パラレルワールド装置
翌日学校に行くと、珍しく悟が龍介より早く来て、下川と昇降口で待っていた。
「おはよ…。どした?」
「お礼言いたくて…。昨日、加納と加納のお父さんが僕らが崖から落ちて倒れてるの発見してくれたんだってね。下川の地下室の事まで色々してくれて、残す様にしてくれて…。本当に有難う。」
悟がそう言うと、2人で頭を下げた。
「そんな、いいって…。でも、崖から落ちて、そのまま寝ちゃってたのか…?」
龍介は不安になって探りを入れた。
「うん。崖から2回落ちたのは覚えてるんだけど、それ以降全然。やっぱり、慣れない事したからなのかなあ。」
下川も打ち解けてきた様で続けて言った。
「そうなんだ。でも、うちのお母さんに地下室の事聞いてくれて、ここじゃないかって思って探しに行ってくれたなんて、本当に噂通り頭いいんだね。僕なんか同じクラスになった事も無いのに、助けてくれて、本当に有難う。」
「いいよ、そんな。良かった…。」
ー何も覚えてなくて…。
ほっとしていると、悟が言った。
「帰ったら、うちの両親と下川の両親がご挨拶に行くって言ってた。」
「え…?」
それは正直面倒だ。
特に下川の母に会うのはもう嫌だった。
何か逃げ場は無いかと探した龍介は、チェロの帰り、亀一の家を突撃訪問してしまった。
「あら!龍君!いらっしゃい!」
「優子さん、今日、しばらく居てもいい?」
「勿論。て、どしたの?珍しい。お家に帰りたくないの?チェロ背負ったままだし…。」
「佐々木と下川の両親が挨拶に来るんだってさ。佐々木んちはいいけど、下川のお袋さんはなんか嫌いで…。」
「なんか分かる。おばちゃん特有の人だものね。どうぞ。今亀一呼んで来るわ。」
リビングの横を通ると、亀一の弟の拓也が友達とテレビゲームをしているのが見えた。
龍介に気付き、頭を下げる。
「拓也、調子は?」
「大分いいです。」
微笑む拓也の顔色はいつも通りあまり良く無い。
拓也は喘息持ちだ。
それも結構酷くて、発作を起こすと入院なんていう事もしょっ中ある。
走り回る事も出来ないので、室内でしか一緒に遊んだ事は無い。
学校も休みがちだ。
そんな訳で、小さい頃は特にそういう事が多かった拓也に優子はかかりっきりにならざるを得ない面があり、亀一は昔から加納家に預けられている事が多かった。
亀一がしずかにご執心なのは、それが原因と思われる。
要するにしずかに甘えており、理想の母を理想の女性と勘違いしているという、龍介より複雑なマザコンになっているだけだ。
「加納龍介さんだよ。」
友達に告げる。
「うわあ、凄え。本物だあ。」
拓也の友達は、やけにキラキラした目で龍介を見つめている。
「な…何…。」
「色々聴いてます。意地悪な、嫌ーな先生落とし穴に入れて、クビにさせたとか!」
「あ…クビにさせたのは爺ちゃんで、俺じゃねえし…。」
「いじめっ子落とし穴に落として、改心させたとか!不良グループ更生させたとか!」
「た、拓也…。お前は友達に何を話してるんだ…。」
「武勇伝ですよ?」
「落とし穴好きなんですね!加納先輩!」
先輩でぞわぞわっと背筋が寒くなり、真っ青な顔をしていると、亀一が精密ドライバー片手に二階から降りて来た。
「どした、龍。」
「きいっちゃん…。なんで拓也に全部話してるんだよ…。」
「聞かせてくれっつーから。ほら、部屋来い。」
チェロが階段にガタッと当たった。
「それ置いて来いよ。邪魔だから。」
「ああ、そうね…。」
やっとチェロを下ろし、亀一の部屋に行くと、パラレルワールド装置があった。
「何きいっちゃん。組み立ててんの?」
「うん…。気になっちまってさ…。作るだけでも…。」
「作ったら使いたくなるのが人間だから、戦争は無くならねえと聞いた事ねえか、きいっちゃん。」
龍介の白い目を避ける様に、作業を開始する亀一。
「使い方誤んなきゃさ…。」
「まあね。でも、佐々木が居るぜ。」
「だから佐々木抜きで。」
「んな訳に行かねえだろう。」
「だよなあ…。」
「作ったら、また分解しとけよ?」
「いー?これ結構大変なんだぜ?龍介君!」
「知るか。」
しかし、週末恒例の基地集合で、亀一は出来上がったパラレルワールド装置を持って来てしまった。
「きいっちゃーん…。」
龍介にじっとりと睨まれると、龍介から目を逸らし、わざとらしく笑った。
「ごめん。気になって作っちまった。」
「流石長岡!」
やっぱりだが、悟が乗り、朱雀も行きたい行きたいと大はしゃぎ。
ところが、寅彦は龍介同様冷めた目でそれを見ている。
「加納が乗らないのは分かる様な気がするけど、加来も嫌なの?」
「俺さあ、こうだったらどうこうとか、ああだったらどうこうとかってなんか好きじゃねえんだよな。まあ、どうでもいいって感じ。別の世界の俺がどうなっていようとも。」
朱雀が突然、真面目な顔になって言った。
「龍も寅も今の状況に満足しているのかもしれないね。だから、こうだったら良いのにって思わないから、興味無いのかも。」
確かにそうかもしれない。
増して龍介は龍太郎との蟠りも解けたし、尚更、今の状況には満足している。
寅彦も両親とも変わり者の双子の弟とも仲が良いし、格別、自分の境遇に対して不満は無いだろう。
そう考えると、亀一がパラレルワールド装置を作ってしまった理由は何となく分かる気がした。
亀一は拓也が丈夫だったらと、口に出して言った事は無い。
でも、きっと常に思っていると思う。
一緒に遊ぶ事も出来ないし、発作は可哀想だし、そして、それが為に亀一は寂しい思いを強いられてきた。
亀一の事だから、それを恨んだりもしていないだろうし、優子もそんな中、亀一に寂しい思いを極力させないよう頑張っている。
亀一は母の苦労も知っている。
だからこそ、拓也が元気になる事を望んでいるのだと思う。
そう考えた龍介は、切ない気分を隠す様に笑うと言った。
「いいよ。行って来い。ただし、佐々木はきいっちゃんの言う事はちゃんと聞く事。」
「はい。今度こそ!」
龍介は寅彦と一緒に3人を見送り、基地で寅彦と待っていた。
「佐々木は今度は大丈夫かね…。」
寅彦がパソコンの裏側を開けて、何やら改造を施しているのをぼんやり眺めながら、朱雀の作ってくれたテーブルに頬杖をついて、誰ともなく呟いた龍介は、浮かない顔をしていた。
「許さなきゃ良かったのに。よく行って来いなんて言ったな。」
「きいっちゃんがさ…。なんとなく可哀想って言ったら失礼かもしれねえけど、ちょっとそんな気がしたんだ。あの朱雀のセリフで。」
「ー拓也の事だろ?俺もそう思った。俺たちっていうか、主に龍の武勇伝聞きたがるのも、本当は一緒になってやりたいからだろうと思うと、切なくなって、つい尾ひれを付けて話してしまうって前に言ってたぜ。」
「うん…。そうだろうなって、なんだ尾ひれってえ!だから拓也の友達が俺を誤解してんだな!?」
「いや、あながち誤解じゃねえんじゃねえかな…。」
「いいや!誤解だ!俺はそこまで落とし穴は…。」
「好きだろ?」
龍介は目を伏せて、小さな声で返事をした。
「はい…。」
「まあ、いいじゃん。龍のいたずらや大活躍を聞いて気晴らししてもらえるなら。」
「そうね…。」
その頃亀一達は別世界に居た。
「なんか空気がいいねえ。」
朱雀が言い、町並みを見ると、ガソリンスタンドでは無く、水素スタンドになっていた。
「凄えな。ガソリン車じゃなくて、水素車なんだ。だから空気が綺麗なんだ。」
こっちの世界の雑多な雰囲気も無い。
町はどこも整然として綺麗だ。
丁度休日なので、加納家をチラッと覗いてみたが、どうも子供が居る雰囲気でも無い。
表札を見ると、竜朗と龍太郎の名前しかないし。
「こっちじゃしずかちゃんは、あの親父と結婚してねえのかな。」
すると、加納家の前に、黒いジャガーXJRが止まった。
車から降りて、門を開けたのは龍介だ。
「こんにちわ!」
竜朗に声をかけ、竜朗が出て来た。
「おう!龍!よく来たな!」
「まだ一週間しか経ってないぜ、爺ちゃん。」
仲がいいのは、こっちと同じな様だ。
そして車が敷地内に入り、出て来たのは、しずかと…。
「なんだあのイケメンはあ!」
体格のいい、凄いイケメンがしずかをエスコートして降りて来ているのを見て、亀一が片眉を吊り上げた。
「龍の稽古はたっちゃんがつけていいんだぜ?」
「いえ。爺ちゃんが良いそうなので。それに東京のマンション住まいじゃどうにも。」
イケメンは声もいい。
「しずか、大丈夫かい。体調は。」
「うん。有難う。もう大丈夫よ。」
この感じだと、しずかは竜朗の本当の娘の様だ。
「うーん、なんかムカつく…。しかも龍は東京暮らしかい。」
「でも龍って、東京の人って感じじゃん。しずかちゃんも。お洒落だし。」
「うるせえ、朱雀。もう行くぞ。」
「ええー?もう行っちゃうの?」
続いては長岡家に行ってみた。
庭から子供の声がする。
塀からそっと覗くと、亀一と拓也が走り回って遊んでいた。
「お兄ちゃん!捕まえた!」
拓也が亀一の影を踏んで叫んだ。
影踏みをして遊んでいるらしい。
「ああー!んじゃ鬼交代。」
「やったあ!お母さん!やっとお兄ちゃん捕まえられたよ!」
庭にジュースとおやつを持って来た優子が微笑む。
「やったね。」
「うん!」
こっちの拓也は顔色も良く、とても元気そうだ。
亀一は無表情にその様子を見ていた。
朱雀が心配そうに遠慮がちに言う。
「ここ、空気が良いから、拓也君の喘息にもいいんだね…。」
「そうだな…。でも良かった。こっちの拓也まで病気じゃなくて。じゃあ、次行こうか。」
次は朱雀と寅彦のマンションの近くに行ってみた。なんだか、木に何かが刺さる様な変わった音がする。
そっと覗くと、朱雀が弓で木に立てかけた的を狙って弓を射っていた。
ちゃんと弓道の胴着を着て、かなり凛々しい感じだ。
隣には柏木が居る。
「大分良くなってきたな、朱雀。」
「これなら大会優勝かな?親父。」
びっくり目で、仰け反る朱雀。
「お、親父!?僕がパパを親父!?」
亀一達は笑いが止まらない。
「ああ。優勝間違いないだろう。」
「ふふん。」
自慢げに笑うこっちの朱雀は髪も短いし、かなり男らしい。
「なんか、こっちの僕、嫌な感じ…。」
それは言えている。
なんだか偉そうで、あまり感じいい気はしない。
「もう、次行きましょ。」
朱雀に急かされ、寅彦の様子だけでもと、マンションの下の表札を見てみたが、加来という苗字は無い。
じゃあ、取り敢えず悟の家まで歩いて行こうかという事になって、行く途中、寅彦が小3位の女の子の手を引いて、買い物袋を下げて歩いているのを発見。
すると女の子が立ち止まった。
「にいに…。」
べそをかいているが、その顔も物凄い可愛い。
将来とんでもない美人になりそうな感じだ。
「どした?疲れた?」
「うん…。」
「じゃ、はい。」
寅彦は背中を向けてしゃがみ、その女の子をおんぶした。
「偉いな、こっちの寅。」
「長岡…。僕たちの世界の加来の弟は同い年なんだから、そういう機会が無いだけだと思うけど…。」
悟に言われ、納得していると、電柱の陰から慌てた様子で、背の高い男性が出て来た。
さっきのしずかの夫もイケメンだったが、このイケメンは次元が違う。
人間では無い様に美しく、まるで少女漫画の王子様の様だ。
「駄目だろ、欒!ちゃんとお使いして家まで歩いて来るって約束したから、お兄ちゃんについて行かせたのに!」
「ごめんなしゃい…。」
「いいよ、お父さん。」
「いや、良くない!もおお!欒、お父さんとこ来なさい!」
「や。にいにがいいの。」
「もおおおー!」
そう言いながら、寅彦の買い物荷物を取り、歩き出すと、亀一達の間では謎の邸宅とされている、京極と書かれた、龍介の家より古くて、丸でお金を払って見学する様な歴史的建造物の様な立派な日本家屋から、加奈が出て来た。
「あらあら、欒ちゃんたら…。お父さんの予想通りだったのね。」
「だってえ。」
寅彦が慌てて庇い始める。
「そこまで自分のお菓子持って、ちゃんと歩いてたんだよ。」
「寅ちゃんがそうやって甘やかすから、わがまま子さんの甘えん坊になっちゃうのよ?」
「本当だよ。顔、俺に似て美人なんだから、性格悪かったら洒落にならねえだろ。」
「それ、自分で言うか、お父さん。」
寅彦に突っ込まれ、みんなで笑って、大変微笑ましい。
「ほら。龍介君達加納家に来てるぜ。遊びたいなら急がねえと。」
「お父さんが龍の親父さんと飲みてえんだろ?」
「寅あ、んじゃ龍介君と遊べなくていいのかあ。」
「いや、遊びます。」
そんな話をしながら仲良く京極家に入って行った。
「あの京極さんちって、俺たちの間では謎なんだよな。人が住んでるのかもよく分かんねえけど、寂れた様子も無いし、凄え立派な家だし。何かが変わると、あんな恐ろしいほど美しいイケメンが住んでんのか。そして何故か加奈ちゃんと結婚して、寅と美少女が生まれると…。」
「そうだねえ。なんか謎だらけだけど、佐々木君、何か知ってる?」
「加来のお母さんがどうしてというのは知らないけど、僕もこの家不思議で、うちのお父さんに聞いた事あるんだ。お父さん達の2年上の先輩で、人間じゃないみたいに美しい男の人がここの長男で、長岡と加納のご両親と同じ英に中学から行って、その後東大入ったら、もう家から出ちゃったらしいので、今どうしてるのかよく知らないけど、外務省の外交官だっていう話は聞いた事あるって。その京極さんのお父さんだけはあそこに住んでるらしいよ。」
「へーえ…。人住んでたのかあ…。ん?外務省?そういや、しずかちゃんも、昔は外務省だった様な…。聞いてみりゃ分かるのかな。」
「こっちの世界の龍のお父さんとお友達みたいだしね。」
そう言った朱雀を迫力満点で、ギロリと睨む亀一。
「その話はすんじゃねえよ…。けど、なんか引っかかんな…。あの顔…。」
「ああ…。それ僕も引っ掛かってる。加納って、ぱっと見、あの可愛いお母さん似かなって思うけど、よくよく見ると目の大きさとか、彫りの深い顔立ちとか、全然似てないんだよね。顔が小さいのは同じだけど、加納はほっそりしてて、お母さんは丸顔だし。加納のお父さんは全然似てないし、お爺さんも違う顔してるし。誰に似てるんだろうとは思ってたけど…。」
「そう。何故か誰も言わねえし、龍も気にしてねえが、加納家の誰にも似てねえんだ、あいつ。それがさっきのイケメンは、龍大人にして、あの可愛いすん詰まった顔が伸びたら、ああなるだろうって顔してた。背も高い。しずかちゃんはあの通り、俺たちより小せえし、龍の親父も自衛隊員にしちゃかなり小せえ方だが、あのイケメンはでっかかった。龍も多分、あれ位にはなんだろう。」
「まさか、龍には本当のお父さんが別に居るって事?」
「ーだとしたら辻褄が合うって状況だなって話。けど、この事は誰にも言うなよ?非常にデリケートな問題だ。龍の親父はそのまんまだったって事にしとこうぜ。」
2人共頷き、悟の家の方に向かう途中の公園で何やら揉めている様な声がするので、そっと身を潜めて覗くと、悟が大村達に囲まれて脅されている様な感じだ。
「なんなの、こっちの僕…。あんな怯えまくってたら、益々面白がられるじゃないか。」
「そうだなあ…。」
悟の言う通り、こっちの悟はごめんなさいと、わけも分からず謝り通して、余計蹴られたり小突かれたりしている。
「許して欲しけりゃ金持って来い!」
「お金なんかもう無いよお…。」
「親の盗んで来いよ!」
「わ、分かったからあ…。」
悟がイライラした様子で飛び出しそうになっている。
「なんでそういう返事!?もうっ!」
そして、大村達が去ると、亀一達の制止を振り切り、こっちの悟の目の前に飛び出して行ってしまった。
「ちょっとお!何やってんだよ!僕と同じ顔して、そういう情けない事止めてくれる!?」
「ーええ!?」
こっちの悟は驚いて言葉も出ない。
「そんな風にへいこらして、怯えてるから、舐められるんだよ!お金なんか渡しちゃ駄目だ!先生やお母さんにちゃんと言って、自分でも毅然としてなきゃいつまでもやられっ放しだぞ!」
「ーは、はい…。」
「ん!頑張れ!」
悟が肩を怒らせて帰って来た。
亀一が若干困り顔で注意する。
「気持ちは分かるけど、会っちまうのは不味くねえかあ?」
「でも、命助けた訳じゃないよ?」
「まあそうだな…。じゃ大丈夫か。さて、みんな見れたかな?そろそろ帰るとするか。」
「はーい。」
そして帰って来た3人。
どうだったと聞く龍介達に、龍介の父親の話以外の事を報告している最中、異変が起きた。
悟が急に苦しみだしたのだ。
「どした?」
「お腹痛い…。頭も…。気持ち悪い…。」
そう言いながら、気を失ってしまった。
これは一大事と、龍介達は悟を加納家に運びながら、救急車を呼び、悟は運ばれて行った。
「何だろうな…。急に…。」
後で様子を聞いて、お見舞いに行こうという話にはなったが、龍介には、向こうの世界に行った事が関係しているのではないかと、嫌な予感がしていた。




