3話 神
(さて、ここで現在の俺のステータスを確認しよう。所持金ゼロ、武器なし、使える魔法なし。神についての事前知識もろくになし。……うん、控えめに言って詰んでるな)
活気あふれる商業区の通りを歩きながら、俺は盛大なため息をついた。
先ほどリーネに泣きついて奢ってもらった肉串は、すでに俺の胃袋の中だ。腹の足しにはなったが、今日泊まる宿代すら無いという根本的な問題は何も解決していない。
「……ねえ、ウィルさん。さっきからずっとブツブツ言ってますけど、本当に一文無しなんですか?」
「ああ。あの事務仕事女神、俺をこの世界に放り込む時に財布の概念を忘れたらしい。なあリーネ、俺が神の代理人として覚醒したあかつきには、利子をつけて返すから――」
「お金は貸しませんからね。私だってギリギリの生活なんですから」
ピシャリと言い放たれ、俺は肩を落とした。異世界の村娘、ガードが固い。
「まあ、冒険者ギルドで日雇いの雑用でも紹介してもらえば、今日の宿代くらいにはなりますよ」
「雑用かぁ……。いや、それより手っ取り早い資金調達の方法がある」
俺はニヤリと笑って、通りの奥を指差した。
「さっき言ってた『自称ヘルメス』の小泥棒。そいつ、衛兵も捕まえられなくて困ってるんだろ? なら、俺がそいつを捕まえて突き出せば、報奨金が出るんじゃないか?」
「ええっ!? いやいや、衛兵すら捕まえられないくらいすばしっこいんですよ? 魔法も使えないウィルさんがどうやって捕まえるんですか!」
「ふっふっふ。リーネ君、いくらすばしっこくても、泥棒には必ず『行動のクセ』ってもんがあるんだよ」
俺の使命は、神人を見つけて契約し、力を分けてもらうこと。
このまま日雇いバイトで一生を終えるわけにはいかない。あの泥棒が本当に神人なら、接触する絶好のチャンスでもある。
「なあリーネ。その泥棒、最近は具体的にどんなものを盗んでるんだ? 単なるパンとか金貨か?」
「ええと……もちろん食べ物や金品もですけど、最近はなぜか『綺麗で甘いお菓子』とか『珍しい果物』をよく狙ってるみたいですよ。子供だから甘いものが好きなんでしょうね」
(……なるほど。単なる空腹満たしのひったくりにしては、狙うものが少し偏ってるな。まあいい)
「じゃあ、この通りで一番高くて、見栄えのいい甘い果物を置いてる店はどこだ?」
「それなら、あそこの『高級フルーツ店』ですけど……」
リーネが指差した先には、立派な構えの店舗があり、店先には赤く熟したリンゴのような高価な果物が山積みにされていた。
「よし。あいつが狙うのは、あそこだ。俺たちはここで張り込みをする」
俺は近くの木箱の陰にしゃがみ込み、目を光らせた。
ただの勘だが、泥棒の心理として「一番高くて美味そうなもの」を狙うのは定石だ。あわよくば捕まえて、契約ついでに報奨金もいただいてやる。一石二鳥の完璧な作戦だ。
「……なんか、顔がすごく悪巧みしてる顔になってますよ、ウィルさん」
「気のせいだ。俺はただ、世界の平和と今日の晩飯のために――」
その時だった。
穏やかだった商業区の通りに、突如として不自然な一陣の突風が吹き荒れた。
「きゃっ!?」
「うおっ、なんだ!?」
リーネが短い悲鳴を上げ、道行く人々が風除けに腕を交差させる。
風が収まった次の瞬間、高級フルーツ店の店主が素頓狂な声を上げた。
「ああっ!? 一番高い特上の『太陽果実』が箱ごと消えちまってる!!」
見れば、つい数秒前まで山積みになっていた赤い果実の箱が、綺麗さっぱり無くなっていた。
「ハッハー! 見事な隙だったぜ、人間ども!」
声を見上げて、俺は目を丸くした。
フルーツ店の屋根の上。そこに、木箱を片手で大事そうに抱え、もう片方の手で赤い果実をかじっている金髪の少年が立っていたのだ。
「フッ……この俺を捕まえようなど100年早い! なぜなら俺は、偉大なる主神ゼウスの息子! 風を友とする旅と商売の神、ヘルメス様だからな!」
夕日を背に受けて、大げさなポーズを決める自称神様。
言動は完全に痛いヤツだが、あの異常なスピードと風を起こす力……間違いない。
(本物の神人だ……! っていうか、マジで堂々と食い逃げしてやがる!)
「ああっ! 出たわね自称神様! 衛兵ーっ、誰か衛兵を呼んでー!」
騒ぎ出す通りを尻目に、ヘルメスは屋根から屋根へと、まるで重力がないかのような身軽さで飛び移り始めた。
「よし、リーネ! 追いかけるぞ!」
「ええっ!? 無理ですよ、あんな屋根の上なんて!」
「逃がすか! 俺の今日の晩飯(報奨金)と、輝かしい未来(契約)がかかってるんだよ!」
俺は一文無しの底力を発揮し、屋根の上を跳ねる神の息子に向かって、全力で路地裏を走り出した――!
これまでのテンポとウィルの「ちょっとズル賢くて現実的」なキャラクター性を活かし、第4話のチェイス&捕獲シーンを作成しました!
ヘルメスが「箱を大事に抱えている」という伏線もしっかり描写に組み込んでいます。
「ハッハー! 遅い遅い! 衛兵ども、カタツムリの散歩でもしてるのかぁ!?」
頭上から降ってくる生意気な挑発。
見上げれば、金髪の自称神様・ヘルメスが、夕暮れの空を背に屋根から屋根へと身軽に飛び移っていた。片手には、先ほどフルーツ店からくすねた高級果実『太陽果実』の木箱をしっかりと抱えている。
「ぜぇ、はぁっ……! ウィ、ウィルさん……! やっぱり無理ですよぉ……!」
「諦めるなリーネ! あいつは俺の動く財布、いや、栄光への架け橋なんだ!」
地上を走る俺とリーネ、そして数人の衛兵たち。
普通に考えれば、風を操るような超人的な身のこなしをする相手に、下から追いかけて勝てるわけがない。
だが、俺は走りながら冷静に上の様子を観察していた。
(あいつ、確かに速いが……さっきから箱を抱えている左腕は絶対に庇っている。 どんなにバランスを崩しても、果物が傷つくような着地はしてない)
ただの食い意地が張った泥棒なら、逃げる途中でいくつか果物を落としたり、最悪箱ごと投げ捨てて身を軽くするはずだ。だが、あいつはまるで壊れ物でも扱うように木箱を死守している。
それに、衛兵の目を撒くために、徐々に道幅の狭い裏路地(スラム街の方向)へとルートを変えつつあった。
「……リーネ。ちょっと俺の言う通りに動いてくれ」
「へっ? はい、何でしょう……?」
走りながらリーネに耳打ちし、指示を出す。彼女は一瞬「えげつなっ……」という顔をしたが、コクリと頷いて衛兵たちのほうへ走っていった。
俺は一人、メインストリートから外れ、薄暗い路地裏のショートカットへ飛び込んだ。
―――――――――――
「ひゃっはー! 楽勝だぜ! さーて、このまま路地裏に降りてドロンと……」
数分後。
俺の予想通り、衛兵の追跡を撒いた(と思っている)ヘルメスが、屋根から薄暗い路地の死角へと飛び降りてきた。
「ふぅ。今日も大豊作大豊作。この太陽果実を食べれば、きっと……っと」
ヘルメスが地面に着地し、安堵の息を吐きながら走り出そうとした、その瞬間。
ピンッ!
「……あン?」
路地の両側の壁に渡されていた『ただの洗濯用ロープ(※俺がさっき張った)』が、ヘルメスの足首に見事に引っかけられた。
「うおわぁぁっ!?」
風を操る超スピードも、足元をすくわれればただの物理法則に従うしかない。
ヘルメスは盛大にバランスを崩し、前のめりにすっ転んだ。
「ぐっ……! 果物だけはっ!!」
普通なら顔面から地面に突っ込むところだが、あいつは空中で無理やり身体を捻り、自分の背中から地面に落ちることで、抱えていた木箱を胸の上で完璧に守り抜いた。
ドゴォッ!という鈍い音が路地裏に響く。
「いっっっだぁぁぁ……! な、なんだこんなところにロープなんか……!」
涙目で呻きながら起き上がろうとするヘルメスの首元に、俺は容赦なく落ちていた木の棒(ちょっと尖ってる)を突きつけた。
「はい、チェックメイト。お疲れさん」
「なっ……! き、貴様はさっきの一般人! まさか、俺の進行ルートを読んで罠を……!?」
「ただの定石だよ。お前みたいなお調子者は、大通りで派手に騒いだ後、必ず狭い路地に降りて逃げようとする」
俺は死んだ魚のような冷たい目を下ろしながら、ヘルメスの胸ぐらを掴んだ。
「さて。偉大なる主神ゼウスの息子、旅と商売の神、ヘルメス様? 今からお前を衛兵に突き出して報奨金をふんだくってもいいんだが……俺の質問に素直に答えるなら、見逃してやらなくもない」
「くっ……! 卑怯だぞ人間! 神に向かってこんな泥臭い罠を張るなんて!」
「勝てば官軍なんだよ。……で、まずはその大事そうに抱えてる果物について聞こうか。自分で食うためってわけじゃなさそうだな?」
俺の問いかけに、ヘルメスはハッとして木箱をさらに強く抱きしめ、初めて年相応の少年のように唇を噛み締めた。
「……お前には関係ないだろ。これは、俺がどうしても持って帰らなきゃいけないんだ」
(なるほど。ただの愉快犯じゃないってわけだ)
俺は心の中で小さくガッツポーズをした。
交渉の糸口(弱み)は、完全に見えた。
薄暗い路地裏。
俺は地面に倒れ込んだ金髪の少年――自称ヘルメスの首元に木の枝を突きつけたまま、ひったくった高級品『太陽果実』の入った木箱を見下ろした。
「……お前には関係ないだろ。これは、俺がどうしても持って帰らなきゃいけないんだ」
さっきまでのお調子者な態度はどこへやら。ヘルメスは、まるで宝物を守る獣のように木箱を抱きかかえ、俺をキッと睨みつけている。
(なるほど。愉快犯でも、単なる食いしん坊でもない。この必死な目……テンプレ通りなら、病気の家族でもいるってところか)
俺はわざとらしく大きなため息をつき、首元に突きつけていた木の棒をポイッと放り捨てた。
「……病気か?」
「っ!? な、なんでそれを……!」
「お前みたいなガキが、自分が傷つくのも厭わずに大事そうに果物を抱えてたら、それくらい想像がつく。高熱でも出してるのか?」
俺の図星を突かれたヘルメスは、ビクッと肩を揺らしたあと、観念したように視線を落とした。
「……母さんだ。数ヶ月前から原因不明の高熱を出して、ずっと寝込んでる。医者にも診せたけど治らなくて……。でも、この『太陽果実』を食べた時だけは、少し熱が下がるんだ。だから……」
「だからって、毎日食い逃げをしていい理由にはならないぞ。お前、自分が神様だって名乗ってたよな? 本当に偉大なゼウスの息子なら、魔法か何かでスパッと治してやれないのかよ」
俺の意地悪な質問に、ヘルメスはギリッと歯を食いしばった。
「治せるわけないだろ! 俺たちは……いや、俺は、あの忌まわしい『魔神』の結界のせいで、神としての力のほとんどを失っちまったんだからな! 今使えるのは、ちょっと風を起こして速く走ることくらいだ。奇跡を起こす力なんて、もう……」
ポツリとこぼしたその言葉に、俺は口角が上がるのを抑えきれなかった。
(ビンゴ。やっぱりこいつ、本物の神人だ。そして魔神の影響で力を失っている。あの事務仕事女神の言っていた設定と完全に一致する)
俺はしゃがみ込み、ヘルメスの目の高さに視線を合わせた。そして、悪徳商人も顔負けの胡散臭い笑顔を浮かべる。
「なあ、ヘルメス。お前、その果物を盗み続けて、お母さんの病気が根本的に治ると思ってるか?」
「それは……っ、でも、俺にはこれしか……!」
「治らないよな。ただの延命だ。……でも、もしお前が本来の神の力を取り戻せたら? 奇跡の力で、お母さんを完全に治せるんじゃないか?」
「!……お前、ただの一般人じゃないな? なぜ魔神のことを……それに、力を取り戻すなんて、どうやって!」
ヘルメスが身を乗り出してくる。
俺は立ち上がり、パンパンと服の土埃を払った。
「俺はウィル。この世界を裏で操る魔神をぶん殴るために、天界から派遣されてきた『神の代理人(器)』だ」
「代理人……!? ま、まさかお前、神と契約して力を引き出すっていう……神話の時代の……!」
「そういうこと。俺とお前が契約を結べば、俺を中継地点にして、お前の失われた神の力が引き出せるようになるらしい。お前はお母さんを救える。俺はこの理不尽な世界で生き残るための力が手に入る。……どうだ? 悪くない取引だろ?」
俺はヘルメスに向かって、右手を差し出した。
「お前を衛兵に突き出して報奨金を貰うのはやめてやる。その代わり、俺と契約しろ。お母さんの病気は、俺の力……いや、お前自身の本来の力で治そうぜ」
ヘルメスは呆然と俺を見上げ、それから自分の胸に抱えた果実の箱と、俺の差し出した手を交互に見た。
やがて、その生意気そうな顔に、初めて年相応のパッと明るい希望の光が宿る。
「……本当だな? 俺の力を引き出せるんだな? 母さんを、助けられるんだな!?」
「ああ、約束する。(女神の仕様書が嘘じゃなければな)」
「っ……分かった! 契約する! 俺の力、お前に預けるぜ、ウィル!」
ヘルメスが俺の右手をガシッと握り返した。
その瞬間――。
俺たちの繋いだ手から、カッと目も眩むような黄金の光が溢れ出した。
風が渦を巻き、路地裏のゴミ箱が吹き飛ぶ。俺の身体の奥底に、今まで感じたことのない圧倒的な熱量と『情報』が流れ込んでくるのが分かった。
頭の中に、新しいスキルがインストールされていく感覚。
【契約完了:神人ヘルメス】
【獲得スキル:『神速』『風の加護』】
光が収まった後、俺は自分の手をグーパーと握り開いてみた。
身体が羽のように軽い。これなら、さっきの屋根の上での鬼ごっこも余裕で勝てそうだ。
「……すげえ。これが、神の力か」
「へへっ、どうだ! 俺の力、すごいだろ! これで母さんも……!」
嬉しそうに笑うヘルメスの頭を、俺は軽くポンと叩いた。
「ああ、すごいな。よし、契約成立だ。……じゃあ、さっそくお母さんのところに行こうか」
「おう! こっちだ、ついてきな!」
俺たちは路地裏を抜け、ヘルメスの家があるというスラム街の奥へと足を踏み出した。
……ちなみに、フルーツ店から盗んだ『太陽果実』は、後で俺がリーネにお金を借りて(土下座して)こっそり代金を払いに行かされることになるのだが、それはまた別の話である。




