越命の季節
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
鳥に視認されづらい「かすみ網」が開発されて、100年近い時が流れた江戸時代。そこでは、渡り鳥を捕まえようとする動きが非常に盛んだったという。
その日も鳥を捕えようと、山の上の鳥屋に、猟師がかすみ網を張って待っていた。鳥屋の窓の先に「追い棒」と呼ばれる、一見したところ旗のように見える、長い竿を外に出しながら。しかしただ待ちぼうけしているだけでは、大した収穫は期待できない。
そこで仕掛けた網の内側に囮の鳥を用意しておく。彼らはいずれも一年以上の時間をかけて調教したもので、猟をする時季に合わせ、鳴くように仕込んだものだ。
その鳴き声につられた渡り鳥の一部が地面に降り立つのを見計らって「追い棒」を大いに振り回し、音を立てる。鳥たちは驚いて飛び立とうとするが、すでに頭上には網が張ってあり、鳥はそれに引っかかるというものだ。
早朝から始まった今回の猟も大成功。漁師は小屋から出てきて、捕まえた鳥たちを検分し始めると、マガモに混じって見慣れない鳥が何羽か混じっている。
姿だけで見ればマナヅルにそっくりなのだが、その体高は人ひとり分あることも珍しくない。なのに、そのツルらしき鳥はマナヅルの三分の一程度で、他に捕まえたカモたちとほぼ同じ大きさをしている。
マナヅルは非常に美味な肉として知られている鳥。ならば、このツルも美味しい可能性がある。漁師はカモもろともツルを持ち帰り、売り物や家畜として使う分以外を、ことごとくさばいて、食べてしまったという。
件のツルも素晴らしい味。ひと噛み、ひと噛みごとに、やわらかくも歯と歯ぐきの間から肉の旨さがしみて、顔の内側いっぱいに広がる。目や鼻の穴から垂らしてしまうのではないかと思うほどの、恍惚の洪水だ。
のどを通り、腹へと注がれたもの場合は、胃の底からふつふつと熱いものが湧き出して、腸からももへ、ももから足へ、血の巡りに乗って力がみなぎってくるかのように思えたとか。
肉を堪能し終える時には、すでに夜も深まっていた。
また明日も朝は早い。猟師は道具の点検を済ませると、早めに床についたという。
ところが真夜中に、彼は屋根のきしむ音で目を覚ました。
「ゴォー、ゴォー」と外で空気がわめき、屋根をしきりに叩く音がする。どしゃ降りかと思ったが、窓のすき間からのぞく粒たちは雨のそれに比べて大きく、白みがかっていた。
みぞれだ。みぞれが休む間もなく、戸と屋根を叩いている。だが、大きさと勢いは今までに類を見ない。音はどんどん大きくなり、今にも壁となっているものたちを崩さんばかりの力だ。
そう思うや、地面が一度だけ大きく縦に揺れた。遅れて、ずっと向こうからズドンという音と人の悲鳴が、かすかに家の中へ飛び込んでくる。揺れと音からして、どこかの家屋がつぶれたのかも知れない。だが、聞いた限りではここからはかなり遠く、駆け付けた時点でどれほどのことができるか。
わずかにためらった後、みのと笠を手に取って外に出ようとする。だが、それらをまとい、土間に足を踏み出しかけたところで。
屋根を叩く音がいっそう強まったかと思うと、「バキバキ」と木板が割れる音が、頭上から響く。さっと男が見上げた時、屋根の底が一気に抜けた。
あふれるみぞれは、屋根の大半を巻き込み、怒涛の勢いで男目がけて押し寄せる……。
その晩。驚異的なみぞれによって、六軒の家屋が重さに潰された。信じられないことだが彼らは着地と共に、一気に凍って雪となり、後から後から積もり続けて圧力をかけたんだ。
潰れた家で寝入っていた者は、あらかた生き埋めになってしまい、難を逃れた者も絶え間なく吹き付ける氷交じりの風たちに、身体の熱を持っていかれてまともに動くことかなわない――ただ一人をのぞいては。
先ほど、家を潰されてしまった猟師。彼は近くに住まっていた者たちが、彼の様子を見ようと顔を出したところ、彼の家があるべき場所にこんもりとした雪山ができていた。
だが、山のてっぺんがぐらぐらと動いたかと思うと、いくつもの雪の塊を弾き飛ばし、彼が姿を現したんだ。
大きく胴震いをしながら家々に声をかけて回り、埋まっていたクワを掘り出して、他の潰れた家へ向かい、その雪山を崩していく彼。一軒目の子供、二軒目の老夫婦を掘り起こして助けた後も勢いは衰えることがない。おかげでその日は凍傷を負った人が何名かいたものの、死者を出さずに済んだという。
翌朝には雪が止み、彼も自身の家をどうにか掘り起こし終える。屋根はすっかり潰れ、柱と土間と庵、そして四方の壁が本来の半分ほど残っているばかりだったが。
それでいて、彼はみぞれまみれになっている時からずっと動きっぱなしにも関わらず、疲れや寒さで動きが鈍る様子がなかったんだ。みのにつく雪を払い落とす彼に、村人の一人が恐る恐る尋ねる。一体、何があったのか、と。
彼は「分からない」と答える。あの時、確かに雪となった大量のみぞれに、屋根ごと押しつぶされてしまった。普通なら重なる雪をどけることができず、生き埋めの仲間入りをしていたはずなんだ。
だが、意識は鮮明。手足は熱く、周りの雪が自分の動きに合わせて溶けているかのように、どいていった。そのおかげであの山の中から這い出すことができたんだ。
身体はなおも火照ったまま。みぞれに関しても触れてくる感覚だけで、痛くも冷たくもなかった。腹もすかず、疲れも覚えず、どんどんと力が湧くままに、助け続けることができたのだ、と。
なぜに突然、このような力が宿ったか。思い当たるのは、昨日、不思議なツルを食したことくらい。彼は今朝の猟と食事について、つぶさにみんなへ伝えた。
「ツルは千年、カメは万年。あやつらは人よりずっと長い命を持つと信じられてきた。もしかすると、わしはその命を浴びてこれから千年分頑張れるのかもしれんな」
彼は笑いながら話していたが、周りの者の目には、今回の働きぶりが異常なものにしか映らなかった。
表向きは今までのように付き合いながらも、心の底のおびえはぬぐえなかったとか。
千年分の命を浴びた、とうそぶいた彼だが、この地が春を迎えて間もなく、手ずから修理を済ませた自宅で、眠るように息を引き取ってしまう。あのみぞれの日からの彼の仕事は、結果だけ見れば素晴らしいが、過程においては明らかに人間離れした量で、人々は尊敬と畏れが混じった、複雑な気持ちを抱いたとか。その根っこがのぞかれて、胸をなでおろす人がいたのも無理はなかった。
その村では土葬が主流。彼も村はずれの墓地に、棺に入れて葬られた。読経が済んで、いざ解散となった時。
彼の墓石がもぞもぞと動き出したのを、人々は目に留めた。その下にあるのは彼の入った棺ばかり。まさか起き上がりか、とみんなは警戒した。
揺れはどんどん激しくなり、やがて墓石が跳ね飛ばされ、盛り上がった土にも穴が開く。あの日の彼が雪山から抜け出てきた時と同じように。
出てきたのはツルだった。人の体躯よりもはるかに小さい、カモ程度の大きさしかないツル。勢いよく穴から飛び出したツルは、ぐんぐん高く上っていき、ちょうど空を横切っていた鳥たちの列に加わると、そのまま飛び去って行ってしまった。
「彼はツルに生まれ変わったのか」とかねてより尊敬の念を持っていた者は、その姿をうっとりと眺めていたが、つまらないと感じていた者は黙っていなかった。無礼を承知で、開いた穴から土を掻き、もう一度、棺を陽の光の元へ引きずり出したんだ。
杭を打たれていた棺は、その中心部を力強く破られている。
その下には葬った時と同じように彼の身体も存在し――腹もまた、ユリの房のようにパックリと大きく開いていたんだ。
「生まれ変わったのではない。あいつは食ったというツルに、逆に食い破られただけ。命が冬を越すのに、体よく使われただけだ」
そうウワサするものが、後を絶たなかったという。