表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/16

第13話 眠る国と折れぬ英雄

「……次は……本体で……殺す……」


掠れた声。 だが、その言葉は刃より鋭い。

重たいのに、鋭い。 さっきまでの巨大王が“質量”の恐怖なら、今のネクロディウスは“刃”の恐怖だった。


「……やば……」


リリアが歯を食いしばる。

ルミナは、もう立てない。 膝をついたまま、杖を握りしめているだけで精一杯だった。 結界の光も、今は薄い膜みたいに揺らめいている。


「……ルミナ」


リリアが振り返る。 ルミナは笑おうとして、失敗した。


「……ごめんなさい……私……もう……」


「ううん。十分。いや、むしろ……ルミナがいなかったら私、ここまで来れてない」


リリアの声は、軽い。 なのに、不思議と芯があった。


ルミナの視界の端で、ネクロディウスがゆっくりと両腕を広げた。 赤黒い光が、玉座の間の壁、床、天井の残骸から引き剥がされるように集まり始める。


瓦礫が浮く。 骨片が舞う。 空気が軋む。


(……さっきのビームより……嫌な感じがする)


質量じゃない。 破壊でもない。

“死”そのものが、押し寄せてくる気配。

ネクロディウスの眼窩の奥の青白い光が、狂ったように明滅した。


「我が国は……選ばれた……小さき国は価値がないと……だから実験場にされた……」


低い声が、玉座の間に染み込む。

リリアは、その言葉に眉をひそめた。


「……実験?」


ネクロディウスの指が、ぎし、と鳴った。 骨の軋む音が、怒りの代わりみたいに響く。


「原因不明の疫病……?違うウイルスだ…人間が作り……投げ込んだ……権力者が言った“あんな小さな国、あっても仕方がない”と……」


その瞬間。

ルミナの背筋が凍った。 そして同時に、リリアの胸の奥が、妙にざわついた。


(……嘘でしょ)


だが、ネクロディウスの声には、作り話の軽さがない。 憎悪と現実の重さだけがある。


ネクロディウスが、静かに詠唱を始める。


「――滅びろ」


たったそれだけ。 たった一言で、空間が歪む。

赤黒い光が、刃の群れになって広がる。 無数の針。 無数の剣。 無数の“死”。


「……っ!」


リリアは一歩前に出た。 剣を構える。

だが――多すぎる。


斬っても、斬っても、追いつかない。 ルミナの結界で受け止めるには、もう薄すぎる。


(……ここで、終わる……?)


ルミナの思考が、暗く沈む。


その瞬間。

リリアが、ふっと息を吐いた。


「……分かった」


誰に言うでもない声。


「私が止める」


そして、リリアは剣を持っていない方の手を、胸に当てた。


(……え?)


ルミナが目を見開く。


リリアは魔法を習ったことがない。 術式も、詠唱も、理論も知らない。 それなのに――前の戦いで、一度だけ“防壁”を展開した。


あれは偶然じゃない。


リリアの中に、何かがある。


「……来て」


リリアが、小さく言った。


次の瞬間。 頭の中に、洪水みたいに“イメージ”が流れ込んだ。


光。 円環。 祝福の紋。 誰かの手。 誰かの声。

「守れ」 「折れるな」 「進め」

知らないはずの感覚が、身体を動かす。


(……なに……これ……)


怖いほど自然だ。 まるで、最初から知っていたみたいに。


リリアの足元に、淡い光の輪が浮かび上がる。 ボロボロになった瓦礫まみれの床を、まるで“神殿”みたいに塗り替えていく。


ネクロディウスの赤黒い刃が、降り注ぐ。


「リリアさん――!」


ルミナが叫ぶ。 結界を張り直そうとして、魔力が空っぽなのを思い出す。


何もできない。


だが。


リリアが、笑った。


「大丈夫。私が――守る」


リリアの口から、言葉がこぼれ落ちた。


「英雄の加護」


その瞬間。

光が、弾けた。


半球状の壁でもない。 一点防御でもない。

リリアを中心に、空間そのものが“祝福”で満たされる。


赤黒い刃が触れた瞬間、燃えるような白い光に触れて、溶けた。 いや、溶けたというより――“消えた”。


白い光は、刃だけを消しているわけじゃなかった。

ルミナの耳の奥で鳴り続けていた金属みたいな耳鳴りが、すっと遠ざかる。


肺を押し潰していた圧がほどけ、息が――吸える。


(……生きてる……)


喉の奥が痛い。唇は乾いている。

でも、心臓がちゃんと脈打っているのが分かる。

たったそれだけの事実が、どれほど救いか、今なら分かる。


光は優しく、でも決して甘くない。

「折れるな」と、空間そのものが言っている。

ルミナの指が、勝手に杖を握り直した。


(……守られてる)


怖さは残っている。

でも、恐怖に“飲まれない”。


リリアがいるだけで、世界の前提が変わる。


「……な……に……?」


ネクロディウスの声が揺れる。

リリアは足を止めない。 祝福の領域を纏ったまま、真っ直ぐ歩く。


リリアの声は、静かだった。


「私英雄だから、負けられないの」


その一言が、ネクロディウスの中の何かを刺激した。


怒りか。 恐怖か。 羨望か。


「英雄……!」


ネクロディウスが叫ぶ。


「英雄などいらぬ……!英雄など人間の飾りだ……!英雄など国を救わぬ……!」


赤黒い光が、さらに膨張する。 玉座の間が、悲鳴を上げた。 壁に埋め込まれた骸が軋み、城全体がうねる。


そして。

ネクロディウスの視界が、一瞬だけ“揺れた”。


リリアの祝福が――触れてしまったのだ。 ネクロディウスの魂の残滓に。


その瞬間、世界が反転する。



王は、玉座に座っていた。

静まり返った玉座の間。 遠くから聞こえる、咳と呻き。


「……また、倒れた者が出たのか」


報告を持ってきた近衛兵は震えている。


「……はい陛下……南区画で二十名、治癒魔法も効きません」


ネクロディウスは肘掛けを強く掴んだ。


原因不明の疫病。 発熱。 倦怠感。 意識障害。 そして死。

だが腐らない死体。 魂が抜け落ちたはずなのに、肉体は異様に“生きている”。


「……これは疫病なんかじゃない……」


嫌な予感。


それでも王は動いた。 各国に救援要請。 神殿に頭を下げ。 財産を切り崩し、医療物資を集めた。

そして“支援団”が来た。


白衣の医師たち。 穏やかな笑顔。 低姿勢で丁寧な言葉遣い。


「我々は大国連合の医療支援団です」


「この疫病、我々が調査いたします。どうか、ご安心ください」


ネクロディウスは心底安堵した。

地下に研究室を設けたいと言われても許可した。 民から血液を採取するのも止めなかった。


「必ず治す」


倒れた民の手を握り続けた。

だが状況は悪化する一方だった。


ある夜。 眠れず、地下へ向かった。

研究室。 立ち入り禁止の扉。 警備兵はいない。


扉を押し開けると――


ガラス管。 赤黒い液体。 魔法陣で封じられた培養槽。

壁には紙がびっしり貼られている。


「被験者No.1023 変異進行率 78%」

「再生速度 良好」

「アンデッド化 成功」

「次フェーズへ移行可能」


そこには、自国民の名前。

年齢。 発症日。 死亡日。 再起動日。


奥から笑い声。


「順調だな」


「この国マジで都合いい」


「軍事力もないし、消えても誰も本気で怒らないしな」


壁際の机には、地図が広げられていた。

王都の中心に赤い丸、井戸の位置に青い印。

そして端に、メモ書き。


――「散布ルート:水源」

――「対象:人口密度が高い地区から優先」

――「反応観察:王宮近衛の感染率」


国は、“患者”じゃない。

最初から、“試験場”として扱われていた。


「王も馬鹿だよな。“助けてくれるなら何でもする”とか」


「データ取れたら処分すればいいだけだし」


「……処分……?」


ネクロディウスの中で、何かが壊れた。


「このウイルス、マジで使える。死なない、腐らない、魂も抜けない」


「不死種の兵器化、余裕だろ。次は他の小国にも試そうぜ」


剣を抜いた。 血が飛んだ。 処刑。

だが、遅かった。 ウイルスはすでに国中に拡散していた。


街は地獄になった。

倒れた民が起き上がる。 死んだ家族が目を開ける。 感情のない目で彷徨う。


「……助けて」


縋る民。

ネクロディウスは、何も言えなかった。


その夜、魔族の使者が現れた。


「人間は、お前の国を“素材”と呼んだ。魔族は、お前の国を“仲間”と呼ぶ。

選べ、王よ。滅びて終わるか、形を歪めてでも、残すか」


長い沈黙。

やがて、王は笑った。 乾いた、壊れた笑い。


「……人間なんて……もう信じない」


その日。 ネクロディウスは、自ら国を“骸の王国”に変えた。


民を完全なアンデッドへと変質させ、 城に縫い付け、 国の形を無理やり“保存”した。


「……俺自身が……この国だ……」


そして魔王軍幹部へ堕ちた。


「……人間を滅ぼす……」


それが、彼に残された最後の“王としての意志”だった。


それでも、王は一度だけ、夜明けの空を見上げた。

何もない、ただ青いだけの空を。


――人間だった頃の名残みたいに。



回想が、ぶつん、と切れた。


リリアは、息を呑んだ。

ルミナは、涙が勝手に出そうになっていた。 恐怖じゃない。 胸の奥が、ただ痛い。


ネクロディウスは、虚ろな声で笑った。


「……見たか英雄……これが俺の国だ……これが人間だ……」


リリアは、ゆっくりと剣を構え直す。


「……うん。見た」


そして、少しだけ声が低くなる。


「許せない」


ネクロディウスの光が揺れる。 怒りが膨れ上がる。


「ならば……貴様も同じだ英雄……!英雄はいつだって間に合わぬ……!救えぬ……!救った顔をして……!」


ネクロディウスが、跳んだ。

速い。 さっきまでとは次元が違う。 大剣を失ったはずなのに、骨と魔力で編まれた刃を腕に形成している。


斬撃が、空間を裂く。

リリアは、正面から受けた。


衝撃で床が砕ける。


「……重っ」


リリアは歯を食いしばり、押し返す。

祝福の光が、刃を焼く。 ネクロディウスは一瞬顔を歪めた。


「……その光……!」


「英雄の加護。便利だよ」


リリアが短く言い、踏み込む。


一閃。


ネクロディウスの肩が裂けた。

だが、すぐに再生しようとする。 城から魔力が供給される。


「……っ……まだ……足りぬ……!」


ネクロディウスが叫び、床を叩く。 壁の骸が軋み、黒い魔力が噴き出した。


玉座の間が、再び“巨大王”の形を取り戻そうとする。


(また同化――!)


ルミナが息を呑む。

リリアは、目を細めた。


「させない」


リリアが剣を地面に突き立てた。


“加護”の光が、床を走る。

円環の紋が広がり、赤黒い脈動を上書きしていく。 城の心臓の鼓動を、祝福が押さえつける。


ネクロディウスの動きが止まった。


「……な……にを……」


リリアの声が、静かに落ちた。


「あなたの国は、あなたの国のままでいい」


ネクロディウスの光が、揺れる。

怒りが、悲しみに変わりかける。 だが、すぐに憎悪が押し返してくる。


「……黙れ英雄……!救うなど今さら……!」


ネクロディウスが最後の魔力を絞り出す。

赤黒い光が刃になる。 針になる。 死になる。


そして一斉に、リリアへ。


リリアは、剣を構えたまま、一歩だけ前に出た。


「……ごめん」


誰に言ったのか分からない言葉。


次の瞬間。


英雄の加護が、爆ぜた。

白い光が、ネクロディウスの“死”を飲み込む。 針が溶ける。 刃が消える。


ネクロディウスの身体が、崩れかける。


「……なぜ……」


掠れた声。


「……なぜ……貴様は折れぬ……」


リリアは、剣を下ろさない。


「折れたら、終わるから」


そして、ルミナをちらりと見る。


「私ひとりなら、折れてたかもね。でも」


ルミナが目を見開く。


「ルミナが、支えた。だから私は折れない」


その言葉に、ルミナの喉が詰まった。

ネクロディウスは、初めて“王”みたいな顔をした。

怒りでも、恐怖でもない。 ただ、疲れ切った顔。


「……俺は……英雄になれなかった……」


リリアは、はっきり言った。


「あなたは王だった」


ネクロディウスの光が、揺れた。


「……なら……最後に頼む……」


「なに?」


「……この国を眠らせてくれ……もう俺の民を……縫い付けたままに……するな……」


ネクロディウスの指が、震えながら空を掻いた。

何かを掴もうとして――掴めない。


「……南区画の……門番……」


掠れた声で、ひとつの名がこぼれる。

最初の報告を持ってきた近衛兵の顔。

震えて、泣きそうで、それでも職務を果たしていた若い男。


「……俺は……あいつに……“必ず治す”と言った……」


青白い光が、弱々しく揺れる。

憎悪に焼かれたはずの眼窩の奥に、一瞬だけ――

王の顔が戻った。


「……だから……眠らせてくれ……今度は……俺が終わらせる……」


リリアは、頷いた。


「うん」


剣を、振り上げる。


「約束する」


一閃。


英雄の刃が、ネクロディウスの核を断った。


音が、消えた。

剣を振った音も、瓦礫の軋む音も、呼吸さえも――遠い。


代わりに聞こえたのは、

どくん、どくん、と続いていた“城の鼓動”が、

最後の一拍だけ大きく跳ねて――止まる音。


……すとん、と。

空気が落ちる。


赤黒い脈動が、息を吐くみたいに消えた。

青白い光も、燃え尽きた灰みたいに静かに薄れ、

玉座の間に残ったのは、やっと訪れた“眠り”だった。


青白い光が、ふっと消える。

赤黒い脈動が止まる。

辺りの空気は、静かになった。

まるで、長い悪夢が終わったみたいに。


壁に埋め込まれた骸が、ゆっくりと崩れ落ちる。 恐ろしい崩壊じゃない。 眠りに落ちるみたいな崩れ方だった。


崩れた骨の隙間から、風が通った。

さっきまでの生臭い腐敗じゃない。

ただの土と、冷たい石の匂い。


“国”が、ようやく――元の匂いに戻っていく。


ルミナは、力が抜けて、その場に座り込んだ。


「……終わった……?」


リリアもまた、膝に手をついた。

反動が、身体を重くする。 息が荒い。 口の中に、まだ鉄の味が残っている。


でも――生きている。


リリアは、笑った。


「……終わったよ」


その瞬間。


どさっ、と音がした。


ネクロディウスが持っていた資料の束。 そこから、ひとつの小袋が転がり出た。

中身は、この国の国印。


ルミナが目を丸くする。


「……討伐証明用の……“核片”も……残ってます……」


「よし。金貨十枚、確定だね」


リリアが立ち上がり、伸びをする。

そして、次の瞬間。 顔が青ざめた。


「……待って」


ルミナが首を傾げる。


「どうしました?」


「……未収……」


「え?」


「ホストの未収、期限……」


ルミナが一瞬固まってから、乾いた声で言った。


「……今日までですよ。金貨五枚、返済できますね」


「よかった……生きられる……」


リリアは、心底安心した顔をした。

その顔が、戦場の英雄のそれじゃなくて。 ただの、金欠の女の子の顔だったから。


ルミナは、思わず笑ってしまった。


「……本当に、リリアさんって……」


「なに」


「英雄なのに、生活がダメすぎます」


「うるさい」


二人は、崩れゆく城の中をゆっくり歩き出した。


国の墓場は、ようやく眠りについた。


そして英雄は――


今日も金のために、生き延びた。


ルミナは、そっと頭を下げた。


「……王様。おやすみなさい」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ