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男の正体

私は古ぼけたドアを叩いていた。

「すみません、いますか?」

返事がない。

「すみません、・・・すみません!」

このドアの横にはベルが無かった。

本来ならあるはずなのに、私のところにはちゃんと設置されていたはずなのに。

「ったく、いないのかよ・・・」

人差し指に痛みを覚えながら、私はドアから一歩下がった。

背後で大きな風のうなり声が聞こえた。

首を少し動かし、一面に広がる建物たちの間に大きな隙間があるのを見つけてそこに目をやった。

日は少しずつ落ち始めてきていた。

前よりも少し時間が違う、私はそのことを思うと悲しくなった。

身に覚えのある風が髪の間を結っていくのを感じ取れば、近くにあるのであろう、木々がぶっそうな乾いた音を立てた。カラスの鳴き声を聞きながら、それは不定期に続く。

いないのだったら、また後でくればいい。

そんな考えがよぎる。

そうだ、私はこのアパート近辺の様子を思い出した。

どうせ外へ出てきたことだし、近くにコンビニはないだろうか。

ダンボール箱に包囲されてしまったのであれば、とてもじゃないが晩飯を作ることは出来ない。そうしよう、面倒だし、買ってきて簡単に済ませよう。


私が夕焼けの空に浮かぶカラスの姿を確認したとき、背後で鍵の空く音がした。

最後にノックをした時から随分と時間が経っていた。

「あ」

私はその方向へと体勢を変えた。

ドアに体半分を隠してそこに住む住人が顔を見せていた。

「ごめんなさい、・・・何か?」

寝起きの低い声が私を驚かせた。

男だった。随分と綺麗なツヤを持った黒髪を持っていた。

切れ味のある二重の下には黒ずんだクマがあった。

よれよれの黄色のティーシャツを着て、中心には可愛らしい兎の顔がプリントされていた。

男は私の顔を見ると眉をひそめた。私は慌てて、

「すみません、今日から隣に住む者です、名前は、」

私の名前を続けさせようとした。しかし男は面倒臭そうに、

「いいよ、言わなくて。どうせ言ったって何にもならないだろ」

予想外の返答に焦る。

「そ、そうですか?・・・・せめて名前ぐらいは」

「あーあ、いい、いい。知らなくたって別にどうってことないし」

「そうは言ったって・・・」

「代わりに俺も言わない。それでいいでしょ」

こんなこと言う人、初めて聞いた。

間違いなく私はこの男に戸惑っていた。

いや、誰でも戸惑うであろう、なぜならこんな先制パンチ、まずやられたことがない。

私はそっと目を横にずらした。

男はわかりきっているように、

「表札なんてないぞ」

と言った。

心の中は筒抜けだった。

「え、あ、それじゃあ」

これお菓子です、食べてください、美味しいですよ。

私は男に箱を差し出した。男は片手でそれを受け取る。

「それじゃあ、私帰ります、それじゃあ」

男が声を張り上げた。

「あ、ちょっと待て」

もうかかわりたくなかった。こんな攻撃を食らってしまっては、どうすることも出来ない。

ありえない、もうちょっと常識はないの?そりゃ知ったって仕方ないけれど。

「なんですか」

私は男の顔を睨みつけた。

「怖い顔なんてしなくていいから。あのさあ、ちょっと手伝ってくれない?」

「はあ?」

「いやいや、今内職してるんだけどさ、どうも明日までに間に合わない。3日ぶっ通しでやってたらさ、いつの間にか寝てて。このままじゃやばいんだ。ね、だから」

「他の人に手伝えさせればいいじゃないですか」

「そんなこと言ったって、このアパートには俺とお前しか住んでないんだよ。わざわざ友達の家まで行くのも面倒だし。まあそりゃ初めて会った男にこんなこと言われるのは抵抗があるだろう。そうだ、半分渡すからお前の部屋でやってもいい。それでどうだ」

「無理です。これから引越しの荷物がたくさん届くんですから」

「無理じゃない。あのさあ、人間サンは未知なる能力を持ってるんだよ。どうにかなる」

「話が少しずれているようです」

「よし!それじゃあここは兄貴の権力を使おう。ウチの三兄弟のうちの一人は小説家なんだが、それが結構メディアに露出してんのよ。だから顔の幅が多い。お前の好きな芸能人って誰だ?会わせてやろう、どうだ」

「いや・・・」

「好きな芸能人いないの?まあなー大学生?そう、大学生か。うーん、その歳になるとなー、何が好きなんだ?イケメン俳優?イケメンお笑い芸人?」

「違います。」

「じゃあいるんだ。お兄さんに教えてみよう」

「これを言ったら私生きていけなくなります」

「そんな酷いもんなの?俺ね、結構テレビ好きだからマイナーなところまで知ってるぞ。・・・お前さ、俺をそんな喋らせて楽しいか?面倒くさそうな表情してるし、もう手伝っちゃえよ。今ならどんぐりガム付きだぞ」

断れない。断ったら、またこの話が続くんだ。

「ちょっとだけなら、いいですけれど・・・」

「おうし、きた。じゃあ家に上がってよ」

「持ってきてくれないんですか?」

「ちょっとー少しは俺をいたわりなよ。さっきも言っただろ?3日ぶっ通しだって。どんぐりガムつけるんだからそれぐらいのサービスお返しは・・・。そんじゃバイト料もつけたしといてあげるよ。結構な額になりそうだし。」

「もう何でもいいです。さっさと私を上がらせてください」

「何だよ、怖いなあ。・・・素直になりなさいよー」

男はドアを全開に開いて、私を部屋の中へ案内した。私はその中へと入っていった。


その光景に、私は愕然とした。

部屋にはプリント、複数の字で書かれたノートが無数に転がっていた。床の色も見えない。

その中央にみかん箱があった。上には綺麗な文字で書かれたレポート用紙がのっていた。

「俺さあ、なんでも屋をやってんだよ。そしたら見事に依頼が殺到。今は留年寸前の大学生から、たまりに溜まったレポートを完成させてくれっていうのと、近所の高校生からの依頼でノート写し、それに春休みの宿題になったプリントをやってくれって。君にはプリントとノート写しをやっていただきたい。有名な進学校だから半端ない量だし、俺にも解けない。レポートは中身は薄いから大丈夫。兄貴の力もかりればどうにかなるはずだったんだけれど、量をなめすぎていた。あいつは完璧留年だね。しかもあきらかにレポートじゃないような奴が入っているんだ。じゃあ今からダンボールにつめてあげるから、」

「なんでも屋って?」

「おい、俺が説明しているのを無視してその質問かい。・・・まあ要するにお金が欲しかったわけだよ。だけどさ、あんまりやりたいバイトも無いし、それにいちいち上の人間の言葉を聞くのも面倒臭い。だからだ、俺は自分でこの仕事を始めたのさ。少々値は高いが、とりあえずはなんでもやる。そしたらもう引っ張りだこ。忙しいけどお金はがっぽり。でもよく考えたら忙しいからお金使えないんだよなー。もともと貧乏症だから通帳の残金見るのも恐ろしくて今は寄付にまわってる。だったらもうやめればいいじゃんって言っても、一つの趣味みたいになってるしなー。」

「へえ・・・・」

「反応薄いな、もうちょっと何か言ってよ。まあ時間も無いしな、期限は明日の朝七時までだ。依頼者の高校生は明日が学校始まりなんだって。どうにかして渡さないと。」

「どれだけの量ですか?」

「うーんと、数学のプリント三十枚と美術の絵描きと音楽のベートベンを聞いた上での感想、国語は読書感想文、それはなんとうちの兄貴が書いた小説を読んで感想を書くんだって。だから兄貴に直接聞いて書いちゃった。あとは理科、社会のワーク。社会は日本史だけ進めておいた。だって俺日本史大好きだから。理科は化学式がよく分からんから手つけてない。・・・・どうにかなるでしょ?」

「いや、ならない!今はもう日が落ち始めているんですから!」

「大丈夫!元気があればなんでも出来る。力道山のあの勇姿を思い出せ。」

「いや、それは力道山じゃなくて、」

「お前、俺を誰だと思っている?大のプロレス好きなんだぞ?まあお笑い限定だが・・・いけねえ、こんな場合じゃなかった。俺はいつも喋りすぎるんだ、じゃあよろしく頼むよ」

男はダンボール一箱を渡した。その重さに拍子抜けになった。

「じゃあ六時半になったら迎えに行く。そしたら依頼者の家まで行くぞ」


随分と無茶苦茶な男だった。だが実際の中身はもっと少なく、美術の絵描きと理科と社会の薄っぺらいワーク、それにもう終わっていた読書感想文だけであった。荷物はまだ届いていなかった。

私はさっさとそれを終わらせると、ひたすら段ボール箱を待ち続けた。しかし、あちらの手違いなのか、それは今日中に届くことは無かった。男の言うとおりの内容でもよかったかもしれないと、私はいらない手直しを美術の作品に施しながら、余った時間を過ごした。

男は翌日、約束の時間にベルを鳴らした。私は男の運転するオレンジの軽自動車に乗って、依頼者の元へと向かった。男は途中で車をわき道に止めた。

「ばれるとやばいからね、親御さんに」

男は荷物を持って走っていた。私は車内に一人取り残された。

しばらくすると、男がゆっくりと歩いて帰ってきた。

手には茶封筒がしっかりと握られていた。

「ポストに入れておいた。それで帰ろうと道を一本曲がったら、依頼者がやってきてね。ありがとうございます、これを、って言って」

男は運転席に乗り込むと、私にその封筒を渡してくれた。

「本当は駄目なんだけれどね、こんなこと。引き受けた後気付いた。それはちゃんとあの高校生にも言っといたよ。そしたら分かってくれたらしくて、これからは自分で頑張りますって。大学の奴らにも言わなきゃなあ」

男は空笑いをしたあと、

「それ全部やるよ」

私は封筒の中身をそっと見た。

そこには二千円札が入っていた。

「高校生だからそれぐらいしかないんでしょ。でも珍しいよ、今時。家宝だな、そりゃ」

二千円札一枚で、私は目を丸くした。

「あと、これから君は俺のパートナーとなり、なんでも屋を手伝ってもらいます」

「はあ?」

「いいじゃないか、まだ沢山残ってんだよ。お爺さんの庭掃除、小学校の便所掃除、それに出張でママさんバレーのお相手もある。報酬は人それぞれ。感謝の心であったりとか、チロルチョコであったりとか。それに、お前なら都合がいい。もしも人を殺して片方が捕まっても、必ず相手の名前は言えない」

心臓を金槌で叩かれたような衝撃が走った。

男は私の表情を見ると笑って、

「嘘、嘘。そんなことは絶対しない」

手を横に振る。



いつか私は男を狐として見ることがあるのだろうか、

そんなことがあってはならない、こんな男に人生を振り回されるなんて。

だけど、暇つぶしくらいにはなるのだろうか。

私は妙な変化に胸をどきどきさせ、興味を示していた。


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