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大樹が満ちる時  作者: 川乃 
第一章:出会い
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9.ホープ王家 Ⅰ

 リアムの住む王宮はエレスの家から長く続く緩やかな丘の上に位置していた。王宮に続く石畳の道の両脇には青々と葉を茂らせた木々が一定間隔に根を張り、その様子はまるで忠誠を誓う騎士が王道を守っているかのようだった。

 正門の前まで来て後ろを振り返れば、エレスの目に一番に飛び込んできたのは大樹の島だった。ここから見える島は他の何処よりも一番近くに感じ、島の全貌を鮮明に見ることが出来た。王宮から見下ろすことになる島はいつにも増してその緑を輝かせていた。ホープ王家はこの緑界エトゥールで最も大樹に近い場所に居を構え、偉大なる大樹を護っているのだ。

 門に刻まれた紋章は中心に大樹を据え、そのまた大樹の中心には緑色の石が組み込まれてあり、ホープ王家の名が刻み込まれてあった。


 馬車を断って一人ゆっくり坂道を登ってきたエレスは、門の前で右往左往していた。昼食の後チェルシーにリアムが用意してくれた馬車があると言われたのだが、それに乗って行く気にはとてもなれなかったのだ。

 昨日サラとジャスティンから聞いた噂は思ったより衝撃が強く、夜はなかなか寝付けなかった――もっとも噂だけが要因ではなかったのかもしれないのだが。

 リアムの馬車でリアムに会いに行けばもっと噂は大きくなるかもしれず、これ以上周囲の心の平安を無闇に乱すことは避けたいと考えた。そうして髪はラファの助言通り、今朝方チェルシーに相談し、右側面を少し編むことに決めた。


「女の子の髪を編むなんて何十年振りだろうね。ああ、デニーと付き合い始めた頃を思い出すねぇ。あたしもこうやって母親に教わったんだよ」


 事情をよく知っているはずのチェルシーだったが、エレスの髪に触っているうちに若かりし自分の姿を重ね、それが興奮を呼び、挙げ句の果てには髪飾りを引っ張りだして付けるように熱心に勧めた。

 エレスはその全てに首を振って自分の髪と同系色の留め紐を手に取った。

 家を出る時はなぜか自分の変化に恥ずかしさを覚え、家からここまでの道のりは外套の帽子を被って歩いた。少し風が冷たい日なので特に不自然ではなかっただろう。

 王宮に着けば誰かがいるだろうと思っていたのは甘い考えだったか、馬車を断らなければ良かったかと考えている内に、ええい、ままよと意を決し、扉を叩こうと手を振り上げた。 その途端、扉が内側にゆっくりと開き始める。


「エレス殿でございますね。お待ちしておりました」


 黒みがかった緑の衣を纏った初老の男が扉の内側から顔を出す。アルフォードと名乗り、無表情で半月の眼鏡をかけた白髪の男だった。

 彼はまるで誰かに操作されているかのような仕草でエレスを招き入れた。エレスは門を潜り、アルフォードを前に歩き始める。一歩踏み出した所で、先ほど眺めていた大樹の島に再び迷いこんでしまったかと目を瞬かせた。あの森のようにそこは緑に溢れていた。道の両脇の木々はお互いを抱きしめるように背を伸ばし、空から漏れる陽を遮っていた。扉から宮殿へ続く石畳がなければ再びあの時の如く迷っていたに違いないとエレスは息を飲んだ。


「エレス殿、少し準備をして頂きたいことがあります」

「準備、ですか?」


 来てきた服が悪かったのだろうか。しかし未だに外套を身に着けている。髪型が悪かったのだろうか。頭に手をやるが帽子を被っているし、アルフォードには見えていないはずだ。

 思案を巡らせる様子で何を考えていたのか分かったのだろう、隣を歩くアルフォードは不意に立ち止まってエレスを見つめる。


「どこも可笑しな所はございません。ただ、これからリアム様の所へ参られましたら身に着けて頂きたいものがあるのです」


 アルフォードが再び立ち止まった場所は三つに別れた分岐点の前であった。風が時折吹いて葉や草木を揺らす音以外は何一つ聞こえて来ず、どちらへ進むにもその先に何が在るのかは見当もつかなかった。不安でなかったのは案内人のアルフォードが傍にいたからで、ここはあの森の中とは違うんだという気持ちがエレスを落ち着かせていた。


「当初予定していたリアム様との面会に急に王も参加されることとなりました。しかし、これは非公式のものですので、特に服装等を気にされる必要はございません。用心はしていたのですが、街での最近の噂を王がどこからかお聞きになってエレス殿にご興味をもたれたようです」

「噂って、もしかして、リアム……様の相手だとかという噂でしょうか……」

「そうでしょうね。今日は離宮でエレス殿とリアム様がご歓談されている所へ王が散歩に来られる手筈となっております。よって軽くご挨拶だけですよ」


 ああ、人の噂というのはなんて偉大な力があるのだろう。こんな所で自分の首を締めることになろうとは。

 エレスは外套の端をぎゅっと両手で握り締める。そうするとポケットに隠れていたリュークが顔を出した。辺りを見回し匂いを嗅ぎ、再び顔を引っ込めた。


「リュークと言いましたかな、そのリス殿は。私が責任を持ってお預かりいたします」

「連れて来ては駄目でしたか?」

「ここから先へはご一緒に参られない方が宜しいかと思います」


 厨房で木の実が余っているからリュークはそちらで時間を潰すほうが嬉しいだろう、とアルフォードは続け、エレスに右の道を行くように促した。


 ここから一人で!?


「大丈夫です。一本道ですから。この先に離宮がございます。リアム様が待っておられますのでご安心下さい」


 今度は心の声が聞こえたのか、アルフォードはエレスに軽く頷いてみせた。リュークは彼の胸元に抱えられ、一生懸命何かの実に夢中になっている。食べ物に釣られた裏切り者を睨んだ後、エレスはその先の見えぬ右の道を歩き始めた。






 あまり景色が変わらない道を一人で歩くというのはなんとも心細いものだ。それが音のほとんど聞こえてこない道であれば、なおさら不安という紐に心が絞め殺されそうになる。

 エレスは歩きながら幾度と無くアルフォードとリュークを振り返った。いよいよ彼らが見えなくなる所まで来ると、途端に不安が波のように押し寄せた。徐々に歩く速度を上げ、気がつけば走っていた。前方に建物らしき物を認める時には、外套は必要ないくらい体は温まっていた。

 土と石で出来た赤茶色の門には扉が半開きになっていて、それを恐る恐る押し開ければ、目の前に現れたのは蔦に大半が覆われた小さな木の家だった。所々に赤や黄の葉が緑の中を可愛らしく彩り、碧の小花が滝のように二階から地面に流れ落ちるように咲き乱れていた。 一階の一角は扉付きの八角形の小部屋になっていた。他に扉が見当たらないことから、ここが入り口なのだろう。


「エレス!」


 その小部屋にいたリアムがエレスの姿を認めるなり駆け寄ってくる。


「ようこそホープ家へ」

「お、お招きに預かりまして光栄ですわ、王太子様」

「何それ、エレス。ああ、父ならまだだよ」


 リアムの笑い声によって不安で縮こまってしまったエレスの心は再びその温かさに包まれた。エレスはほっと息を吐いた。


「ここまで大丈夫だった?アルが迎えに行ったでしょう?会えた?」

「門の所から途中まで案内してもらいました。その時、王様が来られるって聞いたから、その、どうやって挨拶したらいいのか考えてて……」

「さっきの挨拶良かったよ。大丈夫、そんな気を張らなくていいから」


 二人は小部屋へと入り、リアムがエレスにお茶を入れる。カップにお茶が注がれた途端、香りが部屋中に広がった。目の前には紫の花弁が入った焼き菓子が用意され、今日のお茶も焼菓子と同じ花を使ったものだとリアムは言った。


「今日は感じが違うのは新しい髪型のせいかな。とても似合ってるよ」

「あ、ありがとうございます……ところで、素敵な場所ですね」


 噂になってしまった髪の話題はなるべく避けようと決めていた。リアムの耳に入ってしまっているかどうか分からないが、髪の話題からリアムの恋人云々という噂にまで話題が移ることを回避したかったのだ。

 エレスの心を読んだように、リアムは小さく微笑んだ。お茶をエレスに勧める。


「デニーの家系は代々庭師だけど、建築師でもあるんだ。ここはデニーのお爺さんのお爺さんくらいがホープ家の為に建てたものなんだよ。時々デニーが花や草木の手入れに来てる。客をもて成したり、私自身が雑務から逃れて一人になりたい時なんかに使ってるんだ。今日はエレスは私の客だし、いきなり宮殿の方に案内しても緊張させるかと思ってここを選んだんだ」

「デニーさんが?どうりで家の庭となんだか雰囲気が似てると思いました。デニーさんの心が込もった庭と同じ」

「気に入った?」

「とっても!」


 リアムは良かったと再び笑って、今度は焼き菓子を勧めた。一つ口に運ぶと花の香りが口一杯に広がり、ほのかな甘さがここまで走ってきた疲れと緊張を癒し解してくれるようだった。


「今日はエレスとゆっくり話をしたかったんだけどね。ちょっとそうもいかなくなった。ごめん」

「そんな。元は私が蒔いた種というか……リアム、様が謝る必要は全くありません」

「種?」


 様、と言ったところでリアムは口元に持って行きかけたカップの手を止めたが、敬称については何も触れなかった。


「あ、いいえ。気にしないでください。そ、そういえば、ここまで来て驚きました。王宮と島はとても近くにあるんですね。やっぱり王家が大樹を守る役目を担っているからなんですね」

「エレス、その大樹のことなんだけどね」


 リアムの顔が険しくなる。

 ああ、あの時の目だ、とエレスは思う。初めてリアムに会った時の、体を冷やし、痺れさせ、動かなくさせる、目。あの時と同じだ。


「ちょっとやってほしいことがあるんだ」


 リアムの柔らかな笑顔が消える。


「まず一つ目。これを腰に付けてくれるかな。巻きつけるだけでいいから」


 そう言ってリアムが取り出したのは、どこかで見覚えのある金の飾り紐だった。


「これは?」

「エレスはサラの縁者ということになっているからね。見習い治療師として王都に出てきていることにすると不自然ではない。これはその印」


 ああ、サラがいつも身に着けているものだと今更ながら気づく。そういえば、アルフォードが言っていた「準備」というのはこのことだったのか。


「それから二つ目」


 紐から視線を外して、リアムを見つめる。


「決して王には大樹の森での出来事は話さないこと」





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