兄貴が言うには
「なんていうか、貴方も貴方ですねえ。アパート行ったら誰もいない、そういうことですか」
あいつの兄貴の声はどこか人を見下してるような、そんな声であった。
小説家をやっているというから、やはりそれに似合った性格なのだろう。私はこの人物にこれから会うことを考えるとすっかり頭が痛くなった。
何か無いものかと薄手のジャケットに付いているポケットを探る。次の瞬間にはもう、私の手には一つの飴玉が張り付いていた。これはさっき友人から貰ったもので、暗くなる頃にでも舐めようと思っていた。
私はその飴玉を口に含むと、その勢いに任せて立ち上がった。
そうして歩きながら兄貴に一言、平謝りをした。
兄貴は言った。
「僕は桃の味のアメが好きなんですけどね」
しまった、と思った。
アパートの影よりも先に、その派手な赤い車が目に付いた。その横には黒のジャケットの中にストライプのシャッツを着て、ジーパン、赤のスニーカーという出で立ちの男がいた。
男は私の姿を確認したのか、「おお」と言いながら手を振った。
これが兄貴なのだ。予想していたものよりも随分と若かった。歳はリエさんと同じくらいだろうか、女の私でさえもうらやむ様な、日差しを充分に受けて艶やかに光る黒髪を持っていた。
「どうもこんにちは。兄貴、です」
兄貴は笑いを浮かべながら挨拶をすると、すっと手を差し出した。私がそれを握ろうとすると、「いやいや違う、アメだよ、飴」。
「ほら言ったじゃないですか。僕は桃の味の飴が好きだって。買ってきてくれなかったんですか?全くぼろぼろだなあ。約束破るわ飴舐めながら謝るわで、ちょっとくらい気をきかせてくれてもいいじゃないんですか」
そこまで私の思考回路は発達していないのだけれど、私はそう言い掛けるのを必死で抑えた。
「ちなみに、僕の書いているコラムを読んでくれました?あれ、ペンネームで書いてるんですからね、変な誤解はやめてくださいよ。僕の名前はグリーンテドン大沢じゃない。あんな名前、馬鹿みたいだからね。本名?ああ、僕はじゅんって言います。三つ点書いて、こうやってカタカナの九の字みたいに書いて、日。洵。弟クンは名前を言いたがらないみたいだけれど、それもご愛嬌ってことで許してくれないかな。まあ知ったところでどうにもならないっていうのは分かるけれど。僕のことは兄貴、兄貴さん、洵さん、なんでもよし。ただ呼びつけはダメよ。仮にも年上なんですから。」
彼はなかなかに口が達者だ。それでも今日私が会ってきて、なおかつ印象に残った人物の中では一番話が分かる者なのかもしれない。
「それよりも、今日弟クンがやることを僕は知っている」
は?私は口をあんぐり開けて、兄貴さんの方を見た。奴、兄貴さんには秘密にしているって言ったじゃないか?
「この僕を舐めちゃあいけないね。だって僕は貴方の携帯番号だって分かっているんですから。疑問に思わなかったんですか?僕は貴方とまるで面識がない、なのに携帯番号を知っている。おかしいでしょ、でもこれ僕だからね、まあ大体のことは手に取るように分かってしまう。一時期は日本だって手に入れられるんじゃないかって思ったけれど、それは流石に無理だったね。せめて一都六県一道ぐらいでしょ。まあ笑い話はそこら辺にしておいて、僕もかなり貴方たちのことが心配なんです。だから僕は貴方たちについて行こうと思う。それに弟クンは免許書さえ持っていないんだ。無免許ならまだいいけれど、仮にあの女性に運転させて、そのまま車ごと海へぼっちゃん、それじゃあ困るんですよ。貴方もぞっとするでしょ?僕だって嫌だし、それに一番おかしいのが今回の依頼内容だ。もともと弟クンのやることだからって僕は考えていたけれど、まさかそんなところにまでいってしまうのには流石にびっくりしたよ。だから僕は考えたんです。この車の為にも、僕は貴方達を守る。だってこの車、僕の少ないお給料でローン組んで買ったんですから。まだはらい終わってもいないし、それに今のコラム連載だって打ち切られそうなんだ。ただでさえ毎日貧しい思いをしているのに、その連載が無くなったらそれこそ僕のほうが海に沈むよ。だから何があっても大丈夫、この僕に任せなさい。貴方は安心して車に乗っていればいい。せいぜい夜のドライブを楽しみなさい。」
奴も奴で、この兄貴も兄貴だ。
私は兄貴さんの口にもうんざりしていたが、内心ほっとしていた。
大丈夫、だって。
「とりあえず僕が今日の仕事内容知っている、というのは秘密にしておいてくださいね。 僕もなかなか興味あるんです。弟クンやあの女性の行動が。それよりも弟クンは僕を乗せていってくれるかな、無理やりに車だけでも連れて行こうとしたらそれこそ僕のお友達を呼ばなくちゃ。」
やがて、遠くからふらふらと二人乗りの自転車がやってきた。