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ある思い出

私の一日は電話の着信音で起きることから始まる。

相手はいつも隣に住む男であった。

「やあ、おはようございます。早速だけれど、俺は今から献血に行かなければいけない」

「そんな依頼が入ったの?」

「いや、CMでやっていたから。時にはボランティアも大切なのさ。そんなわけで、今日もよろしく」

私は大学に行く仕度をすると、男の部屋を訪ねた。吊るされた硬い紐を動かせば、バケツが音を出す。男はすでに出てしまったようだ。私は男から貰った鍵を取り出すと、鍵穴に差込み、そのまま手首を右に回した。


中は日によって表情を変えていて、ある日は大量の服が置かれていたり(それは女性の方からの、溜まった服にアイロンをかけて欲しいという依頼だった)、ある日は可愛らしいお弁当が作られていたり(緊急で早く仕事場に行かなければいけないという母親からの依頼で、子供の三人分のお弁当を作っておいて欲しいというもの)していた。

私は講義の時間まで設置されている黒電話の前に座った。電話が来るまでは、みかん箱の上で別の依頼物をしていた。

この依頼は小学校の先生からで、テストの点数を付けておいて欲しい、というものであった。私は赤ペンを握りながらテスト用紙をめくっていく。多分このテストは一年生がやったものであろう、まだ上手く書けない字を一生懸命に紙の上に広げている。今の私には考えられないような間違いをしている、そう思うと、ああ私は歳を取ったな、なんて考えてしまう。

黒電話の音が部屋に鳴り響く。

私は空いているもう一つの手を使って、受話器を取り上げた。

最初の決まり文句はもちろん、

「はいこちらなんでも屋でございます」。

「あの、急な事なんですが、依頼出来ますかね?」

私は赤ペンを置き、バッグの中から携帯電話を取る。

時刻は九時半。相手に言っていることが伝わるよう、はきはきと。

男に教えてもらったことを実践する。

「はい、今日は二時までなら依頼を受け付けております」

「あのー、十時から始まるスーパーの特売で卵を買っておいて貰いたいんですけれど・・・」

どんな依頼でも受け付ける。なぜならなんでも屋だから。

「はい、分かりました。個数と、それに住所も教えていただけますかね?」

「えっと、三個と、あと住所は」

私は黒電話の横に置かれていたメモ用紙に住所を記録する。

電話を切ると、私は早速ここの部屋を出た。ちゃんと、二つの鍵を持って。

近くにとめてあった男の自転車に乗ると、私はスーパーへ向けて一気にペダルを踏み始める。


最初は大きな仕事も来るのかな、なんて外国の映画を思い浮かべながらそんなことを考えていたけれど、実際は雑用にも近いことばかり。

小さな小川を横目に私は自転車を走らせる。

この仕事を始めて一ヶ月。一番大変だったことといえば家出した小学生の女の子を探すこと。


写真に写ったその小学生は背伸びをしていて、茶色の髪に短いスカートをはいていた。依頼者の両親から一枚のノートの切れはしを渡された。そこには紫のペンで、

「毎日が楽しくない。きいはこの家を出ます。」

きい、とはこの小学生の名前だった。

きいちゃんは母親の財布から通帳を持ち出し、両親の今まで貯めていたお金をすべて取り出していた。

「なかなかやりますね」

男はそんなことを言いながら驚いていた。私はぼんやりとした気を持ちながらその子の母親と一緒にひたすら探した。男は父親と一緒に行動をしていた。

やがて私の携帯に一通の着信が入った。男がここから二つ先の駅にて女の子を発見したということだった。彼女はたった一人でいて、お金は千円ちょっとしか使われていなかった。

私は母親に言った。

「この歳の子供は皆、そんな野心を持っています」

それでも母親は、きいちゃんと再会すると駅の真ん中にもかかわらず怒鳴り散らした。父親は黙ってその様子を冷酷な目で見続けていた。

「あんなことをすると、そのうち子供引きこもりになっちゃうぞ」

私の耳でそっと囁いたのは男であった。

今日一日を潰したこともあってか、報酬は二万円。

私は男と一緒に、そのお金を使って深夜のレストランで静かな食事を取った。

残りは分け合い、私は途中でコンビニに寄ってもらい、ポテトチップスを一袋買った。


スーパーの中は、人々の波がひたすら特売品に向かって打ち付けていた。

肩を右、左と上手く使いながら私は卵売り場へ直行する。卵は残り五個で、なんとか、といった形で私はそれを買うことが出来た。

メモしておいた住所はここから近い。卵を割らないようにと慎重に自転車を進める。

「昼頃に帰ってきますので玄関の前に置いといてください。お金はポストの中に入れておきます。」

着いた所はマンションであった。軽く十階はあるだろう。

私は依頼者の部屋へ行くために、階段を上がっていった。


依頼者の玄関の前に買ってきた卵を置くと、すぐ傍には可愛らしいお年玉の袋があった。ポストの中だと聞いたはずなのに、私はそれを手に取ると中身を確認した。

中には卵代と報酬の千円が入っていた。千円は四つに折られていたが、かなり急いでいたようで、夏目漱石の顔が歪んでいた。


さあ、私は今来た道を戻ろうとした。

こうしている今も誰かから依頼が来ているかもしれない。それに、テストの残りもある。

私は家出をしてしまったきいちゃんのことを思い出した。


つまらなくていいのに、どうして変化をしようとしてしまうの?

自ら見えない沼へ飛び込むなんて、とても出来ない。

それは、私が大人になってしまったからなのだろうか。

安全で、それでいいのに。

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