胡散臭い予備校講師風の創作論コース 第一期(一年目~二年目)
創作は最初からガッツリ全てを考えるな ~創作とは考えること~
■ はじめに
私はnote.comで記事を書いている「うななお」さんのファンです。
https://note.com/unanao
この方とSNSで話していて気付いたことをまとめておこうと思います。
この作品は、著者の意思により CC0(Creative Commons Zero)ライセンスで提供されます。著作権法上認められるすべての権利を放棄し、全世界において、誰でも自由に利用可能です。(有志の方には翻訳していただけると幸いです) License : https://creativecommons.org/publicdomain/zero/1.0/deed
■ 未来の解像度の話
まずはこの記事を読んで欲しい、うななおさんに許諾を取った上なので問題はないですね……そのはずです(だってインターネットだもん!)
閑話休題 「未来の解像度が高まると時空が歪む」という「認知の歪み」
https://note.com/unanao/n/n8df5890f6480
さて、うななおさんはトップから辿れば分かるとおり、ストックが多いらしいです。
しかし、このストックを温め過ぎると、解像度が上がりすぎて「終わったこと」と感じられる……そんな旨の内容がSNSに投稿されました。
ここで、私自身のことを考えると、確かに温め過ぎたアイデアは形になっていないなと。
むしろ、今まで完成させてきた小説群、そしてエッセイ群は思いついて――その熱が冷え切らないうちに形にしているんですね。
当然、長編小説だと初期の熱をそのまま維持するのは難しいです。
だけど、書き進めること自体が「解像度を高める行為」になっていると気付いたんです。
そして「Heartbeat Reject 〜選ばれなかった僕は――それでも『彼女』を守りたかった〜」でもでしたが、解像度を上げきったと思っても、公開前日にさらに解像度が上がるアイデアの夢を見て、急遽執筆とか(笑)
さて、この解像度について、うななおさんとは若干違う見解を出してみたいと思います。
■ 思考解像度は、イメージとは異なる
よく自己啓発系の本にはありますよね?
「成功した自分をイメージしろ」
これは、私自身も否定しないんですけど『イメージトレーニング』の話だと思うんですよ。
実際に経験がありませんか?例えばボールを投げるときに、相手に届かないイメージが湧いてしまうと実際に失敗してしまう――とか(笑)
すなわち、イメージと解像度は、別物だと思うんです。
成功する自分をイメージすることは、悪くない。
だけど、その道筋をあまりに『解像度高く』想像してしまうと、上手く行っても道筋をなぞっただけ、失敗したら落胆も大きいでしょう。
そして、うななおさんが陥ってる罠もまた、書く解像度が高すぎて「既にできあがった道をなぞるだけ」となってしまうのではないか、と。
冷静にあなた自身が考えてください?
全てのストーリーが頭に入っていて、それを文字に起こすだけであれば……もはや脳の内容を文字起こしするだけで、創作の喜びも半減以上に減るでしょう。
■ 創作の喜びとは、きっと思考の喜びである
執筆創作をしていると、元々考えていたアイデアより良いと思えるものが出てくることがあります。
当然、当初のアイデアが凡庸に感じてしまうこともあるでしょう。
そして、その取捨選択……それが『創作の喜び』ではないでしょうか?
その本質は『思考の喜び』だと私は思います。
最初に全て考え尽くしてしまうのは、そうですね――調理場で美味しいと味見ばっかりしていたら、本体が残ってない状態に近いかと(笑)
鉄は熱いうちに打て、という言葉があるとおり、書くに相応しい時というのはあるのではないかと、稚拙ながら小説やエッセイを書いていると感じてしまいます。
■ おわりに
今回の話は、ある意味でうななおさんとの共作に近いものです。
うななおさんの「工学寄りの人生哲学」から始まったnote.comのエッセイ、是非皆様にも読んで欲しいと思っています。
あ、うななおさんは私のKDP本を無料キャンペーン期間中にダウンロードしたこと、ここだけの秘密ですよ?(笑)




