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第三十四話:清朝の鼎盛

あらすじ


 日本が江戸幕府による統治で安定していた頃、康熙帝(創造柱)は、清朝という異民族の王朝を、中華帝国として創造し、安定させるための革新的な統治を創り上げた。その創造の青図を受け継ぎ、厳格なシステムに設計し直したのが、息子の雍正帝(統治の設計士)である。雍正帝の徹底した行政改革と財政の清算は、孫の乾隆帝(建設柱)による大帝国の建設を可能とする。三国時代には諸葛亮孔明として、曹操(創造柱)と争いあったが、この時代には雍正帝が創造柱と建設柱の中継ぎをする形になった。


本編


 西暦一六八一年。康熙帝(こうきてい/創造柱)は、三藩の乱を鎮圧した後、紫禁城しきんじょうの静かな一室で、古い漢籍の山に囲まれていた。紙の独特の匂いと、冬の冷たい空気が混ざり合う。彼は若くして皇帝の座に就き、満漢を融和させた新しい帝国の「形」を創り出すことに没頭していた。

 彼は書斎の壁に貼られた、広大な中国の地図を指でなぞり、深く息を吐いた。

「満と漢は別の水ではない。私が創るは、この二つの源流を合流させた、世界に類を見ぬ大河だ」

 康熙帝は、自らが学問に励む姿を示し、漢人の知識人を積極的に登用した。彼が創り出した「康熙の治」という統治の哲学と制度は、後の清朝の長期の安定の土台を創造した。


 西暦一七二三年。康熙帝の死後、即位した雍正帝(ようせいてい/統治の設計士)は、父が創造した枠組みに潜む、弛緩と腐敗の匂いを嗅ぎつけた。長きにわたる戦乱後の平和の裏で、役人たちの怠慢が財政に歪みを生んでいた。諸葛亮孔明として蜀の統治を設計した時と同じ、「公と正」に基づく厳格な設計の必要性を感じていた。

 雍正帝は、一日の大半を玉座ではなく、山積みの公文書が置かれた執務室で過ごした。墨の匂いと燃える蝋燭の熱が彼を包む。彼は、秘密に奏請させる「密奏制度」を徹底させ、中央と地方の財政の歪みを容赦なく清算した。彼の手は、朱の筆を握りしめ、紙面を批閲するたびに、迷いない音を立てた。

 彼は自らが朱で批閲ひえつした奏摺そうしゅうを机に置き、冷たい眼で虚空を見据えた。その表情は、肉親の情を超えた、統治のための孤独な設計者のそれである。

「父が創造した大河は素晴らしい。だが、その水路には砂が溜まっている。私はその水路を徹底的に浚渫しゅんせつし、万世が使えるよう、流れを設計し直す」

 彼は、不正に利用されていた手数料を公の資金とする「火耗帰公かこうきこう」という画期的な税制改革を実行した。改革は多くの既得権益者からの憎悪を集めたが、雍正帝は、一点の譲歩もしなかった。彼は、夜遅く、執務室で、蝋燭の灯りだけを頼りに、公文書の束を指で押さえた。

※「火耗帰公」: 当時、地方官が政府に銀(当時は主に地丁銀として徴収)を納める際、輸送中や溶解・鋳造し直す際の目減り分(火耗、耗羨)を考慮して、農民から余分に徴収することが慣例となっていた。この余剰分は「火耗」と呼ばれ、公式な会計には含まれず、地方官の私腹を肥やす温床となっていた。雍正帝は、この地方官による任意の徴収を禁止し、代わりにこの「火耗」を公式な税金として国家が統一して徴収するように改めた。


「私は、民のために、この憎悪を引き受ける。痛みなき改革は、永久の安定をもたらさぬ」

 雍正帝が設計した厳格で効率的な統治システムは、清朝の長期の安定を財政的、行政的に裏付けるものとなった。


 西暦一七三五年。康熙帝の創造と雍正帝の設計を受け継いだ孫の乾隆帝(けんりゅうてい/建設柱)が即位した。彼の使命は、祖父が創り出した枠組みと父が設計したシステムを最大限に活用し、清朝を史上最大の領土と長期の平和を誇る「完成された帝国」へと建設することであった。

 乾隆帝は、巨大な宮殿の模型を前に、建築家のようにその細部を確認していた。彼の建設は、十全武功じゅうぜんぶこうと呼ばれた領土の物理的な拡大と同時に、四庫全書の編纂という、国内の重要書物の全てを取りまとめることを成し遂げ、文化の体系的な統合に向かった。彼の部屋には、新しい絹の匂いや、遠方の戦場から届く硝煙の微かな匂いが漂う。

 彼は、自らが建設した巨大な帝国の安定を確信し、静かに筆を置いた。その筆先には、一点の墨も乱れていない。

「祖父が創り、父が設計した礎は揺るがぬ。清は今、万民を包み込む、揺るぎない城壁だ。外に敵はない」

 彼は、完成した帝国の安定を謳歌した。現代の中国の国土基盤もこの時に治められた枠組みを受け継いでいる。

 しかし、この完成された建設は、裏腹に「変化を拒む硬直」という限界を内包していた。雍正帝の厳格さが欠けた後、乾隆帝の治世の後半には、巨額の富が集積されたことによる内部の腐敗の種が、再び静かに芽生え始めていた。乾隆帝が作り上げた「完成された安定」は、次の破壊と創造の時代への余白を残すことになったのである。

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