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 炎が身体を包み込んでも、私はニールの身体を離さなかった。

「コレット! ニール!」

 叫ぶノイの声が、遠くに聞こえる。まるで炎が分厚い壁をはっているように、ノイはそれに阻まれ駆け寄ってくることができない。私はそれを、炎の壁の向こうから見ていた。

「ノイ……」

 息苦しさに喘ぎ、私はニールの身体をさらに強く抱いた。すこしでも炎から守ろうと、しがみついてくる弟の盾になろうと思った。

 不思議と、熱さは感じない。ただ、燃え盛る炎の音ばかりがする。舐めるように私たちの身体を這う炎のまぶしさに目がくらむけれど、私はなぜか目を開け続けることができた。

 私の銀の瞳が、また、光っている。

 炎の中で、私はニールに燃え移る火を何とか手で払う。意味がないとわかっていても、すこしでも消してあげたい。背中を、腰を、肩を、腕を。叩くうちに、同じく炎に包まれた蛇と目があった。

 私の目の前で、蛇が牙をむく。それにあわせるように、炎の勢いが増す。欲望の塊である蛇が、炎という力を借りて、さらに自分の力を強めようとしていた。

「コレット! ニール!」

 ノイが、私たちを助けようと炎をかきわける。それに、蛇が威嚇の牙をむく。炎の中に取り込んだ私のことはもうどうでもいいようで、標的をノイに変え威嚇の声をあげる。

「ノイ!」

 ノイまでをも、炎に巻き込もうとしている。蛇が牙をむくたびに、炎が彼に迫る。それをかわしながら、彼は何度も私の名前を呼んだ。

「コレット、しっかりしろ!」

 炎に空気を奪われて、私は息苦しさに意識が朦朧としていく。

「ノイ……」

「コレット!」

 叫ぶノイの声が、どんどん遠くなっていく。まぶたが重くなってきて、私はかすむ視界の中、ノイが蛇の身体を握りしめたのを見た。

「――お前!」

 噛みつかれてもなお、ノイは蛇を離さない。逃げようともがくその黒く長い身体を決して離すまいと、力をこめる彼の太陽の瞳はさらに赤黒さを増し妖しく光る。

 その瞳が、いったい何なのか。私は今になってようやく、気づくことができた。

「コレットは、おれのだ。お前が、触るな!」

 ノイの黒い太陽が、火を放った。

「おれのものに、手を出すな!」

 それは、私たちを包む炎をも、猛烈な勢いで飲み込んでしまう。あれほど燃え盛っていた炎も、太陽の炎には勝てず、押し負けて滅されていく。

 彼がつかんで離さない蛇もまた、太陽の炎にあぶられ、次第に力を失っていく。尾の先はもう炭化をはじめ、崩れ落ち灰になろうとしていた。

 私たちを包む太陽の炎は、いまだ、消えようとしない。

「ノイ……」

 その黒点の瞳を見つめながら、私は遠のく意識の中、最後に彼の名前を呼んだ。

 私は前にも、この炎を見たことがある。

 私はこの炎に、瞳を焼かれてしまったのだった。


     ○


「……姉ちゃん、起きた?」

 目を覚ますと、私は自分の部屋のベッドで眠っていた。

「ニール……?」

 私の顔を、ニールが心配そうに覗きこんでいる。ぼんやりとまぶたを開いた私を見て、彼は心底安堵したように、深く息をついた。

「よかった……」

「私、どうなったの?」

 起き上がれば、身体のあちこちが痛む。けれど、炎に包まれたはずの私の身体は、小さい火傷こそあるもののどこも無事だった。

「ノイが、助けてくれたんだ」

 同じく、ニールの身体にもあちこち火傷はある。けれど、ほんとうに小さな火傷ですぐに治りそうなものばかり。ふたりとも、あの業火の中にいたとは思えない軽傷ぶりだった。

「畑は、どうなったの?」

「木が一本、灰になっちゃった。でも、それだけですんだんだ。燃え広がらないように、ノイがくいとめてくれた」

「お父さんと、お母さんにはなんて?」

「……ノイが、野火のせいだって、説明してくれた。燃え広がらないように、先に木を焼ききってしまいましたって。せっかくのりんごをだめにしてごめんなさいって」

 きっとニールは、その話をその場で聞いていたに違いない。ノイと両親がどういう話をしたのかを、事細かに私に教えてくれる。どうして私は気を失ってしまったのか、一緒にいることができなかったことが悔やまれた。

「ごめんなさい、姉ちゃん」

 水ぶくれのできた指先を祈るように組み、ニールは私に向かって深く頭を下げた。

「……今まであちこちで起こっていた野火も、ニールがやったことなのね?」

「ごめんなさい」

 彼の身体のどこにも、蛇の姿はなかった。

 ニールが、正気に戻った。それにほっと胸を撫でおろし、私は顔をあげようとしない弟の頭を同じく水ぶくれのできた手で撫でた。

「ばかね、ニール」

「ごめんなさい……」

「畑を継ぎたくないのなら、それをちゃんとお父さんたちに言えばよかったじゃない。言いづらくても、私にくらい、言ってくれてもよかったのに」

「だって……」

 まるで幼い子供のように、ニールが唇を尖らせる。やっぱりまだまだ子供だなと思いながら、私はそのあちこち焦げた頭をくしゃくしゃと撫でた。

「畑を継がずに、ニールはなにをしたかったの?」

「……料理の勉強をしに、街に働きに行きたかったんだ」

 目は伏せたまま。でも、はっきりとした話しかたで。彼は自分の意思を口に出した。

「でもこの町の近くに、ちゃんとした料理の店なんてないし。勉強するなら、やっぱり街に行かないといけなかったし。とてもじゃないけど、家のことと両立なんてできないから、どっちかを選ぶしかなくて……」

「だから私が、お兄ちゃんだったらよかったのにって言ったのね」

 兄さえいれば、その兄が家を継いだ。でもニールの上にいるのは、兄ではなく姉だ。幼いころからずっと、ニールは家を継ぐ者として育てられていた。

「どうにかして、学校に行けるようになりたいと思ったんだ」

 だから、畑に火をつけた。家業がなくなってしまえば、自分は自由になれると思った。やってはいけないことだとわかっていたけど、こらえることができなくて、草むらに火をつけてはどうにか自分の欲望をごまかしていた。

 でもそれも、ついに限界を迎えた。人を惑わす満月の夜。欲望に飲み込まれたニールは、自分の畑に火をつけてしまったのだった。

「姉ちゃん、ごめんなさい……」

 火がついたように泣き出したニールを、私はそっと、抱きしめる。彼の手には、痛々しい水ぶくれのほかにも、たくさんの火傷や包丁の傷の跡が残っていた。

「もっとはやく、こうやって話してくれたらよかったのに」

「ごめんなさい……」

「私、お母さんと、ニールの作ってくれる料理についていつも話してたのよ」

 私のその言葉に、ニールが涙でぐちゃぐちゃの顔をあげた。

「ニールの作る料理はいつもおいしい。もしかしたらニールは、畑のことよりも、料理を作るほうが楽しいのかもしれないねって」

 毎日手の込んだ朝ごはんを作ってくれるニールのことを、両親はちゃんと見ていた。毎日口にするニールの味から、ちゃんと、彼の意思を受け取っていた。

「お母さんがね、言ってたの。ニールが料理の将来お店を開いて、そこにうちで育てたりんごのパイを出してくれたらいいねって」

「姉ちゃん……」

「お父さんを納得させるのは難しいだろうけど、私とお母さんでなんとかするよ。だから、ニールは、ちゃんと自分の口でお父さんに言うんだよ。私は、ニールのやりたいこと、応援するからね」

 大きくなったと思っても、まだまだ小さな弟の背中を、私は軽く叩く。さらに泣きじゃくるだろうなと思っていたニールは、意外にも、それ以上私に甘えてくることはなかった。

「……ありがとう、姉ちゃん」

 涙を止めようと、何度も何度も目を拭う。いつまでも子供じゃないんだぞと、自分にそう言い聞かせているようだった。

「僕、火をつけたこと、あやまらないと。いままでのこと、全部話さないと」

「……それ、なんのこと?」

 うそぶく私に、ニールが目を丸くした。

「あれは全部、野火でしょ」

「……え?」

「りんごの木が燃えたのも、野火。全部、野火。それを私たちが見つけて、ノイが消してくれたの。それでいいの」

「でも……」

 ためらうニールに、私は、ノイの太陽の笑顔を真似して言った。

「口止め料は、アップルパイでいいから。あと、マーマレードもね」

 そんな私を見て、ニールがぱちくりとまばたきをする。私とそっくりな、いとしい弟。その身体を抱きしめて、私はようやく窓の外で降り続く雨音に気が付いた。

「ニール。ノイはいま、どこにいるの?」



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