不謹慎野郎
授業を終えて部室へ向かうと、真っ白ちゃんは既に居た。ソファーに座り込み、ラジオを熱心に聞いていた。音楽ラジオの様だ。
ソファーの目前に或るテーブルの上に、沢山の答案が置かれていた。そのどれもが酷い点数で、十の位まで達し居なかった。誰のだろうと思い名前を見ると、酷く歪で幼稚園児が書いた様な平仮名で「ましろあい」と書かれていた。
「到着ー!!」
部室の扉を突然、大きな音を立てながら開けて、シゲが入って来た。次に中島、部長、キノコ、そして最後に博士が息を荒げながら入って来た。どうやら彼らは、ここまで走って来た様だ。
「皆さん、これがヒントの様です」
僕は並べられた沢山の答案を指差して云った。
「うん、どうやら其の様だね」
部長は今回のテストの答案を右手に、それ以前の答案を左手に持ちながら、更に続けた。
「赤点になる訳だよ。酷い字だ」
真っ白ちゃんの字は、とても独特だった。しかし独特すぎるが故に、誰も読む事が出来なかった。
彼女の書いていた字は、象形文字と云うよりかは、真白文字と云う方が正しい印象を受けた。それは平仮名でなかった。片仮名でもないし、漢字でも、アルファベットでも、ヘブル語でもなかった。彼女が作り出した文字。彼女自身の文字だった。
入試は、マーク式だったので、この学校に入学出来たのだろう。
「小学校は行っていないからね」
聞きたかったものをもう聞き終わったのか、彼女は持っていたラジオをテーブルの上にぼんと置いてストレッチをした。
真っ白ちゃん、過去に一体何があったんだ……。
『……豊島医療刑務所を脱獄し、現在も逃走中の模様。皆さん、出来るだけ外出は控え、戸締まりをきちんとする様、心掛けてください』
ラジオのニュースで流れていた「脱獄」と「逃走中」と云うワードに、博士は興味を示した。僕は心の底から、ドラマの宣伝でない事を願う。
「えっ、何何?? シゲ、ネットで調べてくれる?」
「あいよ!!」
シゲはそう元気良く答えると、テーブルの上に置いていたスマホを右手で操作しだした。
「『連続殺人鬼、療養中の医療刑務所から脱走。現在も逃走中』だって。あー、この様子だと、そろそろ先生に帰れって云われるかも……」
シゲは落胆した表情で云った。
「えっ! 今日、おばあちゃん帰って来ないんだけど……。えー、怖っ! どうしよ」
身震いしながら、キノコは云った。そして真っ白ちゃんの方を向き、続けた。
「あーちゃんも、一人暮らしじゃなかった? 大丈夫?」
真っ白ちゃんは眉を顰めた。そうではないらしい。
真っ白ちゃんが一人暮らしをする図が、どう頑張っても頭に浮かばない。
「一人暮らしじゃないから。大家族なんだから。父親は今晩、用事があって帰りが遅いらしいけど」
「じゃあみんな、今日はうちに泊って行く?」
部室の扉の方から声がして、みんなはそちらの方を向く。そこには、母が居た。
「この前の御礼を未だしていないよね? 我が家の部屋は結構空いてるし、セキュリティもちゃんとしてるから、心配する必要はないよ。しかし、保護者の許可を取ってからな」
以前からパジャマパーティをしたかったシゲはすぐに親へ連絡を入れ、喜びのジャンプをしていた。
そして、行けない事になったのは、真っ白ちゃんだけだった。
「ええっと、アイちゃんだけが行かないんだな?」
母は確認する。これでもう6回目だ。真っ白ちゃんに来て欲しかったと見る。
「はい。そう何度も云っているのですがねえ。それとも、僕の父さんと電話でもします?」
少し苛ついた声で真っ白ちゃんは云うと、赤いケースに入ったスマホを差し出した。
「はいはい、私するー!!!」
そこへ何故かシゲが出て来た。
「あーちゃんのお父さんとのお話、面白いもん」
ニヤニヤしながらシゲはそう云うと、真っ白ちゃんからスマホを奪い取り、電話をかけた。そしてみんなに会話が聞こえる様、スピーカーにした。
「もしもーし!」
向こうが通話に応じると、シゲは早速喋りだした。他の部員も、話したくてうずうずしている様だった。真っ白ちゃんの父親は、みんなから好かれている様だ。それだけの魅力が、彼にはあるのだろう。
『ああ、シゲちゃんか、お久しぶりだね。元気そうで何よりだよ』
男性の声が返って来た。イントネーションが、真っ白ちゃんにそっくりだった。いや、真っ白ちゃんの方が似ている、と云う方が正しいのか。
『そうだ、優くん。新入部員は獲得出来たのかい? 頑張らないと、来年には廃部になるかもしれないよ?』
「出来ましたよ、一人。娘さんから聞いてませんか?」
部長は少し憂鬱そう云った。部員一人だけをゲット出来ても、廃部の危機にある事には変わりない、という事だろう。
『一人? 我が娘よ、君は数週間前に、新入部員は二人と云っていなかったかね? どう云う事かな』
父親のその言葉に、真っ白ちゃんは嘲笑うかの様に云った。
「一人だろうと二人だろうと、そんなに変わらないでしょ。もう一人の子は今、停学中だよ。だから今は未だ、ここの部員ではない」
納得した様な相槌を父親はすると、不思議そうに問いかけた。
『そう云えば、どうして電話して来たんだい、我が娘よ』
真っ白ちゃんは数秒黙り込んだ後、返事をした。
「これから家に帰ると云うのを知らせる為に、電話をしたんだ。それじゃ、今から帰るよ」
すると真っ白ちゃんはソファーに置いていた鞄を急いで取り、いつの間にか通話の切られたスマホをポケットにするりと入れた。そして、部室を出て行く前にふわりと振り返り、八重歯を見せながら声なき笑え声を上げた。
母が怒るんじゃないかとハラハラしながら、僕は母の方を向いてみる。しかし母は真っ白ちゃんを見つめているだけ。そして一言だけにやけながら云った。
「じゃあ、残念だけど、お泊まりはお預けだね。我が娘よ」
真っ白ちゃんの父親の物真似をしている様に見えた。
謎は好きだが、母のいたずらには毎度困る。