モリス侯爵令息アランのプロローグ
「ハーフナー伯爵令嬢!お前は次期侯爵夫人に相応しくない!婚約を破棄する。」
こう言えば癇癪を起こし手がつけられないものだと思っていた。
なぜこんな酷いことをと言われるならば、お前の大好きな悪役令嬢と同じ断罪劇で嬉しいだろう?と嫌味の一つでも言ってやるつもりだった。
それなのに実際はまったく違う予想もしない反応が返ってきただけだった。
「仰せのままに。アラン様。」
彼女は丁寧な美しい所作でカーテシーをすると、部屋を後にした。
こちらが呆気に取られ立ち尽くすほどに、あっさりと。
「アラン様ぁ~!」
また来た
「お!今朝も来たね!お前の婚約者様は今日もご機嫌だなあ。」
揶揄いの色が混じった声で友人のニコラスは言うとくるりと方向を変えた。
「どこに行くんだ。」
「お邪魔だろう?俺もそこまで無粋じゃないぞ。」
クククと笑いながらそそくさと教室に入って行った。
ああ、こんな事なら教室の前で立ち話などせず、とっとと教室に入っていればよかった。
いや、教室にいたとしても彼女は遠慮もなしに入ってきていただろう。
しかし席に着いていれば腕にまとわりつかれることもなかった。
「おはようございますぅ。アラン様ぁ!」
ドンと腕に衝撃が走る。
これもいつもの事だ。
「ああ。」
渋々と言う態度を隠しもしないのだが彼女は気にしない。
「私がぁ学園に編入してもう一ヶ月ですわぁ!そろそろ私達ぃランチを一緒にとって交流を深めませんかぁ?」
俺の腕にぶら下がりキンキンと話しているブロンドの少女はハーフナー伯爵令嬢キャロラインだ。
「お誘いありがとう。しかし悪いのだが昼は勉強をしながら1人でとっていて、あまり邪魔されたくないんだ。申し訳ない。」
派手な化粧の顔を間近で見たくないので視線を合わせず淡々と断る。
「まあぁ、そうなのですねえ……」
ランチを一緒なんて勘弁してくれ。
朝も昼もこの調子でキンキン話されてはたまったものではない。
彼女は毎朝この調子で、すっかり学園では有名人となっていた。
もちろん悪い意味で。
この下品な装いや喋り方は勿論の事、学園での態度も誉められたものではない。
ニコラスが所属する生徒会でも話題に上るくらい授業に出ていないらしく、
「お前の婚約者は、朝お前に会いにくる以外ほぼ学校にいないらしいが、大丈夫なのか」と、ニコラスからも聞かれたことがあるくらいだ。
この間編入したばかりだぞ?
ため息をかみ殺し言う。
「ハーフナー伯爵令嬢。もう教室に戻った方がいい。鐘が鳴るぞ。」
「ではまた明日来ますわぁ!」
できる限りの素っ気ない声を出したと言うのに上機嫌で帰って行った。
ハア
特大のため息をついてしまった。
「いやあ。彼女はいつも元気だな。」
くすくす笑いながら教室の扉からニコラスがひょこりと顔を出す。
「なんだ見てたのか。」
呆れた様に言うと
「だってお前が無理しながらも婚約者様になんとか合わせているのが健気で……。」
と涙を拭うふりをする。
「涙出てないぞ。」
「見えないのか?大嫌いなタイプが婚約者になってしまったお前を思って泣いている俺の涙が……ハハ!」
そこまで言うとニコラスは堪えきれず笑い出した。
俺は無言でニコラスの肩を小突いて教室に入る。
おいおい待てよ、などと言いながら俺の後をついてくる。
俺が席に座るとニコラスは横に座った。
ジロリと睨みつける。
「悪い。」
やり過ぎを悟ったらしく気まずそうに笑うと「それにしても!」と誤魔化す様に手を打ち、話し出した。
「ハーフナー伯爵令嬢の喋り方は本当に貴族令嬢なのかと疑いたくなるね。すっかり地方令嬢のイメージを壊されたな。」
それは確かにそうだ。
地方からの貴族も多く通う此処王都の学園では、中央に住まう令息達の間で一定数の人気があるのが地方貴族の令嬢だ。
王都の洗練されたご令嬢とは違う素朴な魅力があり、彼らの目を惹く。
まあ大抵はどんどん垢抜けていってしまい素朴さなどすっかり無くなってしまうのだが。
ハーフナー伯爵令嬢は地方貴族だが、最初から彼女はああだった。
ケバケバしい化粧に、派手に結い上げたブロンドの髪。
キンキンと頭に響くような高い声。
耳に纏わりつくような間延びした喋り方。
「王都から離れた地方の出身だっけ?あれが王都と思っているのかね?たまにいるよなあ。おしゃれと派手を勘違いしている地方貴族。」
普通は2、3ヶ月もすれば気付くんだけど気付くかな~と続ける。
そしてはたと思いついた様に
「教えてあげれば?」と言うので俺はうんざりとした溜め息で答える。
「ま、そうだな。癇癪起こしそうだ。彼女なら。」
これが悪い冗談だと笑えないのが恐ろしい。
癇癪を起こして授業を中断させた、と言う話は彼女と同じクラスである妹から聞いた。
教師に質問され、しかしわからず、癇癪を起こして、支離滅裂な事を喚き散らし授業が中断されたと言うのだ。
しかし授業を中断させるわけにいかないと判断した教師が放課後呼び出すということでその場を治めたという。
いささか信じられなかったが、中等部ではすっかり噂になっているらしかった。
考えれば考えるほどに彼女は私とは相容れないタイプの人間らしい。
「まあでも一度しっかり話してみれば案外良いところもあるのかも知れないぞ。ランチだって断っていたが、一緒に食べてみたら楽しいのかも知れない。」
なっと気楽そうにニコラスが笑う。
「かもしれないかもしれないと、他人事だと思っているのだろう。朝だけで十分だ。昨日もキンキンと朝からスイーツの話を喋り続けていてうんざりしてしまったよ。」
「お前は甘いものが苦手なのにな。」
流石のニコラスも苦笑いする。
少し気の毒そうな目をしたが、すぐにああと思い出したように話し出した。
「そうだ、アラン。今週も来るだろう?今回は結構人が集まったから面白くなりそうだぞ。」
「テーマは?」
「地方における治水、だ。」
行きたい。
行きたいが……
「いや……今回は遠慮しておこう。」
「何故!」
ニコラスは目を丸くした。
「行けないんだ。ハーフナー伯爵令嬢が侯爵邸にやってくる日なんだ。両親がお茶会
に招待していてね。正式な顔合わせを兼ねているし、俺も必ず居るように言われたんだよ。」
「ああそれは……そうか。仕方がない、今回は欠席だな。」
そういうと残念そうに肩をすくめた。
「また面白そうな意見があれば教えてくれ。」
「もちろん!」
ニコラスは快く返事を返した。
集まり、というのはニコラスが主催する勉強会だ。
毎回テーマを決めて皆で討論し合う。
前回は王都における治水、で大いに盛り上がった。
だから今回のテーマも盛り上がるのは目に見えている。
しかし今回は諦めるしかない。
俺はもう何度目かわからない溜め息をついた。




