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大樹が満ちる時  作者: 川乃 
第一章:出会い
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3.記憶

 

 再びエレスが目覚めた時は、部屋は薄暗く、窓から赤橙色の光柱が差し込んでいた。

 ベッドの隣に座って本を読んでいたサラがほぼ一日寝ていたのだと教えてくれた。初めて出会った時のように何か食べるものを持ってこようと言ったが、エレスはその提案に首を振って、まず話がしたいと切り出した。


 サラ・ユーナスは四日前、主であるリアム・ホープの命令で意識不明のエレスの回復を一任された治療師であった。

 主だった仕事はリアムの健康管理であるが、それだとあまりすることがないので、自分の家で患者を診察したり、後輩治療師の面倒をみたりすることが多いのだと笑った。

 生まれはこの街から三日分ほど馬車で乗り継いだ所にある小さな村で、二年前、治療師の才能をリアムに認められて王都へ移ってきた。半年後に結婚式をあげる予定で、現在は婚約者と街で暮らしているのだという。

 四日間も付き添ってもらって申し訳なかったとエレスが言うと、家が近いので、夜が更けてから幾度か付き添いを代わってもらって家に帰ったのです、実は……とサラは苦笑した。

 もう気分も良いので今晩は家に帰って休んでと言えば、側にいる、と二人とも後に引かずしばらく押し問答が続いたのだが、チェルシーというこの家を取り仕切る者に隣室に控えてもらう、というサラの妥協案にエレスはようやく息をついて頷いた。



「その……エレスさんの記憶についてお話がしたいのです」


 サラはようやく本題に入ろうと、姿勢を正してエレスの瞳をまっすぐと見据える。


「失われた記憶が戻るように何度も治療を試みてみましたが……」

「無理……なんですね」

「力不足で申し訳ございません……」

「そんな、サラさんが謝ることではありません!」

「靄がかかっているように見えて、私がそこまでたどり着いてもいつも弾き飛ばされてしまうのです」


 意味が分からないという風にエレスが少し首を傾げると、サラはすこし微笑んで、上手く説明できるか分からないのですが、と前置きをしてからエレスの両手を取った。


「治療師は患者の体の一部分を直に触って、体内に誰もが持っている『回復する力』に呼びかけることが出来るのです。治療師は……そうですね、その回復する力をより多く持っている者達、とでも言うのでしょうか。それらを分け与えて、傷ついた者達を癒す手助けをするのです。ですから、命が絶えてしまった者は助けることができません。死者にいくら私達の力を注いでも、相手の体が反応しなければ意味がないのです」


 エレスは少し強く握られた両手に一瞬目を落としてからサラの続きを待った。


「治療師が力を与える時には、体のどこかに触れると言いましたが、触れてすぐ治るわけではありません。傷などの治療対象にもよるのですが、時間がかかる時もあればすぐ治って済んでしまう時もあります。私達の間では治療のことを『手を取り合う』と言うのですが、その言葉のまま、治療師と患者のお互いの回復力の『手』が合わさった時、治療が始まるのです。ですから治療師がなかなか患者側の手を探り当てられなければ時間がかかります。そして、エレスさんのように治療師の手を拒絶してしまうこともあります」

「拒絶なんてするはずがない!」

「エレスさん」


 サラがより力を込めてエレスの両手を握る。エレスがサラの手を握りかえした時、サラがふわりと笑顔を見せた。目が覚めた時、最初にサラが見せた、あの柔らかくて安心する笑顔だった。


「ひどい事を言っているのは分かっているんです。ごめんなさい。でも、ちゃんとわかって欲しいから落ち着いて聞いて欲しいのです」


 サラは片方の手を解き、エレスの顔に手を伸ばす。ゆっくりと伸びてくる指先を追っていると、それはエレスの右頬をそっと撫でた。いつの間にか涙が溢れていた。


「エレスさんが眠っている間、同僚にも治療を試みてもらいました。しかし、同僚はその靄にも辿りつくことが出来ませんでした。わたしも何度も何度も試して、やっと何かを掴みかけたと思ったらただ靄の一片を掠めただけで、大きな力によって私の手は弾かれてしまったのです。

 同僚と話し合った結果、エレスさんの心が記憶を取り戻したくないと思っているのか……誰か、もしくは、何かがエレスさんの記憶を操作したのではないか、と私達の意見が一致したのです」

「私自身が。もしくは誰かが記憶を……奪った」


 発せられた言葉はエレス自身が驚くほど乾いていた。「私か、誰かが」ともう一度呟いて口を噤む。


「どちらにしても、その靄がエレスさんの記憶と私の手の間にある以上、私の力は役には立ちそうにありません。他の方法がないかと思って調べてはいるのですが……まだ何も見つかっていません」

「サラさん」


 今度はエレスが力を込めてサラの両手を握り締める番だった。眠っている間、見ず知らずの自分のために懸命に力を注ぎ、助けてくれた。それだけで十分だ。これ以上余計な手を煩わせたくない。自分には何もない。だから感謝の気持ちをどうやったら伝えることができるだろうか。


「もう十分です。こんな素性も怪しい私の為に一生懸命になってくれて、どうお礼をしたらいいかわかりません。助けて下さってほんとうに有難うございました」


 エレスがそう言うと、サラは焦げ茶色の大きな瞳を一瞬さらに大きく見開いた後、それを少し細めた。


「どこのどなたなのかは私には分かりませんが、周りの方に大切にされて育てられた方なのでしょうね。手を見たら分かりますわ」

「手、ですか?」

「はい。滑らかですし、傷跡などありませんし。きっとエレスさんの為に働く方が側にいたのでしょうね。それにリュークが懐いているということは、大樹の加護を受けられている方なのですわ」

「リューク……誰ですか?」


 エレスの背中にあった枕の下がもそもそと動き、見覚えのある茶と白の縞リスがひょっこり顔をだした。鼻をヒクヒクさせ、目は半開きだ。どうやら眠っていたのだろう。サラが、「その怠け者のことですわ」とクスクス肩を震わせて笑うと、リュークはふあぁぁぁとかわいい声をあげて欠伸をし、再び枕の下に潜り込んだ。


 まだまだ聞きたいことがあったが、今日はここまでとサラは言った。その後、何もいらないとごねるエレスに無理やりスープを押し込んで飲ませると、約束通りチェルシーに引き継ぎをして部屋を去った。


 チェルシーはサラよりも年上の少しふくよかな体つきの女だった。力いっぱいエレスを抱きしめて、記憶なんてすーぐ戻るさと朗らかに笑った。燃えるように赤く、巻き毛の短い髪は彼女の性格を表しているようで、尚且つ柔らかく、顔を埋めるとエレスの胸は懐かしさでいっぱいになった。自分に母がいたとしたら、チェルシーのように力いっぱい抱きしめてくれたのだろうかと思って涙がまた溢れた。





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