エステルの解放
ソフィアは先ほど転移の指輪を使ってこの部屋から消えてしまった。エステルを操る者はもういないのだが、ソフィアがの最後の命令を傀儡状態のエステルは守ろうとしていた。
ソフィアが与えた最後の命令は、「エステル、サハシを足止めするのです。それが出来なかった時、貴方は自害しなさい」である。命令に従ってエステルは僕を足止めしようと襲いかかってくる。
「エステル、攻撃を止めてくれ!」
エステルは幅広の剣で僕に斬りつけてくる。彼女の攻撃は力強くスピードもあるのだが、仕掛けてくるタイミングが単調であり簡単に避ける事ができる。攻撃を避けながら僕はエステルに話しかけるが、エステルは答えてくれない。
(ミシェルのように気絶させるか…)
気絶させて拘束してしまえば良いとは思うのだが、もし拘束が解けてしまったら…僕の足止めに失敗してしまったと判断してエステルは自害してしまうだろう。
(魔法を解くことができれば良いんだが…どうやれば解けるんだ?)
暗黒魔法である傀儡の魔法を解除するには、神聖魔法の解呪の奇跡を使用するしか方法は無いのだが、その時の僕はそんな事を知ってはいなかった。
(このまま避け続けていても仕方が無い。やっぱり気絶させて拘束しよう)
僕はそう判断すると、エステルの攻撃に対しカウンター気味に当て身を食らわせた。
「グッ」
エステルは苦悶の表情を浮かべて幅広の剣を落とし気絶した…かに見えたが、腹に突き刺さっている僕の右腕を両手で捕まえる。そしてそのまま僕に組み付いてきた。
(しまった、吸血鬼だからこれぐらいじゃ気絶しないのか)
エステルは僕の右腕を掴んだまま左腕を首に回して抱きつこうとしてくる。しゃがんでその手を避けると、掴まれている右手を回してエステルの左手を逆に掴み取る。左腕を掴まえたまま彼女に背後に回り関節を決めた。
普通の人ならばこの状態から抜け出すのは難しいが、傀儡状態のエステルはその程度の関節技では止まらなかった。左腕に力を込めると力任せに外しにかかってきたのだ。
左手の関節が音を立て、苦痛にエステルの顔が歪む。このままではエステルの左手の関節が破壊されてしまうので、僕は一旦左手を開放して彼女を前に突き飛ばした。
突き飛ばされたエステルは床に倒れ込みそうになりたたらを踏む。その隙を逃さず僕はエステルの両腕を背後から掴み取って床に組み伏せた。
エステルが足をばたつかせ腕に力を込めるが、うつ伏せの状態で両腕を決められている体勢ではさすがにどうすることもできない。しかし僕もこの状態では両腕を放すこともできず、エステルに密着したまま身動きが取れなくなってしまった。
(これからどうしよう…)
暴れるエステルを押さえたまま、僕が次の手を考えているとマリオンが現れた。
『ケイさん、このままエステルさんを拘束しておいて下さい。私が取り憑いて動きを止めて見ます』
『出来るの?』
『今の自由意志のない状態のエステルさんなら…私でも取り憑く事ができると思います。そうすればエステルさんの身体を操って動きを止めることができるでしょう。もちろん自殺なんてさせません』
『…判った。他に方法も思いつかないし、マリオンにお願いするよ』
『任せてください』
マリオンは胸を叩くと、エステルの身体に入っていった。
◇
ソフィアが転移したのは地下迷宮の3階層にある巨大な部屋であった。30メートル四方の大きさのその部屋は、罠もなく魔物も大蝙蝠ぐらいしか出てこない比較的安全な場所であった。
今その部屋には数十名の"不死の蛇"の神官が集い、床に真っ赤な塗料で巨大な魔法陣を描いていた。その作業もソフィアが転移してきた時にはほぼ終わりかけていた。
その魔法陣の中央にはディーノ神官長が座っていた。ディーノは目を瞑り瞑想しているようであった。
「ディーノ様。ソフィア様が戻られました」
神官の一人がそう告げると、ディーノは目を開けてよろよろと立ち上がった。そして近づいてくるソフィアが持っている膨大な魔力を秘めた玉を凝視した。
「…ソフィアよ…魔力は手に入れることができたのだな?」
「申し訳ありません。魔力は手に入れることができましたが…貴方様の願いを叶えるには、あと少し、あと少しだけ魔力が足りないのです」
ディーノの問いかけに、ソフィアは首を振って玉を差し出した。
「な…ん…だと。ここまで来て…儂の願いは叶えられないのか…」
ディーノはガックリを崩れ落ちそうになり、ソフィアは慌てて彼を支えた。"不死の蛇"を降臨させるにはディーノが必要なのだ。
「大丈夫ですディーノ様。足りない分は我らで補えば良いのです」
ソフィアはディーノの耳元でそう囁いた。
「可能なのか?」
「はい、神官が死力を尽くせば…必ず儀式は成功します。いえさせるのです」
ソフィアの言葉によってディーノの目に光が戻ってきた。
ソフィアはディーノを魔法陣の中央にそっと座らせると、周りで待機する"不死の蛇"の神官達を見回した。
「今こそ"不死の蛇"様への信仰を試される時です。全ての魔力を、そして命をかけてでも儀式を成功させるのです」
ソフィアがそう言うと、神官達はどよめきながらも皆頷いた。
そして"不死の蛇"を降臨させるための儀式が始まったのだった。
◇
マリオンはエステルにとり憑くために彼女の精神世界に侵入を試みていた。"瑠璃"の時と違って、エステルの精神世界はまるで深い海の底のようであった。
僕はエステルを押さえ込みながらマリオンから送られてくるそんな映像を見守っていた。
『…暗い…まるで夜の水底のようです』
マリオンがそう呟く。
エステルの精神世界が暗いのは、彼女が傀儡の魔法にかかっている為かそれとも吸血鬼となっている為かは判らない。
そんな暗い世界を淡く光るマリオンの霊体は空気供給ホースのような物を引きずりながらブクブクと泡を立てながら進んでいく。空気供給ホースに見える物は、僕からマリオンへ魔力供給ラインである。
エステルの精神世界には淡く光る玉や立方体があった。それはエステルの記憶や思念の欠片らしく、薄っすらと人(僕やリリー、エミリー達)の姿や風景、魔獣などが映っていた。
そんな中をしばらく進むと行く手に明るく輝く球体が見えて来た。
『あれが、エステルさんの精神の中心のようですね。しかし、あれは何でしょうか?』
輝く球体には茨のような刺だらけの植物の蔦のような物が巻き付いていた。
(お約束通りな展開だな。あの蔦がエステルの心を縛る傀儡の魔法なんだろうな)
『マリオン、あれがエステルを傀儡にしている魔法じゃないかな?』
『そうなんですか? …では、あれを取り除けばエステルさんは元に戻るのでしょうか?』
『そんな気がするけど…できそう?』
『出来るか判りませんが、憑依するにはあれを私で包み込む必要があるので…どの道あの蔦が邪魔なので取り除く必要があります』
マリオンはそう言って輝く球体に近づいて行った。球体は遠くで見ていた時にはかなり大きく感じたが、近づいてみるとマリオンの身体の半分ぐらいの大きさであった。
球体に茨の蔦をマリオンは手で掴んで引っ張ったが、そう簡単には外れそうになかった。そしてマリオンが蔦に手をかけた時から傀儡の魔法を解除されそうになって抵抗しようとしているのか、エステルの暴れ方が激しくなった。
『私の力では外すのは無理なようです』
マリオンは蔦を取り除くことが出来なくて、悔しそうにしていた。
『マリオン、魔力があればどうだろう?』
『…そうですね、もっと魔力があれば外せるかもしれません』
『判った、今から魔力を送るから外せないかもう一度試してみてくれないか』
《主動力:賢者の石 2.0%で稼働させます》
僕は出力を上げると、マリオンに向けて魔力を送リ始めた。
『力が満ちて来ました。これなら…』
魔力を送るとマリオンがムクムクと巨大化していった。大きくなったマリオンは蔦を掴むと今度は軽々と引き千切ってしまった。蔦を引き千切った途端、エステルは暴れるのを止めて気絶してしまった。
マリオンが傀儡の魔法を解除できたのは、精神系に作用する魔法だった為である。霊が人に憑依するのも精神系の魔法と同等であり、そのためマリオンの力で魔法を解除することができたのだった。
蔦を引き千切ったマリオンは、エステルの心をそっと手に取ると胸の中に押し込んだ。
「ケイさん、うまく憑依できたみたいです」
「マリオン、ありがとう。助かったよ」
「…あの、ケイさん、このままだと私起き上がれないのですが…」
恥ずかしそうにマリオンがそう言って来て、僕はエステルの両手を拘束してその上に乗っているという、セクハラな体勢だということに気付いた。
「あ、悪い…」
慌てて僕はエステル(マリオン)の手を放して彼女の上から退いた。
「久しぶりの肉体なのでうまく動かせない…みたいです。すみません、ケイさん手を貸してもらえませんでしょうか?」
エステル(マリオン)は立ち上がろうとするが、うまく身体を操れず起き上がるのに苦労していた。僕は手を貸してエステル(マリオン)を立たせた。
『ありがとうございます』
エステル(マリオン)が頬を赤くしてお礼を言う。
(うぁ、こんなしおらしいエステルってちょっと可愛いかも…)
などと僕が思っていると、
『慶、イチャイチャしている場合ではありません。日緋色金巨人が何かしようとしていますよ』
と"瑠璃"に突っ込まれてしまった。
真っ二つにした後放置中だった日緋色金巨人の方を見ると、小人Aは日緋色金巨人を動かすのを諦めたのか、操縦席を分離させていた。どうやらその状態で僕に向かってくるつもりらしい。
(マズイな、魔法を使われると厄介だ。そういえば小人Bは何処に?)
エステルに体当たりされた時に手放してしまった小人Bを探したが、その姿は見当たらなかった。僕は小人Bを人質に取るのを諦め、床に突き刺さった大太刀に駆け寄って引き抜くと、小人Aの乗る○イルダーを迎え撃つべく構えた。
小人Aの乗る○イルダーは、僕の近くに飛んできたと思うとそこで空中静止を始めた。ミサイルでも撃ってくるんじゃないかと警戒したが、小人Aは攻撃してくることはなく僕に話しかけて。
『今はお前と争うつもりは無い。現在の状況は緊急事態である。氏族間の相互協力条約に基いてお前に協力を要請する』
「氏族間の相互協力条約…協力だって?」
『緊急事態における氏族間の相互協力条約はお前にも組み込まれているだろう。先ほど、お前が連れてきた女がこの地下迷宮の魔力を奪い去ってしまった。このままではこの地下迷宮の魔力バランスが崩れ、迷宮が暴走してしまう。なんとかしないとマズイ状態なのだ。これは緊急事態なのだ』
小人達の間では緊急事態における相互協力の取り決めがあり、小人によって作られたゴーレム(と小人Aが思っている)である僕は、彼の要請に従って協力する義務があるらしい。しかし僕は人間なのでそんな条約に従う義理はない。
「お前たちの条約なんて知らないが?」
『お前を作った氏族は魔力炉の製造は優秀だが、知能回路にエラーが発生しているようだな。それとも三原則を組み込んでいないのか?』
(三原則って…ロボット三原則みたいなものなのだろうか?)
僕の疑問を他所に、小人Aは「いいか、三原則とは、1.精霊人に危害を加えてはいけない。2.条約に基いた協力要請に応じる義務が有る。3.…」と三原則を唱えていた。
(小人達は精霊人って種族なのか。それよりいい加減僕を人間だと認識してほしいな)
「僕は人間だから三原則とか知らないよ。それよりも僕はソフィア…先ほど魔力を奪っていった女性を追いかけたいんだ。彼女の居場所を教えてくれないか?」
僕は逆に小人Aにソフィアの居場所が判らないか尋ねてみた。
『そんな者の事は後回しだ。それよりも迷宮が暴走したら…この地下迷宮は亜空間に飲み込まれて無くなってしまうのだぞ!』
小人Aが激昂して声を荒らげた。
(地下迷宮が消えてしまう? そうなると僕達も亜空間に飲み込まれるのか? それはマズイ)
小人Aの叫びを聞いて僕にも事の重大さが理解できてきた。このままでは地下迷宮と共に僕達は亜空間に消えてしまうらしい。
「判った、僕も消えたくはない。協力しよう。でもその後は僕達の身の安全の保証とソフィアの居場所を教えてもらうよ!」
『儂に協力するならお前と残りの者達の安全は…迷宮に害を及ぼさない限り保証してやる。あの女の居場所は…ロンパンの奴が付いていったから今に判るだろう』
ロンパンとは小人Bのことである。姿が見えなかったのは、ソフィアにくっついて転移していったためであった。
「約束したからな」
『精霊人は約束を破らん。時間が無い、早くこちらに来るのだ』
小人Aに急かされて、僕は壁際の魔法陣の中央に立たされた。
「何をすれば良いんだ?」
『失われた魔力をお前の魔力炉で補うのだ』
(やっぱりそう来たか。出力を上げてさっさと終わらせよう)
《主動力:賢者の石 30.0%で稼働させます》
話の流れから僕は魔力を要求されることは大体想像はついていた。僕は地下迷宮に魔力を供給するために心臓の出力を上昇させた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
お気に召しましたら、ご感想・お気に入りご登録・ご評価をいただけると幸いです。誤字脱字などのご指摘も随時受付中です。




