第17話 余韻の酒とSSS級
リリアとルミナが街に戻ったのは、夕暮れ時だった。
夕焼けに染まる城門をくぐる二人の姿は、
とても“英雄”とは言い難いものだった。
「……あーきつい」
「す、すみません……リリアさん……」
ルミナの肩に、リリアがぐったりともたれかかっている。
血まみれ、服は裂け、腹と肩には応急処置の跡。
顔色も決して良いとは言えなかった。
門番が気づいた瞬間、言葉を失った。
「……え……?」
街中に入ると、その異様な光景に人々が次々と足を止める。
子供が笑いながら走り抜けていく横を、
血に濡れた英雄が、静かに歩いていく。
その光景は、どこかちぐはぐで――あまりにも、この街らしかった。
「……え、あれ……英雄様……?」
「な、なんで……あんな……」
ざわめきが広がる中、二人はそのままギルドへ向かった。
◆
ギルドの扉を開けた瞬間。
――空気が、凍った。
血だらけのリリアの姿を見た瞬間、
冒険者も受付嬢も、言葉を失って固まる。
「……リ、リリア……様……?」
受付嬢が震える声で名前を呼ぶ。
リリアは、にこっと笑って片手を上げた。
「ただいま〜。依頼、完了でお願い」
「え……え……?」
「キノコもちゃんとあるよ。ほら」
ルミナが、籠を掲げる。
一瞬、静寂。
そして――
「いやいやいやいや!!!」
ギルド内が一斉に騒然とした。
「その姿で“依頼完了”とか言うな!」
「誰にやられたんだ!?」
「魔王軍か!?」
「いや、まさか……」
受付嬢は顔を青くしながら、慌てて言った。
「ガ、ガレイン様を……お呼びします……!」
◆
数分後。
ギルド奥の部屋で、
ガレインは腕を組み、無言で二人を見下ろしていた。
沈黙が、重い。
やがて、低く口を開く。
「……よく生きて帰ってきたな」
それだけで、場の緊張が少しだけ緩んだ。
「それどころか――
剣神相手に引き分けまで持っていくとは」
リリアが一瞬だけ目を見開く。
「……やっぱりバレてた?」
「当たり前だ」
ガレインは溜め息混じりに言う。
「ディルク・ザルヴァートだろう。
あれと戦って無事な者など、そういない」
ルミナがごくりと喉を鳴らした。
ガレインは続ける。
「……やはり、お前はこの街に留めておいていい人材ではない」
リリアは即答した。
「無理。私はここに居る」
「……即答か」
「今日のはディルクとちょっと“じゃれただけ”だし」
「はぁ……じゃれただけでその姿になる人間がいるか」
ガレインは額を押さえた。
「……まぁいい。いい機会だ。話しておこう」
ガレインは一度、視線を落とし、そして言った。
「この世界に、SSS級と認定されている人間は前も言ったが四人だけだ」
部屋の空気が、ぴんと張り詰める。
「ひとりは――
突如現れた規格外。英雄 リリア・ヴァルハート」
リリアは目を逸らした。
「ひとりは――
剣神ディルク・ザルヴァート。世界一の剣の使い手にして戦闘狂のバカ男だ」
ルミナの背筋が伸びる。
「ひとりは――
魔導王 ノクティア=アル・マギナ。世界一の魔法使い。あらゆる魔法体系の“外側”に立つ女」
その名に、ルミナが小さく息を呑んだ。
「そして――
聖導王アーク=ラグナロク=ルシフェリア。この世界最大の宗教『聖導教』の教祖。信仰と権威、そのすべてを“武器”にする男」
ガレインは、ゆっくりと締めくくった。
「この四人が、人類における“最上位”だ」
詳細は、語られなかった。
だが――
それだけで十分だった。
◆
話を終えた後、二人はギルド酒場に戻ってきていた。
リリアは椅子に深く腰掛け、ジョッキを傾ける。
「……生き返るね」
「生き返ってから言ってください……」
ルミナが呆れた顔で言う。
その時だった。
リリアの身体から、ふわりと白い煙のようなものが立ち上る。
「……え?」
次の瞬間。
リリアの傷が、みるみるうちに塞がっていく。
裂けていた腹部、貫かれていた肩。
すべてが、ゆっくりと、だが確実に“元に戻っていく”。
「……な、な、な……!?」
ルミナが固まる。
リリアの頭の中に、情報が流れ込む。
――《自動回復》
――あらゆる傷を時間経過で修復
――深手ほど時間を要する
――回復量には上限あり
「……あ」
リリアはぽつりと呟いた。
「便利なスキル、またゲットしちゃった」
(……スキルって……こんな、簡単に……?)
ルミナは、リリアを見て、言葉を失った。
「そんな軽いノリで……
私の存在意義、奪わないでくださいよ……」
ルミナが膝から崩れ落ちた。
◆
リリア達が酒を2杯ほど飲み終えた時。
「やぁ」
間の抜けた声と共に、目の前に現れた男がいた。
「……バカじゃん」
リリアが顔を上げる。
そこにいたのは――
完全回復した、ディルク・ザルヴァート。
「……再会、早くない?」
「いや〜、自動回復、便利だよね〜あれ」
「……え、ディルクも持ってるの?」
「まぁね」
ギルド内が、ざわつく。
英雄と剣神が、同じテーブルで酒を飲んでいる。
異常事態だった。
ディルクは酒を頼み、リリアとジョッキを合わせる。
「いや〜久々に来たよここ」
「そうなんだ。私のホームだよ」
「はは、英雄が守ってる駆け出しの街か。タイトル詐欺にも程があるね」
ディルクはジョッキを回しながら、ちらりと店内を見渡した。
冒険者たちは皆、視線だけでこちらを窺っている。直接は近づけない。近づいたら“何かが起きる”と本能が告げている顔だった。
「……怖がられてるよ、君たち」
「怖がらせてるのはだいたいあなたです」
ルミナが即答する。ディルクは「え〜」と口を尖らせた。
リリアはジョッキを置き、顎に手を当てる。
軽い酔いが回っているはずなのに、目は妙に冴えていた。
「ってかさ、ディルク」
「ん?」
「私以外の二人と、戦ったことあるの?」
店内の空気が、ほんの少しだけ固くなる。
ルミナの指が、無意識に杖を握り直した。
ディルクは、まるで天気の話でもするみたいに笑った。
「あるよ〜」
「へぇ」
リリアが面白そうに眉を上げる。
ディルクはジョッキを傾け、氷が鳴る音のあと、ぽつりと言った。
「魔導王はさ……見たこともない規格外の魔法を使ってくる化け物」
その言葉だけで、ルミナの背筋がぞわりとする。
“化け物”――それを、この男が軽く言うのが恐ろしい。
「魔導王ノクティア様……」
ルミナは、思わず呟いていた。
自分が魔法使いとして目指す頂。教科書の中の存在。伝説の中の女。
「私たち魔法使いが目指す最上位……」
ディルクは頷きも否定もしない。
ただ、遠いものを見る目をした。
「魔法ってさ、普通は“世界のルール”に沿ってるじゃん?」
「うん」
リリアが相槌を打つ。
「でもノクティアは、そのルールを……手で掴んで、ねじ曲げてくる感じ」
笑ってるのに、声音だけが少し冷たい。
「撃ち合い? 耐久? 駆け引き? そんなの関係ない。
“そこに居たら負け”って盤面にされる」
ルミナは息を呑む。
魔法の強弱じゃない。“盤面”そのものを変える――それはもう、戦いではなく支配だ。
「……じゃあ、聖導王は?」
リリアが聞く。
ディルクは、今度は肩をすくめた。
「聖導王は……たぶん一番厄介かもね」
「え」
ルミナが思わず声を漏らす。
「この世界の第三勢力。規模も、個人の強さも、化け物だよ」
ディルクは軽く言う。
だが、その“軽さ”が、逆に重い。
「宗教ってさ、祈りとか救いとか、綺麗な言葉で出来てるじゃん?」
「……うん」
「でも、あいつの祈りは――武器なんだよね」
ディルクの視線が、ふっと鋭くなる。
一瞬だけ、剣神の顔が剣みたいに冷たく見えた。
「信仰が集まる場所は、あいつの領域になる。
人が多ければ多いほど、強くなる。
しかも本人も、単体で普通に強い。ずるいよね」
「ずるいって言い方」
リリアが笑う。
「じゃあさ」
リリアは身を乗り出した。
まるで子供みたいな目で。
「ディルクは、勝ったの?」
店内のざわめきが一段、静まった気がした。
ルミナは、息を止める。
ディルクは、すぐには答えない。
ジョッキを置いて、指先で水滴を弾く。
そして、楽しそうに口の端だけを上げた。
「……負けたと思う?」
「……っ」
リリアが吹き出しかけて、やめた。
ルミナは、言葉が出ない。
勝ったとも負けたとも言っていない。
でも、その返しだけで分かる。
――“簡単に勝てる相手ではない”どころか、
――“勝ったと言い切れない何か”がある。
ディルクは、何でもない風に言って締めた。
「ま、君が今ここにいるってことはさ」
リリアに視線を向ける。
「退屈は、もう終わったってことだよね」
その言葉に、リリアはジョッキを持ち上げた。
「……あー、やだやだ。平和がいちばん」
「それを言いながら、目が楽しそうだよ」
「うるさい」
ルミナは二人を見て、乾いた笑いを漏らすしかなかった。
――英雄と剣神が、酒を飲みながら世界の頂点を語る。
この街の酒場で起きていい光景ではない。
けれど、そんな“おかしさ”こそが、今のこの街の平和の証だった。
その時。
「……おい」
低い声。
ガレインが、そこに立っていた。
「ディルク。貴様、どういうつもりだ」
「ガレインくんひさしぶり〜、親友と飲んでるだけだよ?」
「……はぁ。SSS級というやつはクセの塊だな」
溜め息混じりに言う。
「あまり揉め事は起こすなよ」
そう言い残し、ガレインは去っていった。
◆
その後も、三人は酒を飲みながら話した。
たわいない話。
戦いの愚痴。
街の噂。
やがて、ディルクが立ち上がる。
「じゃ、そろそろ行くよ」
リリアが見上げる。
「もう?」
「うん」
一瞬、間を置いて、ディルクは言った。
「リリア。魔王軍幹部が、君のこと狙ってるよ」
空気が、変わる。
「それも――とーっても卑劣なやつがね」
リリアは、静かに笑った。
「……上等よ」
少しだけ真剣な目で続ける。
「私もこれ、勘でしかないんだけどさ。近々、ディルク。私レベルの強さのヤツと、ぶつかる気がする」
ディルクは、楽しそうに笑った。
「お互い、生き残ろうね」
二人は、拳を軽くぶつけ合った。
◆
ディルクが消えたあと、酒場のざわめきだけが遅れて戻ってきた。
リリアはジョッキを置き、肩を軽く回す。
ルミナはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと尋ねた。
「……リリアさんは、ノクティア様とも戦いたいんですか?」
「ん〜……」
リリアは天井を見上げ、考えるふりをする。
「平和がいちばんなんだけどさ。この街に来て、戦うのが好きになったのも事実ではあるのよね」
ルミナが小さく頷く。
「……でもまぁ」
リリアは笑って、指でジョッキの縁をなぞった。
「男作るのが目的だから。ぶつからないに越したことはないわね」
「……そうですか……」
ルミナの返事が、ほんの少しだけ小さい。
リリアは横目でそれを見て、首を傾げた。
「ノクティアって子と、なんかあるの?」
「……あるっていうか……」
ルミナは言葉を探して、胸元をぎゅっと握る。
「私、魔法使いとして……ずっと、あの人のことを目標にしてきたんです。
だから……怖いし、憧れだし……近づきたいのに、近づいたら壊れそうで」
リリアは一拍置いて、優しく笑った。
「壊れるのは、たぶん相手の方だよ。ルミナがちゃんと生きてればね」
「それ、慰めになってるんですか……?」
冗談みたいな口調のまま、リリアはジョッキを持ち上げた。
「憧れは、いつか会うための理由にすればいい。怖いなら、なおさらね」
ルミナは少しだけ目を丸くして――小さく、笑った。
リリアはジョッキを掲げる。
「さ、飲も。生きてる祝い」
ルミナは、少しだけ微笑んで、ジョッキを合わせた。
英雄たちの夜は、静かに更けていった。
だが――
嵐は、すでに近づいていた。




