特訓
「追いかけないと。」
「待ちなさい。」
エステルがジークベルトを追いかけて走りだそうとしたが、ゴンサレスが彼女の手を掴み引き止めた。
「ケイですら苦戦した相手なのよ、貴方が追いかけてどうするの。」
リリーもエステルの手を引っ張っていた。
「でも、今ならあいつも怪我をしているし…。」
「ジークベルト…狼男の回復力は並ではない。あの程度の傷ならあっという間に治ってしまうだろう。追いついた頃には既に傷ひとつ無いはずだ。」
どうやらこちらの世界の狼男も回復力は高いらしい。スピード、怪力、高い回復力…地球の伝説の狼男そのものだ。そうするともう一つの伝説も気になるのだが。
「もしかして、狼男は感染しますか?」
「「「えっ?」」」
僕がそう言うと、三人に驚かれてしまった。
「ケイ、狼男が感染って…」「ありえません。」
「ケイさん、狼男は"月の女神"の加護か呪いを受けた者なのです。病気ではありませんよ。」
どうやらこちらの狼男は感染もしないし、狼男という種族でも無いみたいだ。
「女神の加護ですか?」
「はい、有名な話なのですが。ケイさんが知っておられないとは…。」
エステルやリリーも知っていたのだから間違いのない話なのだろう。間違った知識で質問してしまって僕はちょっと恥ずかしかった。
エステルを引き止め、狼男の話をしている間にテントからアベルとヘクターが出てきた。
「ゴンサレスさん、襲撃が遭ったのですか?」
「何が襲ってきたんだ?」
眠そうな顔をしている二人に狼男が襲ってきたこと、そしてなんとか撃退したことを話した。
「逃げたんなら寝かせてもらうよ。」
「私も明日の為に眠らせてもらいます。」
話を聞いた二人は、豪胆なのかのんきなのか、欠伸をしながらテントに戻っていった。
(明日の事を考えると…休まないといけないのは確かだな。)
時刻はエステル達と見張りを交代する時間になっていた。しかし戦いの興奮が収まっていない僕は焚き火の側でしばらく気を落ち着けることにした。ゴンサレスはテントに戻って休むかと思ったが、何故か僕の横に座り込んできた。
「目も覚めてしまったことですし、少し狼男…ジークベルトに付いてお話します。」
僕達は焚き火を囲み、襲撃して来たジークベルトの話をゴンサレスから聞くことになった。
「かれこれ三十年以上昔になるでしょうか、ジークベルトは、当時の駆け出しの冒険者だった私の仲間だったのです。」
「三十年前?」
エステルが驚く。狼男になる前の彼は二十代前半にしか見えなかったのだ。僕とリリー、エミリーも声には出さなかったが驚いていた。
「そう、ジークベルトは"月の女神"の呪いを受けて狼男となったのですが、何故三十年前の姿のままなのか…わたしにもわかりません。」
ゴンサレスは淡々とジークベルトの事を話してくれた。
ジークベルトは狩りを生業とする部族の出身で、閉鎖的な村の生活に飽きて冒険者となった。当時のゴンサレスは初級の上クラスの冒険者で、ジークベルトを含め、五人で冒険者パーティを組んでいた。出会った当初、ジークベルトは狼男ではなく普通の人だった。
「奴が狼男になってしまったのは、森で人を襲う熊を退治するという依頼の時でした。」
依頼を受けて森で暴れていた熊を激闘の末退治したところ、熊はその場で人に変わってしまった。倒した熊は動物ではなく、熊男だったのだ。
狼男と同じく、熊男も"月の女神"の加護や呪いで獣化できるようになった人である。
"月の女神"はギリシャ神話のアルテミスに酷似した女神で、月と狩猟と森の獣を守護している。狩猟と森の獣とは相反する内容だがそういう女神らしい。その相反する内容から狂気を司るとも言われている。
狂気を司ると言われているが、"月の女神"自信は邪神でも無く普通の神として広く信仰されている。しかし狂気を司るという部分を拡大解釈して、"月の女神"を信仰する一派も存在し、そちらは邪教の扱いを受けている。
ゴンサレスが倒した熊男はその邪教の高位の神官だったらしく、彼は死ぬ間際にトドメをさしたジークベルトに呪いをかけたのだ。
「神官はジークベルトに獣に変身する呪いと狂気の心という呪いをかけたのです。」
それ以後、ジークベルトは戦いになると狼男に変身してしまうようになった。最初は狼男としての力がパーティーの戦力アップにもなるので、皆は逆に呪いにかかってしまったことを歓迎した。
しかし変身して戦っていくうちにジークベルトは狂気に陥り、敵味方区別無く襲い掛かる狂戦士状態を引き起こすようになってしまったのだ。
狂戦士化を何回か引き起こした後、ゴンサレス達はジークベルトに"狂気の心"の呪いがかかっていることに気付いた。そこで呪いを解く方法を探すことにした。
ジークベルトの呪いを解くためにゴンサレス達は解呪を行える教会や魔法使いなどを当たったのだが、死の間際に掛けられた呪いは強力で、誰も呪いを解くことができなかった。
「呪いが解けないことに絶望したジークベルトは、ある日パーティーから飛び出して行方が知れなくなったのですが、まさかこんな所で出会うとは思いませんでした。」
コンサレスは、ため息をつくとエミリーが入れてくれたお茶を飲み干した。
「そうですか、でも先程の戦いでジークベルトは狂戦士化していなかったようですが?」
「ええ、私も不思議に思っていました。どうやって狂気を押さえているのか…。」
ジークベルトは戦いを楽しんでおり、攻撃を外すと手加減したと怒ったり、僕が力をうまく制御できていないことが判ると、戦いを止めて"無限のバック"を狙ったりと、ある程度理性的に行動していた。
あの戦いの最中は彼が狂戦士状態で有ったとは考えられない。
「狂戦士化しないのならそれに越したことは無いのですが…もし狂戦士かしてしまったら…」
もしジークベルトが狂戦士化して、僕以外の人に見境なく襲いかかってきたら…その人を守ることができるだろうかと僕は考えた。
(今のままじゃ無理だ。)
「ゴンサレスさん、僕はもっと強くならないと駄目みたいです。」
「…ケイさんは、先程の戦いではジークベルトと互角に戦っていたと思うのですが?」
「僕一人なら…なんとかなりますが、あいつが他の人を狙ったら…守りきれません。」
僕の言葉にみんな黙りこんでしまった。
◇
結局、結論の出ないまま、夜は過ぎていった。
エステル達と見張りを交代した僕は、テントに寝転んで考え込んでいた。
(なんとかジークベルトのスピードに追いつかないと…それと自分の力に振り回されない戦い方の特訓だな。しかし旅の途中で特訓なんてできるわけもないし、できたとしても相手はエステルかゴンサレスさんだし。ジークベルトと同じスピードが出せない人と特訓しても意味が無いだろうな。)
『私に良い考えがあります。』
僕が悶々と考えていると、見張りをしていたはずの"瑠璃"が唐突に話しかけてきた。
『良い考えって?』
『仮想現実システムを使うのです。』
そう言うと"瑠璃"はジークベルトの仮想体を見せてくれた。
『これを使って、仮想現実システム内で戦闘をシミュレーションするのです。』
『いつの間にこれを…』
『慶がジークベルトと戦っている間、私は見ていることしかできませんでした。しかし見ていたおかげで彼の動きを全て記録することができました。私がこの仮想体を動かしますから、慶はそれと戦ってください。』
仮想現実システムで戦うことが、どれだけ現実の戦いに役に立つかわからない。しかし何もしないよりはマシだろう。
僕は"瑠璃"の提案に乗ることにした。
◇
"瑠璃"はマリオンと見張りを交代すると、仮想現実システムを起動した。
『戦闘フィールドは先ほどの戦いの場所、野営地の周辺の草原に設定します。』
"瑠璃"は仮想現実システム上に野営地の近くの草原を創りだした。そこにはジークベルトの仮想体が既に立っていた。
創りだされたフィールドに入ってみると、草原のフィールドには草や地面の感触まで再現されていた。
『これだけの処理をどうやって…"瑠璃"の本体、いや僕の制御コアを使ってもこれだけの演算処理はできないと思うんだが?』
『はい、以前の私の処理能力であれば無理だったでしょう。しかし、こちらに来てから私は自分の処理能力が上がっていることに気が付きました。これは、慶も含め私達の駆動エネルギーが電力から魔力に変わったためと推測しています。以前なら実行不能であった処理が魔力を使うことで実行可能となっています。』
『魔力を大量に使えば処理能力が向上するのか?』
『はい、現にこの仮想現実のフィールドも私の制御コアにて演算処理しています。』
『そういう魔力の使い方があったのか。』
『ただ…この演算能力を維持するには大量の…おそらく通常の三倍の魔力を消費しています。それに、演算処理に伴う発熱が酷いため連続での稼働時間も限られます。』
『CPUコアの電圧を上げてオーバークロックするような物か…。』
"瑠璃"ができたということは僕にも可能かもしれない。魔力の供給は"賢者の石"があれば余裕で供給できるので、問題は発熱をどうするかになるだろう。
生身の脳を持つ僕だとどこまでその恩恵を受けられるかわからないが、魔力によるオーバークロックを試して見る価値はありそうだ。
『慶、稼働時間の問題があるので、早く特訓をしましょう。』
僕が考え込んでいると"瑠璃"が急かしてきた。
僕は我に返るとジークベルトの仮想体と模擬戦を始めることにした。
◇
"瑠璃"の操るジークベルトは、先ほど戦った本物と瓜二つの動きを再現していた。スピードを活かしたトリッキーな動き、左右から襲いかかる爪による斬撃など、ジークベルトの動きを見ていたという"瑠璃"の言葉は本当であったと納得させられる動きであった。
『慶、避けてばかりじゃ勝てませんよ。攻撃もしないと。』
爪による斬撃を槍の柄で受けるだけで精一杯で、僕には反撃することなどできなかった。仮想現実システム上では自動回避プログラムが動作しないため、捌ききれなかった攻撃は体で受けることになり徐々にダメージが蓄積されていく。
この模擬戦では、体にダメージが入ると、それに応じてダメージを負った部分が動かなくなっていくルールが設定されている。致命傷を負うとそこで"GAME OVER"である。
最初の戦いでは、五分もしないうちに僕は首筋を切られて負けてしまった。
次の戦いでは、開始直後に突撃を行って、ジークベルトの体に槍を打ち込み、勝利した。突撃のスピードがあまりにも速かった為、槍どころか腕まで胴体を突き抜けてしまった。
『うぇ、気持ち悪い。』
突き抜けてしまった腕を引き抜くと、血など付いていないのに腕を振ってしまう。現実でこんな事をしてしまったら僕は吐いてしまっていただろう。
『先ほどの戦いでも胴体を狙えば良かったのではないでしょうか?』
"瑠璃"が痛いところを突いてきた。確かに肩を狙わず胴体を狙っていればあの攻撃は当たっていただろう。
『それだと相手が死んじゃうから…今は仮想だと判っているからできたんだ。』
狼男のジークベルトに僕は致命傷となる攻撃ができなかった。話の通じない魔獣と違い、人として話ができる存在に対して僕は死んでしまうような攻撃を出せない。もし彼が最初から何も喋らず狼男で襲ってきていたならば、僕は迷わず胴体を狙っていただろう。
『慶のその考えは厄介ですね。このままでは他の人が犠牲になりますよ。』
『判っているさ。だから特訓をしているんだろ。』
"瑠璃"に言われるまでもなく、次にジークベルトと戦う時には彼を倒さないと誰かが傷ついてしまう事は判っている。
『僕が殺す覚悟をするか、殺さなくても良い位に力を使いこなすか…だな。』
そう言って僕は"瑠璃"との模擬戦を再開した。
◇
エステルとリリーは焚き火を囲んで黙って座っていた。
「ケイ、悩んでいたね。」
「そうだね。…私達いつもケイに頼ってばかりだね。」
「私、弓には結構自信が有ったんだけど、狼男には当てれなかった。」
「私も魔法を避けられました。魔法って避けられるんですね。」
二人は先の戦いで自分たちが役に立っていなかったことを悔やんでいた。確かに狼男は規格外の強さであり、ケイは二人に対して何も言わなかった。しかしそれが二人にとっては悔しかったのだ。
「「何とかしないと…」」
二人はどうやって自分たちがケイの力に慣れるか、考えこむのであった。
『エステルさん、リリーさん、二人共見張りをして下さい。』
焚き火の側で悩んでいる二人にマリオンは声をかけたが、聞いてはもらえなかったようだ。
マリオンは諦めて自分一人で野営地の見張りをすることにした。
『"瑠璃"とケイさんも特訓中ですね。私も何かお力になれれば良いのですが。』
マリオンは周囲を見張りながら今の自分に何かできることがないか、野営地の上空に浮かびながら考えていた。
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