どん底10年前
西暦2005年 山田耕一、15歳
そんな僕に人生最大の奇跡が起こったのは中学3年の受験戦争の地獄の苦しみの最中だった。
目に見えるものしか信じない、合理主義、利己主義に徹していた僕が神を信じたのだ。
きっかけはなんてことのない自己啓発本を読んだことだったが 、そのときに佐藤から聞いていた数々の意味不明だった聖書の言葉が、はっきりと僕の心の奥深くに触れた。
まるでそれまでは、ばらばらだったパズルのピースがピッタリとあてはまったような、すべてのなぞが解けて真理にたどり着いたような、そんな爽快感と喜びが押し寄せた。
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『求めなさい。そうすれば与えられます。』
『信じるものは救われる。』
『心で思った事は、もう、それをした事と同じである。』
『あなたの敵を愛しなさい。』
『右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい。』
『金持ちが天国に入るのは、らくだが針の穴を通るより難しい。』
『心の貧しい人は幸せです、天国はそういう人のものだからです。』
『子供のようでないと天国に入れません。』
『神はあなたの髪の毛の数さえご存知です。』
『明日、何を食べるか、何を着るかと心配をしてはいけません。神が備えてくださいます。』
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言葉では表現し尽くせない、理屈でもない、だけど、神は確かに存在していて、生きて働いておられて、僕たち人間一人ひとりを驚くほど大きな愛で愛しておられる。
本当の神の存在は僕に愛と喜びと平安を与えてくれた。
とにかく嬉しくて、嬉しくて、しょうがなかった。
夜中の3時に涙しながら、神に心を向けている自分が居た。
食事を取るのも忘れて喜んでいた。
何も怖いものは無いと感じた。
神の存在を信じた時点で、天国の存在をも確信した。
神の存在により孤独から開放された。
僕のすべての罪が許されているという事実に、大声で泣き叫びたいほどの感謝の気持ちが湧き上がってきた。
神と出会ってから僕は目覚まし時計を使わなくなった。神が、僕を起きなければならない時間に起こしてくださるようになった
あと、導かれるように毎週日曜日に教会に行くようになった。
神に祈るようになった。
祈りは神との対話で、人には言えない事も神には相談できたし、正直に何でも祈れた。神に対しては、遠慮するよりも、かえって、こんなわがままいいかな?というような事のほうが神は聞いてくださっている気さえした。
神にとって自分は、特別扱いされている世界でたった一人の大切な存在だと感じた。
神は必ず何らかの方法で僕の祈りに答えてくださる事もわかってきたし、祈りの答えは僕の予測する時間や方法とは違う事もわかってきた。
神様の考えは僕の考えよりもはるか高いところにあるらしい。
激しい飢え渇きを満たすような勢いで、むさぼるように聖書を読むようになり、信じたその年に教会で洗礼を受けた。
しかし、そんな僕だったが、クリスチャン生活が数年過ぎた頃より、神への初めの愛が次第に薄れてゆき、神に向かっていたベクトルはいつしか方向を変え、気付くと、ひどく高慢な人間になってしまっていた。
そんな僕に神の愛の制裁が下る。