麗子ババア登場
2学期も終わり、終業式の日、学校の門の前には、龍彦と京極が其々の車の前で待ち構えていた。
龍彦の車には、勿論しずかが乗っている。
「あ、お父さん。」
「龍介!」
爽やかな笑顔で、両手をバッと広げる龍彦。
龍介は、吹き出している亀一に、悲しそうに聞いた。
「あれは…、飛び込まんといかんのか…?」
「当たり前だろ。行って来いよ。」
恥ずかしいが、今迄親子として暮らせなかった不憫さを、龍彦に対して未だに持っている龍介は、意を決して龍彦に向かって猛ダッシュして行き、タックルとしか思えない抱きつき方をした。
「うっ…。」
顔色が一瞬にして悪くなる龍彦だったが、そこはトップエージェントとしてバリバリに一線を張っていた意地なのか、父親の意地なのか知らないが、どうにか持ち堪え、腹いせの様に龍介の頭をガシガシと撫でた。
隣の京極が腹を抱えて笑っている。
寅彦は京極の車に乗る前に、まだ顔色の悪い龍彦に申し訳無さそうに声をかけた。
「あの…、真行寺さん…。申し訳ありません…。パーツお返しします…。」
「ああ、あれ?いいよ、あれは。」
「でも…。」
「龍介としずかから聞いた。龍介が佐々木君と付き合いたいっていうんだから、仕方ないさ。君のせいじゃないんだから、気にしないで。今迄ありがとう。」
寅彦はゲンキンにも満面の笑みになった。
「そうですかあ!?有難うございますうう~!」
「本当、ああゆうもんに目が無えな。面白いね。寅彦君は。」
京極が寅彦の頭をヘッドロックした。
「待ってたぜ?寅あ。」
「組長!」
抱きつく寅彦にはハートマークが飛び、鸞が苦笑している。
「ん?」
亀一が聞くと、苦笑したまま答えた。
「お父さんに心酔しちゃう京極組の人がまた増えちゃったんだなあと思って…。」
そこで亀一は改めて気がついた。
龍介は勿論行ってしまう。
しずかも。
そして寅彦も。
という事は、日本には、朱雀と悟しか残らない。
なんだか嫌な予感しかしない。
思わずしずかの乗っている助手席のドアを開け、叫んだ。
「嫌だあ!しずかちゃん!俺も行くううう~!」
「どったの、きいっちゃん。」
龍彦が龍介を乗せながら、運転席側から言った。
「別にいいけど、今パスポート持ってんの?」
「いえ…。持ってません…。」
「飛行機の時間があるから、相模原まで取りには行ってられねえな。後からおいで。」
「う…。」
別に意地悪で言っているわけでは無いのは、龍彦の申し訳なさそうな顔で分かるし、言っている事も至極尤もである。
スゴスゴ下がり、ふと見ると、瑠璃が窓越しに龍介と別れを惜しんでいた。
「んな顔すんなよ。お土産買って来るから。何がいい?」
「うっ…。」
ぽとりと落ちる涙を親指で拭ってやる龍介。
どっから見ても恋人同士。
残念な事に見た目だけだが。
「泣かないの。ね?3週間ぽっちじゃん。」
笑いかけて、頭を撫でて…。
瑠璃の顔はにやけまくって崩壊した。
「大丈夫?」
「うん!大丈夫!行ってらっしゃい!」
なんだか羨ましくなったので、しずかに甘えようとしたら、京極ががなった。
「真行寺、勝負だ。」
「おう。」
しずかと龍介が慌ててシートベルトを締めた。
「きいっちゃん、離れて。お土産買って来るからね。苺と蜜柑、気が向いたらお願いね。」
「う、うん…。」
瑠璃と亀一が離れた途端、キキーッとタイヤを鳴らし、プジョー406スポーツとジャガーXJRが急発進して、公道とは思えないレーサー運転で走り去って行った。
「あのまんま成田まで行くのかね…。」
「そうなんじゃないかしら…。」
「ところでお前、クリスマスどうすんだ。龍も鸞ちゃんも居ねえじゃん。」
英学園は私立なので、クリスマスの1週間前には冬休みになっている。
「そうなのよね…。家族で過ごそうかしら…。」
「行っちまう?イギリス。」
「でも…。そんな渡航費、急に捻出出来るかしら…。この間のフランス旅行も、母に家族旅行代金が消えたじゃないって泣かれたし…。」
確かにそれは言えている。
優子にも、勝手にフランス行きを決めた時、大学受験の蓄えから出したんだからとか結構ブーブー言われた。
「ポンと出してくれそうな小金持ち…。」
ふと、長岡の祖母が浮かんだが、あの麗子婆さんは、小金持ちではあるが、一筋縄では行かない。
恐らくポンとは出さないだろう。
「ポンとは出さねえだろうが、出す金はある人間は居るには居る…。」
「良かったねえ…。行ってらっしゃい…。」
「お前も行くんだよ。」
「え?私も?長岡君のお友達なだけなのに、そんな沢山出して頂くの?ダメよ、そんなの。」
「いや、麗子ババアなら出す。だが、条件は付けて来る。」
「条件て?」
「それが予知出来りゃあ、毎度毎度お袋が真っ青になる事は無えんだけどな…。」
謎の麗子ババア、満を持してカミングスーン…。
京極と龍彦は、あり得ない速さで成田空港の駐車場に同時に到着し 、止まった。
「また決着は持ち越しだな。」
苦々しげに言う京極に苦笑する龍彦。
「付かねえんじゃねえかあ?永遠に。」
「いや。今度こそ勝ってみせるぜ。じゃあな。」
鸞と寅彦を置いたままスタスタと歩いて行ってしまい、2人が慌てて龍彦達に挨拶し、京極を追いかけて行く。
「全く、相変わらず子供なんだから…。」
そう言う龍彦も歯を食いしばって、負けてなるものかと運転してきたのだから、それを見ていた2人は笑ってしまった。
「い、行こうか…。」
龍彦はバツが悪そうにしずかの荷物を持ち、2人を促して歩き始めた。
翌日、瑠璃は亀一に連れられ、一応持って行った方がいいかと思って焼いたドライフルーツのパウンドケーキを持って、電車に揺られていた。
「お祖母様ってどこにお住まいなの?」
「麻布。」
「わあ、お洒落~。お金持ちなのね。」
「爺ちゃんの保険金に、遺族年金、それを元手にデイトレーダーをやり、ぼろ儲け。」
「やり手なのね…。」
「超やり手だよ。腹黒い人間グランプリなんかあったら、ダントツ1位だ。」
「ええええ…?長岡君が言うなんて、よっぽどなのかしら…。」
「なんか気に入らねえ物言いだが、まあそうだよ。」
「ふーん…。なんか楽しみになってきちゃった。」
「お前も変わってんなあ。流石龍を諦めねえ既得な女なだけの事はあるな。」
着いた麗子ババアの家は超豪邸だった。
呼び鈴を押すと、お手伝いさんが出てきて、客間に通され、暫くしてから麗子ババアが入って来た。
なかなかの見た目に瑠璃は固まってしまった。
白髪は染めていないのか、銀髪という感じ。
それをてっぺんで纏め上げ、血赤珊瑚のかんざしを差している。着物は黒地に金と銀の模様が入り、さながら極道の妻という感じ。
どう見ても、元自衛官の妻には見えない。
「おや、お初だね。」
瑠璃を見てそう言うので、慌てて立ち上がって、頭を下げた。
「申し遅れました。唐沢瑠璃と申します。突然お邪魔して申し訳ありません。ついてはお口汚しですが、作って来ましたので、宜しかったら…。」
と、手作りのパウンドケーキを差し出すと、少し笑って受け取った。
「へえ。あんたが作ったのかい。」
「はい。」
「あたしゃこういうケーキに目がなくてね。」
パンパンと手を打つと、直ぐにお手伝いさんが飛んで来た。
「これ切って、持って来な。瑠璃ちゃんにはさっき銀行野郎が持って来た、どっか有名な所のだとか言うチョコレートがあったろ?アレ出してやんな。亀一はいいよ。どうせ金の無心だ。」
亀一の眉間に皺が寄る。
「コイツの分も頼みてえんだよ。分かってんだろ、婆ちゃんなら。」
「でもね、この子は自分で作ったケーキを持って来たじゃないか。しかも、年齢が高い人間が好きそうな物をちゃんと選んで作って来てる。自分が出来る範囲で、お金をかけずにね。真心があるプレゼントだ。損得じゃない。あたしが喜ぶかなと試行錯誤して持って来てくれたんだ。銀行野郎が持って来るご機嫌取りの、有名なだけの店のもんとは訳が違うよ。」
「そうですか。」
「そう。そしてお前は手ぶら。人に物を頼む時の筋ってもんが分かってないね。親しき中にも礼儀ありなんだよ。」
「ーはあ…。」
瑠璃のケーキと瑠璃用のチョコレートが来た。
「長岡君、お一つどうぞ?」
亀一が瑠璃に出されたチョコレートをつまんでいる。
麗子は黙って面白そうに2人を見ながら瑠璃のケーキを食べて笑った。
「こりゃ美味いね。しずかちゃんのケーキみたいだよ。甘さ控え目で、コクがあって、優しい味がする。好みの味だ。」
「ああ、良かったです~。」
嬉しそうな瑠璃は、それだけで目的を遂げた様な顔をしている。
「欲の無い子だね。誰の彼女だい。お前の彼女じゃないね。」
「悪かったね。龍のだよ。」
「ああ、龍なら分かる。あの子も欲が無いからね。」
「悪かったな。俺は欲の権化で。」
「まあ、その年にしちゃ普通だろうさ。あんたはその欲深さが強みでもあり、弱みでもある。気をつけな。で?用件はなんだい。」
「龍がイギリス行ってる。ちょっとでいいから遊びに行きたい。渡航費を下さい。」
「ふーん。まあ瑠璃ちゃんには出してあげるよ。」
瑠璃は慌てて首を横に振った。
「私はいいです!ノコノコ付いて来てしまったけど、お噂だけ伺ってたお祖母様にお会いしたかっただけですから!3週間待ってます!」
「なんで?寂しいんじゃないのかい。龍と3週間も会えないなんて。」
「ーでも、折角の親子水入らずですから…。本当だったら、イギリスで3人で暮らしてたっていう、その体験が出来る訳ですし…。」
麗子ババアはニヤリと笑うと、瑠璃の頭を撫で、亀一の方を向いた。
「亀一。」
「はい。」
「なんで行きたいんだい。初めての親子水入らずの所に。」
そこで亀一はハタと気付いた。
前回のフランス旅行も、そうなるはずだった物を、亀一が言い出して、みんなで付いて行って、結局親子水入らずにはしてやれなかった。
しずかと龍彦の邪魔ばかり考えていたが、2人の仲を邪魔するだけでなく、龍介と2人の親子の時間まで邪魔していた事に今更気がついたのだった。
3人とも、迷惑そうな顔など1度もした事が無かったのが、逆に更に良心を痛めさせた。
「ーそうだった…。親子水入らずだったんだ…。しかも、何もなかったらイギリスで3人で暮らしてただろうって生活が出来るんだ…。」
「そうだ。しずかちゃんはいい女だ。諦めなとは言わないが、家族の仲は邪魔しちゃいけないね、亀一。」
「ーはい…。」
「で?行きたかった理由はしずかちゃんと龍彦君の邪魔だけかい。」
「いや…。どっちかっていうと、今回はそっちがメインじゃなかった…。」
「寅も行っちまって寂しいのかい。」
「そう…かな…。日本に残るのが、保護してやらなきゃいけない奴ばっかだから、考えたら面倒になった…。」
「朱雀と佐々木の倅かい。」
「うん…。」
「たまには龍の苦労味わってみな。あんた自衛隊入るんだろ。指揮統率の訓練だと思いな。」
「ーはい…。」
「じゃあ、瑠璃ちゃん。またこのケーキ焼いて遊びに来ておくれ。近い内、長岡の家に行って、暫く居るからさ。」
「はい。」
嬉しそうに返事をする瑠璃に反し、亀一は真っ青になった。
「えっ!?暫く!?」
「なんか悪いのかい。元あたしの家だよ。あそこは。優子ちゃんに言っときな。クリスマスディナーとおせち楽しみにしてるからねってね。ふふふ。」
仰け反って固まっている亀一を瑠璃が不思議そうに見ている。
「じゃ、瑠璃ちゃんには、ケーキのお礼にコレをあげよう。お金に困ったら売りな。でも、金の相場がいい時にするんだよ?」
そう言って、麗子ババアは、かんざしを抜き取り、瑠璃に渡した。
「い、頂けません!こんな高価な物…。」
よくよく見ると、かんざしの金具部分は純金の様だし、色がとても深く、ズッシリと重い。
それに付いている珊瑚は直径5センチ近くある大粒で、血赤珊瑚はかなり高価だという話だし、全部合わせたら、相当値が張りそうなのは素人目にも分かる位、見事な物だった。
「取っときなって。どうせあの世には持って行けやしないんだ。それだけあんたのケーキは美味しかったってことさね。また食べさせておくれ。」
「は、はい!一杯焼きます!」
帰りの電車で忙しなく優子にメールを打ち、青い顔のままぼんやりしている亀一に、瑠璃が不思議そうに話しかけた。
「いい方じゃない、お祖母様って。」
「人が悪いとは言ってねえよ。それに、コレ!って気に入った人間にはいい人なんだよ。」
「長岡君と同じじゃない。」
「ええっ!?」
びっくりして瑠璃をマジマジ見つめたが、瑠璃はキョトンとしている。
「そんなに困る事なの?お祖母様がやって来ると。」
「お袋はさ…。気に入られてねえ訳じゃねえんだけど、今一つ馬が合わねえんだよ。それに、姑って、なんか遠慮があんだろ?よく分かんねえけど。」
「うん、そうでしょうね。」
「どうも、見てっと麗子ババアにしてみると、ハッキリ言わねえうちのお袋がイライラするみてえなんだな。だから虐めるって訳じゃねえんだが、結構無理難題を吹っかけて来る。」
「例えば?」
「料理の味。」
「長岡君のお母様、お料理上手じゃない。」
「とは思うが、あの人の料理は、しずかちゃんの食べてみると分かるが、パンチが足りねえんだ。優しい味。」
「ああ…。なるほど…。なんか分かった様な…。龍のお母様のお料理は、男性のコックさんの味で、長岡君のお母様のお料理は、女の人が作ったんだなあって味がするかもしれない。」
「そう、それ。だから、パンチが足りないねって言う訳だ。しかし、お袋も、当のしずかちゃんも、そのパンチの正体が分からねえ。スパイスって問題じゃねえし。いつもならしずかちゃんが助けに来てくれるが、今回は居ねえ。どうすんだっつー話。」
「仕方ないじゃない。この味しか出せないんです!って押し切るしか…。」
「そこだよ。その押し切るってのを婆ちゃんはお袋にやらせてえんだ。確かにお袋はいっつもその押し切るっていうのが出来なくて、損ばっかしてるからな。婆ちゃんにしてみたら、お袋の殻を破ってやろうとしてるみてえなんだが、お袋は押し切れねえ。で、しずかちゃんが助けに来る。いつまでもしずかちゃんに助けて貰ってと、婆ちゃんの機嫌は悪くなり、更に無理難題を吹っかけて、お袋に反抗させようと意地になる。以下繰り返し。」
「お母様にそれ言った?」
「言ったよ。親父も拓也も言った。でも、お袋は言えねえんだ。」
「なんで言えないのかしら…。」
「女に多いだろうがよ。ハッキリ言わねえのは。」
「私、割とハッキリ言っちゃうもん。」
「ああ、そうだったな…。」
そういう所がしずかに似ているから、龍介は気に入ってるのだと思った事があった。
「ああ…。嫌だなあ、もう…。息詰まりそうなクリスマスディナー…。」
「残党集めてパーティでもする?」
「残党?ああ、日本居残り組か。」
「うん。長岡君の指揮統率訓練兼ねて。」
「そうだな。そうすっか。」
朱雀と悟にメールを打ちながら、亀一は去年の龍介の悪夢を思い出し、笑いながら早速指令を出した。
「唐沢、サンリオでなんか見繕っといて。」
「サンリオ?キティちゃん?」
「なんだか分かんねえけど、あの白い化け猫。」
「化け猫じゃなくて、キティちゃんて言うの!」
「そう、それ。」
「でもどうして?私以外、男の子でしょう?」
「朱雀は男が喜ぶもんで喜ばねえんだよ。仕方ねえから去年は龍とサンリオに買いに行って、とんだ珍道中繰り広げちまうしさあ。くれるもんも凄え少女趣味でさあ。去年俺に当たった、奴のプレゼントなんか、お袋すらドン引きしたピンクピンクピンクでバラの刺繍のフリフリクッションカバーだぜ?未だに所在無げにリビングにあって、浮きまくりだぜ。」
瑠璃は腹を抱えて笑いながら頷いた。
「分かったあ…。用意しとく…。」
「予算はそうだなあ…。1500円位にしとくか。」
「了解しました。司令。」




