表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/19

第18話 英雄の弟子

ギルド酒場に朝の光が差し込む頃、すでにそこには二人の姿があった。


「……平和ですね」


カウンター席に腰掛け、ジョッキを両手で包むルミナがぽつりと呟く。


向かいに座るリリアは、すでに一杯目を飲み干し、次の酒を待ちながら頬杖をついていた。


「平和だね。……そろそろ男探したいなぁ」


「朝から何言ってるんですか……」


そう言いながらも、ルミナの声はどこか楽しげだった。


かつては英雄と呼ばれる存在が酒場で酒を飲む光景など、あり得ないものだった。

だが今は違う。

リリアがこの街に根を下ろしてから、英雄が酒を飲む姿すら“日常”になりつつあった。


受付嬢も、もはや驚くことなく、慣れた手つきで酒を運んでくる。


「いつものですね、リリア様」


「ありがと。朝からごめんね?」


「いえ……もう慣れましたので……」


どこか諦観の混じった笑顔で去っていく受付嬢を見送りながら、リリアはふと顎に手を当てた。


「……ってか、最近ロラン見ないわね」


「ロランさん、ですか?」


「そうそう。あのいい男の」


そう言いながら、リリアは酒場の窓の外に視線をやった。


その時だった。


「あ」


リリアが指を差す。

窓の外、通りを歩くロランの姿があった。


しかし――その先には、一人の少女がいた。


年の頃はルミナより少し年下か、同じくらいだろうか。

淡い色のワンピースを着た、どこか控えめな雰囲気の女の子だった。


ロランはどこか落ち着かない様子で周囲を気にしつつ、その少女と合流する。

いつもの飄々とした態度とは違い、少しぎこちない笑顔で話しかける姿に、リリアは思わず目を細めた。


そして、少し話した後――

二人は、ためらうように一瞬だけ間を置いてから、自然な仕草で手を繋いだ。


二人はそのまま、街の奥へと消えていった。


その背中を、リリアは最後まで目で追っていた。

まるで、見送るべき何かを、今さらになって自覚したかのように。


酒場に、妙な沈黙が落ちる。


「…………」


リリアはしばらくその方向を見つめたまま、動かなかった。


「……めっちゃいい感じだと思ってたのに……」


ぽつりと、かすれた声。


「あいつ、女いたのかよ……」


「……ドンマイです!」


ルミナが慌てて言うが、リリアはすでにジョッキをぐっと煽っていた。


「……なんか依頼行くわよ。それも、めちゃくちゃ強い敵がいるやつ!」


「えぇえ!?!?!?」


完全に逆ギレだった。


そのまま二人は、依頼板の前へと移動する。

だが――


「……ないわね」


「……ないですね」


目に入るのは、雑務や小規模な討伐ばかり。

リリアが求めるような“派手な依頼”は、ひとつもなかった。


「なによこれ!しけてるわね!めずらしく仕事しようと思ったのに!」


その時、受付嬢が申し訳なさそうに近づいてくる。


「す、すみません……最近、英雄リリア様の噂が広まりまして……知性のある魔物や犯罪者が減っているんです……」


「……あら」


「なので、特に依頼がなくて……」


一瞬、リリアは目を丸くし――すぐに笑った。


「それは、いいことね」


そして、どこか満足そうに続ける。


「じゃあ私、出て行った方がいいのかしら」


「い、いえ!それは……!」


慌てる受付嬢を見て、リリアはくすっと笑った。


その時だった。


「じゃあ……」


ルミナが手を上げる。


「私の修行相手、してくださいよ!」


「ん〜」


リリアは少し考えるそぶりを見せ――すぐに頷いた。


「まぁ、いいわよ」


「ほんとですか!?」


こうして二人は、かつてロランと訪れたギルドの訓練場へ向かうことになった。



訓練場に足を踏み入れた瞬間、ルミナの空気が変わる。


ギルド併設の訓練場は、冒険者たちが日々鍛錬を積む場所だ。 朝の時間帯ということもあり、人影はまばらで、広い敷地に二人きりの空間が生まれていた。


「遠慮なくいきますからね!本気でいきます!」


ルミナは杖を握り、正面に立つリリアを真っ直ぐ見据える。 その瞳には、いつもの柔らかさとは違う、はっきりとした闘志が宿っていた。


「分かった分かった。好きに魔法打ってきなさい」


リリアは軽く肩を回しながら、余裕のある声で応じる。


「……ほんと、舐めてますよね」


ルミナは一度、深く息を吸った。


次の瞬間、詠唱もなしに放たれた風刃が、一直線にリリアへと飛ぶ。 鋭く圧縮された風の刃が、地面を削りながら迫る――


だが。

リリアはその場から一歩も動かず、指先で軽く払った。


風刃は、まるで最初から存在しなかったかのように霧散する。


「……っ」


ルミナの眉がわずかに動く。


続けて、炎。 掌サイズの火球を複数同時に放ち、包囲するようにリリアへと飛ばす。


だがリリアは、火球の間を歩くように進みながら、軽く息を吹きかけるだけで、それらを霧散させていく。


「うそ……」


魔法が、効いていない。 正確には――効く前に、消されている。


ふと、訓練場の端に視線を感じた。

いつの間にか、素振りをしていた若い冒険者が、動きを止めたままこちらを見ている。


「……なに、あれ」


震えた声で呟いたその男は、無意識に剣を握り直し――

そして、目の前の光景から目を逸らせなくなっていた。


「ほら、間合いとタイミングが甘い」


リリアが歩きながら言う。


「魔法は“当てる”んじゃなくて、“逃げ場を消す”ものよ。まぁ私、魔法の事はあまり分からないけど」


ルミナは、ぐっと唇を噛んだ。


次は、水と雷。 地面を濡らし、そこに雷を流し込む連携魔法。 対人戦でよく使われる基本的な“詰め”の戦術だ。


だが。

雷が走った瞬間、リリアは地面に一歩踏み込んだ。

ドン、と低い音。 その衝撃だけで、地面が割れ、水が跳ねる。 雷は、分断された地面によって途切れ、空しく消えた。


「……うそでしょ」


ルミナは、思わず呟く。


「今のは、ちゃんと良かった」


リリアは褒めるように言う。


「でもね、“私相手に”使うなら、もう一手必要」


「……っ!」


ルミナは即座に理解し、再詠唱に入る。


雷と炎を同時に重ねる。 視界を奪い、熱と光で判断を鈍らせる、実戦向きの複合魔法。


だが、炎がリリアの視界を覆った瞬間――


炎の中から、ぬっと手が伸びた。


「……っ!?」


ルミナの杖を、リリアが掴んでいた。


「詠唱中は、無防備になる」


リリアは杖を軽く離しながら言う。


「これ、命取りよ」


「……っ、く……!」


ルミナは後ろに跳び、距離を取る。 額に、じんわりと汗が浮かんでいた。


「……今、何割ですか」


息を切らしながら、ルミナが尋ねる。


「ん〜……二割くらい?」


「くっそこの人ほんんんんと!!」


ルミナは叫び、地面を踏み鳴らした。

そして、決意したように、杖を高く掲げる。


「……長期詠唱、いきます!」


「来なさい」


リリアは、その場で構えた。

詠唱が始まる。 空気が、変わる。


風が止み、周囲の魔力が、ルミナの周囲へと集まっていくのが分かる。 訓練場の空間そのものが、ひりついた緊張感に包まれた。


――高位魔法。


成功すれば戦況をひっくり返すが、詠唱中は完全な無防備。 まさに“賭け”の魔法。


「……来るわね」


リリアは、初めて真剣な目でルミナを見つめる。

詠唱が終わった瞬間。


「『紅蓮彗星ぐれんすいせい!』」


放たれたのは――


巨大な火球。


人の背丈を軽く超えるほどの質量と熱量を持ったそれが、轟音と共にリリアへと迫る。


「これは片手じゃ無理ね!」


リリアは両手を前に構える。


火球が着弾し、爆炎がリリアを飲み込んだ。

熱風が訓練場を揺らし、地面が焼け、砂埃が舞い上がる。


「……やった……?」


ルミナが、息を呑んで見つめる。


だが。

数秒後、煙の中から、ゆっくりと人影が歩いてくる。


無傷のリリアだった。

その両手から、炎がまるで霧のように消えていく。


「……嘘でしょ……」


ルミナは膝に手をつき、呆然とする。


「ほんとに……階級、二個しか離れてないんですか……」


リリアは、少しだけ申し訳なさそうに笑った。


「今の、すごく良かったよ」


そう言って、ルミナの前に立つ。


「私、魔法のことはあまり分からないけど……多分、真似できないかも」


その言葉に、ルミナの胸が、じんと熱くなる。


「……ほんと、ズルいですよ……」


そう言いながらも、ルミナは、少しだけ笑っていた。


それからも、訓練は続いた。

ルミナは何度も魔法を放ち、何度も打ち破られ、そのたびに修正し、工夫し、挑み続けた。


リリアは一度も“圧倒するための攻撃”はしなかった。 ただ、すべてを受け止め、消し、逸らし、教えるように戦い続けた。


日が傾くころ。

ルミナは、地面に座り込み、息を切らしていた。


「……はぁ……はぁ……」


「よくやったわ」


リリアは、そう言って、ルミナの頭にぽんと手を置く。


「今日一日で、かなり変わった」


ルミナは、疲れ切った顔で、それでも嬉しそうに笑った。


「……ほんとですか」


「ええ。ちゃんと、強くなってる」


その言葉に、ルミナは静かに目を閉じた。


そして、また一歩。 英雄の隣に立つための距離が、縮まった。



夕暮れの帰り道。


訓練場を出ると、空はすでに茜色に染まり、街の輪郭をやわらかく包み込んでいた。

昼間の喧騒が嘘のように落ち着いた通りを、二人は並んで歩く。


「……疲れた?」


リリアが、横目でルミナを見る。


「……正直、もう一歩も動きたくないです……」


そう言いながらも、ルミナの声はどこか軽かった。 足取りは重いが、その表情には、確かな満足感が滲んでいる。


「でも、楽しかったです」


その言葉に、リリアは少しだけ驚いた顔をしてから、微笑んだ。


「そりゃよかった」


石畳を踏む音が、静かな通りに響く。 夕方の風が、火照った身体を冷ましていく。


通りの先では、露店を畳む商人や、家路を急ぐ人々の姿が見えた。 どこにでもある、ありふれた光景。


だが、ルミナはその光景を、いつもより少しだけ大切そうに見つめていた。


「……リリアさんって」


ふいに、ルミナが口を開く。


「英雄なのに……こういう時間、好きなんですね」


「ん?」


リリアは首を傾げる

「こうやって、街を歩いたり、酒飲んだり、訓練したり……」


ルミナは、少し考えてから言葉を続ける。


「……戦うだけの人だと思ってました」


リリアは一瞬、足を止めかけてから、また歩き出した。


「戦うだけの人になったら、終わりよ」


何気ない口調だったが、その言葉には、確かな重みがあった。


「英雄なんてさ」


リリアは夕焼けを見上げながら言う。


「守るものがあるから、戦えるだけの存在でしょ」


「……守るもの……」


ルミナは、思わずその言葉を反芻する。


「この街も、あんたも、酒場も、訓練場も……」


リリアは、笑いながら肩をすくめた。


「全部、私の“守る理由”よ。男さえいれば最高なんだけどね」


ルミナは、思わず胸の奥が、じんと熱くなるのを感じた。


しばらく、二人は無言で歩く。


その時だった。

路地の奥、建物の影のさらに奥から――


じっと、二人を見ている“何か”の気配がした。

リリアが何気なく視線を向けると、そこにはただ、夕暮れの風と、揺れる布切れしかなかった。


「……気のせい、か」


そう呟いて、彼女は歩みを止めなかった。

ただ、並んで夕暮れの街を進んでいく。


「……ねぇ、ルミナ」


「はい?」


「今日の訓練、どうだった?」


唐突な問いだった。

ルミナは少しだけ考えてから、正直に答える。


「……悔しかったです」


リリアは、意外そうにルミナを見る。


「悔しい、ですけど……」


ルミナは、拳をぎゅっと握った。


「でも、それ以上に……嬉しかったです」


「……どうして?」


「リリアさんと、本気で向き合えた気がして」


その言葉に、リリアは一瞬だけ、目を伏せた。


「……そう」


そして、少し照れたように、短く笑った。


「それなら、よかったわ」


また、沈黙。 今度は、どこか心地よいものだった。


やがて、ルミナがぽつりと呟く。


「……ロランさんには、女の人がいましたけど」


「……」


一瞬、空気が止まる。


「うるさいわね!」


リリアは即座に声を上げた。


「なんで今その話ぶり返すのよ!」


「い、いえ……なんとなく……」


ルミナが慌ててフォローしようとするが、リリアはすでに顔を逸らしていた。


「今日は飲むわよ!絶対飲む!」


「……結局そこなんですね」


二人は、顔を見合わせて、同時に笑った。

通りの向こうに、ギルド酒場の明かりが見えてくる。 いつもの場所。 いつもの匂い。 いつもの時間。


だが、今日という一日は、確かに二人を少しだけ変えていた。


リリアは、歩きながら、ふと呟く。


「……平和だったわね」


ルミナは、小さく頷く。


「……はい。すごく」


その言葉に、リリアはどこか満足そうに、笑った。

だが――


その“平和”が、いつまで続くかは、誰にも分からない。


それでも今は。

夕暮れの街を歩く二人の背中に、静かな安らぎがあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ