第15話 平和なキノコ狩り
ネクロディウス討伐から、数日後。
ギルド酒場は、朝から開いていた。
いや、正確には――
開けさせられていた。
「……朝から飲む酒は、効くねぇ……」
カウンター席で、リリアはすでに二杯目のジョッキを傾けていた。
顔は赤く、目はとろりとしている。
「リリアさん、まだ朝ですよ……」
そう言いながらも、ルミナもまた、グラスを持っている。
水割りのように見せかけた、がっつり酒だった。
「いいのいいの。金貨十枚も手に入れたし、しばらく困らないし」
リリアは満面の笑みで言う。
「しばらくはもう、ゆっくり暮らしたいの!ルミナもそうでしょ!」
「はい!金貨が無くなるまでは引きこもりましょう!」
二人、声を揃えて頷いた。
その様子を、引きつった顔で見ていたのが、受付嬢だった。
「あ、あの……リリア様……そろそろ……依頼を受けていただけると……」
おずおずと切り出した瞬間。
「えー……」
リリアが露骨に嫌そうな顔をする。
「英雄にも休暇は必要でしょ?ね?」
「はい!今は英気を養う時期です!」
ルミナが即座に乗っかる。
その瞬間。
「……貴様ら」
背後から、地の底から響くような声がした。
二人が振り返ると――
そこには、額に青筋を浮かべたガレインが立っていた。
「……奥へ来い」
有無を言わせぬ声。
◆
数分後。
ギルド奥の部屋で、正座させられた二人は、
目の前で腕を組んだガレインに睨まれていた。
「貴様は英雄という自覚がないのか、リリア・ヴァルハート」
「……えへへ」
「笑うな」
即座に切り捨てられる。
「ネクロディウスが消えた穴は、まだ埋まっていない。
英雄が休めば、街が緩む。分かっているのか?」
リリアは、少しだけ視線を逸らした。
「……貴様も貴様だ、ルミナ」
ルミナがびくっと肩を跳ねさせる。
「S級は“称号”ではなく、“責任”だ。
このままでは――A級に戻すぞ」
「ひっ……!」
ルミナの顔が一瞬で青くなる。
「……すみません……」
◆
結局、二人は渋々、依頼を受けることになった。
だが。
掲示板の前で、リリアは真顔で一枚の紙を指差した。
『C級依頼:街外れの森でキノコ採集』
「……これでいいよね」
「……え、英雄様がC級……?」
受付嬢が呆然とする。
「だってさ」
リリアはあっけらかんと言った。
「ガレインに怒られたから“仕方なく”依頼受けるだけだし。
どうせなら、楽なのがいいじゃん」
「はい!楽なやつにしましょう!」
ルミナが即答する。
受付嬢は、深いため息をつきながらも承認した。
――こうして、英雄とS級支援職は、
わざと楽な依頼を選んで森へ向かうことになった。
◆
街外れの森。
木漏れ日が差し込み、風が涼しい。
「……平和だねぇ」
リリアは籠を片手に、のんびりキノコを摘んでいた。
「こんな依頼ばっかりならいいんですけど……」
ルミナも同意しつつ、図鑑を見ながら慎重に採集する。
「でもさ、英雄様がキノコ狩りって……」
「言うな。英雄だってキノコくらい狩る」
他愛ない会話が続く。
だが。
リリアが、ふと足を止めた。
「……ルミナ」
「はい?」
「……静かすぎない?」
ルミナが耳を澄ます。
確かに。
鳥の声がない。
風はあるのに、葉擦れの音が薄い。
まるで、“何かに聞かれている”みたいな感覚だった。
「……気のせい、ではなさそうですね」
その瞬間。
「やっほ〜」
背後から、間の抜けた声がした。
「っ……!」
リリアが瞬時に距離を取り、剣を抜く。
振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
長身。
無造作な黒髪。
背中には、一本の剣。
その剣だけが、異様なほど“場違い”な存在感を放っていた。
「……誰」
警戒するリリアに、男はにこやかに手を振る。
「君がリリア・ヴァルハートか!」
ルミナが、凍りついた。
「……え、この人って」
「……誰だこのイケメンは」
リリアが、普通に感想を言った。
「彼女とかいます?」
「ほえ?」
「リリアさん!!」
ルミナが即ツッコむ。
「この方は、リリアさんと同じ世界に四人しかいないSSS級冒険者で、《剣神》の異名を持つディルク・ザルヴァートさんです!」
「え!?まじ!?」
その瞬間。
ディルクが、剣に手をかけた。
――“鞘に触れただけ”なのに。
空気が、切れた。
「……っ!」
リリアとルミナが、反射的に距離を取る。
「どういうつもりですか!?」
ルミナが叫ぶ。
ディルクは、楽しそうに言った。
「まぁ……さ。遊んでみようよ」
軽い口調とは裏腹に、
ディルクの気配が――“剣”に変わった。
次の瞬間。
空気が裂ける音と同時に、 リリアの視界から、ディルクの姿が消えた。
「……っ!」
反射で剣を振る。
が、
金属音は鳴らなかった。
代わりに、背後から。
ゴッ、と低い衝撃が伝わる。
「……な……!」
ディルクは、すでに背後にいた。 鞘に収めたままの剣で、リリアの肩口を“軽く”打っている。
――軽く、だ。
それだけで、骨に響くほどの衝撃。
「……今の、見えなかったでしょ?」
楽しそうな声。
リリアは歯を食いしばり、距離を取る。
(……速い。ネクロディウスより、ずっと……)
剣を構え直した瞬間。
ディルクの剣が、横薙ぎに振られた。
鞘のまま。 剣を抜く気配すらない。
リリアは、剣で受ける。
――が。
衝撃が、腕を痺れさせる。
「……っ……!」
弾かれた剣先が、地面を抉り、 衝撃波で土が舞い上がる。
(……鞘で……これ……!?)
ディルクは、肩をすくめた。
「英雄って聞いてたけど……うん、悪くない」
再び、踏み込む。
今度は、三連撃。
右、左、突き。
すべてが、剣でなく“鞘”だというのが、異常だった。
リリアは、剣で捌く。 だが――
一撃ごとに、身体が“削られる”。
斬られていないのに、
“戦っているだけで削られる”感覚。
(……“遊び”でこれ……!?)
リリアが回避に専念した瞬間――
背後の木々が、まとめて倒れた。
「……鞘から抜いてないのにそれ?嘘でしょ」
息を荒くしながら、リリアが呟く。
ディルクは、楽しそうに笑う。
「英雄に褒められるとは、中々嬉しいね!」
リリアは、剣を構え直す。
(……こいつ……)
ネクロディウスとは、違う。
あれは“壊す存在”だった。
だが、こいつは――
(……斬るためだけに、生きてる……)
英雄威圧が、無意識に滲み出る。
それを感じ取ったのか、 ディルクの目が、ほんの一瞬だけ細くなった。
「……へぇ」
空気が、張り詰める。
だが、その緊張を壊すように、 ディルクは、わざと気の抜けた声で言った。
「じゃ、次はもうちょっと本気で避けてみてよ」
――次の瞬間。
ディルクの剣先が、
迷いなく、ルミナへ向いた。
「……っ!」
リリアの背筋が、凍る。
その動きに、殺気はなかった。
だが――“躊躇”も、なかった。
それが、何よりも恐ろしかった。
(……狙ってる……?)
ルミナは、その場に立ち尽くしていた。 支援職として、戦場に立つことには慣れている。 だが、今向けられている“それ”は――
ネクロディウスのそれとは、まるで違う。
重くない。
派手でもない。
ただ、“斬るためにそこにある”という圧。
剣神ディルク・ザルヴァートの視線が、 刃と一体化したように、ルミナを射抜く。
(……死ぬ……)
理解した瞬間、 身体が動かなくなった。
逃げなきゃ、と思う。 防御魔法を、と思う。 詠唱の言葉が、喉に引っかかる。
(……出ない……)
頭では分かっているのに、 “剣神”という存在の前で、 身体が“拒否”していた。
それでも、ルミナは震える指で、杖を握り締めた。
――“動けなくても、立つ”
それだけは、S級支援職として、譲れなかった。
ディルクは、楽しそうに言った。
「おっと……」
軽い声。
「支援職を狙うのは、マナー違反かな?」
言葉とは裏腹に、剣は止まらない。
踏み込む。
ただ一歩。
それだけで、 ルミナとディルクの距離は、ほとんど“ゼロ”になった。
(……終わ――)
その瞬間だった。
「……舐めんなぁあ!!!」
風が、爆ぜた。
ルミナの視界に、 “赤い影”が、割り込んできた。
リリアだった。
剣を捨てるように放り投げ、 身体ごと、ディルクへ飛び込む。
次の瞬間。
鈍く、重い衝撃音。
リリアの踵が、
ディルクの顔面に、叩き込まれた。
「……がっ……!」
剣神の身体が、宙を舞う。
まるで、投げ捨てられた人形のように、 木々をなぎ倒し、地面を何度も跳ね、 最後は岩に叩きつけられて止まった。
静寂。
ルミナは、崩れ落ちるように膝をついた。
「……は……は……」
呼吸が、うまくできない。 心臓が、うるさいほど鳴っている。
(……生き……てる……)
その前に、リリアが立っていた。
背中越しでも分かる。 今のリリアは――怒っている。
ゆっくりと、振り返る。
「……遊びだから、付き合ってあげてたけど」
声は低い。
「ルミナに手を出すなら」
一歩、前に出る。
「いくらイケメンでも、殺すよ?」
その言葉に、 ルミナの胸が、ぎゅっと締めつけられた。
(……リリアさん)
その時だった。
瓦礫の中から、 ゆっくりと、ディルクが起き上がる。
額から血が流れ、 口元にも、赤が滲んでいる。
だが。
彼は、笑っていた。
「……っは……」
口の端を拭いながら、 ディルクは、目を細める。
「……なるほど」
一歩、踏み出す。
「……今の蹴り……本気だったね」
その声に、もはや軽さはない。
「……へぇ」
剣を、持ち直す。
今度は――
鞘から、抜いた。
金属が擦れる音が、 森の空気を、切り裂いた。
それは、“戦闘開始”の音ではなかった。
――“処刑が始まる合図”のような、乾いた響きだった。
その瞬間。
“森”が、静まり返った。
鳥の声も、虫の音も、風の音すら――消える。
まるで、 世界そのものが、剣に“耳を澄ませた”かのようだった。
ルミナは、息を呑む。
(……なに……これ……)
魔力じゃない。 威圧でもない。
それなのに――
“斬られる未来”だけが、はっきりと見える。
(……この人……“剣そのもの”……)
ディルクは、剣を構えながら言った。
「……さっきのは、“剣神の加護”が無くてもできる範囲」
淡々とした声。
「でも、ここからは――」
剣を、軽く振る。
それだけで、 前方の地面が、線を引いたように裂けた。
「……剣神の加護の本領発揮だよ」
リリアの瞳が、鋭くなる。
「……剣神の加護」
「そ」
ディルクは、笑う。
「生涯、剣しか使えない。逃げ道も、魔法も、盾も、何もなし」
一歩、踏み込む。
「でも、その代わり――」
剣先が、リリアを真っ直ぐ捉える。
「“剣で勝てない存在”は、世界にいなくなる」
その言葉に、 リリアの英雄威圧が、はっきりと“形”を持った。
風が、再び動き出す。
英雄の“圧”と、 剣神の“剣”が、正面からぶつかり合う。
ルミナは、二人の間に立つ“空気”に、 もはや魔法を通せる気がしなかった。
(……これがSSS級の戦い)
リリアが、剣を構える。
「……じゃあさ」
一歩、前に出る。
「負けたら、どうなるの?」
ディルクは、楽しそうに笑った。
「死ぬだけだよ?」
即答。
「……英雄でも?」
「英雄でも」
その一言で、 森の温度が、一段、下がった。
リリアは、ふっと笑う。
「……いいね」
剣を、強く握りしめる。
「じゃあ、負けないようにする」
次の瞬間。
二人の“世界”が、ぶつかり合った。
剣神と、英雄。
“斬るためだけに存在する者”と、 “守るために折れない者”。
その交差点に、 今――ルミナが、立っている。
風が、再び止まった。
――そして、森が、裂ける。
ルミナは、その光景を“祈るように”見つめていた。




