんだい」

 目障りなやじうまをばらけさせている用人のうしろから、二位戸がきいた。用人は年寄りのせいで、なんのために火をつけたのか聞かれるまで忘れていた。

「あ、それね。いや、おめえさん、ちと頼みてえことがあってね。まあここじゃなんだ、一杯飲みながら話そうや」

「おじさん奢りですよ。あと家も建ててください」

 二人はそのあたりの、てきとうな門前蕎麦屋の入れ込みに腰を下ろした。もう夕暮れ近い時間だった。

「ところのもんの言う話じゃあ、あんた相当メリケンに詳しいらしいね。どうだい」

「さあ。別に詳しくはないよ。けどそれがどうしたの?」

「いや、どうもしないよ。じゃあな」

 用人は腰を浮かせ、立ち去りかけた。

「おい待ってよ、まだ話をなにも聞いてないじゃないか」

「話もくそもあるか、ばかやろう」

 用人は二位戸の頭の上に水をぶっかけた。

「こちとらはな、てめえがメリケン通だと聞いたもんだから、てっきりそうだと信じ込んで、わざわざ出向いてきてやったんだ。それがなんだ、詳しくない? べらぼうめ、このやろう。わかってんのか」

「すみません、ごめんなさい」

 用人の勢いにつられて、二位戸はつい、あやまってしまった。あとで考えたら彼自身にもわかったのだが、いままでに二位戸が悪かった部分はなにもなかった。

「いいか鼻くそ、てめえはな、この満天下でだれよりもメリケンに詳しいんだぞ」

「そ、そうでしょうかね?」

「あたりめえだ、あほ。手前みてえな能なしを公方(将軍)さんが今まで養ってきたのは何のためだい。手前は働きもしねえで、一日中ばかづらを下げて、メリケンのキネマとやらを見てたそうだな」

「アメリカでは、ムウヴィだよ。おじさん」

「たわけ!」

 用人はもう一杯水をぶっかけた。

「余計なことは言うな。ここだけの話だが、上様のご内意で、メリケンの港に詳しいやつを探している。そのメリケンのモンと、そっくり同じのを大坂あたりに一丁こしらえてえとこう来たもんだ。どうだいおめえ、やってみたいだろ。え?」

「そっくり同じのを作るのかい? メリケンと?」

 二位戸は手ぬぐいで顔の水気をとりながら、たずねた。

「そうともよ。いやもう、まったく同じモンだ。同じモンを作れ」

「はあ」

 彼ら二人は知らないが、偶然にも、だんだん話の調子が長野と岩瀬の会話に似てきている。ムチャな命令というのは大抵こういうものらしい。

「日本は開国をした。だが港はできてねえ。夷荻の船が入ってきて、牛が糞してるだけの田舎だったらどうだ? そりゃもうおめえ、侵略してくださいって言うようなもんじゃないかね」

「そういうもんですかねえ? ちなみにメリケンの港って、いっぱいあるけど、御公儀ではだいたいどのあたりをお考えなんですか」

「なに、どのあたり。そうさな、それはまあ……」

「いろいろあるよ。ニューヨーク、ボストン、ノーフォーク。西海岸にもサンフランシスコや、LAがあるし」

「江留衛!」

 用人は昨日、主人の部屋でみた洋書のタイトルを思いだし、手のひらを打った。

「それだそれだ、確かに、江留衛なんとかと言っておられた。それそれ、それを作れ、おまえ。作れ作れ作れ」

「えーっ!」

「よいな、二位戸。おれは伝えたぞ。こりゃ幕命だからな。かならずやれ、すぐやれ、死んでもやれ。わかったなーっ」

 用人はビデオの倍速音声のように甲高い早口でそう言い残すと、千円を置いて足早に立ち去った。二位戸は札を手にし、裏返したり元に戻したりして眺めていたが、やがて思い立ち、店を出て通りに出た用人の背に、窓から叫んだ。

「ねえ、おじさーん! これじゃ足りないんだけどさあ!」



 とにもかくにも……。

 幕府の新港築造計画は、やがて予算も承認され、正式にスタートすることとなった。

「これなるビデヲは、二位戸と申す直参の者が公儀に献上しましたる、メリケンの泊まりの資料にございまする」

 ある日の朝、長野主膳は、井伊掃部頭の部屋にまかり越し、新港の資料となるDVDを見せることにした。

「ダイ・ハード」

 画面にタイトルが表示され、井伊と長野は終始無言のうちにそれを視聴した。それは、LAロサンゼルスを舞台にした戦闘アクション映画だった。

「イピカイエー! くたばれ、くそったれ」

 銃を持った禿げた男が裸足でビルの中を走り回り、叫びながら犯罪者を撃ち殺していく内容で、高い評価を得たものである。しかし、ユーモア的なセンスが生まれつきまったく欠落しているこの主従は、始まってから終わるまで、一度も笑わず、もちろん泣くこともなく、いかなる感情も宿さなかった。

「ほかの資料はないのか?」

 井伊掃部頭は、戦場の武将のようにソファから動かずに、長野に尋ねた。はい、ございません、と長野は答えた。

「いえ、あったのですが。火事で燃えたそうにございます。これだけが残りまして」

「そうか……」

 先頃、安政の大獄と呼ばれる尊王派の大弾圧を行い、彦根の鬼と世の人に言われた井伊掃部頭直弼は、すっかり消沈した表情になった。

「主膳。新港の名は、江留衛と決まったそうだな」

「然様で」

「それは、このLAとなにか関係があるのか? それとも偶然、同じ名前になったのか?」

 主膳は井伊の機嫌がよくないことを察して、返答の仕方をよく考えた。

「資料にある都市と、寸分違わぬように作ると聞き及んでおりまする」

「そのこと、ならぬ」

 井伊は即断の人である。気に入らぬと最初に直感したものに対しては、決して態度を変えることがない。

「即刻中止せよ」

「しかし、殿」

 長野はめずらしく、このとき井伊に反駁した。気を利かせたつもりで計画をひそかに動かしていた自分の面目も丸つぶれになる。

「すでに昨日、江留衛奉行の人事も決定し、職人ども含め行列を組み、東海道を現地へ向かっております。ここで中止しては、朝礼暮改のそしりは免れず、ひいては御公儀の体面にも関わるかと」

「控えなされ、主膳。口にしてよいことと悪いことがある」

 井伊は鉄面皮のように表情をかえず、長野にいった。

「大公儀が世人のそしりを受け、体面を損なうなど、考えるだけでも罪に値する不忠ではないか。わが日本とアメリカとは違う。このような……」

 画面を指さす井伊の太い指は、ぶるぶる震えていた。

「犯罪者がのさばる街を、わが国の玄関にするのか? ならぬ。いや、ありえない。わが日本国は大公儀の威令と、公方様のお慈悲のもと、万民が平和裏に暮らす鎮まった国である。こんなのとは」

 ちがう、と口にしかけて、井伊は突如、切り込むように激しく咳をした。井伊はこの朝、風邪気味であった。雪が降っているのである。

「私が開国をしたのは、犯罪者が街を闊歩するためではない」

「は、御意に」

 長野はただ、平伏してかしこまっている。

「銃を持ったテロリストがそのあたりをうろつき、犯罪を起こすなど、日本では考えられないことだ。アメリカの堕落した常識は、日本では通用しない」

「その通りでございます」

「わが国では、道を歩いていて、いきなり撃たれるようなことは絶対にない。そんなことは起こらないし、そもそもテロリストなど何処にもいない。いるわけがない」

「はっ、如何にも」

「アメリカの連中は、どこでも銃を撃ちまくる。それは、彼らの本質が人間よりは獣に近い証拠である。わが日本人はどうか? 日本人は決して銃を乱射しない。ロケットランチャーも撃たないし、政治家も殺さない。もしわしが間違ったことを言っているのなら、天罰がくだるだろう」

 彼は、予言者だったのだろうか。

 万延元年三月三日。この日は井伊直弼の命日になった。

「天誅だ!」

「井伊掃部、天誅!」

 江戸城桜田門外に差し掛かった井伊の行列に銃が乱射され、ロケットランチャーが撃ち込まれたのは、午前九時頃であったといわれる。

 雪中の大老邀撃を敢行したのは、安政の大獄で主要な標的にされた水戸藩系浪士を中心とした十八名で、襲撃にはカラシニコフ自動小銃など瞬間的な殺傷威力の高い自動火器が使われた。強力なライフル弾を三十連発できるこの種の火器は、平安時代に武士の実用品して普及して以来、多くの合戦や変乱に使用されてきたが、このときもその恐ろしい性能を完全に発揮した。井伊家の行列はばたばたと倒され、血しぶきが雲のように飛び散った。

 やがて、激戦になった。

「チェーッ!」

「わあ、わあ!」

「おどりゃーっ! こなくそーっ」

「しねやーっ、しねやーっ」

 ばらばらばらっという自動小銃の音が、ぱんぱんという拳銃音に変わるころ、十数分が経っていた。あたりの景観は見るも無惨なむごたらしい情況になった。桜田の雪は血に染まり、紙のように切り裂かれた人体のパーツが吹き飛び、地獄のようであった。井伊家の大名行列を形成していた者たちは逃げまどうか、撃ち殺されるか、どちらかになった。駕籠かきの人足も逃げだし、井伊の駕籠は雪の上に放置された。

「PE4さ持ってこお!」

 諸藩ではC4と呼ばれているプラスチック爆弾のことを、水戸家ではなぜかPE4というらしい。彼らは駕籠の扉を爆薬で吹き飛ばし、直弼を雪の上に引きずり出した。刀を抜き、首を切り落としたのは、襲撃者の中に一人だけ混ざっていた薩州人だった。

 井伊は、その顔を見ただろうか。薩人特有の猿叫(特に意味はない修羅場の叫び声)が江戸の空に響いた。

「イピカイエーーッ!」

 井伊の首が転々と赤い雪の上をころがったとき、初代江留衛奉行を擁して上方の任地へと向かうもうひとつの行列は、ちょうど東海道品川宿を通過するころだった。

 井伊直弼の首があと一日だけ胴に繋がっていたら、彼らは歴史に足跡を残さなかっただろうし、この話も書かれることはなかっただろう。



 月日が経ち、慶応三年となった。

 大老井伊直弼が討たれた雪の日の出来事も時勢の中で風化し、過去のことになりつつある。江留衛の歴史は七年目に入った。

 異様な街が出現していた。

「なんだい、ありゃあ?」

 馬関海峡から瀬戸内海を東行し大坂に入る北前船は、風浪の烈しいときには難破をおそれこの辺りの入り江に入って休息するが、月のない夜などは、岸辺に輝く目の眩むようなきらびやかな青い光のわだかまりが、船頭たちを仰天させた。江留衛の街の灯だった。

 アメリカのロサンゼルスと寸分違わずまったく同じに作られた大都会江留衛は、見上げるような摩天楼が林立し、ネオンが煌めき、夜中じゅう電気がつけっぱなしに光っている。それがあまりにも美しいので、船客たちのなかには念仏を唱えて手のひらをこすり合わせている老婆まで居る。しかし一方耳聡い旅人も居て、あれはほとんどハリボテで、ただエレキテルが瞬いてるだけなんだ、と側の客に言う者も居た。

「おりゃーせんまで光淵一家の身内のとこにわらじを脱いで見てきたけんのう、あんビルヂングのおよそ九分九厘まじゃー、中ェ入ることぁ出来んけえのう」

「へええ、そりゃナしてじゃ」

「なーにカブキの書き割りと同じことよ。あん港ァ来年異人に開港されるっちゅうことになっちょるがのう、要は奴らに侮られん見せかけを作るっちゅうことよ。異人は船ン中におる。遠目に見て、成る程立派な街じゃ思わせりゃそれで済むんでえ」

「ははあ、そりゃおもしろいのう。太閤サン(豊臣秀吉)がやりんさった一夜城に似たごつある。光淵一家ちゅうのは聞いたことないが、有名なんか」

 ああ、と事情通の渡世人は頷きながら、煙管に煙草を詰めて江留衛の街の光芒を映す水面に目をやった。

「もしかしたら、今に天下を取るお人かもしれん」

「そんなにか」

「ミッキー光淵ゆうてのう、江留衛じゃ街を仕切っちょる大親分よ。大公儀のお奉行サンから何から、光淵の旦那の息がかかっちょらんもんはあの街にゃァおりゃせんで」

「はあー、大したもんじゃねえ。しかしィ、そのミッキーっちゅうのはなんじゃい」

「あんた、なーんも知らんのかい」

 渡世人は、相手があんまり知らなすぎるので、だんだん閉口してきた。

「江留衛っちゅうとこァのう、全員メリケンの名前を名乗らなあいけんことになっとるんで。街もメリケン、人もメリケンよ。万事メリケンの流儀でやるっちゅうのが、江留衛っちゅうとこじゃけえのう」

 彼にも江留衛で名乗っていた菅藁のヴンターという異人風の名前がある。彼はそこをハリボテの街と呼んだが、書き割りの摩天楼の下に現実の街があることは確かだった。そこにはすでに数万人が暮らしており、さらに新しい名前を求めて、流入する人々は増え続けていた。彼らは、重い年貢や凶作のため、各地の村々を逃散した農民や、奉公先から逃げた男女、士籍を捨て脱藩した浪人、そして犯罪者などである。



 地上の楽園である江留衛の平和を守るため、日夜死力を尽くして犯罪に立ち向かっている男のなかの男たちがいることをわれわれは忘れてはならない。江留衛市警、それは世界一優秀な警察だ。

 彼らはみな、愛国者であり、職務に忠実だ。そしてもちろん異性愛者で、股にはりっぱなナニを下げている。

 彼らは犯罪と戦う。自由と民主主義の盾となり、憎むべきホモセクシャルと共産主義をこなごなにするのだ。

「白状しろ、てめー、このやろー」

 交通課の刑事同心イーストウッド太郎左右衛門は、勤続六年のベテラン警部補だ。数多くの犯罪者を地上から抹殺してきた彼は、この夜も犯罪現場にいた。彼の同僚フロスト又五郎刑事同心が犯罪者を容赦なく殴打する頼もしい姿を眺めながら、イーストウッドは煙草をくわえ、パトカーのルーフに腕をのせてだまっている。

「貴様は二十二キロのスピード違反をしたんだ。しかも、横断歩道の前で減速をしなかった。神妙にしろ」

「ふへへ、おまわりさんよ。おりゃあそんなには出しちゃいませんぜ。せいぜい十九キロぐらいだぜ」

「だまれっ、チンカスが。免許証と車の登録証を見せろ」

 フロストが凄んでも、男はにやにや笑っていた。車のスピード違反は、二十キロ以上だとはりつけになるが、十九キロ以下なら軽い叩きで済むというのを知っているようだった。パトカーの装置には誤差があるから、そんなに出してないと言えば命が助かるのだ。

 フロストは男の免許証と登録証を荒っぽく取り、それに数秒ぐらい目を通すと、橋下の江留衛川に投げ捨てた。

「おっと、手が滑った」

「なっ、なにしやがんだい」

 イーストウッドは橋の欄干に飛びついた男の頭を押さえつけ、腕を後ろにねじ上げて手錠をかけた。

「いてえーっ!」

「免許証不所持と車両窃盗の容疑で逮捕する。これより条々申し付く。その方に黙秘権あり、弁護士を呼ぶ権利、および裁判を受ける権利あり。但し発言は法廷で不利に働くことあるを心得べし。終わり」

 フロストがパトカーのドアを開け、逮捕した男を中へぶち込む。

「頭に気をつけろ」

 と言いながら、容疑者の側頭部をパトカーのルーフに思い切りぶつけた。イーストウッドのパトカーは2ドアのマッスルカー、フォード・グラントリノで、後ろの席はかなり狭い。イーストウッドは容疑者の車に乗り、エンジンをかけた。シートベルトを閉め、すこしバックして、助走をつけアクセル全開で手近の電信柱に突っ込む。物凄い音がし、車のガラスが全部割れた。

「やめてくれよお!」

 容疑者がわめいた。イーストウッドはガラス片でちょっと切れた額の傷口を拳で拭い、パトカーに戻ってきた。無線機のマイクを取る。

「ハリウッド署、こちらイーストウッド。警戒中、物損事故に遭遇した。容疑者を連行する。コード4」

「イーストウッド、ハリウッド了解。収容準備はできています」

 無線機の中の声が答えた。事故を起こしたのはおまえだ、と男は言った。

「後悔するぞ、おまえら。おれのパパは……」

「うるせえ、このやろう」

 フロストは十手を横なぎにして、男の額をなぐりつけた。男は卒倒し、仰向けに倒れる。死んだかもしれない。

「ハリウッド署、容疑者は負傷。医師の準備を頼む」

 イーストウッドは無線機のマイクを戻し、ハンドブレーキを下げ、ギアを入れた。V8エンジンのごぼごぼというくぐもった音が起き、車は署に向かう。フロストは気絶した容疑者の懐に手を突っ込み、財布を抜き取って中身を調べていた。

「おいイーストウッド。この生ごみ野郎、すっげえ大金持ってやがるぜ。五百ドルはあるな」

 おめえの分だ、という風にフロストは二百ドルをイーストウッドに渡してよこした。イーストウッドは札をポケットにねじこみ、百ドルは当直主任に渡せ、と言った。はいはい、とフロストの返事。江留衛で使われている通貨、江留衛ドルは、アメリカドルなどと区別する場面でない限り、単に「ドル」と呼ばれることが多い。百ドルあると、街の飲み屋で二晩ぐらい飲んだくれることができる。

「車では吸うな」

 煙草を口にくわえたフロストに、イーストウッドは顔を動かさないで言った。フロストは煙草をしまいこみ、シートを倒した。

「着いたら起こしてくれ。カウボーイ」

 車はそのまま、橙色の街灯が点々とともる夜道を滑っていった。天使の街・江留衛は夜の闇に抱かれて眠っていた。



 署に戻ると、上司のマイケル兵庫祐は部屋でゴルフの練習をしているところだった。

「おお、今日もよく働いてくれたぞ。イーストウッド、フロスト」

 枯れ枝のように痩せた体つきのマイケルは、悪人を逮捕して戻った二人の刑事同心のために酒をついだ。マイケルは交通課の与力で、組織としては課長職にあたる。

 出自は明らかでないが、本人は播磨の名門赤松氏の子孫を自称している。それを証拠立てるため、マイケル与力の部屋の壁には、安土桃山時代の戦国大名・赤松義祐から発して、現代の「マイケル」に至るまでの大がかりな家系図が飾られていた。この時代には、この種の「系図作り」を生業とする偽作者が数多く活躍したものである。

 マイケルは、部屋の中を歩き回った。

「それで、今日はどんな悪党を逮捕した? 聞かせてくれるかね、んー?」

 フロストは、太った身体に酒を入れることに専念している。イーストウッドは同僚から目を動かし、答えた。

「市民のくるまを盗み、無謀運転で事故を起こした無免許の男を捕まえ、連行したのです」

「真実を!」

 マイケルは片手をあげ、背中越しに制した。背が低いマイケル与力は、その反面、手のひらが異様に大きい。イーストウッドは「うぇる……」と一声発して、声を低めた。江戸弁では「そうさな」などに通ずる言葉「うぇる」は、江留衛でいつの間にか発生した由来不明の音声である。イーストウッドは本当のことを話した。

「スピード違反のイカレ野郎がシラを切り、おれたちは頭にきた。フロストは奴をぶん殴り、免許証と登録証を捨てました」

「わはははっ、素晴らしい。きみは? 何をしてやった」

「奴のくるまをバックさせ……」

 身じろぎせず淡々と述べるイーストウッドの口振りが、マイケルにはこの上なく楽しいようだった。マイケルは皺の入った頬の肉を持ち上げ、小刻みに頷いて続きを促した。

「電柱に突っ込み、ボロ車をオシャカにしました」

「ぎゃーははは! 君たちは最高だ」

 マイケル与力は長い手足を麺のようにぐねらせ、彼らの働きを賞賛した。

「君たちこそ、模範的な警官のあるべき姿だ。犯人逮捕のため、必要とあらば証拠をねつ造し、暴力を行使してでも悪と戦う警察の姿勢が、市民に安心を与えるのだ」

「仰せのとおりにござる」

 フロストが酔った声でマイケルに唱和した。元福井脱藩浪士の彼は、酔っぱらうと侍言葉が復活する。井伊時代に勤王の志を立て、国許を捨てたというのが彼自身の吹聴するところだったが、実際は公金の使い込みが藩庁に露顕し、追放されたらしいとイーストウッドは聞いていた。

 もっとも、この江留衛の街においては、そのような前歴など、何の意味もない。

 江留衛の市の標語は「日本の中のアメリカ」である。

 そこでは誰もが元の名前を捨て、新しい人間になるのである。いつの時代も、名前とは経歴であり、人生そのものと言える。

 それを捨てる。

 だから今、この街において、フロストはフロストでしかなく、マイケルはマイケルでしかない。イーストウッドも「イーストウッド」以外のだれかではない、ということになる。

 市の人口は、増え続けた。今も増え続けている。

「知ってるだろーが、来年には江留衛の港は世界に開かれる」

 マイケル与力は腕を組み、部屋に飾ってある官製の「江留衛港市全図」を睨んだ。安政条約で約束した開港期限がくる。それを結んだ井伊直弼は桜田門外で討たれ、死んだが、条約の効力は生きている。徳川幕府は国内の反対論が根強いため、諸外国と折衝し、開港を今まで引き延ばしてきたのだが、いよいよ来年、開港と決定したのだった。

「だからそれまでに、街も人も、すっかりアメリカにせにゃーならん。なんでも海の外じゃあよ、アメリカでない国は爆破され、みさいるを撃ち込まれ、土人の首長はふぁしずむじゃ言うて、打ち首だそうだからな。そうなったらおめえコトだでよ。日本人も立派にアメリカをやってるぞというのを見せにゃいけん」

 マイケルはイーストウッドに葉巻をやり、火をつけてやった。淡路島で作っているキューバ葉巻だ。イーストウッドは煙を吐いた。

「その葉巻は餞別だ、イーストウッド」

「どういう意味です」

 明日から殺人課に勤務しろ、マイケルは葉巻の箱をしまいながら言った。

「辞令が出た。ドネリー与力が君を入り用らしい。警部補同心に昇進する」

「おいおいマイケルさん」

 フロストがウィスキーの瓶を抱えたまま口を出した。先任順序でいえばフロストの方が古株だのに、イーストウッドだけ昇進とはどういうことだ。

「おれは頭を撫でられたり、飴をもらえたりしねえのかい」

「なにを云やがる」

 マイケルは苦く笑って答えた。

「アル中は銃がまともに使えねえだろ。殺人課ってのは名前の通り、ばんばん人を撃ち殺すんだからな。イーストウッドはその辺りは玄人だ」

 そうだな? とこの交通課与力はイーストウッドを見た。イーストウッドは煙をゆっくり吐き出し、葉巻を手に持ってフロストの口に入れた。

「交通課のほうがいい、フロスト。殺人課じゃあ実入りが減るぜ」

「ふうむ……そうかな」

 そうだ、とイーストウッドは言い、飲みかけのウィスキーが入ったグラスをフロストの右手に持ち直させた。

「銃なんか使わねえのが一番だ。人なんか撃ち殺しても何にもならねえよ」

「イーストウッド。おめえ、殺ったことがあんのかい」

 イーストウッドは答える代わりに、口を半分開いて下顎を左右に動かした。

「課長、それじゃこれで失礼します」

 イーストウッドが挨拶すると、がんばって悪党を殺してこい、とマイケル与力は言った。

「殺人課はなんといっても花形だ。ドネリー与力によろしくな」

 おれはいつものクラブにいるぞ、とフロストは酒瓶を持ち上げ、イーストウッドに声をかけた。

「大抵あそこで飲んでるからな。いつかおまえも来いよ」

「ああ、行くとも。じゃあな、酔っぱらい」

 イーストウッドはコートと帽子を取り、部屋を出た。風の冷たい夜だった。結果的に、フロストとはこれが最後になった。

 慶応三年三月十五日、フロスト又五郎同心は江留衛市内の歓楽街で撃たれ、殺された。皮肉なことだった。彼は二階級特進され、警部として弔われた。イーストウッドが殺人課に異動してから七日後のことだった。



「イーストウッド、よくきた」

 現場にきたとき、上司の殺人課与力・ドネリー弾正忠はすでにそこに居た。「筆頭与力」とも別名される殺人課与力は、奉行を除く市警最高の地位にある。奉行というのは江戸の大身旗本から任命され、一年ぐらいで帰国してしまう何の能力もない者だから、筆頭与力は事実上、市警の指揮権を握っている。

 この日、直々出役していた。

 事件は夜中の十時から十数分間、ナイトクラブ・エレキテルで発生した。

 クラブの中は血まみれだった。

「こんなのは見たことない」

 イーストウッドに劣らず長身のドネリーは、痛ましさに顔をしかめながら、店内の情景に顎をしゃくった。飛び散った内臓が、クラブの壁やら電飾やらにこびりついていた。

 手すりで囲まれたステージ上では、逆さまになったポールダンサーの女の下半身だけが、金属の柱に足を絡ませたまま、屠殺場の動物のようにぶら下がり、そのまま死後硬直していた。上半身は、切れた臓物と一緒にそのあたりに落ちていた。周辺の客席でも悲惨さは同様だった。テーブルが割れ、椅子が吹っ飛び、人体の破片、さまざまな手や足や首が、そこかしこに落ちている。アルコールと血液が混ざりあい、異様な臭いが立ちこめていた。

「なにが起きたんです」

 イーストウッドが訊こうとしたとき、マスクをした救急隊員二人が担架を運びながら横を通過した。爆発の衝撃かなにかで吹き飛んだらしい二メートルばかりの金属柱を胴体に貫通させた男が、魚のようにびくんびくん跳ねながら運ばれていった。

「ええじゃないか! ええじゃないか!」

 男は発狂したのか、かけっぱなしのレコードに合わせて「ええじゃないか」と連呼していた。それはこの頃の流行りの文句で、人々は「ええじゃないか」と叫びながら両手を頭上に掲げ、皇太神宮の神札をばらまきながら狂ったように踊りまくる。ナイトクラブ・エレキテルはその種の娯楽場である。

「音楽をとめさせろ。こっちまで気違いになる」

 ドネリーに命じられ、手近な警官が走った。ドネリーはイーストウッドに、証拠品タグのついた透明パックを渡した。パック内の財布の中に運転免許証が入っているのが見える。

「覚えがあるだろう。残念だ」

 血まみれになった免許証にフロスト又五郎の名前が書いてあった。イーストウッドは眉間をこの上もなく歪め、下唇の下の歯並びを覗かせた。

「いったい誰がフロストを。あんなろくでなしを、なんで殺すんだ」

「フロストだけじゃない。大勢が撃たれた。身体の破片を並べてみないことには、何人殺されたか見当もつかん。病院に行ったのでこれから死ぬやつもあるはずだ」

 落ち着いた調子で語るドネリー与力は、ベテランらしく見えた。ドネリーは、現場を見てどう思うか、イーストウッドに訊ねた。暗い店内にぽたぽたと雨が降っているのにイーストウッドは気付いた。もっともそれは雨ではなく、クラブの二階席で流れた血が滴り落ちているのだった。イーストウッドは答えた。

「よほどの重火器でなけりゃ、こうはならんでしょう。軍隊用のマシンガンか何かだ。二方向から撃ってるな」

 イーストウッドは靴の裏に感触を覚えて、乾電池ほどの大きさの細長い金属の筒を拾い上げた。七・六五ミリ口径の金属薬莢だった。床を掃除すれば同じものが何百個も転がっているだろう。幕府陸軍や勤王派の軍隊が長州の戦場で使っているのと同じものだ。

「まったく痛ましいことだ、ついに江留衛も戦場となったか」

 ドネリーは汚いものを見る目で薬莢を眺めた。ナイトクラブが機関銃で襲われるような街は、決して安全だとは言えないだろう。日本一平和な街と喧伝している江留衛市広報局にとっては痛手だ。無論、街の治安を守る立場の市警にとっても良い知らせであるわけがない。

 そこへ、異様な男がきた。

「チーフ、ありましたぜ」

 イーストウッドはその男を見た瞬間、胸が悪くなった。どういうわけでそうなったのか分からないが、その男の肌は黒かった。それに、頭の毛をこけしのように膨らませ、いわゆるアフロヘアーにしている。左手には証拠品の凶器と思われるM60機関銃を持ち、信じがたいことに、右手には食いかけのホットドックを持っていた。

「凶器を発見したか」

 ええ、ありました。黒い男はクラブ音楽の重低音に合わせて身体を小刻みに動かしながら、ドネリーに答えた。

「そこのカウンターの奥へ投げ込まれてたんす。おれの勘ですが、間違いなく凶器は、この二つのうちのどっちかですねえ」

 白黒のはっきりした大きな目を左右に走らせ、手にあるものを交互に見たあと、右手のホットドッグを口に詰め込んだ。肉とパンをぴちゃぴちゃと頬張りながら、男は何度か頷き、うん、うまい、こりゃ安全だ、などといった。

「凶器はこの、M60くんに決定だ。新しいチャンピオンがいま誕生しました。皆さんありがとうございます。この勝利はまさにボクシング界全体の勝利です。ご来場の皆さん、大統領閣下、ローマ法王様、ありがとう。マクドナルドもうまかった。これにて放送を終わります。こちらはJOAK江留衛放送です」

 そして、顔中をしわにして睨みつけていたイーストウッドに、M60をぽんと手渡した。イーストウッドは低い声で凄んだ。

「貴様、おもしろいつもりか?」

「へい、チーフ。だれだい」

 ドネリーは、紹介がまだだったな、と言いながら、二人を引き離した。

「イーストウッド警部補同心だ。七日前殺人課に異動になった。こっちの黒いのはマーフィー捜査官。おまえら仲良くやれ。今日からおまえら二人を組ませる」

「はっ?」

 眉をひそめたマーフィーに、イーストウッドはM60を突き返した。イーストウッドはドネリーに言った。

「ことわる」

「なぜだ。マーフィーは有能なデカだ。おまえらが組めば強力なチームになる」

「お言葉ですが、こんなわけのわからん野郎はごめんですよ」

「えいえいえーい。のっぽくん、一体なにを怒ってんだ。それにおれだって相棒なんかいりませんぜ」

 マーフィーは再びM60をイーストウッドに押しつけた。

「おれは市警に務めて三年か四年か五年かそのぐらいになるけどよ、デカになってからは一貫してシングルプレイを貫いてるんでね。大体こんなでっかいのに横へ立っていちいちついてこられたんじゃ、こちとらの日当たりが悪くなってパンツまでカビだらけになっちまうよ。おれには日照権ってもんがあるんだ。権力の横暴には断固として立ちむかうぞ。いまだ、暴動を起こせ。念のために言っとくが、黒人全部がおしゃべりなわけじゃない。ひゅう、この音楽最高。ねえ、だれかにんにく使った?」

「イカレ野郎」

 イーストウッドは抱えていた銃を今度は強く押しやり、店を出ていった。

「ちくしょう、ウケなかった。あいつ、どんなやつです」

「元相棒が死んだんだ」

「死んだ? そりゃまたどうして」

「撃たれたんだよ」

 それで、とドネリーはマーフィーが持っているM60を指さした。マーフィーは目を右から左へ動かし、そしてまた戻すと、破顔して噴き出した。

「ご冗談でしょう、チーフ。ここに居たってんですか、奴の相棒が? いやいや有り得ない。ほんとじゃないですよね。わかってますよ、嘘なんでしょう。嘘なら鼻の穴が動く。さあ動くぞ、皆さんご静粛に。全米が注目の一瞬です。三、二、一……あー、くそ! おれ最低かよ」

 マーフィーは手近の鑑識官にM60を投げ渡し、走って外に出ると、エンジンをかけているフォードの助手席に飛び乗った。ドアを半開きにしたままの車が、白煙をあげて通りに出た。あやうく振り落とされるところで、マーフィーはどうにかドアを閉めた。

「乗っていいと言ったか?」

 署内の投票で「苦虫を噛みつぶしたような顔の男オブザイヤー」を六年連続で受賞しているイーストウッドは、このときもまさしくその通りの横顔をしていた。勿論そんな賞はあるわけがないが、もしあればみんな投票したに違いないし、おれも投票する、とマーフィーは思った。

「なあ、聞いてくれ。悪かった」

 マーフィーは両手のひらをイーストウッドに見せ、それから胸に右手をおいて謝った。

「あんたのダチが巻き込まれたとは知らなかった。気の毒に思うよ。ほんとうだ」

 イーストウッドは車を走らせながら、だまって聞いている。マーフィーはしゃべり続けた。

「チーフがおれらを組ませようとしたとき、おれは断った。相棒なんか必要ない。それは本心だ。だがおれはすまないことを言っちまった。おれは病気なんだ、一種のな。なにかしゃべり出すと止まらない。だからつい無神経なことも言っちまう。ほんとには思ってないんだぜ? 口から出たもんはハートから出たもんとは限らねえってことよ。ダチを失ってつらいだろうなあ。あんたの気持ちはよく分かる。おれは、それをなにかで証明せにゃ。つまり言葉より行動よ。分かるよな?」

「微妙だな」

「その通りだ、コトは微妙な問題だ。あんたはダチを殺した野郎を追いかける。追い詰めて、撃ち殺す。そうだな?」

「おれは仕事をするだけだ」

「えい、メーン。この男をみろよ。なんてカッコいいんだ。まさにクールな殺し屋だ。マーフィーさんは力を貸すぜ。おれはこのあたりに詳しいんだ。まずなにをする? どこに行く?」

 イーストウッドは車をとめ、「降りてくれ」と言った。マーフィーは窓からその建物を見上げ、十本の指を動かした。

「うーっ、バスセンターか。いいねっ。さあ、運転手に聞き込みをするぞ。やつらは案外物知りなんだ。おれは事務所に顔出してくる。あんたは受付に行って……」

 ぶううーんというV8エンジンの音を背後に聞いて、マーフィーは振り返った。イーストウッドのフォードが遠くに走り去るのが見えた。

 マーフィーはしばらくその場に突っ立っていた。そして、車が戻ってくる様子がないことを知ると、置き去りにされたことを確信し、抗議するように両手を挙げた。



 捜査会議は、翌朝八時に開始された。

 捜査のため、他の課からも応援の人員が増やされ、殺人課の部屋は人が入りきらないくらい一杯になった。黒板の前に壇と卓があり、それと向かい合う格好で、二十人分ぐらいの簡単な机と椅子がある。一見すると、諸藩の城下や江戸にあるような、学校の教室に似ている。

 壇上に、ドネリーが立った。

「諸君。すでに聞いての通り、昨夜は悲しむべき事件が起こった。平和な江留衛に、もっとも縁遠い出来事はなんだ? それは銃撃だ」

 ナイトクラブ銃撃事件を報じた朝刊をドネリーが掲げると、報道各社のカメラが一斉にフラッシュを炊いた。ドネリーは続けて言った。

「われわれは暴力と戦う。市警はすでに一人の尊い犠牲を払った。善良な警察官であり、正義を行った男、フロスト警部を称えよう。彼の霊に報いる道はただひとつ、暴虐な犯人を一人残らず引っ捕らえ、正義の裁きを下すのだ。犯人の耳一個につき五両の賞金をかける。奴らを捕まえろ。以上だ」

「それ行けーっ!」

 事件の概要書を持った刑事たちが弁当をひっつかみ、我先にと出ていった。一人あたり十両の賞金は、この時期かなりの高額であった。外国との通商の影響で、上方ではこのところ、従来の金銀相場が崩壊し、銀に対する金の値打ちが一方的に暴騰している。上方は銀での支払いが普通だから、金十両の力は大きい。

「マーフィー、イーストウッド、おまえらは残れ」

 しわがれたドネリーの声が二人の背中に被さったのは、両名が別々のドアから出ていこうとしたときだった。

「おまえらは仲良くできんのか。なにも抱き合えと言ってるわけではないんだぞ。昨夜はどこに行っていた」

「共同で捜査をしました」

 イーストウッドが悪びれずに答えた。マーフィーは顔をしかめ、どんぶりを持つような手つきをしながら、ワオーと言った。

「そいつは知らなかったな。チーフ、おれはバスセンターに置き去りにされたんですぜ。ひとでなし。もしおれが二歳のがきだったら? こいつはりっぱな犯罪ですよ。大体こののっぽ野郎はあんな車に乗って大気汚染をしているし、北極のシロクマやアザラシが泣いている。地球にとってよくない警官で……」

「わかった、マーフィー。おまえの話はあとで聞く。イーストウッド、続きを話してみろ」

 イーストウッドは、当今流行のラシャの背広からメモ帳を取り出し、ぱらぱらとめくって二人に見せた。七桁の数字と、市内の銃砲店、倉庫の名前が書かれてある。

「凶器の銃の製造番号をもとに、銃砲店をまわり、台帳を調べました。M60を扱っている店は市内で一軒のみ、亀山社中ガンスミスです」

「それなら知ってる。以前調べたが、くさい連中ですぜ」

 マーフィーがとっさに口を挟んだ。言葉を止められない男だ。

「京都の新撰組から手配がきてましたね。奴らの調べじゃ、倒幕系のグループと繋がりがあるらしい。頭目のサカモトとかいうのが薩の島津様と結託し、長州に武器弾薬を卸しては、ぼろ儲けをしているとか。まあ、ハッピートリガーズの言うことはあてにはなりませんがね」

「あるいは正しいのかもしれんな。イーストウッド、浮浪の連中と繋がりがありそうか?」

「出荷先は東埠頭六十一番倉庫と分かりましたが」

 イーストウッドはメモ帳を閉じ、胸ポケットにしまいこんだ。

「だが?」

 無言になったイーストウッドに対し、ドネリーが続きを促した。イーストウッドは何を聞かれているのかが一瞬分からなかったが、それを考え、答えた。

「中を探るには捜索令状が必要かと」

「もちろんだ」

 ドネリーは目を動かしながら唇を引き結び、二度頷いた。

「江留衛は民主主義の法治都市だからな。市民の財産と権利は守られねばならん」

「ぶうーっ」

 マーフィーのブーイングが、二人の視線を呼び集めた。マーフィーは腕を組み、唇を尖らせてだまっている。

「宜しい、なにか言いたいことがあるのか、マーフィー。遠慮せず手短に言ってみろ」

「ここで名前は言いませんが」

 マーフィーはわざとらしく、重々しげに口を開いた。

「あるイーストウッドという男によって、バスセンターに置き去りにされたかわいそうな自分は、仕方なく自発的に、その辺りの市民に聞き込みをしました」

「……それで?」

 マーフィーは横目でイーストウッドを見、「その結果」と続けて話しだした。

「事件が起きたのとほぼ同じ時刻、大きなバッグを持ってクラブに入っていくギャング数名を映した、バスの車載カメラの映像を入手したんであります」

「なんだって?」

 そりゃほんとうか、とドネリーは顔をしかめた。そんな情報が手に入っていたなら、なぜ今まで報告しなかったのか。

「自分も十両がほしいですし」

 マーフィーはレザーのジャケットの裏からスマホを抜き、操作しながら答えた。

「チーフは、おまえの話はあとで聞く、と言われました」

「わかった、悪かった」

 とにかく見せろ、とドネリーはせかした。事故にあったときの証拠として撮られているバスの車載カメラは、夜であることもあり、画質はよくなかった。しかし、バス停で客の乗降をしている際に撮られたその映像の中には、確かに大荷物のスポーツバッグを持ってナイトクラブに入っていく、トレンチコートを着た四人の男が映っていた。マーフィーはその場面で再生を止め、勝利宣言のように言った。

「こいつらの正体はわかってます。人呼んでミッキーC、江留衛ギャングの大ボス、ミッキー光淵が手先として使っている鉄砲玉の連中だ。チーフ、直ちに逮捕状を出してください。おれがこいつらを引っ括ってきます。それで自白を出しゃあ、ミッキーCもおしまいだ。わはははは、ざまあみろ、どうだ」

 誰に対して言ったともつかないマーフィーの「どうだ」だったが、ドネリーの反応は薄かった。イーストウッドも真顔のままで立っている。

「なあマーフィー、これだけじゃ証拠にはならんよ」

「はいチーフ、その通りです。おれは受勲に値する優秀な働きを……えっ、なんですって?」

「これじゃ証拠にならん。奴らが持っているのは大きなバッグで、銃じゃない。人殺しの場面も映ってない」

「しかし」

 マーフィーはドネリーの卓に手をつき、身を乗り出した。

「おれはこの一年、こいつらの犯罪を追ってきて、奴らの顔から名前から、なんでも知ってるんです。まちがいねえ。こいつらがやったんです。奴らは人殺しだ」

「それでどうなる」

 ドネリーはマーフィーをたしなめた。奴らを逮捕したとして、これ以外の証拠が出なかったら、裁判はどういうことになるか。

「いいか、マーフィー。ミッキーCはとんでもない金持ちだし、この街の有力者だ。お奉行とも親しいし、どんな弁護士でも雇える。新聞にも手を回す。ハイエナどもは、市警の横暴うんぬんと書き立て、騒ぎ立てるだろう。まともな証拠もないのに逮捕だの起訴だのしてみろ、われわれは悪者にされ一巻の終わりだぞ。この街に悪がのさばることになってもいいのか?」

「でも、奴らが!」

「とにかく、証拠だ、マーフィー。捜査を続けるんだ」

 ドネリーは書類の束をまとめて、卓上でとんとんと整理した。

「イーストウッドが調べた倉庫への捜索令状は認める。報告を文書で提出しろ。それと、もうひとつ任務を与える」

「なんです」

「マーフィー捜査官が暴走しないよう、その動きを逐次監視しろ。必要なら構わん、撃て。だが絶対目を離さんようにするんだ。分かったな」

「そいつは命令ですか」

 ドネリーは書類鞄を持ち上げ、イーストウッドを見た。

「こいつは命令だ」

「わかりました」

「ちょっとチーフ、そりゃないでしょう。猫の首っ玉に鈴はつけられても、マーフィーの首にイーストウッドをつけることはできねえと諺にもありますぜ。ねえチーフ!」

「私は命令したぞ」

 ドネリーは手をひらひらさせながら、部屋を出ていった。これだものなあ、とマーフィーはうなだれ、イーストウッドに振り返った。背広の内側のホルスターに、拳銃の台尻が見えた。

「まさか撃つ気じゃねえよな?」

 イーストウッドは目を細め、口元を歪めながら、

「どうするか迷うぜ」

 と言った。



 イーストウッドは半ば以上本気に近い領域で、かなり真剣に悩んだのだが、マーフィーを撃ち殺すことはしなかった。

「乗れ」

 マーフィーをフォードに乗せ、イーストウッドは車を出した。殺人課のある中央署から東埠頭倉庫街までは、湾の屈曲部をまわる必要があり、やや距離がある。時間にして、車で三十分程度だ。それにトラックや工事車両が多く、迂回路もないので、どうしても渋滞にはまりやすい。

 このときも、はまった。

 前に止まっているクレーン車の吐き出すディーゼルエンジンの黒煙がボンネットとフロントガラスを燻し続け、イーストウッドは表情が険しくなった。

「来年にはベイブリッジができる。それまでは我慢の子だ」

 マーフィーが湾のほうの空にむかって、手でアーチ型の橋の形を描いて見せた。江留衛港は、東に貨物揚げ降ろし用の埠頭があり、中央部に造船と補修用の乾ドック、西に歓楽街と砂浜、遊園地がある。それらの沿岸を取り囲むように沖合に点々と築かれている台場は、西洋と戦になったとき使うつもりで作られた人工島で、防衛用の沿岸砲や、対艦ロケットを設置することになっていた。

「とはいっても、御公儀は江戸やら大坂やらの防備だけで手いっぱいで、とてもここへ据えつけるだけの数の大砲は間に合わねえらしいや。だからあそこにずらっと並んでるのは、みんな丸太の大砲やかかしの兵隊なんだとよ」

 それに、台場というのはほんとの戦ではまるで役に立たない代物であるらしい。マーフィーはどこで仕入れてくるのか、そんな話もしきりにした。マーフィーにとっては耳のある相手が目の前に居さえすればよく、イーストウッドがその話に興味があるかどうかなどのことは考えなかった。イーストウッドはだんだん、はじめに撃ち殺さなかったことを後悔しはじめてきた。

「何年か前だが、薩の奴らがエゲレスとえれえ戦争をしただろう。口だけやかましく攘夷攘夷とわめいてるのは世の中に多いが、そこへいくと薩摩というのはなかなか大したもんだよな。言ったことはやるという心意気があるんだ。それにはおれも感心したが、しかし結果はだめさ。考えりゃあ分かることだが、大砲ってのはばんばん撃ってりゃーすぐに弾なんかなくなっちまう。そこで追っつけ新手の弾を持ってこなきゃならんのだが、海にでーんと浮かんでる台場にいちいち弾を運ぶのはホネだぜ。そういうことがあってじゃねえかなあ。戦で使えねえなら丸太の大砲で構わねえってことよ。そこでおれの案だが、あの台場をさらに埋め立てて繋ぎあわせ、そこに大きな商業施設をつくる。そして……」

「なあ、マーフィー」

 イーストウッドはかなり辛抱して聞いていたが、ついに耐えられなくなり、自分から口を開いた。どうせおしゃべりを聞かなければならないのなら、もっとましな話題を聞くべきだ。

「話は変わるが、おまえはなぜ肌が黒いんだ?」

「えっ?」

 マーフィーは一瞬、質問の意味が分からないという顔をした。イーストウッドは続けた。

「お偉方は、ここはアメリカだなんだと言い、なんでもアメリカ流でやるうんぬんとたわごとを並べてるが、結局、西洋の奴らから見れば、ここは日本だし、おれたちは日本人でしかないんじゃないのか。そうだろ」

「つまり、なにが言いたいんだよ?」

「言いたいことは、だから、なぜおまえの肌が黒いかだ。おまえみたいな奴でも、日本人の父親母親から生まれたのには間違いがねえんだろう」

「そうだ?」

「それだのに、肌がそういう色になるってのはおかしかねえか。肌の色というのは、遺伝子……とかなんとか、そういうもんで生まれつき決まってるんだと聞いたことがあるが?」

「なんてことを言うんだ。そりゃおめえ、差別だぜ」

 マーフィーは右手のこぶしを握りしめて、二回、三回と自分の膝に打ちおろした。

「いいかよ、イーストウッド。人間というのはな、自分が望むなら何にだってなれるもんなんだよ」

「そうか?」

 やっと道が空いてきた。イーストウッドは車を動かしながら、マーフィーに相づちを打った。おお、そうだともよ。マーフィーは言った。

「今時分、京や大坂にでも行ってみろ、武士になりたい百姓や町人が、勤王にも佐幕にもわんさといるぜ。一丁前にさむらい髷を結って、袴の帯に脇差を差し、カラシニコフを背負ってらあな。百姓が武士になれる世の中に、無理なことなどあるわけねえ。黒人になりたきゃ黒人になる。神が造った人間は、神と同じに自由なんだ」

「貴様、キリシタンバテレンか」

 イーストウッドは驚いて聞き返した。

 余談だが、その末期に開国政策を押し進めた徳川幕府も、異国の宗門を禁ずる禁教令だけは最後まで保持した。幕府の禁教策は神経過敏なほどで、例えば天保年間には、幕府が戦車の設計図を輸入しようとした際、図面に記されていた「クリスティー式」という言葉を長崎の通訳官が目ざとく見つけ、これは「キリスト」を意味する言葉だと述べて、大騒ぎになったことがある。

「キリシタンは関係ねえ」

 ただそう思うだけのことよ、とマーフィーは呟いた。

「ほんというと、肌は機械で焼いたんだ。江留衛にきた初め、資料のムービーを何本か見たが、黒人が多いのに驚いた。アメリカになるならいろんな人種がいなくちゃな。市はそのころ黒人になる奴に奨励金を出してたんだ。市警にも黒人の採用枠があった。おれは日焼けサロンにいった。パンツも脱いで、狭い機械の中に入ってよ。おもしろかったねえ。おまえもやってみないか?」

「聞くんじゃなかったぜ」

 車はようやく、ベイエリアについた。楽しいおしゃべりは終わりだ、マーフィーが言った。

 埠頭の施設は、江留衛の街が造られ始めた最初の時期に着工され、いまでも工事が続けられている。そそり立つクレーンの柱や、積み上げられているコンテナのブロックを見ていると、一寸法師の話が思い出されてきた。そのブロックとブロックのあいだを、イーストウッドはゆっくりと車を進めていった。倉庫の群れがやがて見えてきた。かまぼこを並べた形のそれは、ともかく何もかもが巨大だった。

「ひえー、おったまげ。大坂の倉屋敷なんか、あれに比べりゃ屁でもねえ」

「マーフィー、おまえな。おれの相棒になるんなら、もっとまともな言葉づかいを覚えな。イカレ言葉は聞きたくねえ」

「なんでよ、しょうがないじゃん。ムービーじゃアメリカ黒人はこういうしゃべりをしていたよ? 歌もうまいぜ奴はマッチョマン、まさにキングだ、マッチョマッチョ……」

「おまえ、存在自体が差別じゃないか? 倉庫に近づくぞ。くそ歌をやめて見張っててくれ」

 マーフィーはその後もしばらく、声を低めて歌を続けた。おれはマッチョ、マッチョマンになるんだぜ。

 六十一番という倉庫は、埠頭の突き当たりに近いところだった。イーストウッドは物陰に車を止め、出入り口の扉を見張った。

「おまえの言ってたギャングどもだが」

 イーストウッドは買いだめてあったピーナッツの袋をだし、一個をマーフィーにやった。車で煙草を吸わないための代用品のようなものだ。

「どんなやつらだ。このあたりにもいるのか」

「げっ、これサンダーススクエアのスタンドで売ってるピーナッツじゃん。これ塩っぱくて食べれねえんだよなーっ」

「聞け」

「へい、へい」

 低い声で言われて、マーフィーは咳払いを挟み、あたりを見回した。バリバリとピーナッツの袋を開き、豆を口に放り込む。

「見える範囲にゃいねえようだぜ。あいつらバカだから、いればすぐわかる。ひょっとしたら中にいるのかも」

「あのじいさんは?」

 倉庫の扉の前で、椅子に座って居眠りしているじいさんをイーストウッドが指さした。マーフィーはちょっと考えたが、やがてかぶりを振った。

「さあ、知らねえ。番人か管理人だろ」

「番人が、堂々と寝てるのか」

 二人はしばらく見張り続けた。じいさん以外に、倉庫のまわりに人数はいないようだった。手薄な警備だ。

「なんだよ、ありゃあ。もっと人員を置くべきだろ。少なくとも機関銃が置いてある倉庫なら絶対そうすべきだ。あれじゃガールスカウトでも銃を盗み出せるぜ。犬でもできるね」

「いや、犬は無理だ」

 イーストウッドは車から降り、倉庫に向かってゆっくり歩いていった。コンクリートで固められた埠頭の地面が革靴の音を響かせる。

「おい、あぶないぞーっ。令状を待つんだろ?」

「話を聞くだけだ」

 イーストウッドは歩みをやめず、肩越しに答えた。

「怖けりゃおまえは車にいろ」

「はあ? あんた、おれの監視人だろ」

 マーフィーも車を降り、後を追う。イーストウッドが目の前に立つと、じいさんは目を覚ました。イーストウッドはベルトのバッジを見せた。

「江留衛市警のイーストウッド、こっちはマーフィーだ。役儀により尋ねるが、この倉庫の関係者かな」

「倉庫を借りたいのかね」

 じいさんの名前は、カスターといった。

「わしは倉庫のおーなーをしているよ」

「つまり貸し主ですな。今はだれに貸しています」

 イーストウッドはメモ帳を出し、鉛筆を握った。知りたいのは名前だ。

「だれというでもない。いろんな人じゃ」

「何人かに貸してるのかい? じいさん」

 そうだ、とカスターは頷いた。マーフィーは財布を出した。

「おれも借りるよ。いくらなの?」

「マーフィー、おまえなに言ってんだ」

 イーストウッドは迷惑げな声をだした。いいから見てろ、とマーフィーは言った。

「一ヶ月十ドルだが、八ドルでいい」

「二ヶ月分払う」

 マーフィーはカスターの硬い手のひらに札を握らせ、それから尋ねた。

「へい、ところでな。昨日の夜、街のほうで、とんでもない事件が起こったんだよ。罪もない人が何人も殺された」

「そうなのか」

「ああ、何の理由もないのにだ。しかもだ、被害者のうち一人は若い女の子だというんだぜ。あんたに孫がいりゃあ、そう、そのぐらいの年齢よ。その子ははるばる田舎から出てきてよ、店でまじめに働いてたんだぜ。で、殺された。撃たれたんだ。ひでえ話だろう?」

「ひでえ話だ」

「おれらはそれを、調べてんのよ。なぜここに来たかって? ああ、そう思うのは当然だよな。実は、現場で使われた凶器の銃を調べてたら、おたくの倉庫に荷降ろしされてたことが分かったんだなあ。そう、この倉庫よ。まさしくこれ。ここなのよ」

「ほんとかね」

 カスターは絶句するぐらいに驚いていた。そんなひでえ野郎が使ってるとは思わなかったが、と口の中で呟く声が聞こえた。

「昨日の夕方から今日の朝にかけて、倉庫を使った怪しい者はいませんでしたか」

 再び、イーストウッドが質問した。

「怪しいってどんな」

「あー、若い男で、何人か集団でだな。武士とも町人ともつかないような風体の連中だ。ギャングとか、浪人風の姿をした者が来なかったか」

「浪人といえば」

 カスターは目を上辺に沿って動かし、思い出しながら答えた。

「最近流行りのあれ、なんですか。キンノーとか、ジョーイとかいうのかね? 多分そういう手合いじゃないかと思うのが、何人か使ってたなあ。昨日の夜中十二時頃、トランジットの赤いバンが来ていたよ」

「じいさん」

 マーフィーは身を乗り出し、カスターの目を見た。

「そりゃほんとうかい?」

 イーストウッドも被せるように質問した。

「ギャングではなかった? 長いコートを着て、帽子を被ったような。四人組だ」

 いつも三人だったよ、と老人は緊張した細い声を絞り出した。

「コートは着てなかった」

 イーストウッドとマーフィーは、目を合わせた。

「じいさん、鍵を開けてくれないか。中を見たいんだ」

「そりゃできないよ。わしも利用者の権利を守らなきゃ。令状が必要でしょ?」

「すまないが法律が変わってね。この場合、いらないことになったんだ。あとで図書館へ行って調べてくれ。さ、開けて」

 カスターは首をひねりながら、重い腰をあげ、倉庫の扉へ鍵を差した。鉄の扉を、イーストウッドとマーフィーが開けた。

「ひえっ」

 老人のひきつった声が、倉庫に響いた。吐き気を催す臭いが充満していた。黒いハエの群れがワッと飛び立ち、壁際のところに、コートを着た血みどろの死体が四つ、転がっているのが見えた。血はすでに乾き、茶色く濁っている。

「うー、臭え臭え。たまらんね、こりゃあ。怪臭だぜ」

 マーフィーは袖で鼻を押さえたまま逆側の扉へ走っていき、大急ぎで開け放った。日光が差し込み、死体の様子が明らかになった。スマホの映像で見た男たちと似ていた。

「マーフィー」

 イーストウッドは、縦縞入りのスーツを着た、一番いい靴を履いている男の死体をひっくり返し、むせかえっているマーフィーを呼んだ。

「さっきの男か」

 マーフィーはぜいぜい咳き込んだあと、扉についた腕越しに顔を向け、「ああ」と頷いた。

「ストンバナード五郎蔵。光淵のヒットマンだ」

「ふん」

 イーストウッドは立ち上がり、ポケットから出した葉巻をくわえた。

「貴様の言うとおり、奴らは倉庫の中だったな」

「おお、神の奇跡かな」

 マーフィーは頬の肉を持ち上げ、笑い声を漏らした。

「イーストウッド様が冗談を言われたぞ」

「キリシタンバテレン」

 イーストウッドはマーフィーを指さした。二人はしばし、腹を抱えて、大声で笑った。なにが彼らを笑わせたのか、よくは分からない。人の笑いは感情の刺激で起こるという。彼らを笑わせたのは、多分、驚きかもしれない。それは、このギャング四人の死体を見たときに発せられたものだ。

 イーストウッドは咳払いを二つし、笑いから立ち直った。葉巻に火をつけながら、彼らを見る。

「で、奴らをどう思う、マーフィー。ここで殺されたと思うか」

 それは違うね、マーフィーは呼吸を整えながら、しかし即座に答えた。先端がそりのように尖っているマーフィーの靴が、ギャング一人一人の身体を転がし、仰向けにさせる。

「見なよ、胸のほうが穴がでかいだろう。こいつらは後ろから、多分同時にだ、機関銃かなにかを使って撃ち殺されたんだ」

「血のバレンタインか」

 そう、マーフィーは頷いた。イーストウッドが言ったのは、その昔、アメリカで酒が法律で禁止された時代に、五大湖近くの都市シカゴで起きた、マフィアによる抗争事件のことである。バレンタインの日、有力なマフィア、アル・カポネは、敵対組織のギャング数名を壁に並ばせ、機関銃で撃ち殺したのだった。その種の映画は、アメリカの古典的名作として江留衛で広く人気を博している。

「みんな、背中から胸を弾が貫通してる。犯行現場は血の海のはずだ。でも、このコンクリは乾いてる」

「殺したあと、運んだんだな。だが、なぜ倉庫に置いたんだ。こんなところに置いたら目立つだろう。現におれらが見つけた」

「知らねえよ」

 マーフィーは考えたが、そう答えるしかなかった。

「犯人の考えることがいつも完璧なわけじゃない。一時保管しとく場所がなかったとか?」

「なんとも妙な犯人だな」

 イーストウッドの声音は納得していなかった。

「血のバレンタインなら虐殺か、処刑だろ。はじめから殺すことは分かってたはずじゃねえか」

「イーストウッドさんよ。そんなこと考えてたら、殺人課のお仕事は勤まらねえよ。奴らはね、バカなんだ。だから人殺しをするんだろ。そのあとのことなんか、てんで考えちゃいねえ奴が多いのさ」

 イーストウッドは煙を吐いた。

「そうかもな」



 二人は、倉庫の中をくまなく調べた。

 犯行の証拠となる品が、続々とでできた。

「M60機関銃用弾薬ベルト二箱、それと、作戦計画書一通、ナイトクラブ・エレキテル襲撃用と推定されるもの」

 それらの証拠品を床に並べて、マーフィーがひとつひとつ声に出していった。イーストウッドはそれをメモ帳に書き写す。

「攻撃趣意書一通。内容、えー、ナイトクラブ・エレキテルは、悪徳商人ミッキー光淵の手先として働き、庶民からいたずらに暴利をむさぼるばかりか、神国の士風を汚し、秩序をびん乱すること多年にわたる。そもそも神国日本は、万世一系の大君のもと、天朝の御心にうんぬんかんぬん。よって天誅をくだす。江留衛勤王党・神州遊撃隊。同志連判、三名」

「名前は?」

 イーストウッドは鉛筆を繰りながら訊ねた。マーフィーは別の証拠品の書類束をめくり、突き合わせて氏名を確認すると、書き言葉口調のままで答えた。

「右連判の各氏名は、倉庫賃貸登録書に記載されたる者の氏名と同一。どうした、イーストウッド。元気ないな。名前がわかったんだぜ。大手柄じゃねえか。すぐ緊急手配かけようぜ。それとも、まだ怪しんでんのか? こんだけ証拠が出たんだ。まちがいねえよ」

「それはおれもそう思うが」

 なにかが引っかかる、とイーストウッドは言った。アメリカなら「刑事の勘」とでも説明されるものかもしれない。

「殺人課にきたばかりの新米が罹かる病気だよ」

 マーフィーの説明はもっと具体的で、経験と統計に基づいた分かりやすいものだった。新米殺人課刑事の七十パーセントは、事件があっさり解決するのを不審がるものだというのである。

「まじめなやつほどなる。よくあるんだ。経験の浅いうちは、殺人事件といえば、火曜サスペンス劇場なみに複雑怪奇で難解なしろものに違いないと思いこんじまう。だがそうじゃねえんだなあ。大抵の殺人事件ってえのは、最初にいちばん怪しい野郎が結局犯人だ。妻女が死にゃあ亭主が犯人、兄貴が死んだら弟が殺した、鼠が死ねば猫がやった。現実なんてそんなもんだ」

「ばかに簡単な話だな?」

「ああ、だが事件は片づくだろが」

 無線で指名手配をかけるため、倉庫を出るところだったマーフィーは、立ち止まって振り返り、イーストウッドを説得した。

「いいかいイーストウッドさん、おれらの役目は犯人逮捕、事件解決、それだけさ。だれもおれらに英雄を望んじゃいないんだよ。命令されたことをやってりゃいいんだ、それだけをな。あんたが渋面つくってタラタラ言ってることはだな、要するに犯人にしてはバカすぎるから奴らは無実、そういうことだぞ。そんなのありか?」

「そうじゃない、おれが言いたいことはだな」

「なんだよ!」

 イーストウッドが大声を出すと、マーフィーもつられて声を荒げた。イーストウッドが言おうとしたのはこうだった。おれが犯人なら、勤王のしわざに見せかける。罪を逃れるのは簡単だ……。

「おおい、ケーサツの衆ーっ! たいへんだあ」

 だが、じいさんの「わあわあ」という叫び声がそれよりも早かった。奴らが戻ってきた、とじいさんはわめいていた。

「なんだなんだ」

 マーフィーとイーストウッドは外を見た。パジェロに乗った勤王の奴らが、埠頭の金網をぶち破ってきて、そのあたりをぶんぶんと走り回り、窓からカラシニコフを向けてきた。

「いたぞお、あいつらだ」

「ポリ公ーッ、わしらの倉庫から出ていきゃー! 権利あるんどお!」

 ダダダダッという連射音がすぐに続いてきた。二人は銃を抜きながら、転がって物陰に隠れた。あわれなのはじいさんだった。

「たすけてくれ」

「しねっ、じじい」

 勤王の男たちは、パジェロでじいさんを追い回し、容赦なく撃ち殺した。

「あーっ!」

「よしっ、死んだぞお。クソポリを殺せーっ!」

 ドアに日の丸を描いたパジェロがUターンし、こちらに戻ってきた。

「マーフィー、戻ってくるぞ」

「見えてるよ。おまえさん、銃は撃てるんだろうな?」

 人並みにはね、イーストウッドは答えた。マグナム回転拳銃の撃鉄を指で起こす。カラシニコフ自動小銃を持った勤王派の集団は、倉庫から五十メートルほど先で車を停め、ばたばたと降車してきた。

「ポリ公ーッ、聞こえてるか。われわれは憂国の士」

 勤王の中で声のでかいのが、合戦の前の口上のように大声を張り上げた。

「なんのいわれがあってわれわれの持ち物を勝手に調べたか。江留衛の御法にそのようなものはないぞーっ」

「うるせえ、くそがきが!」

 マーフィーも負けずに大声で返答した。そうしながら、イーストウッドに目配せをし、倉庫の裏手を守るよう促した。敵は舌戦をしている隙に、手勢を回して包囲するつもりに違いない。

「貴様ら三人、殺人の現行犯で逮捕する。本署のガス室でとっくり頭ァ冷やして、来世は人の役に立つ牛か馬になって出直してこい」

「ほざいたなー! がきゃーっ」

 敵も準備が整ったらしい。口上が短くなってきた。勤王が叫んだ。

「ころせーっ」

 倉庫の陰に回り込んだ浪人が、窓にカラシニコフの銃口を突っ込んで、ダダダダダダッ、とめくら撃ちに撃ってきた。倉庫の中の物品が吹き飛び、ダンボールやら木箱やら、何から何まで穴だらけになった。金属に当たった弾は屋内を跳ねまわり、天井や壁に当たって弾ける。

「おい、こっちだ」

 イーストウッドは倉庫の壁際から身体を出し、声をかけた。乱射がやんだのは、ズガッというマグナムの音が響き、窓ガラスが血しぶきに染まったときだった。

「マーフィー、後ろを見ろ」

 逆側の壁際から倉庫に入る侍の姿が、イーストウッドは一瞬見えた。バンバン、ダダダダと短い銃声が連続した。イーストウッドは顔色の変わらない男だったが、そのかわり下顎が動く。イーストウッドは銃を構えたまま、倉庫に飛び込んだ。

「マーフィー」

「大丈夫だ」

 倉庫の中ほどのところに、カラシニコフを抱いた侍がうつ伏せに倒れていた。マーフィーは右腕をやられていた。傷口をおさえる指のあいだから、血がどくどく出ていた。

「撃たれたのか」

「ばかなこと聞くな、こんなもん平気だ。舐めときゃあ治る」

「ばかはお前だよ」

 イーストウッドはそこらの棚から焼酎を探し、マーフィーのシャツを切って、傷口に上に酒をぶっかけた。声にならぬ叫びがあがった。イーストウッドはネクタイを解き、それにも焼酎をたっぷりかけて、患部をきつく縛った。

「かすり傷だ。運がよかったな。これもキリシタンの奇跡か」

「うるせえ、冗談どころじゃねえんだ。死ぬほど痛えんだよ」

 まだ一人いるぞ。マーフィーは小声で言った。イーストウッドは空いた弾倉に一発弾をこめ、わかってる、と答えた。

「奴は生かして捕まえる」

「なに? なんのために」

「本当にクラブを襲った犯人か確かめる。そうすれば分かるはずだ」

「イーストウッド、お前まだそんなこと言ってるのか」

「マーフィー」

 イーストウッドは周囲を警戒したまましゃがみこみ、目線の高さを合わせた。皺の入った顔の中にある鳶色の鋭い目がマーフィーを見た。

「殺人は、ただ解決するだけじゃだめなんだ。本当の犯人を見つけなけりゃ。人を殺した犯人は、そのとき罪を逃れたら、またどっかで人を殺す。今度は前よりも、巧妙な人殺しになってだ」

 マーフィーは眉をしかめ、首を小さく横に振った。

「そんなことしてなんになる。死んだ奴は戻ってこないんだぞ。おい、時にはな、折り合いをつけるってことが大事なときもあるんだぜ。そんなにお友達のフロストさんは大切な奴だったのかい」

「そうじゃない」

 イーストウッドは息をひとつ吐いて、倉庫の外を窺った。だれも見えない。だが確かにいるのだろう。イーストウッドは銃を持って立ち上がった。

「ほんとの犯人を見つけるんだ。マーフィー」

 イーストウッドは倉庫を歩いて出ていった。マーフィーはそれを見ていて、奴は頭が狂ったと思った。正面の入り口から堂々と、ゆっくり歩いて出ていくのである。

「てめえ死ぬ気かっ」

 マーフィーは叫んだつもりだったが、ほとんど声が出なかった。腕の傷口が痛んだ。

 勤王にとっても、それは異様だったらしい。

「おい、そこで止まれ」

 愛車のパジェロの陰に隠れていた勤王は、カラシニコフの銃口をイーストウッドの胸に向け、立ち上がった。イーストウッドは言われたとおりに止まった。

「なんのつもりだ。おれの部下はどうした」

「質問が二つだから二つ答える。ひとつ、おれは話をしにきた。二つ、おめえの部下はくたばった」

「なにっ、この野郎」

 尊王が照準を目の高さにつけると、イーストウッドは銃を発射した。尊王のちょんまげが飛び、止めていた髪がぱさっと落ちた。

「おれはリボルバーが好きでね。おまえが持ってるライフルよりも絶対に早く撃てる。試してもいいが、むだなことだ。それはいま見せた」

「うーん、負けた。貴公相当な腕だな。話があるって?」

「まず銃をおろせ。地面に置き、見えるところに蹴る」

「わかった」

 二人は、同時にそれをした。銃が地面を滑る乾いた音が立った。

「煙草は吸うか?」

 イーストウッドは葉巻を一本爪ではじき、相手に一本くれてやった。自分も一本くわえ、火をつける。

「天気がいいな」

「話はなんなんだ」

 イーストウッドは煙を吐いて、ゆっくり訊ねた。

「エレキテル事件の新聞は読んだか」

「まあな」

 尊王はライターで葉巻を炙ると、それを懐に戻した。

「なんで聞くんだ?」

「おまえら疑われてるぞ。犯人にされる。おまえらの倉庫からエレキテル襲撃の見取り図と趣意書が見つかった。それにギャング四人の死体があった。貴様やったのか」

「やるわけがねえ。何の意味もねえのに。無関係な奴らは殺さねえ。おれらが狙うのは幕府の手先か、ポリ公か、金持ちや銀行だ。勤王は今に天下を取るってのに、民に嫌われちゃまずいだろ」

「ああ、無関係なじじいを殺したがな」

「じじいは裏切ったから殺した。そりゃ正義のためだ」

「聞こえんね、じじい殺しの罪は償え。だがエレキテルをやったのはお前らじゃないとおれも思う。だれがやった?」

「知らねえな。話といったが、これが公正な取引きといえるのかい。おれはどうせ死刑だ。あとの二人はくたばった。おれになんの得がある」

「……もっともだ」

 イーストウッドは思案を巡らせた。一秒、二秒が経ち、再びイーストウッドの口が開いた。

「これでどうだ」

 イーストウッドは足を動かし、銃のある場所から三歩の距離を余計に遠ざかった。いいだろう、と尊王は承知した。

「犯人については知らねえ。怒るな、これはさっきも言っただろ。だが知ってることもいくらかある。エレキテルは、光淵の系列に連なる奴がやってた店だ。ナイトクラブはカモフラで、売春、麻薬、密貿易、なんでもありのところだ。光淵にとっては金蔓だ」

「それは知ってる」

「だが最近、それとは違うでけえ金が、あの店を出たり入ったりしていたのは知ってるかい。一万両だの二万両だの、そんなけちな額じゃない。百万、二百万という得体のしれないゼニさ。おれには分からねえが、この街は来年夷荻と商売を始めるんだってな。金があるとこには虫がわく」

「外貨準備金か」

「さあな。そう呼ぶのか? まあなんにせよ、エレキテルの川に大金が流れていたのは確かさ。その河口はミッキー光淵の帝国というわけだが、だれがそれをせき止め、ダムを建てたのか、これは分からない。エレキテルの金庫は空っぽだろう。それがだれの懐に納まったか、だよな」

 尊王は煙を吐き出し、吸いかけの葉巻をパジェロの灰皿の上に置いた。

「話はこれでいいかい」

「ああ、もういい。よく分かった」

「どうやってやる?」

「簡単で申し訳ないが」

 イーストウッドは一ドル銀貨を銭入れから出し、親指の上にのせた。

「よくあるコインのやつでいいか?」

 結構だ、と尊王は答えた。パチンと音を立てて、銀貨が空を舞った。いい天気だと、尊王も思った。コインが地面に跳ねた。尊王は懐から、拳銃をパッと抜いた。

「こなくそーっ!」

 ガンガンガンガン、と拳銃弾が地面を跳ね回った。イーストウッドは横っ飛びにジャンプし、地面を転がって銃に手を伸ばす。

「しねーっ! このくそーっ、しねっ」

 すぐ耳元や頭の上を、ズギュ、ズギュという音が通過していった。手に銃が触れた。イーストウッドは逆向きに横転し、寝ながら照準をつけた。

 ズドッ。

 という音を、彼は聞いただろうか。この尊王の志士もまた一人、夜明けを見ずに死んでいった大勢の後を追った。



 イーストウッドとマーフィーは、その日のうちに英雄になった。新聞やテレビが彼ら二人をほめちぎったのである。

「白昼の決戦! 埠頭で銃撃、三名を射殺・エレキテル襲撃犯」

 そんな見出しの特別版が直ちに作られ、新聞各社はヘリを使って空中から号外をばらまいた。江留衛市はじまって以来の死者数を出した残虐な犯罪を一日で片づけた二人の殺人課刑事の名は、轟いた。

 彼らには特別勲功賞が与えられ、さらに負傷したマーフィーに対しては、名誉負傷勲章も奉行から授与された。式典に次ぐ式典であった。

「いやあ、おめでとう、おめでとう。こんなに素晴らしいことはない。わが江留衛に生きた英雄が誕生したのです。それも二人もです。名誉です。江留衛の治安は再び回復されました。上司として、これほど誇らしいことはない。私の人生最高の成功はなにか。それは彼らを任命したことです」

 ドネリー与力は連日演台に立った。イーストウッドとマーフィーは礼装をして、毎晩ブラスバンドの演奏を聞かされ、酒をひたすら飲まされることになった。

「やっぱり奴らが犯人だったんじゃないのかなあ? だっておれを撃ったしさ。悪い奴らでなきゃあ、マーフィーさんを銃で撃ったりしないだろう? おれはこんなにいい人なのにさあ」

 マーフィーは酔っぱらって、イーストウッドに何度も言った。酒を飲んでいなくてもうっとうしいことが多いマーフィーは、酔っぱらえばなおさらのことである。

「ああ。そうだな、そうだな」

 イーストウッドは今や街のヒーローとなった相棒をいなしながら、式典会場に列席している街の高官・有力者たちを見回した。彼らの身分、表情は実にさまざまだった。幕府の官僚や吏員もいれば、開国派に味方している公卿もいる。富裕な商人やマスメディアの人間も数多い。黒幕はこの中にいるのかもしれない。

 イーストウッドは、浪士との会話で得た情報をだれにも話していない。マーフィーにも内緒にしていた。黒幕は街のどこかで生きている。自分の犯罪を隠し通したと信じ、これからも裁かれないと思っている。

「ミッキーCは来てるのか、マーフィー」

「ここに? さあねえ、いないんじゃないの。高級なパーティーだから。おれたちは、タダ、ですがねーっ。ぎゃはははは」

「どうしてだ。前は社交界にも出入りしていたそうじゃないか。街一番の有力者なんだろ」

「イーストウッド先生。あなた情報がお古いわよ」

 ピンクの背広を着たなんとかという女の新聞記者が、イーストウッドをたしなめた。

「なんだ?」

「奴はな、イーストウッド。もういよいよ落ち目だそうだ。どういうわけだか分からねえが、ここ最近というもの、店や屋敷がどんどん銀行に取られてんだ。それに税金のかなりの部分が未納だって話だぜ。いまに公儀の国税掛がガサを入れて二重帳簿が見つかりゃあ、奴もとうとうムショ送りだな」

「ミッキーはマフィアのボスだ。脱税であげるのか?」

「よくあるやつじゃねえか。カポネだってそうだし。マフィアの捕まり方ってのはワンパターンだな。問題は、だれがミッキーCの後がまに収まるか」

 確かにそのとおりだった。ミッキー光淵の金の供給源を潰し、自分の懐にバイパスしたものがいるのなら、そいつこそ、ミッキー帝国の後継者となる男だろう。

「おまえの見立てじゃあ、だれになる?」

「さて、どうかな」

 マーフィーはグラスをあおり、考える顔をした。ミッキーの手下の顔を順々に思い出しているらしい。

「なんともいえん。どれも小粒だからね。ミッキーは謀反を恐れて、自分の手下を大きくさせなかったんだ。一番といやあストンバナードだが、奴はくたばった」

「マフィアの時代も終わりがきたということだ」

 演説を終えたドネリーが、席に戻ってきて二人に声をかけた。いい耳をしている、とイーストウッドは思った。

「ミッキー光淵逮捕も時間の問題。だがそのあとが重要だ。ミッキーCの手下どもは、ボスの座を狙って殺し合うぞ。裏切り合戦だ。今年は流血の夏になるな」

「それからどうなると思います? ドネリー与力」

 新聞記者のうちの一人が、ドネリーに質問した。彼は自信を持って答えた。

「マフィアの帝国は消滅する。街から暴力と犯罪が消え、平和が戻ってくると約束しよう。多数の優秀な警察官たちがそれを可能にする。われわれには可能だ」

「暴力に敢然と立ち向かう素晴らしい警官のみなさんに拍手! さあ写真を撮りましょう」

「イーストウッドさん、こちらを向いてください!」

 記者たちはドネリー、マーフィー、イーストウッドにカメラを向け、彼ら三人を収めた写真を撮りまくった。

 ドネリーの述べた言葉は、やがて的中しはじめた。

「ミッキー光淵。脱税容疑で逮捕する。神妙にしろ」

 二ヶ月後の六月二十三日、ミッキー光淵は逮捕され、大陪審の審議にかけられることとなった。文久元年から慶応三年までの七年間、開港後の莫大な利益をいち早く予見し、他に先んじてこの地にマフィア帝国を築いた彼は、念願の開港をわずか半年後に控えて、獄の人となった……。

 当初、多くの新聞がそのように皮肉混じりな記事を書いたが、実際には彼は、刑務所には入らなかった。墓に入ったのである。

「ミッキー! ワレに殺られたモンの恨みじゃ、覚えたか!」

 七月一日、法廷へ出頭するため拘置所を出たところで、ミッキー光淵はショットガンを持った男により、腹を二回撃たれた。現場には報道のヘリやテレビバンが詰めかけており、その様子はテレビで生中継された。

「なにするがやーっ!」

 護衛の警官は棍棒で男を袋叩きにした。彼は警官の足の間をくぐり抜け、逃げようとした。

「撃ち殺せ」

 ドネリーが拘置所の中から出てきて、命令した。その声を新聞記者たちが聞いている。男は射殺された。犯人は、元ミッキー光淵の部下で、離反したヤクザであると市警は発表した。ミッキーは死に、抗争がはじまった。

 ミッキーのギャングは四つか五つかの勢力に分裂し、七月から九月にかけて、ギャング戦争は凄惨をきわめた。

「おらーっ! でいりじゃあ、客どもは出ていけーっ!」

「ぎゃああっ!」

「ひえっ、たすけてくれ!」

 八月には戦争は最も激化し、敵のギャングにショバ代を払っているという理由で、小さな食堂や個人の商店までが襲われた。

「こんな店ぶっ壊してやる!」

「やめてください! お願いします」

 ギャングは手当たり次第にそこらのものを投げつけ、叩き壊し、店主の頭に塩をかけ、ぼこぼこに殴りまくった。

 ギャングは、ごみ収集車も襲った。

 ミッキー時代から、ごみ収集業はマフィアのビジネスのひとつであった。ギャングの一人がそれを受け継いだため、攻撃の標的になった。

「しねやーっ! おらーっ」

「たすけてー!」

 早朝の五時、土建の工務店の名前を書いたトラックがごみ収集場の前に止まり、荷台にいたギャングの集団が、ドスを括りつけたカラシニコフを持って飛び降りてきた。

「てめー、くたばれーっ」

「わああ、わああ!」

 めくら滅法に銃を乱射され、その場に居た作業員や事務員は逃げだした。彼らはみんな帰ってこなかった。

「燃えろーっ!」

 ギャングはごみ収集車のガソリンタンクにぶすぶす穴をあけ、あたり一面をガソリンまみれにしたあと、火炎瓶を投げ込んだ。大爆発が起こり、ごみ収集車が次々と横転した。江留衛はごみが収集されない街になり、真夏の炎熱ですさまじい悪臭が充満した。

 この間、警察は傍観していたわけではなかった。八月十五日夜、市警は治安回復のため、最も強硬な対策を取った。

「市民のみなさんへ。こちらは江留衛市広報局です。ただいまより、治安および警察活動に関する、重大な発表があります。市民の全員がお聞きくださるようお願い申しあげます」

 歓楽街の街頭テレビや、家電量販店の軒先で、通常の民法放送が切り替わり、ニュース速報の警戒音が流された。

「なんだなんだ」

 人々はその前に垣根をなし、テレビ画面を見守った。

 ニューススタジオのキャスターが画面に映り、通常通り頭を下げる。画面の右上に、江留衛市の旗と、ドネリー筆頭与力の写真が表示され、非常事態警察活動というテロップが出た。

「たび重なる過激暴力犯罪のため、市民の生活に影響が出ている江留衛市では、今日、江留衛奉行所政府が声明をだし、非常事態警察活動に入るとの発表を行いました」

 顔を見合わせた人々の後ろの道路を、「江留衛市警」と書かれた白黒の装甲機関砲車と装甲トラックが、列をなして走っていった。投光器の白い光を地上に差し下ろし、ローター音を立てて飛んでいく警察ヘリの姿もごく低空に見える。

「奉行所政府は、江留衛市警筆頭与力のドネリー弾正忠氏を、非常事態警察長官に任命するとともに、警察活動の全権を委ねる旨の発表を行いました。それでは奉行所センターより中継です」

 青いネクタイを締め、警察バッジを胸につけたドネリーは、徳川葵紋と市旗に一礼し、演台に進み出た。

「市民のみなさん。私はドネリー弾正忠です。ただいま、非常事態警察活動の発令を受け、その長官を拝命いたしました」

 新聞記者によるフラッシュの嵐が沸いた。イーストウッドは会場の隅の席で演説を聴いている。

「市民の生活の脅威となる過激暴力犯罪を未然に防ぐことができず、このような発表をせざるを得なくなったことは、まことに残念です。しかし認めねばなりません。凶悪な犯罪者の群れは、いま江留衛市中に横行し、恐ろしい殺戮を日夜繰り返しているのです」

 映画会社のプロモーションや新作の予告動画を表示するハリウッドの巨大モニターも、緊急速報の映像を流した。映画スターの看板よりも大きく、市民に語るドネリーの顔が映し出され、人々は足を止め、車から降り、それを見上げた。そもそも彼らは何者か、とドネリーは問いかけた。

「悪名高い犯罪者ミッキー光淵の記憶はまだわれわれの脳裏に新しい。彼らはその部下であり、犯罪に次ぐ犯罪で築かれたマフィア王国の次なる王位を狙う者たちです。彼らに友情はありません。ミッキー光淵に次ぐ犯罪王朝を築くためなら、いかなることでも行う決意の者たちだ。市民のことなどお構いなしの者たちだ。法も秩序も打ち破る覚悟の者たちだ。われらの街を破壊する者たちだ」

「そうだあー!」

 という声が、会見場の前列に集められている市民の中から激しく沸き起こった。職場を破壊され、怒りに燃えた商店主や工場長、土建の監督らが狂ったように拍手をし、銃撃の巻き添えで夫や息子を殺された母親たちが、位牌や遺影にすがりつき、涙を流して手をこすり合わせた。

「彼らは江留衛の自由と民主主義に反逆し、無法な攻撃を行った。われわれはどうするべきなのか、今一度考えよう。彼らの暴力に屈服し、甘んじて支配を受け入れるべきなのか。抵抗し、自由のために戦うべきなのか。ここで、文久元年七月四日に採択された、江留衛市自由憲法を読み上げよう。われわれは、以下の事実を自明とす。すなわち人は、すべて平等に作られ、生命、自由、幸福を追求する権利を……」

 警察のトラックがタイムズスクエアの交番の前に止まった。太った交番の巡査がドーナッツを食べながらぼーっと見守る中、ラジオからドネリーの声が漏れ聞こえている。トラックの警官は車を降り、「おい手伝え」と巡査に声をかけた。

「手伝うってなにをよ」

「荷台のシートを外してくれ」

 会場のイーストウッドは険しい顔のまま、ドネリーの一人舞台を見つめている。われわれには二者択一しかあり得ない、とドネリーは大声で述べていた。

「恐怖世界と自由世界が両立し得ないならば、暴力には暴力で。銃には銃で。ナイフにはナイフで。爆弾には爆弾で。死には死で答えよう。自由市民は抵抗する。われわれは銃をとり、自衛のために戦おう」

「ギャングどもを殺せーっ!」

 市民たちが嵐のように絶叫した。会見場前方の二つの出入り口から、警官が銃を乗せたカートを運び込み、武装しろといった。市民は我先にと走りだし、血走った目で銃をつかみ取り、弾薬をポケットにねじこむと、潮のように会場を出ていった。「自由の灯台をたたえる歌」をだれかが歌いだし、人々はスクラムを組んで、ギャングを殺すため出かけていく。

「狂ってる」

 イーストウッドは憮然として独り言ちた。私刑を呼びかける警察が世界のどこにあるのか。それが法といえるのか。

「きみは行かないのか、イーストウッド」

 演台を降りたドネリーが声をかけた。おれの出る幕じゃないでしょう、イーストウッドは答えた。彼はこのごろ与力に昇格され、署で事務ばかり書かされている。

「きみは仕事もあることだしな。演説はどうだったかね」

「あんたは役者だ。街は大混乱になるだろうな」

「そうかもな」

 ドネリーは煙草を出し、一本口にくわえた。

「だがそこから、新しい秩序が生まれるかも。もうすぐ開港だ。マフィアなぞ。古いものはじゃまだ。膿は出しきらんにゃいかん」

 そうだろう? と言いながら、ドネリーは煙草を勧めてきた。取るように手で仕草をする。

「そうだな」

 イーストウッドはその細い目で、ドネリーの目の中を覗きこみ、煙草は取らずに立ち上がった。ポケットに手をつっこんで、段になっている会場の通路を降りていく。

「ああ、そうだ。イーストウッド」

 ドネリーはその背中を呼び止め、それが振り向くと、人差し指を持ち上げてこう言った。

「エレキテル虐殺事件だが、念のため再捜査をしてみたい。前に言っていた通りにな」

「なぜいまごろ?」

 ドネリーはそれには答えなかった。ただ、資料を提出してくれ、とだけ言った。

「知っていることを書面でな」



 江留衛市が非常事態を宣言し、街の住民に銃を配って以来、ギャング戦争はそれまでとはまったく異なる様相に転換した。市民は、ギャングを見つけだし、撃ち殺すことを楽しみにし、ギャング狩りがはじまった。効果は目覚ましかったといえる。

「うてうてーっ、奴らをたおせ」

「ギャング、出てこいや!」

 市民ボランティアの有志は、かつてミッキー光淵の邸宅だったギャングの屋敷などに突入し、彼らを捕まえ、なぶり殺しにし、街路の樹木や電柱にぶら下げた。ギャングの品物はどんどん盗まれ、質屋や金属店がかつてないほど盛況になった。マフィアの社会は消滅した。

 九月十四日に、江留衛市は非常事態宣言を解除した。その一ヶ月後のことだった。徳川幕府が政権を朝廷に返上したとの情報が入った。

「幕府が消滅した」

 オフィスでの執務中、マーフィーからの電話で、イーストウッドはそれを知らされた。マーフィーはこの時期、すでに警官をやめ、大坂市内の放送学校に入っていた。退職したのは、腕を怪我した際に神経が傷ついたらしく、銃がうまく握れなくなったせいだった。マーフィーは言った。

「公方様は政権を京都の朝廷へお返しなすった。つまり幕府はなくなったんだ」

「話がよくわからんな。公方はなんだってそんなことをするんだ」

「そんなことおれが知るかい! まあ大方、長州での戦がまずいしよ、薩の島津も長についたっていうから、討たれる前の逃げ支度ってトコじゃねーの?」

「薩長がくるか。こっちも戦になるのかな」

「さあね、わからんが、そっちで当面問題なのは奉行の出方だぜ。江留衛は幕府の直轄地だが、その幕府がなくなりゃあどうにもならん。後ろ盾のねえ奉行なんざ飾りもんにもなりゃしねえ。権力の空白地帯になるぞ」

「おい、おれはインテリじゃねえんだ。もっとやさしく言ってくれ」

「イカレ言葉を使うなと言ったのァ、お前さんだぜ。つまりだ、江留衛はあと二ヶ月足らずで開港する。上方唯一の貿易港ってわけ。それが生み出す富は莫大なもんだ。ところがその鼻っ先にきて、幕府は消滅、お奉行さんはいなくなる。この利益はだれが手に入れる?」

「なるほどな……。半年前ならその問題は簡単だった。ミッキー光淵だ」

「だったろうな。しかしあいつはくたばった。ミッキーの後がまを狙ってるやつはだれだ?」

「そんなやつはもういないよ」

 イーストウッドは夏ごろに巻き起こった情景を思いだし、胸がむかむかするほど不快になった。民兵たちは現役のギャング組織をすぐに潰してしまうと、あとの二週間はただ暴力に酔いしれたのだった。足を洗って堅気になっていた者や、ギャングに車を売ったというだけの者までが、家から引きずり出され、街頭でリンチされ、妻や娘は裸にされた。マーフィーはそのころには、もう大坂へ発っていた。

「全員死んだんだ、奴の手下は。もう一人も残ってない」

「あのさあ、イーストウッド。おまえって無欲なのかな。それともただのばか?」

「なにい?」

「人間の欲ってものが、そう簡単に消えるわけねーじゃん。ミッキーがいなけりゃ誰かがやるに決まってる。貿易の利益ってのは想像もできねえぐらい大したもんなんだぜ? その上前をはねてりゃ国ができるぐらいだもん。誰かが新しい帝国を作るよ、絶対な。そしたら注意しな。もしかしたら、そりゃ悪い奴かもしれねえんだ」

「……そうだな」

 イーストウッドは、与力のオフィスからガラス越しに見えている同心部屋に目をやった。みんながざわつき始めている。テレビがついているのが見えた。

「マーフィー、おまえこっちに帰ってこいよ。戦になったら大坂はやばい。公方はどうでも、重臣どもはだまってないはずだ。大坂城で決戦だの何だの、くだらんことを言い出しかねん」

「へっ、わかってるよ。おまえこそ気をつけろ。いま言ったことを忘れるなよ。じゃあな」

 マーフィーは電話を切った。アパートのベランダから、大坂城の石垣と櫓が見えている。地上の各所からは、「開門、開門」と呼ぶ武士の声が先刻からひっきりなしに響いていた。諸藩の武家屋敷への車やバイクの出入りがこんなに頻繁だった日は、大坂に限っては大塩平八郎の乱以来ないであろう。幕府が消滅した日の空は青く澄み、すばらしい晴天だった。マーフィーは煙草の煙を吐き、ノートの紙に鉛筆を走らせた。

「あっぱれ、征夷大将軍」

 としたためたそれを紙飛行機にし、大坂城の空に向け、ぴゅっと飛ばす。そのとき、カタン、とドアのポストに手紙が入る音がした。

「なんだ?」

 それには差出人の名前がなかった。大判の茶色い封筒に、江留衛東郵便局と消印があり、タイプされた文字で書かれた宛先と宛名が糊で貼られている。その宛名書きを見て、マーフィーは身をすくませた。

「間彦心二郎殿」

 と書かれている。覚えのある名だった。当然だ。それは親から授かった名前だった。そして、誰にも言っていない名前でもあった。

 なんだこれは?

 マーフィーは不気味なその封書を一度置き、どうするかを考えた。

 二分間、迷った。

 しかしやがて、机の上のペーパーナイフを取り上げた。封を切る。逆さまにすると、書類のはいった大きめのファイルが中から転がり出た。やや遅れて、一通の紙片がひらひらと舞い落ちる。文字が書いてあった。

「真実を知れ……はあ、なんのこったよ、そりゃ」

 マーフィーはファイルを拾い上げ、表紙を開いてみた。

「間彦心三郎事件ニ関スル調書・南町奉行所」

 マーフィーはその文字を見て、すぐファイルを閉じた。

 ベランダに行き、台所に行き、トイレに行き……胃の中のものを吐いた。



 大政奉還ののち、時勢は大きく変転した。江留衛でも数日を経ずして、かなりのことが変わった。

「世の中は無明に入った」

 という者もいた。かつて交通課の与力だったマイケル義祐は、その派に属している。

「もうおしまいだ、イーストウッド」

 などと、彼は言った。大政奉還から約一ヶ月後のある昼のことだった。十数分前、彼ら二人はまったく偶然にも再会し、今は通りに面するダイナーの明るい席で食事をしていた。

「元気を出したらどうです。任を解かれたといっても、一時的なことですよ。それにあなただけじゃない。奉行所自体がなくなったのですから」

「それはわかるが……」

 マイケルは、もうすっかり老け込んだように見えた。今年の春ごろまで、この人の下で働いていたとはイーストウッドは信じられなかった。髪は白くなり、顔のしわが垂れ下がるようになっていた。

 幕府機関であった江留衛町奉行所は、大政奉還の二週間後、正式に解散を発表した。奉行は船に乗って江戸に戻っていき、治安機関である市警など、街の運営に必要な組織だけが残存して、市政は街の自治に任せるというお触れ書きが捨て置かれた。

 奉行に従って江戸から来た幕府官僚は、ただそれだけのことをして江戸に帰ればいいのだが、与力、同心、目明かしなどと呼ばれていた地付きの役人は、いわば奉行所が臨時で雇っていただけの存在に過ぎないから、奉行所そのものがなくなれば、その日のうちにすぐ解雇ということになる。大量の役人が一日で無職になった。マイケルはその一人だった。

 一方のイーストウッドは、残存した市警組織に居残りを命じられ、刑事としての勤務を続けている。

「それに時勢を考えれば、警官などをしていると、あとあとむしろ面倒なことになるかもしれません。薩長の中にはわれわれを憎んでいる者も多い」

「私が言いたいのはそうじゃないんだよ」

 マイケルはテーブルの上の皿をがたつかせながら、イーストウッドに述べた。

「おれは、もう頭が変なのかもしれないんだ」

「どうして」

「死人の姿が見えることがあるんだ」

 イーストウッドは、マイケルの言うことがまるで理解できなかった。老化でぼけが始まったとか、そういうことなのだろうか。

「フロストだよ。見たんだ、昨日」

「……なんですって」

「ワンショット通りの角さ。おれは買い物をして、犬を散歩させてた。するとだ、奴が現れたんだ。怪我をしていた」

「どんな様子でした」

「薄汚れて、肩からも頭からも血を流して、かわいそうだったよ。おれはこわくて、震え上がっちまった。幽霊を見たのは初めてだ。たすけてくれ、たすけてくれ、どっかに隠してくれと頼んでいたよ、あの大男がな。おれはぶるぶる震えて、返事もできなかった」

「それから?」

「そのうちに何人かが向こうからきて、奴を路地へ引っ張り込み、袋叩きにした。バンに放り込んで、走っていったよ。こわかった。フロストの奴、死ぬ前にあんなひどい目に遭わされてたとはなぁ。幽霊ってのは個人じゃなくて、その場面でよみがえるんだ。はー、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

「どこへ連れてったんです。しっかりしてください。奴は生きてんですか?」

「イーストウッド、めったなことは言うもんじゃない。ひたすらに念仏を唱えるんだ。フロストはあの世にいったんだ。極楽往生を遂げたんだから」

「バンに乗ってあの世に行くホトケがあると思います? どんなバンでしたか」

「見たんだからしょうがないだろう? 西方浄土へ行くありがたいバンなんだよ。ちゃんとその、ナンバーも書いといたんだから」

 マイケルは長い交通課勤務のため、車のナンバープレートの数字を一目で覚える能力があった。そのとき持っていた買い物のレシートに、手が動くまま無意識にナンバーを書き込んでいたそうである。イーストウッドはメモ帳に、手早くそのナンバーを写し取った。

「ありがとうございます」

「しっかりお供えしろ。おれは、このナンバーのバンが浄土から迎えにくる日を願って、毎日念仏を捧げるつもりだ」

 イーストウッドは席から立ち上がりかけて、財布を開き、二百ドルをマイケルに差し出した。

「これ、少ないですがとってください。それと課長、バンの色と、車種はなんでした」

「赤のトランジットだ」

 マイケルは淀みなく答えた。イーストウッドは頷いた。

「それで全部わかった」



 慶応三年十一月十六日・午後五時三十分、マーフィーは約束の場所へ時間通りにやってきた。

「久しぶりだな」

 イーストウッドが声をかけると、マーフィーは無言で頷いた。江留衛バスセンターのベンチの上に、イーストウッドは読んでいた新聞を畳んで置き、立ち上がった。

 新聞の一面は、一ヶ月後に開催される江留衛市長自由選挙の記事で持ち切りだった。紙面の七十五パーセントは、ドネリー弾正忠候補が警察時代にあげた数々の功績を称えるもので、マフィアであるミッキー光淵の逮捕、そしてその一味に対して行った妥協のない強い対応、街の治安を回復した英雄として賞賛の嵐を送っていた。

 一方、対立候補については一番下の段でわずかに触れられ、「名前も知らない候補者・だれ?」などと書かれていた。江留衛にはコレラが多いとして、飲料水を井戸水に依存している現状を変え、上水道を整備するという公約が数行書かれている。

「おれの車で行こう。乗れ」

 イーストウッドは自分のフォード・グラントリノに乗り、助手席のドアを開けた。

「わざとここを選んだのか?」

 マーフィーは訊いた。イーストウッドはエンジンをかけながらかぶりを振る。寒い日で、なかなかエンジンがかからない。

「いいや。なぜだ」

「初めて会った日、ここで降ろされたよな」

 車のエンジンがかかった。イーストウッドは声を立てて笑い、答えた。

「そんなことがあったな。だいぶ昔のように感じる」

「そうだよな」

 マーフィーは小さく頷いて言った。イーストウッドは後席の袋の中からホットドッグの包みを出し、マーフィーにやった。

「長いドライブになる。めしを食っとけ」

「どこへ行くんだ? 力を貸せとだけ言われてきたが。引っ越しの手伝いじゃなさそうだな」

 走りながら説明する。イーストウッドは車のギアを入れ、アクセルをゆっくり踏んだ。車は道に出ていく。

 ラジオは、京都で起きた暗殺の話題だった。

 近江屋という旅籠に宿泊していた志士・坂本龍馬、中岡慎太郎の二人が何者かに殺されたという。犯人は逃走し、逮捕には至っていないらしい。新撰組局長・近藤勇の「なるべく調べてみる」という、やる気ある声明が読まれているところだった。イーストウッドはラジオを消した。

「今まで言わなかったことがある」

 マーフィーは車窓の風景に向けた目を動かさないままで聞いている。

「倉庫の銃撃戦のときだ」

 車がトンネルに入った。空気が途切れるサッという音が聞こえ、オレンジの照明がボンネットからルーフへ、テールへと移り、それを繰り返していく。

「エレキテル事件は勤王派が犯人ということになったが、ほんとうは違う。奴らはたしかに悪党だった。だがエレキテル銃撃については、無関係だったんだ。おれは奴と話した。いろいろ知っていたよ。クラブ・エレキテルは、幕府が開港に備えて貯めていた外貨準備金を横領し、隠匿するために使われていた。ミッキー光淵はその金で投資をし、帝国を拡張していた」

「じゃ、だれがそれをメチャメチャにした?」

 マーフィーは頬杖をついたまま、イーストウッドに訊ねた。

「ミッキー光淵の四人の部下だ」

 イーストウッドは答えた。

「おまえの勘は当たってた。ストンバナードとほかの三人は、あの晩クラブに行った。スポーツバッグの中にM60を持って。奴らは客と店員を撃ち殺し、テロに見せかけた。そして、エレキテルの金庫にあった数百万両を強奪した」

「奴らは死んでいただろ!」

 マーフィーは人差し指を立て、手のひらを回した。

「倉庫の中で。勤王派の倉庫だ」

「そうだ、だから分からなかった。だが倉庫の借り手を調べるのは誰でもできる。警官なら尚更な」

「おい、いい加減にしろ。おれを疑ってんじゃないだろうな」

「さあな。そうなのか?」

「ふざけるな」

「悪かった。いや、おまえじゃないよ、マーフィー。おまえはカメラの映像を持ってきた。四人がクラブに入っていく映像をな。勤王に罪を着せたけりゃ、そんなことをする意味がない」

「やれやれ。じゃあ誰が犯人だ?」

 トンネルを抜けた。左手に夜の海があり、ガードレールが弓なりにしなって続いているのが見える。

「おまえがあの映像を持ってきたとき、ドネリーがキレてたのを覚えてるか?」

「ああ、覚えてる。なんで報告しないとか何とか」

「奴が命令したんだ」

「なに? だれに」

「ストンバナードとほかの奴らに。ミッキー光淵の流儀では、手下は小粒で揃えるといってたな。ストンバナードは名が売れすぎたんだろう。粛清が迫っていたんだ。盗聴記録に会話があった。ドネリーはそれを使って奴らを操った。犯行を行わせ、金を盗んで届けさせる。そして殺した」

「死体は勤王派の倉庫に運ぶ。おれらが見つけた頃、デカが倉庫を調べてると勤王派に電話。奴らがきて、ドンパチになる。おれらは生き残り、奴らは死んだ」

「英雄誕生、事件は解決、めでたしめでたし、というわけだな。だが、何もめでたくはない。真実を知っている奴はいないし、真犯人は生きている。後悔も痛みもなく。さらには市長に立候補、来年には名実ともに、念願の帝国を築き上げる」

「どうやって戦う? そんなこと、裁判で立証するのは不可能だ。ドネリーは今や、江留衛を支配してるも同じだぞ」

 車は林道に入った。イーストウッドは速度を落とし、ゆっくりゆっくり進んでいく。ついた場所は森の中の製材所だった。ライトの下に、バンがあった。

「赤いトランジット。倉庫のじじいが言ってたやつか。どうやって見つけた?」

「フロストが最後に活躍した。奴は生きてたんだよ」

「はあ?」

 イーストウッドは車を降りた。続けてマーフィーも降りる。トランクを開ける音がした。中には銃がぎっしり詰まっていた。イーストウッドはマーフィーのために、腕を伸ばさず使える武器を揃えておいた。ショットガンを渡し、弾薬ケースを開ける。

「生きてたってなんだよ?」

「ドネリーの手下になってたんだ。クラブで、銃が二方向から撃たれてただろう。入り口からきたギャング連中と、もうひとつはフロストだ。奴らを始末したのもフロストだろう。あいつは機関銃が撃てるんだ。アル中だから、手が震えても大丈夫な武器を練習してた」

「もういやになってきた。この際そいつもぶっ殺そう。機関銃を撃つアル中は世界のためにならない。ここにいるのか?」

「いや、もういない。殺されただろう。脱走したところを捕まった。だがそのおかげで、バンのナンバーと場所が分かったんだ」

 イーストウッドはマグナムをベストのホルスターに入れて、M1ライフルの弾倉を装着した。マーフィーは腹巻きにダイナマイトの束を突っ込んだ。

「もういちど聞くが、どうやって戦う? ドネリーの手下を全滅させ、罪を認めさせるか」

「罪なんか認めさせない。あいつはやりすぎた」

 イーストウッドはトランクの袋の中から、古着のトレンチコートと帽子を出し、マーフィーに渡した。自分も同じようなものを身につける。二人とも、ギャングの残党そのものな姿になった。

「奴を英雄にしてやるんだ」

 イーストウッドは葉巻をくわえた。

「意味はわかるな」

「イエア」

 マーフィーはショットガンを縦に振り、ポンプを動かして弾をこめた。

「わかるぜ」

 この夜の出来事は、歴史に残る永遠の謎となった。

 なにが起きたのかはわからない。

 ただ、元江留衛市警筆頭与力で、市長にも立候補していたドネリー弾正忠氏と、その護衛部隊である民兵組織の隊員二十五名が、森の製材所の中で死体となって散乱しているのを、二日後に近所の木こりが見つけたのは確かである。

 犯人については複数の説があり、まだ定まった結論は出ていない。



 それから月日が経った。

 慶応四年一月一日は、江留衛の港が外国に開かれる日だった。一番船が汽笛を鳴らして入港した。

「ほんとうにいくのかよ」

 物珍しさに見物にきた数千の江留衛市民に混じって、イーストウッドとマーフィーがいた。二人ともなぜか怪我まみれで、頭や腕や足を包帯でぐるぐる巻きにしていた。

「怪我が治ってからでもいいんじゃないのか」

「なにをいうんだよ。怪我なんてのは潮風にあてて乾かすのがいちばんいいんだ」

 昨日イーストウッドは、マーフィーが、アメリカに向けて旅立つ船の切符を買ったことを知らされた。イーストウッドは止めたが、聞くようなマーフィーではない。

「ほんとのアメリカをこの目で見ておきたいからな」

 なんだってアメリカなんか行くんだ、というイーストウッドの問いに、マーフィーは頷いて答えた。

「そうかい」

 イーストウッドは横を向いて呟いた。

「おれはもうしばらく江留衛にいるよ。アメリカに行ったら、本当のロサンゼルスから手紙を書いてくれ」

「わかってる。必ず書くよ」

 乗船の案内がアナウンスで流され始めた。

「じゃあな」

 握手の習慣は、まだ日本にはない。二人はたがいに会釈をし、イーストウッドは背中を向けた。マーフィーは小脇に抱えていた封筒の中から、尊王・佐幕の争いで殺された弟のファイルを取り出した。逃亡した容疑者の名前もそこにある。

 ファイルには、小型の拳銃を挟んでいた。

 マーフィーは遠ざかっていくのっぽ男を、特別大声で呼んだ。

「ヨオーッ、東森栗人ーォ!」

 イーストウッドは振り返った。

 親指を立てた、マーフィーの右手の人差し指が、こっちの胸を向いていた。

「ばーんっ!」





(暗黒の江留衛/終)


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