アランとビネガー
「以前言っていた王城近くのスイーツ店。まるで行ったことがあるように答えていましたが、実は私は行ったことがなくて……。ですが行ってきたのです!」
「なんだ行ったことなかったのか。それは騙されたな。」
自分が軽口を叩いていることに少なからず驚きながらも彼女の反応を楽しむ。
「うう、すみません……初めてのランチで緊張してしまい……ついつい良い返事をしてしまったのです。」
小柄な体をもっと小さくさせていた。
可愛らしい仕草に思わず笑みが溢れる。
「冗談だよ。それで行ってみてどうだったんだ?」
そう言えばパッと顔を輝かせて「とても可愛らしいケーキばかりでした!」とニコニコと話し出す。
楽しそうな彼女の様をジイと見つめる。
すると口にビネガーでも突っ込まれたような、酸っぱさで体が縮こまるような、不思議な気持ちになるのだ。
彼女の持つ雰囲気のせいでこんな気持ちになるのだろうか。
そう考えれば令息達が話した事もないのに小リス令嬢に夢中になる気持ちがよくわかる。
ブルネットの髪。
つぶらな瞳は透き通るようなライトブラウン。
鼻は丸みを帯びており唇はちょんと小さい。
全てまるっこい顔のパーツがお互いの愛らしさを強調しあっている。
しかし何より令息達を夢中にさせているのは遠くから見てもわかるくらいの仕草の愛らしさだろう。
小柄ゆえか歩くだけで小動物の様な可愛らしさがあるのだ。
話してみれば素直な物言いやコロコロ変わる表情。
中央の令嬢達にはない魅力が詰まっている。
「……店主は隣国の有名店で修行をした後、北の辺境伯領の人気スイーツ店でも修行を積んだらしくて……」
いつの間にやらなぜか店主の経歴の話になっていた。
思わず吹き出すと彼女がハッとしたように「どうして?!」と問うてきた。
「悪い。でもケーキの話をしてると思ったらまさか店の歴史を聞かされると思わないじゃないか。」
くっくっと堪えるように笑いながら言うと彼女はカアっと頬を染めたので、俺は慌てた。
「いや、笑ってすまない。やはりリーネは研究者肌なのだなと思ったんだ。店が建つまでの経緯なんてなかなか知ることはないから興味深いね。どうやって調べたんだ?」
「直接聞きました!」
はは!
やはりリーネは真っ直ぐだった!
「質問に快く答えてくださいましたよ。夕方だったのでお客様もいなかったですし……」
やはり笑ってしまった俺に、おずおずとリーネが言う。
ああ、彼女は何を考えているのか、表情をみているだけでよくわかる。
だからだろうか。
苦手なはずの会話も楽しい。
まさか俺が令嬢と話して楽しいと思える日が来るとは思わなかった。
「店主も経歴に興味を持ってもらえるなんて嬉しかっただろう。俺も店主の経歴なんて気にしたことなどなかったから面白いよ。」
するとリーネがはにかむようにふふふと笑った。
「どうした?」
「いえ……リーネは家族や親しい人たちしか呼ばない愛称なんです。それをアベル様が呼んでいるのがなんだか不思議な気持ちで…。」
「そんな大事な愛称を呼ばせてもらえて光栄だよ。」
俺がそう言えばリーネは答える代わりに首を傾げながらニコリと笑うので笑い返す。
しばし二人で微笑み合っていると、彼女に名前を聞いた日のことを思い出した。
あの時は思わず小リス令嬢と呼びかけそうになり開いた口を慌てて閉じた。
不思議そうに見ていたリーネに改めて問うた。
「君のことはなんて呼べばいい?」と。
「ええっと……リーネとお呼びください。」
教えてくれたのは愛称だけだった。
彼女は俺の名前を当たり前のように呼んだが、それは別に珍しいことではない。
モリス侯爵家は誰もが知る貴族筆頭侯爵家だ。
トウプチ先生の手伝いをしているのはそうらしく、「先生は厳しいだろう?」と言えば「いいえ、毎日楽しいです。」と言っていた。
研究の話を先生としていたらあっという間に下校時間になっているらしい。
学園生ではないのだろうか?
研究生か?
トウプチ先生は侯爵家の人だ。
身元のわからない人を研究生として迎えるとは思えない。
と言うことはやはりリーネはどこかの貴族令嬢なんだろう。
令息達が話しかけようとしても逃げてしまうリーネ。
その事からあまり自分の事を聞かれるのが苦手なのかと思った。
俺と一緒だ。
だからここではただのアベルとリーネ。
それでいいじゃないか。
にこにこと微笑みながらリーネがサンドウィッチを口に運ぶ。
リーネの目はくりくりとまるいのに笑うとクシャッと無くなってしまう。
屈託のない笑顔が可愛らしくずっと笑っていてほしいと思う。
(小リス令嬢の笑顔なんて、きっと誰も知らない。)
そしてその事がたまらなく胸をくすぐるのだった。
「クラスのご令嬢の皆さんはぁ悪役令嬢断罪ものの舞台を観に行ってますわぁ!」
「小説もお読みになってらっしゃるのですよぅ。私も読んでいるのですぅ。」
何故か最近ハーフナー伯爵令嬢は悪役令嬢ものを勧めてくる。
流行っているのは知っているが平民や下位貴族の間でだけだ。
でもいい話題のネタだと思い耳を傾けるが、しかしながらキンキン声はずっとは聞いていられない。
「ハーフナー伯爵令嬢。そろそろ鐘がなる。帰ったらどうだ?」
顔も見ず言うと、ではまた本の感想をお聞かせしますねぇ!と教室を出て行った。
それを見ていたニコラスが「帰るのをごねた事はないんだよなあ。」とカラカラと笑った。
確かに、と思うと俺もおかしくなり一緒に笑う。
するとニコラスが驚いたようにこちらを見ていた。
「どうした?」
「なんだかアラン、最近雰囲気が柔らかくなったな?」
「そうか?」
ピンとこない。
しかしそんな事があるなら、心当たりはある。
が気付かないふりをした。




