第10話 お金は命…?
二日酔いで死んだ更に翌日。
リリアは、冒険者ギルドのカウンターに突っ伏していた。
「お願いします! お金がいっぱい稼げる依頼をくださいいいい!!!」
叫んだ声が、やけに響く。
周囲の視線が刺さる。
受付嬢は、困ったように笑みを引きつらせた。
「リ、リリア様……。落ち着いてください。依頼はランクに応じてご案内いたしますが……」
「落ち着けるわけないよ! 期限! 期限があるの!」
リリアは机を叩き、涙目で顔を上げた。
手には、くしゃくしゃになった紙切れ。
――未収
――金貨 五枚
――ご利用ありがとうございました。期限は五日後となっております。
その紙が、今や呪いの札に見える。
「……五日で金貨五枚……。いや、五日で返さなきゃいけないのに、財布は空……」
「し、しっかりしてください……」
受付嬢がさらに困る。
カウンターの後ろで、見えない助けを求めるように視線が泳いだ。
その背後。
「うぅ……頭…いた」
呻き声が聞こえた。
ルミナが、半分死んだ顔で壁にもたれている。頬は青白く、目の下にはくっきりと隈。髪もいつもよりボサボサで、全身から「まだ酒が抜けてません」が漂っていた。
「ルミナぁ……」
リリアが振り返ると、ルミナは弱々しく手を振った。
「……リリアさん、声が大きいです……。耳に響きます……」
「だってえええ……」
「……あと、私も……胃が……」
情けない。
SSS級冒険者が、朝からギルドで泣き叫び、隣では副官が二日酔いで瀕死。
ギルド内の冒険者たちが、ひそひそと囁き合っているのが聞こえる。
「おい、あれ……SSSだよな?」
「泣いてる……?」
「なんで……」
「……ホスト……?」
聞こえた。
絶対聞こえた。
リリアは顔を覆った。
(死にたい。もう死にたい。前世の私が見たら即死してる……)
その時、低い咳払いが響いた。
「……いい加減にしろ」
空気が一瞬で変わる。
ギルドの奥から歩いてきたのは、ガレインだった。
長身。無駄のない歩き方。怒っているのに声は抑えられていて、逆に怖い。
受付嬢が、心底助かったような顔をする。
「ガ、ガレイン様……」
ガレインはカウンターの前に立ち、リリアの手元の紙切れをちらりと見た。
そして、ため息。深い、深い、心底呆れたため息。
「……奥へ来い」
それだけ言い、踵を返す。
「え、あ、はい……」
リリアは慌てて立ち上がった。
ルミナもふらつきながら付いていく。
◆
厚い扉が閉まると、外のざわめきが遠のく。
代わりに、静けさが重くのしかかってくる。
ガレインは椅子に座るなり、もう一度ため息をついた。
「二日前……だったか?」
「……はい」
「随分と派手に遊んだらしいな」
「……はい」
「SSS級の冒険者が、ホストクラブで未収」
「……はい……すみません」
「しかも期限付きだと?」
「……はい……五日後」
リリアは縮こまった。
ルミナも申し訳なさそうに目を逸らし、頭を抱えている。
ガレインは額を押さえた。
「力が強いだけで、頭が弱い。典型だな」
「うう……」
「……泣くな。泣いても金は出ない」
正論すぎて、刺さる。
ガレインは机の上の書類の山を指で叩き、淡々と言った。
「いいか。お前はSSS級の冒険者だ。ギルドの看板でもある。だからこそ、くだらない噂でギルドの信用を落とすな」
「……はい」
「……そして、金の管理をしろ。子どもでも分かる」
リリアは俯いた。
ルミナも小さく頷く。
しばらくの説教の後。
ガレインはふっと息を吐き、話題を切り替えるように背筋を伸ばした。
「だが、期限は待ってくれない」
「……はい」
「金貨十枚、報酬をやる」
「え!?!?」
リリアとルミナが同時に顔を上げた。
「じゅ、十枚……?」
「金貨十枚……本当ですか……?」
ガレインは眉一つ動かさない。
「魔王軍幹部を一人でいい。討伐してこい」
「……幹部……」
「討伐できたら、討伐金として金貨十枚を出す」
ガレインは書類の山から、一枚を抜き取った。
地図が添付された、分厚い資料。
「相手は骸王ネクロディウスだ」
その名前が口にされた瞬間、ルミナの顔色がさらに悪くなった。
そして、震える声で言う。
「……骸王」
ガレインは書類の一部を指で叩いた。
「不死種の上位。生前は王だった――一国のな」
「……王……」
「自分の国を滅ぼし、民をすべて骸に変えた」
「その王城の跡を、今も根城にしている」
言葉が重い。
冷たいのに、熱を持っているみたいに胸に沈む。
「廃城なんて生易しいものじゃない」
「……」
「……あそこは国の墓場だ」
ルミナの指が、地図の上で僅かに震えていた。
それを見て、リリアもやっと状況の重さを理解する。
「……余裕のS級案件ですよ」
ルミナが呟いた。
ガレインは頷く。
「S級が束になっても骨になる。だからこそ、お前たちを出す」
「……」
「たまにはSSSに恥じない活躍をして、功績を残せ」
「……はい」
リリアは、紙切れを握りしめた。
期限五日。金貨五枚。
逃げ場なし。
「やります」
声は震えていたが、言葉ははっきりしていた。
「……やらないと終わるので」
ガレインは、ほんの少しだけ目を細めた。
「よし。準備を整えろ」
「ただし油断するな。あの城は……生きている」
「……生きてる?」
「行けば分かる」
その言い方が、逆に怖かった。
ギルドを出た瞬間、外の空気が妙に軽く感じた。
それでもリリアの胃は重いままだった。
街を歩きながら、リリアはうつむいた。
「……私達、ほんと最低」
「……そうですね」
ルミナは即答した。
「自覚があるだけ、まだマシです」
「うう…」
しばらく歩いて、リリアがぼそっと言う。
「……ホストの人たち、優しかったのにな」
「優しいですよ。プロですからね」
「プロ……」
「それでお金が生まれる仕組みです」
「……うううう」
リリアは頭を抱えた。
そして、唐突にルミナが言う。
「でも、笑ってましたよ」
「……何が?」
「リリアさん。あの時」
「……やめて。思い出すだけで死ぬ」
「『もっとさけもってこーーーい!!』」
「やめろぉぉぉ!」
リリアはその場でしゃがみ込みそうになった。
ルミナが、ようやく小さく笑う。
「……まあ、反省はしましたし。今は討伐ですね!」
「……うん。勝って、返済して、生きる」
武具屋に着くと、店主が二人の顔を見て目を丸くした。
「おお、前も来てくれた嬢ちゃん。今日は何だ?」
「装備を整えたくて」
リリアが言う。
「廃城に行きます」
「……廃城?」
店主の顔が固まる。
「……まさか、あの」
「はい」
店主は何も聞かず、奥へ案内した。
リリアは剣の点検と、消耗品の補充。
ルミナは杖と触媒、補助用の魔石。
二人とも、いつもの軽い買い物ではない。
現実が、剣の重さとして手に乗ってくる。
会計の時、ルミナが言った。
「ホスト奢ってもらいましたし、ここは私が出しますよ」
「……ありがとう……情けなくてごめんよ」
「誘ったのは私です。お互いわるかったですからね」
「……うん」
装備を整えた二人は、廃城へ向かった。
◆
街を離れるにつれて、人の気配が薄くなる。
風が冷たくなる。
空がやけに重い灰色に見える。
そして、遠くに影が見えた。
廃城。
崩れた尖塔。
半壊した城門。
それなのに、倒れきっていない。
まるで、そこに“何か”が居座っているから崩れないみたいに。
「……ここ」
ルミナが息をのむ。
リリアも、無意識に汗を流していた。
怖いというより、圧だ。
空気が重い。皮膚に張り付くような冷気がある。
「……本当に、国の墓場って感じだね」
リリアが呟くと、ルミナは頷いた。
「……嫌な雰囲気しかしませんね」
崩れた門柱には、古い紋章が残っていた。
王冠の下で祈る民の紋――それが、黒い刃で抉られたように削り取られている。
「……ここ、ほんとに“滅びた国”なんだ」
リリアの声が、自然と小さくなった。
城門をくぐる。
音が吸われた。
風の音が遠のき、足音だけがやけに大きく感じる。
そして――骨が、鳴った気がした。
「来るよ」
リリアが短く言う。
影が動く。
石柱の陰、崩れた壁の隙間。
そこから、骸骨兵が現れる。
数は多い。だが、ただの数ではない。
動きが揃っている。無駄がない。
「……雑魚なのに、統率がある」
ルミナが息を吐く。
「じゃあ、蹴散らす」
リリアは剣を抜いた。
いつもより静かな動きだった。
構えも、無駄がない。
骸骨兵が一斉に襲いかかる。
リリアは一歩踏み込み、横薙ぎ。
乾いた音。
骨が砕け、粉になる。
二体目、三体目。
剣が振られるたびに、骨が崩れる。
斬るというより、壊している。
骸骨の刃が振り下ろされる。
リリアは身を捻り、避ける必要すらない角度で受け流し、肘で押し返す。
骸骨が、ばらばらになった。
「……流石です」
ルミナが小声で呟く。
リリアは呼吸一つ乱さず、前へ進んだ。
骨の群れが、紙屑みたいに散っていく。
最後の一体。
骸骨兵が突きを放つ。
リリアは剣で弾き、同時に踏み込んで、柄で叩き潰した。
終わり。
静けさが戻る。
だが、倒れた骨が完全に消えない。
床に残った骨片が、じわじわと城の壁へ吸い寄せられていく。
「……見ました?」
ルミナが言う。
「倒しても……還っていきます」
「……城が生きてるって、こういうことか」
気持ち悪い。
戦えば戦うほど、城が満たされる気がする。
「急ぎましょう」
ルミナが言った。
「長引かせると、損です」
回廊へ入った。
礼拝堂跡のような場所。
天井が崩れ、光が差し込む。
壁に刻まれた祈りの文字が、黒く汚れている。
そこで待っていたのは、二体。
一体は重装の骸騎士。
生前の鎧をそのまま纏い、巨大な剣を持つ。
もう一体は、四足の屍獣と呼ばれる獣。
骨と肉が混じったような異形で、低い唸り声を上げている。
「……二体。やっかいなのが来ましたね」
ルミナが息を整える。
リリアが一歩出ようとした瞬間、ルミナが手を上げた。
「ここは私がやります」
「……できる?」
「はい。むしろ、今のうちに見せます」
ルミナの目が、いつもより澄んでいた。
二日酔いの弱さは消えている。
ここからは、冒険者の顔だ。
骸騎士が踏み込む。
重い足音。
床が震える。
ルミナは詠唱を短く切り、指を鳴らした。
「――穿て」
空気が歪む。
細い光が一本、骸騎士の胸を貫いた。
鎧の隙間から、内側が崩れる音がする。
骸騎士が一瞬止まり、膝をついた。
「内側から砕きます」
ルミナが淡々と言う。
「外が硬いなら、中を壊せばいい」
骸騎士が倒れ、鎧ごと崩れ落ちた。
その瞬間、屍獣が跳んだ。
速い。
鋭い爪がルミナの喉元を狙う。
ルミナは動じない。
杖を床に突き立てる。
「――縛れ」
床から黒い鎖のような魔力が伸び、屍獣の脚を絡め取った。
屍獣が暴れる。
だが鎖は外れない。
ルミナは、もう一つ手を重ねる。
「――沈め」
鎖が床へ引きずり込み、屍獣の身体が半分沈む。
呻き声が低くなる。
そして、最後に。
「――終わりです」
軽い光が落ち、屍獣は動かなくなった。
静寂。
リリアは、思わず口を開いた。
「……今の、完璧だった」
ルミナは肩で息をしながら、小さく笑う。
「ありがとうございます」
「……すごいね、ルミナ」
「リリアさんに言われると、ちょっと複雑です」
「え、なんで」
「基準がバグるからです」
言ってる場合じゃない。
奥が、さらに冷えている。
大階段。
玉座の間へ続く道。
階段を一段上るごとに、空気が重くなる。
心臓が早くなる。
耳鳴りがする。
リリアですら、汗を流していた。
剣を握る手が、少し湿っている。
「……さっきの二体より、もっと強いのがいます」
ルミナが言う。
「この圧……」
「……本体は奥みたいね」
「はい。たぶん、まだ会えません」
その時。
階段の踊り場で、影が立ち上がった。
人型。
だが、普通じゃない。
骨と黒い靄が絡み合っている。
鎧を纏い、目が青白く光っている。
中ボスってやつだろう。
その存在が、口を開く。
乾いた音で。
「……生者……」
ルミナが一瞬だけ表情を引き締めた。
「……長引かせません」
「任せる」
リリアが言う。
ルミナは杖を掲げ、短く詠唱を叩き込む。
「――加速」
「――強化」
「――循環」
三つの魔法が、重なってリリアに降りた。
熱が走る。
血が燃えるみたいに、身体が軽くなる。
視界が澄む。音が遠のき、相手の動きだけが鮮明になる。
敵が剣を振り下ろす。
重い一撃。
床が割れるほどの圧。
だが、リリアはもうそこにいない。
一歩。
踏み込む。
剣を振る。
ただ、それだけ。
中ボスの身体が、真っ二つに割れた。
骨と靄が弾け、静かに崩れる。
「……王……」
最後に、そんな言葉が落ちた。
そして、消えた。
ルミナが小さく息を吐く。
「……今の、ワンパンでしたね」
「バフが気持ちよすぎる」
「言い方」
「いや、本当に。ありがとう」
「……どういたしまして」
だが、喜ぶ暇はない。
倒れた中ボスの骨片もまた、城へ吸い込まれていく。
それが、まるで“報告”みたいに見えた。
奥から、気配が濃くなる。
冷気が、さらに鋭くなる。
空気が、骨の匂いを帯びる。
ルミナが、階段の先を見つめた。
「……本体は、もっと奥です」
リリアも頷く。
「流石、金貨十枚ね」
「未収分引いたら五枚ですね」
「やめろぉ……」
軽口を叩いたのに、笑えなかった。
奥にあるものが、笑う空気を許さない。
そして、遠く。
玉座の間の方角から。
かすかな、骨が擦れるような音。
それから、低い声が響いた気がした。
「……来い……」
聞こえたのか、錯覚なのか。
どちらでも、同じだ。
二人は顔を見合わせ、剣と杖を握り直した。
「行くよ、ルミナ」
「はい。……まさか初任務が、魔王軍幹部とは思いませんでしたが…頑張りましょう」
その一言が、妙に決意を固めた。
階段の奥で、何かが笑った気がした。
骨が擦れるような音が、歓迎みたいに響く。
廃城の奥へ。
国の墓場のさらに深くへ。
二人は歩みを進めた。




